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12-3

※新年早々、投稿日時を間違えて申し訳ありません。明けましておめでとうございます。※



【これまでのあらすじ】

たとえ組織が解体されようとも、情報機関としての意地はある。

真なる国益のため、国民を守るため、己が矜持を貫くため。


元CIA工作員のクルテクをはじめCIA残党は、27番地のためではなくあくまで自身の正義のため、世界規模の謀略を発動させる。


常任理事国ならびにG7加盟国への事態の説明と警告、終戦後の事後処理。

USSAが人質にと付け狙っていた、モーガン一家とコールマン班遺族の保護。

そして、処刑されかけていたローズ嬢とファン・デーレンの救出。


さらにCIA残党は、米軍最強の部隊デルタフォースにも働きかけ、ニコラスたちの救援部隊として合衆国へ極秘に招集することに成功する。


だがこれほどの策略をもってしても、戦況は依然として不利なまま。


「結局のところ、勝敗はこの決戦次第なわけだ」


CIAの援護を受け改めて決意を固めたニコラスたちは、反攻作戦開始までの最後の夜を過ごす。

そんな折、ニコラスのもとにクルテクが一人訪ねてきて――。




【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ:主人公


●ハウンド:ヒロイン、敵(USSA)に捕らわれている


●クルテク:元CIA工作員の現役USSA局員。正体はCIA残党としてUSSAの内部工作を担う二重スパイ。




【用語紹介】

●合衆国安全保障局(USSA)

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。


●『双頭の雄鹿』

USSAを牛耳る謎の組織。その正体はアメリカ建国黎明期の開拓者『ポパム植民地』住民の末裔。

マニフェストディスティニーを旗標に掲げ、国を正しい道に導くことを指標とする。政界、経済界、軍部、国内のあらゆる中枢に根を張り巡らしている。

名の由来は、ポパム植民地の最大後援者でもあったジョン・ポパムの紋章からもじったもの。


●失われたリスト

イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち(国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など)がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。


●絵本

ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。


●《トゥアハデ》

『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

現時点で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

また、なぜかオヴェドは名を与えられていない。

 作戦開始時刻まで、あと8時間45分――。


 “特訓”は中断された。

 ニコラスは、ゆっくりつまみを回してラジオを切った。


「聞きたいことってなんだ」


 クルテクはじっとこちらを見据えた。茂みの中から捕食者が獲物を見つめるような、全身を舐め回すような粘着質でじっとりとした嫌な目だ。

 どんな些細な変化も見逃さぬ、とでも言いたいのか。


「君はなぜ、ヘルハウンドを助けた。正義感から? それとも、ただの気まぐれ?」


「気まぐれだ。親友が助けようと言ったから助けた。俺は見捨てるべきだと言った」


「正直に語るね」


「事実だ。なにせ筋金入りの偽善者なもんでね」


「じゃあ二度目は? ……いや、君の場合は三度目もあるか。一年後に再会した時、そしてこのアメリカで再会した時、君はなぜ彼女を助けようと思った?」


「その質問には答えられない」


「なぜ?」


()()()()()()()からだ。ハウンドはまだあの塔の中にいる。助けてもないのに動機もクソもないだろ」


 クルテクは黙りこくった。呆れたとか反論できないというよりは、考え込んでいるような仕草だった。


「話の内容が見えないな。あんたはなにが言いたい? 俺になにが聞きたいんだ」


 ニコラスは語気を強めた。いつにも増してつんけんしている自覚はある。けれど、この男に対する隔意をまだ捨てる気にはなれない。


 この男は常に仮面を被っている。

 それだけならまだいい。基本他人を信用してないだとか、仮面の外し方が分からなくなっただとか、そういう敵意や当惑はハウンドで目にしてきた。


 だがこの男の場合、自らの顔に仮面を縫い付けたかのような、「絶対に本心を晒してなるものか」というある種の狂気に似た頑なさを感じるのだ。

 その得体の知れなさが、警戒色を強めている理由だった。


 そうしていると、クルテクがふっと相好を崩した。


「やっぱり僕を一番警戒するのは君たちだね。ヘルハウンド以上の厳戒態勢だ。狙撃手ってやつの性分なのかな」


 君たち?


 ニコラスが顔をしかめると、クルテクは数歩離れたところにあるソファーの残骸に腰を下ろした。

 真っ二つになって中から綿も飛び出ていたが、肘掛け部分はまだ無事だった。


「少し、昔話に付き合ってくれよ。そのぐらいの時間はまだあるだろ。『特別』を欲したあまり、身を滅ぼした男の話だ」


 そう言って、クルテクはぽつぽつと語り始めた。


「人間ってのは生まれながらに『特別』な存在だ。綺麗事を言ってるんじゃない。親からすれば、生まれてきた子は血を分け腹を痛めた唯一無二の存在だ。遺伝子という視点からしてもそうだ。基本的に人間は、生まれた瞬間に親の愛という『特別』を無条件で与えられながら育つ」


 ニコラスは上半身を起こし、右の足先だけ男の方へ向けた。

 この男が誰のことを語りたがっているのか、おおよその察しがついたのである。


「だが例外というものは常に存在する。親が誰か分からない、なんてのは典型パターンだ。生まれながらに親の愛情を受けられず、存在を否定されながら育つ虐待児のパターンもあるだろう。

 いずれにせよ、こういう育ち方をした人間は、本来得られるはずの『特別』を得ることなく育つ。そうなるとどうなると思う? 

 異常なまでに『特別』を欲するようになるんだ。愛、才能、富、名声、この世で唯一無二のものを願ってやまなくなる。そうして次第に狂っていく」


 僕の親はね、とクルテクは空を仰いだ。

 破壊され崩れ落ちた天井の先に見える紺青は、嫌みかと思うほど澄んでいた。


「悪い人たちではなかったよ。人並みに愛して育ててもらった。ただちょっとばかし放任で、切り替えの早い人たちだった。僕に期待しただけの『特別』がないと分かった途端、弟や妹たちの育成に精を出した。

 別に愛されてなかったとかじゃないよ? ちゃんと僕が幸福になるよう願って、いろいろ工面してくれたさ。ただ両親の思い描く幸福と、僕の願う幸福が一致しなかったってだけでね」


「……あんたもその『特別』とやらを欲して狂った人間ってことか」


「そんなとこだね。僕の場合の『特別』は、才能とか容姿とかに言い換えられるかな。いずれにせよ、僕にはその『特別』がなかった。色々と藻掻いてみたが駄目だった。だから逆に“『特別』でない”ことを武器にすることにしたのさ」


 クルテクは右手を顔に当てた。口元を覆うように顎先をもって。それは奇しくも、仮面を外す動作に酷似していた。


「工作員にとって特徴がないってのはとても得難いもんでね。特徴がないからこそ、なんにでもなれる。変装できる幅がこれ以上ないほど広くなるんだ。どこにでもいそうな“『特別』でない”人間だからこそ、持てる唯一の武器なのさ。

 皮肉なもんだろ? “『特別』でない”ことがコンプレックスの人間が、それでもほしいと願い続けた結果、そのコンプレックスを武器にするという『特別』を得たわけだ」


「だからあんたは工作員になったのか」


「成り行きではあるけどね。ただ天職であったのは確かだよ。……さて、前置きが長くなったが、話を戻そう。君への質問についてだ」


 両膝の上で手を組んで、クルテクは真っすぐこちらを見据えた。


「薄々察してると思うけど、君は生まれながらに『特別』をあまり得られなかった人間だ。この場合は、愛、というべきか。父親を知らず、母親からは愛されず育った。だからか君には多少、他人へ依存する傾向が見られる。覚えがあるだろう」


 ある。

 なぜならアンドレ医師によるカウンセリングの中で、指摘されてきたことだったからだ。


 もう一度聞くよ、とクルテクは身を乗り出した。


「君はなぜヘルハウンドを助ける? なんのために助けに行く? もし彼女にとっての『特別』でありたいと願っているからなら、今回の救出作戦の陣頭指揮はバートンに任せてほしい。現状、誰かの犠牲前提の作戦を組めるほどの余裕は、今の我々にはない。君のような熟練兵の無駄使いはできないんだよ。『死んでも彼女を救い出す』じゃ困るんだ」


 それきりクルテクは口を閉ざした。こちらの返答を待っているようだった。


 ニコラスは一つ、深呼吸をしながら考えた。


 特別、か。


「前の俺だったら縋っていたかもしれないが……今は別にいいかな」


「彼女からの『特別』は要らないと?」


「要らない。ハウンドにとっての『特別』はカーフィラやコールマン軍曹たちだ。俺じゃない」


 無意識に、胸元を引っ搔いていることに気づいた。そこに、ハウンドからもらったべっ甲のループタイがケースごと入っていた。


 お揃いなのか、って聞いたら、顔を真っ赤にしてたっけ。


 ――でも否定はされなかったな。


 くすりと笑って、取り出したケースを親指でなぞった。


 もちろん特別になりたいと願っている。彼女にとって唯一無二の、特別な存在でありたい。

 その気持ちは嘘じゃない。けれど。


「この先、あの子が俺の隣に立っていなくてもいいんだ。あの子が心の底から笑える誰かと一緒なら、それでいい。俺はもう、あの子に助けてもらったから」


 特別なら、すでに受け取っている。


「充分さ、それで。充分なんだ」


 そう言って、ニコラスはケースを胸ポケットに放り込んだ。


「ま、なにはともあれ、すべては救出してからだ。あの子はまだ囚われてる。こんな状況であれこれ語っても仕方ない。もう特訓に戻っていいか? 最終調整ぐらいしておきたい」


「……君は本当に矛盾した男だな。『特別』でなくともいいと言いながら、彼女を救うという『特別』は譲らないのか」


「当然だろ。三枚目の切り札を託されたのは、助手である俺だ」


 あの日渡した弾丸のネックレスを握りしめて、あの子は俺の胸を、心臓を叩いた。

 俺に任せると。


 ならば、応えよう。なにがあろうとも。


「三枚目の切り札……あれは奇跡を願う、切り札とも呼べたもんじゃないが、それでもあの子が初めて俺を信じて託してくれたんだ。だから俺が迎えにいく」


 恋人、伴侶、家族、どれでなくともいい。将来、ハウンドの隣に俺でない誰かが立っていても構わない。


 けれど、これだけははっきり言える。


 代行屋『ブラックドッグ』、黒妖犬(ヘルハウンド)の助手は、この俺だ。


「あの切り札は俺とハウンドで考案したものだ。俺が一番現地であの子の行動に対応できる。そのために指揮系統を少しずつ店長に移行してきたんだ。教官もサポートについてくれるし、俺が前線に行ったって問題ないだろ」


「……君なら大丈夫かな」


「は?」


「何でもないよ。君がちゃんと諦めの悪い強欲な男で安心したって話さ」


 そう言って、クルテクは小脇に挟んでいたファイルを差し出した。


「分析結果だ。君の推測通りだったよ。アーサー・フォレスターという男は、ラルフ・コールマンを除くすべての人間に対して善人だったんだろう」


「……こいつは驚いたな。血筋以外にも、奴とコールマン軍曹には繋がりがあったのか」


「そうだ。だからこうなったんだろう。そして、だからこそ君らの切り札が生きる。バートンから例の物は受け取ったか?」


「ああ」


「結構」


 クルテクは少し呻きながら立ち上がった。寒いなか同じ姿勢を続けたせいで、関節が凝り固まったらしい。


「これで舞台は整えた。凡人にできるのはここまでだ。じゃあね、『百眼の巨人(アルゴス)』。特訓の成果、期待しているよ」


 背を向けたまま手を振って、クルテクは暗闇に消えていった。一方のニコラスは苦虫を噛み潰した。


 あの野郎、こっちの特訓内容を正確に把握してやがる。奇襲の効果を高めるため、店長と教官にしか喋ってないのに。


「食えねえおっさん」


 呟いたそばから夜風に攫われ、声が掻き消される。

 ますます釈然としない思いを抱えながら、ニコラスは特訓へ戻った。




 ***




 同日午後11時半。

 作戦開始時刻まで、あと5時間半――。


 カフェ『BROWNIE』は、いつも通りだった。


 風景はまるで違う。

 コンクリートで覆われた地下水道は冷たくじめついて、唯一の光源はLEDランタンと端末の画面、青白い光が客の顔と手元をぼうっと照らしている。


 席は空になった弾薬箱のテーブルに、畳んで広げた段ボールのピクニックシート。

 ここ一月に渡った籠城戦のせいか。客の顔は一様に土気色で、頬はこけ髭はぼうぼうで、隈のせいか眼窩が落ちくぼんでみえる。


 さながら、亡者の晩餐会。

 なのに、声だけが温かく、生気に満ちあふれている。


 色んな言語があちこちで聞こえて、音楽と怒号と笑い声が好き勝手飛び交う。うるさくて、落ち着きの欠片もない、なのに、なぜか足を運びたくなる。


 いつもの『BROWNIE』だった。


 ニコラスは目を細め、なるべく各席の邪魔をしないよう、静かにカウンター席――ドラム缶に板を渡しただけの簡素な席――へ向かった。


 しかし、手拍子を鳴らしながらカントリーミュージックを踊る老人らの集団を抜けたところで、呼び止められた。


「やあ、ニコラス。特訓の成果はどうだい?」


「ケータ」


 元特区警察の温和で小柄な青年は、決戦までの最後の時間を家族と過ごすことにしたらしい。

 彼の向かいには、気難しげに渋面をつくったマクナイト老人がホットウィスキーを啜っていた。


 そんなマクナイト一家の横では、ミチピシ一家当主の孫娘のアレサが、飼い鳥こと白頭鷲のワキンヤンの面倒を見ている。

 暴走族モーターサイクル・ギャング仲間とではなく、一人、一家の守り神とともに過ごしているのは、彼女もまた家族が恋しくなったからだろうか。


「まずまずってところだな」


「そいつは楽しみだ。……まあ、ラジオ聞きながらシャドーイング始めた時はちょっとびっくりしたけど。でも、きっと上手くいくよ。決戦前の特訓は、日本のジャンプ・コミックの王道展開だからね」


 ケータらしい例えと激励に照れくさくなって黙り込んでいると、彼の祖父が鋭く目を光らせた。


「人を励ます前に、自分の心配をしたらどうだ、馬鹿孫。ウェッブ、本気でこいつを連れていくつもりか」


「伝達した通りですよ、マクナイト曹長」


 現役時代の階級を呼べば、ベトナム帰りの古参兵は不機嫌そうに睨んできた。


「ケータの近接戦闘能力はうちでもずば抜けています。今回の作戦にうってつけかと」


「私もいますよ、マクナイトさん。ケータなら大丈夫よ。これまでもそうだったもの」


 アレサがワキンヤンに干し肉を与えながら、やんわり口を挟んだ。


 しかし、マクナイト老人の渋面は崩れない。


「だがこいつは根っからの臆病者だぞ。……おいお前、本当にやれるのか? 今回のは――」


「率先して人を殺すことになる、でしょ?」


 ケータがそう結ぶと、老人は黙りこくった。


 相変わらずの様子にケータは呆れ困ったように、けれどほんの少しだけはにかんだように笑って肩をすくめた。


「大丈夫だよ、爺ちゃん。ああいう場はやっぱり怖いけど、たぶん大丈夫。日本の爺ちゃんにもそう仕込まれたしね」


 そう言った途端、マクナイト老人がすこぶる嫌そうに顔を歪めた。

 キッチンで、さあ夕飯を作ろうかと思った矢先に、鼠かゴキブリを見つけたかのような顔だ。


 次の瞬間、機銃掃射のごとき猛烈な勢いのお小言が、マクナイト老人の口から飛び出していた。

 ケータは「あちゃー」という顔で両手を上げ、アレサはくすくす笑った。


 なにやら深い事情がありそうだ。

 ごめんねと独特なジェスチャーで詫びを入れるケータと、手を振るアレサに無言で別れを告げ、ニコラスは席を後にすることにした。


「おう、おう、ニコラスじゃねえか。ほれ、こっち来い」


 次にニコラスを呼び止めたのは、クロードだった。


 同じく住民のアトラスやサイラス、それから改造車愛好家の同志である暴走族リーダーのギャレットと一緒に、酒盛りをしていたらしい。

 すでに赤ら顔で完全に出来上がっている。


「作戦中に酔っぱらって事故ったら承知しねえぞ」


「わぁってるって。生粋のアル中ドライバーはなぁ、頭が飛んでもハンドル操作はビシッとやるんだ」


「飲酒運転する奴は大抵そう言うな」


「お堅いこと言うなよ、兄弟。アルコールもOKしたのは兄弟だろ?」


 ギャレットに首根っこを掴まれ、無理やり輪の中に引きずり込まれる。

 シェラカップを押し付けられ、中身はコーラかと思いきや、クロードが自身のカップにバーボンを注ぎ始めたのを見て溜息をつく。


 仕方がない。乾杯ぐらい、付き合ってやるか。


 しかし、ここからが長かった。

 乾杯の音頭を取ったクロードは、やれ27番地のためにだの、未来のためにだの、思いつくまま挨拶の言葉を並べ立てた。軽く十個は超えていたように思う。


 業を煮やした周囲から野次と怒号が飛びはじめた、その時。クロードは不意に真顔になって。


「お嬢のために。まだ一人で戦っている、俺たちのリーダーへ」


 カップを無言で掲げた。

 周囲もまたしんと静まり返って、沈黙のまま彼にならった。


 杯をあおって、一瞬の静粛。のち、クロードたちは元のどんちゃん騒ぎに戻っていった。


 その喧騒を眺めながら、ニコラスは一人静かにカップを掲げ、一気にあおった。そこで中身がブラックハイボールではなく、ただのコーラだと気づいた。


 思わず振り返ると、ギャレットはトレードマークのサングラスをちょっとずらして、ウィンクしていた。


『相変わらず賑やかですね。聞いているだけでも心が躍ります』


 その声を聞いて、ニコラスはもう一人の参加者を失念していたことにも気づいた。


 テーブル上のノートパソコン画面越しに、テレビ通話でローズ嬢が参加していたのだ。


「悪い」


『構いませんわ。皆さんがそんな様子ですからデル……ごほん。こちらの護衛の皆さんも交代で酒盛りをしているみたいです。もちろんアルコール抜きで』


「賢明ですね」


『ふふふ。ところで、そちらの方はもう出発されましたか?』


「数時間前まで話していたんですが、あの後すぐ出発したみたいですね。そちらは?」


『テオですか? 慌てて飛び出していきましたよ。なにせBチームの現場指揮官はミスター・マクナイトですもの。“私の船になんて物を積んでるんですかっ”なんて、悲鳴を上げていました』


「その節についてはあとでちゃんと謝ります。指示したのは俺なので」


『まあ!』


 ローズ嬢はひとしきり笑って、不意に真剣な面持ちになった。


『ところで、本当に私が交渉チームでいいのですか? もちろん参加を許可してくださったのは、嬉しい限りなのですが。お邪魔になりませんか』


「まさか。むしろあなたが一番の適任ですよ、ローズ嬢。こっちから送り込むのがひねくれ者二名で申し訳ないぐらいです」


『嬉しいお言葉、感謝します。全力を尽くさせていただきます。ミスター・ウェッブ、どうかテオを、ファン・デーレンをよろしく頼みます。彼、ああ見えて結構無茶をされる方ですから』


 ローズ嬢に別れを告げ、席をこっそり離れる。

 次にニコラスが顔を出したのは、少年団『雨燕(アンドリーリャ)』たちのグループだ。


「……こんばんは」


 一番に話しかけてきたのはウィルだった。

 人と話すのが苦手な彼が真っ先に話しかけてくるとは珍しい……と思ったが、それもそのはず。


 彼の友人のお喋り二人は、言い争いの最中だったからだ。


「だぁかぁら! ここは、目の前で起きてることだけを話すニュース・スタイルの方がいいって。特区のリアルを正確に伝えられるのは、僕らだけだ。ちゃんとしたチャンネルをつくって、最初からそういう方針で報道していくんだ。こんな時にまで目立ちたがるのやめなよ」


「はあ!? 目立ちたがってるとかじゃないしっ。あの和平交渉のあと、店長さんの言葉がネットでどう扱われたか、ルカだって見ただろ? オレらがどうこう言ったって、『ガキの言ってることだろ』って片付けられんのがオチじゃん。だったらオレのチャンネルで生放送スタイルにした方がいいって」


「元迷惑ユーチューバーの方が信用されないでしょ」


「今さらチャンネル立ち上げるよりマシだろ。今のオレのチャンネルまだバンされてないし、登録者だって一万はいるしっ」


 喧々諤々に言い争うルカとジャックの言い分は、どちらにも一理あるものだった。だからこそ、なかなか決着がつかないのだろう。


 ニコラスはお互いが落ち着くまで、ウィルと雑談することにした。


「改造ドローンのテスト飛行結果、見させてもらった。流石だな」


「……別に。自動飛行は後からインストールできる機体だったし、スワーム化も感知システムも、プログラム自体は単純だから。皆が持ってる端末との連携設定は、通信のみんながやってくれたし。ニコラスの方こそ、どう? 例の特訓……本番でも、僕らのドローン使うんだよね?」


「監視班がやられたらな。万が一の保険ではあるが、それにしたって申し分ない性能だった。大したもんだ」


「…………取柄、そのぐらいしかない、から」


 声がだんだん小さくなり、ウィルは俯いた。耳が真っ赤なのをみるに、照れたらしい。

 ニコラスはその頭を撫でた。


「すまないな。逃がしてやれなくて」


 ルカたち少年団もそうだが、ウィルとジャックは明日の作戦において、極めて重要な役割を担っていた。

 それはつまり、彼らを最前線の激戦地へ同行させるということだ。


 大人として、恥ずべきことだった。


 しかしウィルは、掌の下で頭を振った。


「……ジャックがね、ユーチューブ再開した時、僕もジャックと一緒に、匿名で全部話したんだ。僕が、これまでやってきたこと、全部」


 知っている。これまでの自分の行いをいたく反省したジャックは、チャンネル再開のおり、これまで自分がやってしまったことを正直に告白したのだ。

 ウィルもそれに付き合ったという。


 そのせいでジャックのチャンネルは罵詈雑言の嵐と化した。今でこそ落ち着いてきたが、以前は嫌がらせの通報で、公式から何度もアカウントを削除されてしまっていた。


「……ジャックに対して怒る人は多かったんだけど、僕については同情する人が多くて。あれ、僕すごい嫌だった。

 罪の重さは、僕もジャックと変わらない。彼はたしかに作った爆弾で大勢を傷つけた。僕は、自分が傷つくのが嫌だから、他の子供を大人に売った。

 その子たちは、どうなったか分からない。がんばって調べてみたけど、分かんなかった」


 ウィルは自身のノートパソコンの、使いすぎて文字が消えてしまったエンターキーを指でなぞった。


「法律で罪になるっていうなら、納得できる。けど、大人の勝手な判断で、僕は許されて、ジャックは許されないのは、違うと思う。そんなの、魔女狩りと一緒だ。公平じゃない。

 その、勝手に決めつけないでほしいかなっていうか。反省したいのに、勝手に許さないでほしいっていうか。ええっと……なにが言いたいかっていうと」


 すうっと息を吸いこんで、ウィルはしっかりアイコトンタクトをとった。瞳は左右に揺れ、今にも逸れてしまいそうな目だったけれど。


「自分で決めたいんだ。と、思う。誰かの言いなりになるんじゃなくて。自分で決めて、自分でやって、それで怒られたら、ちゃんと自分で反省して。……だから今回も、僕がちゃんと自分で決めた、から。謝らなくて、いい、かな」


 ニコラスは返答代わりにウィルの頭をもみくちゃに撫でた。口を開くと、つい「ごめん」が出てしまいそうだった。


「明日はケータから離れるなよ。お前たちは俺たちが絶対に守る。だから必ず俺たちの指示に従ってくれ」


「……分かってるよ」


 掌の下で、ウィルは唇を尖らせた。その頬と耳は赤いままで、年相応の反応が見れて、ニコラスも少し笑った。


「あっ、ニコラスじゃん。いたなら言ってよ」


「ねえねえ、ニコラス。ちょっと今、明日の報道スタイル、僕とジャックのどっちがいいと思う? 絶対ニュース・スタイルの方がいいよね?」


「いーや、絶対オレのチャンネルで生放送だね!」


 ようやくこちらの存在に気づいたルカとジャックだったが、またも喧嘩が勃発してしまって収拾がつかない。


 ニコラスはウィルと顔を見合わせて。


「ジャックのチャンネルで、そのニュース・スタイルの動画を投稿すればいいんじゃないか? 生放送形式でも構わんが……」


 ウィルが隣でうんうんと頷いた。


 ジャックとルカはぽかんと口を開け、「それだ!」と叫んだ。


「いいじゃん、いいじゃん! ならオレがヘルメットカメラ着けて……」


「ちょっと待った。お前とウィルは奇襲部隊だろ。なにやってるか分かんない報道はダメ。僕ら少年団でちょっと離れたところから、解説しながら報道する」


「はあ!? 一番のスクープ撮らないとか馬鹿じゃん、オレがカメラ持つ!」


「スクープよりもまずは事態の説明! カメラは僕が持つ!」


 今度はカメラをどっちが持つかで争い始めた。


 どうしたもんかと思っていたら、ウィルが隣でパソコンをカタカタ叩き。


「……マリオカート」


「「へ?」」


「二人とも、ニンテンドーDSは持ってるよね? ネット環境は整えておくから。今から勝負、それで決まり。もう寝る時間だし、時間もないから一本勝負ね。コースは僕が選んでおくから、二人ともDS取ってきて」


「「え」」


「え、じゃない。早くして」


「「あっ、はい」」


 勝手に場を整えていくウィルに、気圧される形でルカとジャックがDSを取りにいく。久々のゲーム対決と聞いて、子供たちはさらにヒートアップした。


 ウィルの意外な一面を目の当たりにして、意外とリーダー向きかもなと思いながら、ニコラスは席を後にした。


 そうして、ニコラスはやっとカウンター席に辿り着いた。


 カウンター内では店長とチコがドリンク作りに勤しみ、席ではバートンが黙々とステンレスカップを傾けていた。


 バートンはいち早くこちらに気づくと、早く座れとばかりにテーブルを叩いた。


「やっと来たな、人気者め」


「ハウンドが繋いでくれたおかげです」


「よき人々だ」


「はい、本当に」


 座ると、チコが紅茶を出してくれた。微かにウィスキーの香りがする。


「店長の淹れたてよ。アルコールは飛ばしてあるわ」


「ありがとう」


「茶請けはこれネ」


 チコの脇からひょっこり現れたイヤドが、アルミホイルに包まれた塊をカップの隣に置いた。

 中をみれば、ケバブを薄いパンで挟んだサンドイッチだった。


 残された食糧で、頑張って作ってくれたらしい。ニコラスはありがたく頂戴することにした。


 サンドイッチを頬張り、紅茶で潤した喉で黙々と飲み下す。その視線はずっと客たちに向けていた。


 ハウンドもよく、こうして食事をしながら客たちを眺めていた。最初は観察しているのかと思ったが、単純に見るのが好きなのだと言っていた。


 今なら分かる気がする。


 目の前で笑い合う、守るべき人々。こうしていつも目に焼き付けていたのだ、あの子は。


 ニコラスはカップが空になっても、客を眺め続けた。


 どこにでもある、ありふれた光景。されど得難き尊い光景を、決して忘れぬように、ずっと。




 ***




 同日午前3時。

 作戦開始時刻まで、あと2時間――。


 下弦の月も隠れた深更の零番地、セントラルタワーの屋上ヘリポートにて。


 吹き荒ぶローターの風圧で、声が掻き消されない程度の距離に至ったところで、アーサー・フォレスターは開口一番、


「出迎えは不要と言っただろう」


 と言った。


 主人からの言葉に、双子、兄は弟とそろって平身低頭する。


「申し訳ありません。ですが、御身がお越しになられると聞いては、そうもいかず」


「難儀だな」


 抑揚のない声でそう呟き、


「だがありがとう。こんな夜更けにすまないな」


 ごく僅かに、笑顔をみせた。この男の不思議なところだった。


 人としての感情など持ち合わせていないような冷徹さをみせながら、謝罪と感謝は決して欠かさない。たとえ下々の者であっても。


「御身が直接出向かずとも、モニター越しの対話でよかったのではないですか?」


「けじめだ。こればかりは私自身が問わねばならん。彼女は?」


「独房です。こちらへ」


 片割れの弟が先導する。主人の前後を挟み、蚤一匹たりとも見逃さぬよう、目を光らせる。


 目的の階に着くと、弟は一礼して独房へ先立った。

 尋問担当の兵士に言伝と人払いを兼ねてのことだったが、案の定、不服の意を唱えるがなり声が聞こえる。


 察しの悪い不埒者どもめ。


 主人の手前、舌打ちこそしなかったが兄は苛立ちを後ろ手に組んだ拳にこめた。


「強化尋問をまだやっているのか。一日三時間に留めるよう通達したはずだが」


「はっ、申し訳ございません。実を申しますと、長い時で一週間、連続して行っておりました。最近でこそ落ち着きましたが……モリガンの指示でしょう」


「やれやれ。困った子だ」


 困ったどころの騒ぎではない。モリガンの害悪さは双子が一番痛感している。

 トゥアハデでモリガンに次いで古参の双子は、あの女の奔放さに散々振り回されてきた。


 なにも考えていないのだ、あの女は。

 ただただ、目の前の享楽を貪るだけの愚か者に過ぎない。


 苛立ちを抑え切れず、兄はつい、主人へ遠回しに抗議してしまった。


「そろそろ本格的に処遇を考えた方が良いと具申しますが」


「モリガンのことか。だが彼女の能力は貴重だ」


「稀有な能力の持ち主であることは存じております。ですが、それを踏まえて目に余る行為が多すぎます」


「知っている。だがその自由さが、敵の撹乱に大いに役立っている。かつてCIAとの情報戦を制することができたのも、彼女の功績が大きい」


「御身がそうおっしゃるのであれば」


 兄はこの辺りで口を噤むことにした。

 この男がそうと決めたのなら、それに従う。双子にとって、この男はそれだけの存在だった。


「追悼を邪魔してしまったか?」


「は?」


「この時間は亡き戦友、クロム・クルアハやヌアザのために祈ってくれている時間だろう。だから苛立っているのではないのか」


 兄はしばし呆気に取られ、慌てて否定した。


「とんでもない。私が苛立っているのはただモリガンが身勝手極まるためです。それと、ヌアザへの追悼はしておりません。奴の死は、奴の無能と不用意が招いたことですので」


「相変わらず正直だな、君らは。それこそが君らの美徳であるが」


 主人はそう苦笑して、一転、笑みを消して前を向く。


「ならば私から頼もう。クロム・クルアハはもちろん、ヌアザのためにも祈っておくれ。キッホルにも。私には、その資格がない」


 そう言って、主人はゆっくり進み始めた。もう兵士たちの騒ぎ声は聞こえなかった。


 その背に、兄は黙って頭を下げた。ここが古代であれば平伏したことだろう。

 どんな言葉を尽くしても、この男への敬意を示せないと思った。


 兄はものの数歩で主人に追いつくと、大して広くもない背を眺めた。


 双子は親を知らない。

 アフリカのどこかで生まれ、華人の血が入っているからと中国人の富豪に買われて上海へ渡った。


 だがどこへ行こうと、双子は双子だった。


 アフリカの大地が与えた、この体格と膂力には感謝している。中国の地に根付いた古来武術とその思想には大いに共感するところがあった。


 けれど双子にとって、自身の存在を証明するのは、国籍でも思想でも言語でも宗教でもなく、互いの存在だけだった。


 その必然を唯一崩したのが、アーサー・フォレスターという男だった。


 この男は自分たちの価値観を解し、尊重し、居場所を与えた。存分に力を振るう戦場を用意した。奪い、奪われるだけの双子の世界に、未来という概念をその身をもって示してくれた。


 この世に掃いて捨てるほどいる哀れな子らのために、本気で動く人間だった。


 時に冷酷無慈悲な判断を下そうとも、この男はその大罪を背負って前へ進む。だからこそ、我が忠誠を尽くさんと誓ったのだ。


「すまぬ、兄者」


「遅かったな」


「あの女が駄々をこねた」


 部屋の前で到着を待っていた弟が、忌々しげにそう吐き捨てる。

 だが主人が目の前にくると、すぐに顔を引き締め、道を開け独房のロックを素早く解除した。


 独房の中央に、あの少女がいた。


 天井に吊るされていた以前と違って、椅子に座らされていた。


 だが兄の目はその椅子が汚れていないこと、椅子の脚が固定されていないことに目ざとく気づいた。

 恐らく、主人が来たと知って、慌てて降ろして椅子に座らせたのだろう。幼児が悪戯を隠すような浅はかさだ。


 少女、ブラックドッグは無惨な有様だった。


 枷は肉を容赦なく抉り、剥き出しの手足のあちこちに青や黄色の痣があった。

 ところどころ裂傷がみられるが、それが拷問によるものなのか、資料にあった皮膚移植の治療痕が裂けたものなのか定かではない。


 俯いた顔をざんばら髪が隠す様は幽鬼のごとし。そして、酷く痩せていた。

 深緑の目は夢現を彷徨い、自分たちが来たことにも気づいていないようだった。


 主人は首を振り、深々と溜息をついた。


「ディラン、スェウ、治療と食事を。それから枷を外してあげなさい」


 双子は迷ったが、主人の慈悲を無下にはできず、片方が取り押さえている間に片方がやることにした。

 少女には、もはや暴れる気力も体力も残っていなかった。


 小一時間かけて、双子は少女に治療を施した。


 すべての枷を外し、弟が少女を取り押さえている間に、兄が手早く必要な処置を行う。


 食事はゼリー飲料の栄養剤を用意した。これで駄目なら点滴をと思ったが、口元へ持っていくと、少女は自らかぶりつき少しずつ飲んだ。

 飲み終わる頃には瞳の焦点が合い始め、光を取り戻した。


 頑丈な女だ。兄は感心し、喜んだ。

 かつて相対した敵が弱かったと判明することほど、萎えるものはない。


 ようやくこちらに気づいたらしい少女は声を出そうとしたが、老犬の泣き声のような呻きしか出てこなかった。

 この一月、口枷を嵌められ続けたせいで上手く喋れないのだろう。


「喋れないのなら、無理に喋らなくていい。私の質問に答えられればそれでいい」


 少女は呻くのをやめ、じっと主人を見つめた。主人はそれを見つめ返し、ゆっくり口を開いた。


呼称(コードネーム)『ブラックドッグ』、ヘルハウンド。君は自らの罪を認め、償う気はあるか」


 少女は答えなかった。僅かに眉根を寄せただけで。


「なんの?」


「我が祖国の同胞を殺した。自らの生存と幸福を達成するために、同胞を誑かし、扇動し、祖国に仇なすテロリストに仕立て上げた。ラルフ・コールマンをはじめとする六人も、27番地の住民も、ニコラス・ウェッブも。君が関与しなければ普通のアメリカ人でいられたはずだ。違うかね?」


 理不尽極まりない発言に聞こえるが、理に適わぬものではない。

 なぜなら主人は、出会ってすぐ、この少女を庇護しようとしたからだ。


 ラルフ・コールマンの身勝手な独断により、処分せざるを得なくなってしまったが。少なくとも主人自身は、少女を守ろうとしていた。


 我ら兄弟のように、手元において生涯大事に面倒をみるつもりだった。


「君に改心の意思があり、生涯をかけて贖うと誓ってくれるなら、私は君を全力で庇護しよう。終身刑は免れないだろうが、極力快適な暮らしを保障する。不便はさせない。

 刑務所暮らし、ということを除けば、限りなく“普通の暮らし”が送れるよう、私が君を守り続ける。君はただ巻き込まれただけの不幸な女の子だからね。

 それが嫌というなら、私は君を処刑するしかない。どうかね?」


 少女の弱弱しい呼吸が聞こえるほどの、静寂が満ちる。主人は少女の返答をじっと待ち続けた。


 しばらくして、少女がふっと笑った。


 それは憐れむような、呆れたような、得意げとも思えるような勝ち誇った笑みだった。


「そうか。ならば、君には死んでもらうしかないな」


 それを聞くなり、双子は少女に枷を付け直した。完全に拘束し、二人がかりで鎖をもって、少女を独房外へ引きずり出す。


「犯した罪が分からぬのであれば、処刑されるその瞬間まで、君が自身の罪を自覚できるようにしよう。せめて悔い改めながら神のもとへ逝けるように」


 主人に続いて、双子は少女を引きずっていく。鎖を引くのではなく、腕を掴んで運んだのはせめてもの情けだ。


 やがて、最上階の一室に到着した。五大マフィアの長たちが集っていた議事堂である。


 中央には、黒に金が入ったポルトロ黒大理石の見事な円卓があり、五大の各一家の長(ターチィ一家は代理だが)が昨晩から特区廃止に伴う事後処理のため集っていた。

 丸腰で部下を伴うことも許されず、トゥアハデ兵に囲まれたうえに寝不足の彼らは、心底不機嫌そうに雁首を並べていた。


 そんな部屋に、主人は何の前触れもなしに乗り込んだ。


 五大の長たちは、主人と少女を見るなりぎょっとする。


 しかし、主人はそんなものには目もくれず、少女を壁一面の窓へと連れてこさせた。そこからは、特区のすべてが一望できた。


 まだ残雪の消えぬミシガンの早暁、暁天に顔をのぞかせる太陽はなぜか、ぎょっとするほど赤くなる。


 不夜城としての鳴りを潜め、暗がりに沈んだ特区街の向こう。国境を取り囲む鋼鉄の壁を越えた遥か彼方。暁闇に沈む地平線に、劫火のごとき赤がくすぶっている。

 赤は徐々に燃え上がり、夜の終局を知らせていた。


 そんな赤い地平線の中に、ぽつ、と黒点が浮かび上がった。それは見る見るうちに大きくなって、翼の形をつくった。


 B-52戦略爆撃機、『天空の要塞』の異名をもつ鈍色の怪鳥。

 鋼鉄の天使が、特区の終末を告げにやってきた。


 時刻、午前4時半。


「これより、総攻撃は第二段階へ入る。空軍による地中貫通爆弾(バンカーバスター)投下を開戦の狼煙とし、全方面部隊による特区への地上作戦を開始する。ここで見届けるといい、ブラックドッグ。君が欺き続けた街と人々が、焼け落ちる様を」

次の投稿日は1月31日(金)です。

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