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9-7

「ね、私言ったでしょ。雪崩に巻き込まれても、運よく助かる人間もいるって」


「うん、うん、そうだな。ニコラスー、大丈夫かー!?」


 叫ぶ声が聞こえるものの、ニコラスには答えようがない。何しろ頭から雪に突っ込んでいて、足だけ地上に出ているからだ。


 ひとまずイエス、の意を表して右足をパタパタ動かす。


「あ、よかった。ちゃんと生きてる」


「すっごいシュールな絵面だけどな……」


 しばらくして、ニコラスは両足を引っ張られてようやく雪から脱出した。冷気で肺が痛むのも構わず思い切り深呼吸をする。


「窒息するかと思った」


「けど窒息しなかったってことは私の忠告をちゃんと聞いたのね」


 満足げに微笑んだアレサが全身の雪を払ってくれた。


「雪崩の死因のほとんどは窒息か外傷なの。低体温症になる前に死んじゃうのね。だから何がなんでも浮上する必要がある。けど埋まってからじゃ遅いから、雪の中を藻掻くように泳いで、埋まらないようにする。口と鼻が雪で詰まらないように手で覆うのも重要ね。そのままエアポケットになるから」


「流石に詳しいな」


「おじいちゃんの知恵よ。年寄りの言うこともたまには聞いておくもんね」


 肩を竦めるアレサの横で、ケータはほっと肩を撫で下ろした。


「ほんと無事でよかったよ。雪上車もほら、ギリギリだったんだ。この森のお陰だな」


 ケータが指差した方向を見れば、なるほど、雪上車が崖から落ちかけていた。


 車両重量があったがため横転せず横滑りしたこと、崖付近の木の幹と幹の間に引っかかったことで、前輪の両方が落ちるだけに留まっている。

 普通の車両だったら真っ逆さまだった。


「けどあれどうするんだ。今いるメンツの人力じゃ引き上げられないぞ」


「そう思ったからこそ助っ人を呼んできたのよ。ほら」


 アレサが指差した方向を見れば、なるほど。


「先住民か」


「うちの一族の遠縁だけどね。けどもう一世紀近くここに住んでるし、力になってくれるわ」


 ニコラスはアレサが同行してくれたことに、心から感謝した。


 駆け付けてくれた先住民は20人にも満たなかったが、スノーモービルと人力を駆使して早急に雪上車を引き上げてくれた。30分とかからなかった。


 礼にとニコラスは財布を取り出したが、先住民らはきょとんと目と口を見開くと、一様に首を振った。

 それから人差し指を立てて英語を喋ったが、訛りがきつく声がくぐもっていて上手く聞き取れない。


「お代はいいってさ」


 代わりに聞き取ってくれたアレサに対し、ニコラスは「本当にいいのか」と眉をしかめる。

 彼らは危険を冒してまで駆け付けてくれたのだ。燃料代だって安くはないだろうに。


「大丈夫よ。代わりにあの箱に乗せてくれるなら、だって。初めて見る乗り物だから珍しいみたいね」


 ああ、人差し指は立てたんじゃなくて、指差してたのか。


 ニコラスは運転手兼持ち主を振り返った。

 カルロは酸っぱいものを飲んだような渋面を浮かべた。


「任務完了後は中古バイヤーに流す予定なんだ。傷つけるなよ」


「だとさ。こっちとしても、乗ってそのまま持っていかないなら大歓迎だ」


 その言葉に先住民たちは大歓喜した。大はしゃぎで雪上車に群がると、しげしげ眺めたり、雪上車を背景に記念撮影を始めた。

 家族にも連絡をしたのか、後から子供たちもやってきてのお祭り騒ぎだ。


 運転席にも乗り込み始めたので、ますますカルロの機嫌が急降下していくのが手に取るように分かった。


 一方で、メリットがなかったわけではない。大満足したらしい先住民らは、なんと貴重な燃料とスノーモービル一機を貸し出してくれたのだ。


「アトラクションにした甲斐があったな」


「運転席を雪まみれにしなかったならな。靴についたのぐらい落とせよ」


 カルロは始終、不平たらたらだった。




 ***




 さて、無事雪崩から脱したニコラスたちは、改めてイーリスたちが指示した合流ポイントを目指した。


 木材加工所である。


 シーズン外なのか、本来伐採した丸太が積み上がっているはずのスペースはがらんどうで、真っ平らな雪面が広がっている。

 加工所周辺は背の低い4、5メートルの若木で囲まれており、伐採と植林を並行して行っているらしい。車高も車体も大きい雪上車が身を隠すには不向きな林だった。


 ゆえにカルロは、植林された若木ではなく、伐採予定地の森林地帯に雪上車を停めた。


「ここか」


「ああ、俺たちは雪崩で多少足止め食ったからな。イーリスたちの方がもう先に着いてるかもしれん。敵は……ケータ、アレサ、どうだ」


「今のところなしだな」


「私からも見えない。雪面に足跡もないわ」


 それを聞いてニコラスは遺族ら――パメラとマルグレーテを振り返る。


「イーリスたちが待機している場所は、原木市場の方だったな」


「ええ。この加工所、市場併設型だから。正面に丸太置き場があるでしょ? あれに面してる施設が市場のはず」


「となると、置き場の向こうにあるアレか」


 ニコラスは空っぽの丸太置き場の先にある、片流れ屋根の倉庫に目を眇めた。ここからなら、前方スペースを突っ切るのが最短だが。


「待ち伏せされてる可能性もある。置き場を迂回して、森林地帯に身を隠しながら市場を目指そう。メンバーは俺とケータ、アレサ、ベネデットで向かう。他の面子は、」


「分かってるわよ。いつでも逃げられる状態で待機、でしょ?」


「私たち逃げるのは慣れてるから大丈夫よ。イーリスたちがいたらよろしく」


 ライフルや散弾銃を手に初弾を込め始めた未亡人らに促され、さっそくニコラスたちは市場を目指した。




 ***




「場違いなのを承知で言わせてもらうけどさ、すっげーいい匂いだな」


 なんか落ち着くわ、と背筋を後ろに逸らしたケータの言う通り、敷地内には木の匂いが充満していた。

 屋外でこれなのだ。施設内はもっと匂いが濃いだろう。


「見る限り、人が入った形跡もないな」


 周囲を入念に見渡していたカルロもまた、頬の強張りを解いた。


 足跡もなく、タイヤ痕もない。周囲の森にも敷地内にも熱源反応は一切ない。

 ニコラスもまた敵はまだ到着していないと判断した。


 けれど警戒を解く気はなかった。これは違和感を覚えたというより、気に食わない、だ。


――鼻が利かない環境か。ハウンドだったらいの一番に嫌な顔をするな。


 一方で、ニコラスと心情を同じくする人間が一人いた。


「なんっか綺麗すぎるのよね……本当にここ、誰も来てないのかしら」


 アレサは険相を崩さぬまま、自分の身を抱きすくめて周囲をねめつけた。


 「警戒しすぎだろ」とケータは苦笑したが、市場の従業員用搬入口の扉を前にすると、罠が仕掛けられてないか調べ始めた。


 雪の下に何か埋められている可能性を考慮したのだろう。カルロもまたスノーモービル荷台から機材を取り出し、周囲を捜索し始めた。


 アレサはドローン対策に空を睨んでいた。


 対してニコラスは、ブッシュマスター次世代戦闘銃(ACR)の引き金に指をかけたまま、背後の丸太置き場を振り返った。


 置き場を迂回したこともあって、足跡一つない漂白された光景が広がっていた。


 ある色といえば周囲をフェンスよろしく囲む木々の黒で、それ以外は何もない。強いてあるものといえば、片流れ屋根から落ちた雪山と、置き場の左隅の商品にならなかった廃材らしき雪山くらいか。


 真っ平らで真っ白で、目が焼けるほど眩しく美しい。


――綺麗すぎる、ね。


 アレサの言葉を思い出し、ニコラスは視点を変えてみた。


 眼前の光景の“整っている部分”に目を向けたのだ。


 人間の目というのは不思議なもので、散らかった部屋に入ると、散らかった部分に目がいく。

 “そこにあるのが当然”とばかりに自然に置かれているものには目がいかないのだ。


――林の中は……人影なし。葉の雪も落ちていない。廃材の山も違和感なし。市場側のシャッターのあれは……雪が吹き込んだだけだな。問題ない。


 となると、残るのは置き場の雪面ぐらいだが。


――ん?


 ニコラスの目が捉えた。


 雪面に、僅かな凹凸がある箇所がある。合計で七、八か所。

 滑らかな凹凸だ。人工的なものではない。


 野晒しになった丸太かと思ったが、そういう盛り上がり方でもない。どちらかというと、岩か何かに雪が降り積もったような――。


 瞬間、ニコラスはぞっとした。


「っ、おい」


「えっ、なに? おわぁっ!」


 ニコラスがカルロを、アレサがケータの襟首を引っ掴んで、落雪でできた雪山の物陰に飛び込んだ。


 アレサは顔色を変えたこちらにいち早く気付いて反応したのだが、慌てたせいで足を滑らせ、ケータに抱き着く形で見事にすっ転んだ。


「ごめんっ、けど取りあえずこっち!」


 ケータは返事もできずに物陰に引きずり込まれた。

 頭をアレサの豊満なバストに押し付けられて、呼吸すらままならなかったのである。身長差ゆえの悲劇、喜劇というべきか。


 一方アレサは、手足をじたばたさせるケータに目もくれず、顔を青く引きつらせた。


「ニコラス、あれ」


「ああ」


 ニコラスは熱源探知スコープで視認して舌打ちする。


「待ち伏せだ。雪の中に潜ってやがった。昨晩の吹雪から潜伏してるとはご苦労なこった」


 それを聞くなりカルロがスコープを捥ぎ取った。

 彼の目にも見えただろう。雪面に赤く奔る僅かな切れ目を。


「雪穴掘って断熱シートで頭上を覆ったのか。考えたな」


「ああ。これなら探知に引っかからないし、目視でも見つけるのは困難だ。自然に雪が降り積もってるわけだしな」


「けど撃ってこないぞ。どういうつもりだ」


 カルロの疑念に、ニコラスは口元を覆う。


「不意を突かれたのは確かだと思う。森を迂回してきたからな。けど今になっても撃ってこないってことは、俺たちの合流を待って、一網打尽を狙ってたのかもしれない。現状、ハウンドの居場所を知っている可能性が高いのは、イーリスだしな」


「となると、奴らの狙いはイーリス・レッドウォールが最優先。次いで人質候補に例の兵士の遺族たち、ってところか」


「っ、ぶはっ。俺たちは?」


 ようやくアレサから解放されたケータが尋ねる。

 カルロは唇を尖らせ、肩眉を皮肉気に吊り上げた。


「最優先処分対象」


「やっぱそうかぁ」


「そこの番犬は首ぐらい残してもらえるかもな。ヘルへの揺すりとしてな」


「取れるんならな」


 そう低く吐き捨てて、ニコラスは無線の送信ボタンを三回、何も言わずに押した。それが雪上車で留守番中の遺族らへの、緊急の合図だった。


「どの道、ここはもう駄目だ。すぐにパメラたちと合流して、第二合流ポイントへ向かおう」


「どこだっけ?」


「確か――」


 ニコラスはそこで言葉を区切った。自分の影に、何かがよぎった気がしたのだ。


 気のせいではなかった。


「なんだ、言わんのか。その先が聞きたかったのだが」


 ニコラスは振り返るなり、最悪だと思った。


 市場の片流れ屋根の頂にしゃがみこむ、その巨体。髪、瞳、肌、衣服。すべてが黒で覆われた、中国訛りの英語をしゃべる、その男。


「兄か、弟か。どっちだ」


「さあ? 我らが兄弟であることに変わりはない。産まれた日も同じことだしな」


 笑み、というより歪めたという表現が相応しい酷薄な薄ら笑いを浮かべて、男は事もなげに地に降り立った。

 巨躯にも関わらず、着地音はほぼない。


 そのどこか剽軽な様子から、ニコラスは弟の方だろうと推測した。


「おい番犬、あれ」


「デンロン社 (6節参照)で出くわした双子の片割れだ。シュウ・ハオ・シェンの部下だった」


 それを聞くなり、カルロは無言で小銃を単発からフルオートに切り換えた。


 大男はコートのポケットに手を突っ込んだまま、肩を竦めた。


「同僚だ。部下を装っていたのは命令だったからだ。もういないがな」


「殺したのか、幹部を」


「否、処刑された。我ら『銘あり』はその実力ゆえに銘を授かる。それを示せぬ無能は銘を奪われる。命もな」


 さて、と男はポケットから手を引き抜いた。

 その手には、縄の両端にダガーと錘が結ばれた暗器が握られていた。縄鏢といったか。


「心配せんでも苦しめる気はせん。俺が追い回すのは獲物だけなのでな。そこのチビであれば多少もつだろうが、まあせいぜい40秒だ。遊びにもならん」


 そう言って男は蒼褪めるケータを一瞥し、無機質な目でこちらを見据えた。


「小娘とイーリス・レッドウォールはどこにいる?」


 誰も答えなかった。


 ニコラスとカルロは銃を構え、アレサはスノーモービルのキーを回した。ケータは腰のナイフを引き抜いた。


 万が一、敵と遭遇した場合、誰が雪上車に戻るかは予め決めていた。だから全員、覚悟はできていた。


 ドッ、ドッ、ドッ、とスノーモービルが鼓動する。


 男が身を低くした。

 エンジン音が安定した、その時。男が低姿勢で突進した。


 アレサがアクセルレバーを握りこむ。重低音の唸りが鬨の声のごとく響き渡った。


 スノーモービルは尻を叩かれた馬のように急発進して、乗り手もいないまま男に突っ込んだ。


 男が跳躍する。突進してくるスノーモービルを難なく避けて着地するが、そこにはケータが待ち構えている。


 ケータが電光の速さで右手のナイフを突き出す。が、これも避けられる。

 逆に跳び退ったケータの右腕に暗器の縄が巻き付いた。


 男が思い切り縄を引いた。

 この身長差だ。あっという間に引き倒される、と思いきや、ケータはぐっと腰を下ろして堪えた。


 男がやや目を見開いた。


「チビのくせに力があるな」


「チビでも力を出せる方法を知ってるんだ、よっ」


 ケータが左手に引き抜いた拳銃を発砲する。男が暗器を手放して跳び退った。


 代わりに腰の直刀二振りを引き抜き、またも突貫してくる。


 一方、ニコラスたちは背後の攻防が開始されると同時に、回れ右で雪山を登り始めていた。雪面に潜んだ敵を狙い撃つためである。


 頂から身を乗り出し、フルオートで雪面を薙ぎ払う。


 敵は、攻撃は予見していたのだろうが、あの大男を信頼していたらしい。まさか奇襲直後から撃ってくるとは思わなかったようだ。反応が一瞬遅れた。


 何人かが穴倉から転がり出てくるも、すぐに撃ち抜かれて顔から雪に突っ込む。


 ニコラスとカルロは可能な限り撃ち続けた。そして敵が撃ち返してきたところで、すぐに雪山を滑り降りる。


「二人とも!」


 アレサが、エンジンが起動したままのスノーモービルを指差した。


 彼女もまたケータに加勢したいのだろう。散弾銃を構えてはいるものの、ケータと男の動きが速すぎて下手に撃てないのだ。

 しかも圧倒的に劣勢なのはケータだ。


「早く! そんなにもたないわ!」


 カルロが真っ先にスノーモービルに取りついた。次いでニコラスも荷台に飛び乗った。


 スノーモービルが斜面を駆けあがり、一回跳ねて雪面を滑走する。


 穴倉から出てきた敵が、こちらに気付いて撃ってくる。それをニコラスが撃ち返して仕留めていく。


 ニコラスはカルロに向かって叫んだ。


「俺が囮になる。着いたら俺にスノーモービル(こいつ)を貸してくれ」




 ***




 意外なことに、攻防は3分にわたった。嬉しい誤算だった。

 ただの臆病な小人と思っていたが、この数ヶ月で何があったのやら。


「ここまでよケータ! こっち!」


 女が負傷した男を引っ張って市場の中へ駈け込んでいく。


 背丈も筋力も度胸もある女だ。

 あれなら市場内に潜んでいる味方も多少遊べるだろう。なにぶん、ここ数日待機ばかりで飽き飽きしていたところだ。


 そこに無線が入った。兄弟だ。


弟者(ディーディー)、獲物が逃げたぞ』


「知っている」


 男、弟は獲物たちが何に乗ってやってきたか知っていた。

 南極観測隊が用いる重装甲の雪上車。頑丈ではあるが足は遅い。容易に追いつける。


 問題は、こちらに舞い戻ってきたスノーモービル一機だ。


「追跡は同胞に任せればいい。俺はあの番犬を相手にする。借りを返さねば」


『では俺も出よう。奴の身体を穴だらけにしてやる』


「では俺は奴の手足の指を切り落として目を抉ろう。殺さぬ程度にな」


『駄目だ』


 唐突に割り込んだ声に、弟も兄も押し黙った。


「……『ヌアザ』か」


『そうだ。ニコラス・ウェッブは放置しろ。雪上車を追え』


「なぜだ。奴は危険だ。人質にもなり得る」


『その可能性はシバルバの一件で潰れたと言っただろう。もうブラックドッグは奴を必要としていない。それに奴の性格上、囮を引き受ける可能性が高い。優先順位はブラックドッグにイーリス・レッドウォール、次いで遺族だ。まずは遺族を確保する。奴一人なら、部下どもで十分だろう』


 さも当然に淡々と告げる同僚の発言が心底気に食わない。弟は歯ぎしりを隠さなかった。


 自分たちが首を垂れるのはアーサー・フォレスターだ。この男ではない。


「ならばお前が追えばいいだろう」


『我らは奴と小娘を殺せると聞いて参加したのだが?』


 兄もまた同調した。けれど男は不遜に、不愉快そうに低く鼻を鳴らした。


『私は長官自ら任命した指揮官だ。お前たちではない。その意味をよく考えるのだな。背くならそれも結構。その時は相応の対処をするまでだ』


 通信妨害が途切れ、兄弟水入らずの通話に戻る。


 弟はしばし口を閉ざしていた。この世で唯一無二の片割れに、無意味な罵倒や悪態を浴びせたくなかったからだ。


 兄が黙っているのも、きっと同じ理由だろう。


兄者(グーグー)


『雪上車を追うぞ。……運のいい獲物だ。此度の天命は奴に味方した』


「ああ。そうだ。我らはヌアザに従うのではない。天命に恵まれなかっただけだ」


『ああ。あの番犬は運がいい。だが逃す気はない』


「そうだな、兄者」


 あの獲物は、いずれ我らが狩る。狙撃手も小娘も。


 雪上車にいるのは碌に戦えぬ女子供だ。すぐに事は済む。真の獲物はそれから追えばいい。


 そう無理やり留飲を下ろして、双子は雪上車の追跡を開始した。




 ***




――やっぱり、大半は雪上車の方に向かったのか。


 自分が釣れた追手の少なさに、ニコラスは臍を噛んだ。


 追手の数はせいぜいが二個分隊。ゆえに撒くのは容易かったが、嬉しくはない。


 現在、雪上車に残っている戦力はカルロとケータ、アレサの三人だけだ。しかもケータとアレサは合流できているかも怪しい。

 カルロだけで例の双子相手にどこまでもつか。


 それでも、目算通りではある。急がねば。


 ニコラスは目前の木柵を壊し、スノーモービルごと乗り入れた。


 古い牧草地だった。


 緩やかな斜面に平地と森林地帯がまばらに入り混じっている。

 後背には標高500メートル程度の山を控えており、その麓に今はもう使われていないであろうコンクリートブロックのサイロと、錆びたトタンの畜舎があった。


 木柵は腐食して酷い有様だったが、ところどころ新しいのに入れ替えた形跡があった。

 管理が行き届いていないものの、遺棄されているわけではないようだ。


 ニコラスは真っ先にサイロ近くの畜舎へ向かった。


 雪と錆で動かぬ扉をなんとかこじ開けて奥へ入れば、家畜特有のすえた酸っぱい匂いと藁と糞尿の匂いがした。


 その畜舎の奥にて、石を積み上げただけの簡易的な竈を囲む人影が二人いた。

 うち一人の側に蹲っていた大きな狼がむくりと頭をもたげた。


「来たようだねぇ」


「ええ、そのようね。無事で何よりだわ、ニコラス」


 上品な白いダウンコートに身を包んだ可愛らしい老婆、イーリスはそう微笑んだ。牛の寝床に藁を敷き詰めて、その上に引いた毛布に、『盲目の狼(ブラインド・ウルフ)』と一緒に座りこんでいた。


「あなたがここへ来ないのなら、もう話すことはないと思ってたわ」


「……なにもかもお見通しですか」


「ええ」


 イーリスはクスクス笑いながら、即席で備えたらしい煙突代わりの雨どいの位置を調整した。


「私たちは第一合流ポイントに向かう最中に銃声を聞いて引き返したの。きっとあなたたちだと思ったわ。けどあなたたちの足じゃ、確実に追いつかれる。誰かが囮になって、足止めする必要がある」


「…………最初は自分が志願したんです。そしたらパメラに怒鳴られて」


『あんたが行かないでどうすんのよ!?』と頭をひっぱたかれて、自分だけが第二合流ポイントへ向かうことになったのだ。


 敵は自分が囮、雪上車が本命と考えたようだが、逆だ。


 本命が自分で、雪上車が囮を引き受けてくれた。


「話してくださるんですね。ハウンドの居場所を」


 そう言うと、イーリスは「ええ」と振り返り、真正面からこちらの双眸をしかと捉えた。


「あなたが本当の地獄を見たいのなら」

次の投稿日は11月3日です。

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