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9-6

――とある学者の手記




●6月16日 晴れ、強風


 なんというか、ゴルグさんの御母上は評価の難しい人物だった。


 これは、私がこの国の人間でないことも理由の一端にあるのだろう。これから書くことは、外国人の、アフガニスタンの価値観と相いれない入れない部分もある人間が書いた手記である、ということを強調しておきたい。


 結論から言うと、御母上はサハルを自分の手で育てたいということだった。


「先生もあの子の髪を見ただろう? あんなに短く切られて、男の真似事ばかりさせられて。ただでさえ父も母もいない憐れな混じり子だというのに、あんなに幼いうちから兵士の訓練ばかりさせられている。もう見ていられないよ」


 これには私も否定できなかった。教育方針は人それぞれで、ここは日本ではない。それでも、サハルを兵士のように育てるゴルグさんの教育は、正しいとは思えなかった。


 かといって間違っているとも思えなかった。サハルを取り巻く環境は苛酷を極める。生き残る術を学ぶことは、必要なことなのかもしれないと思っていた。だから仕方がない。


 そうやって黙って問題を見過ごし先送りにしてきた私の傍観を咎められたようで、正直どきりとした。


 それに、この女性はサハルが誘拐された時、私と共にサハルの無事を祈ってくれた数少ない村人のうちの一人だった。ゴルグさんが誘拐犯への復讐に走った際も、激昂する御父上をなだめたのは、妻である彼女だ。

 この女性は本気でサハルの身を案じてくれている、その確信があった。


 一方で大きな懸念もあった。

 ゴルグさんの御母上は、村でルールを破った女性を密告することで有名なのだ。


 特に欧米諸国に憧れる若い女性が大嫌いで、ブルカ(イスラム圏の女性の伝統衣装)の下にこっそり欧米ファッションの服を着ている女性や、香水をつけている女性、派手な化粧をしている女性を「ふしだらだ」と批判し、長老会と懇意の地元警察署長に密告するのである。


 試しに私は「サハルに欧米の絵本も読ませようと思っている」と告げると、烈火のごとく怒り狂った。


「そもそも欧米かぶれの若い女と、それを利用する人間が悪いんだ。こちらの事情も考えず、見境なく自己主張するから男たちが警戒する。もっと上手くやれたのに。欧米人も欧米人だ。この国を守ってきたのは、女だけじゃない。聖戦士(ムジャヒディン)のほとんどは男だった。それを無視して、女ばかり優遇するから不満が溜まる。真っ先に殴られるのは、アフガンの女だというのに。勝手なことを」


 これを聞いて私は非常に複雑な気持ちになった。


 この国でなかなか女性の地位が向上しないのは、男性が女性に嫉妬したからだけではない。

 

 嫉妬している男性もいるのだろうが、私は街で、タリバンが一人で出歩いていた女性を見咎めて罰を与えようとした時、「私が兄だ」と見知らぬ男性が名乗り出た光景を目にしたことがある。

 もちろん、その女性と男性は全くの初対面だ。


 このように、アフガン人の男性の中には、女性に同情的な者は少なくない。


 それでも虐げられるのはなぜか。

 歴史に宗教、文化、そこから形成された風習と、長きに渡る戦乱による人々の疲弊と絶望感。明日の飯も食えるか分からぬ状況で、人が他人に優しくするのは容易なことではない。


 荒んだ人間ほど、奪いやすい相手――女子供や、老人を狙いにいく。

 だからこそ人はまず腹を満たさねばならず、その腹を満たすための水――すなわち灌漑が一際重要なのだが、ひとまず置いておこう。


 ともあれ、御母上は矛盾した人だった。彼女がこうして同性の女性に厳しい目を向けるのも、彼女なりの生存術なのかもしれない。男に協力的であれば、率先して虐げられることもないからだ。

 そう思うと、非常に物悲しい気分になった。


 話を戻そう。サハルのことである。


 私は「自分は親ではないので、ゴルグさんと話し合うべきだ」と言った。

 すると彼女は「息子はあの少女を自分に会わせようとしない」と言うので、なら私が話し合いの場を設けましょう、といった。彼女はひとまず納得してくれた様だった。


 彼女が帰った後も、私は複雑な気持ちのままだった。



●6月19日 快晴、日差し暑し


 今日は色々と大変な日だった。

 ゴルグさんと彼の御母上が大喧嘩をしてしまったのである。


 きっかけはやはりサハルのことで、ゴルグさんがサハルにヒジャブ(伝統衣装、頭や身体を覆う衣類)を着けさせようとしたのが原因だった。


 まだ五歳前後の子供を年頃と見なし、家にいる間もヒジャブの着用を強制するのは私もやり過ぎだと思ったので反対したが、当然聞き入れるゴルグさんではない。結局、自分で買ってきたものをサハルに着させようとしたようだ。


 そこにゴルグさん宅を訪れた御母上がたまたま目撃してしまい、大喧嘩になったというわけだ。


 私は取りあえずサハルを家の中に避難させて宿題を言いつけ、二人の仲裁に入った。だがこれが中々おさまらない。


「外では男として働かせ、家では女を強要するのか。お前はあの子からどれだけ自由を奪う気だい」


「飯なら食わせてやってる。服だって買ってやってる。将来、望むなら学校にも行かせてやるし、化粧品も宝石も買ってやろう。何が問題なんだ? 私の育て方の何が不満なんだ」


 うんざりした様子のゴルグさんに、御母上は何も分かっていないと首を振った。


「お前があの子のことを想っているのは私にだって分かる。けどね、望まぬ幸福を押し付けられるのは苦痛なんだよ。お前は今、あの子に訓練を教えているね。けれどそれは、あの子が望んだことなのかい? あの子が銃を撃ってみたいと言ったのかい? ヒジャブだってそうだ。お前は本当に、あの子の声を聞いているのかい?」


 ゴルグさんは黙りこくった。はっきり言ってゴルグさんは典型的な亭主関白で頑固だ。図星だったのだろう。


「傍から見れば幸福さ。間違いなくそうさ。だからこそ、訴えても『幸福なのになにが不満なのか』と怒られ、強欲者と誹られる。責めることも許されず、願うことも許されず、望まぬ幸福という檻の中で一生飼い慣らされて終わる人生。そんな檻に、お前はあの子を閉じ込める気かい?」


 御母上は目に涙を溜めてこう続けた。


「お前だって知っているだろう。私はかつて聖戦士だった。国を守るためソ連人と戦った兵士だった。だがソ連人が撤退して、男たちが犬も食わぬような内輪揉めをし始めると、『女が銃を持つのはけしからん』と銃を取り上げられ、家庭に押し込められた。

 私だって、腹にお前を抱えていなければ、すぐに銃を抱えて馬に跨って村を飛び出していたとも。あんな檻に閉じ込められるぐらいなら、私は戦って死にたかった。閉じ込められて唯一得られたものと言えば、お前ぐらいなものさ。そのお前が、今度は別の女を檻に閉じ込める気かい?」


 ゴルグさんは何も言わなかった。言えなかったというのが正しいだろう。私も言葉を失った。彼女の身の上を聞いたのは、これが初めてだった。


 彼女は最後にこう言った。


「確かにあの子は幼い。一人前には程遠い。それでもちゃんと考えて生きているんだ。聞いておあげ。見ておあげ。あの子の本当の望みがなんなのか、よく考えておくれ。それだけでいいんだ。頼むから、あの子を私のようにしないでおくれ」


 それだけ告げて、御母上は去っていった。


 その晩、ゴルグさんは一人、私の家に相談にやってきた。来ると思っていたので、私は驚かなかった。


 どうすればいいか、と問う彼に、私は自分の話を少しした。


 私自身、できた父親ではない。妻子を日本に残し、自身の研究と事業に没頭する碌でなしである。かつてゴルグさんが自分のことを「父親になり損ねた男」といったが、私にとっては自分こそがそうだった。


 そう語ったうえで、私はこう言った。


「こういうのに、正解はないと思うんです。だから何をやっても正しくないし、間違ってもない。だから色々やってみましょう。サハルにとって本当の幸せは何なのか、何が本当に必要なのか」


「試行錯誤するということか? それではサハルが困るだろう」


「でも仕方がないでしょう? 私たちは出来損ないの父親なんですから」


 そう言うと、ゴルグさんは困ったように押し黙った。私は小さく笑った。


 大人というのは、子供の前では格好付けたいものなのだ。少しでも立派な大人であるように見せたいのだ。


 けれど存外、格好悪いところを見せた方がいいのかもしれない。

 父親に似ず、妻を見て立派に育っている我が息子を思い出しながら、私はそう思った。


 息子が聞いたら、きっと怒られてしまうだろうが。



●6月20日 晴天、日差し厳し


 今日は朝からゴルグさんの相談に乗った。最近のゴルグさんは気軽に自分を頼ってくれるので嬉しい。


 さて今日の相談だが、以前サハルにヒジャブを着せようとしたことについて、サハル本人と直接話をしたらしい。

 彼女自身が「ヒジャブを着たいかどうか」についてだ。


「結局どうしたんですか」と尋ねると「どちらでもいいそうだ」とゴルグさんは困ったように言った。


「あれはまだヒジャブを着る意味が分かっておらんのだ。一応メリットもデメリットも両方を伝えたが……」


 まあそうだろうなと思った。まだ五歳の子供だ。大人の事情など、理解できまい。ゴルグさんは続けてこう聞いた。


「子供というのは、そんなに大人の真似をしたがるものなのか?」


 私は、子供が憧れる大人の真似をしたがるのはよくあることだと言った。けれど、ゴルグさんは納得いかないようだった。


「その大人が客観的に見て、どう見ても憧れるような大人でない場合もか? あなたは自分の息子が人殺しに憧れたらどうする?」


 私は合点がいった。

 彼は、サハルが自身に憧れることが不安なのだろう。彼は誰よりも己が犯した罪を恥じ、悔いている。


「どうせ真似するなら、誰も守れぬ人殺しなぞより、まともな大人を見習うべきだ」


「あの子にとっては、そうではないのでしょう。それに、そう自分を卑下するくらいなら、そうならないよう努めればいいじゃないですか。あなたはよくサハルを未来ある若者と言いますが、あなたにだって未来はあるのですよ」


 そう伝えると、ゴルグさんはまた難しい顔で腕を組んで唸っていた。最近のゴルグさんはこうして悩んでばかりだ。真剣な本人には悪いが、私にはそれが大変微笑ましく見える。


 正解でなくとも、どうかよき結末を。



●6月22日 晴れ、暑し


 どうやら私はとんでもない思い違いをしていたらしい。

 村人たちは、どうも全員が全員、サハルを差別しているわけではないらしい。


 今朝のことである。朝起きて、近くの河辺でも散歩しようと外に出ようとしたら、玄関先でなにやらしゃがみこんでいる男を見つけた。

 以前、サハルが攫われた時、盗賊にゴルグさんの家の位置を教えた男である。


 私は警戒した。

 こっそり近づいて、何をしているのかと尋ねると、男は驚いた拍子に、手に持っていた籠を取り落とした。


 籠の中身を見て、私は驚いた。

 中に入っていたのは、年頃の女子が着るような服に、子供向けの絵本と、街で売っている外国のお菓子だった。

 しかも服はほぼ新品である。


 私はここで思い出した。

 以前、ゴルグさんが街で買ってきたという服に、この服とよく似たものがあった。というか、色が違うだけでデザインはほぼ一緒である。


 男は狼狽えていたが

「俺だって娘をもつ父親なんだ」と慌てたように言った。


 そして、このことを長老会に決して言わないよう頼むと、そそくさと立ち去っていった。


 私はこの時、ようやく気付いた。

 ゴルグさんが時おり持って帰る土産には、仕事中の彼が手に入れるには難しい物が含まれていた。


 てっきり、彼が仕事終わりにわざわざ出向いて買ってきていたのかと思っていたが、考えてみれば、彼の帰宅時間はいつもと変わらなかった。


 明日からゴルグさんの周囲をちょっと観察してみようと思う。



●6月23日 晴れ、風強し


 思った通りだった。ゴルグさんがこれまで持って帰ってきた土産の中には、村人たちからの施しがかなり含まれているようだった。


 現場で作業中、村人数人が、作業の合間にこそこそとゴルグさんのトラックの荷台に、何かを運んでいるのに気が付いた。


 こっそり声をかけると、村人たちはひどく驚いた顔をしたが。

「先生ならいいか。内緒だよ。長老会の連中には絶対に言わないでくれ」

 と、置いた風呂敷の中身をみせてくれた。


 野菜に小麦、砂糖、色あせた教科書、子供用の靴、綺麗な色の布と糸、ちょっと汚れたクマのぬいぐるみ……。


 誰のための物なのか、明らかだった。すべてサハルのための物だ。


「可哀そうだとは思ってるんだ。あの子はアッラーのお導きを授かれない。長老会が許さないから。だからイマーム(礼拝の指揮者)も、あの子だけはモスクに入れられない。イマームも心配してたよ」


「うちの子がもう使わなくなったもんだ。お古で悪いが、ないよりマシかと思ってね」


「こっちはうちのかみさんからだ。女は着飾りたがるもんだからな。綺麗なもんがあるとそれだけで喜ぶだろう」


「それよりも先生、あの子、夜に出歩いてるだろう? ゴルグも一緒にいるようだが……もし遊ぶなら、うちの放牧場で遊ぶように言ってくれ。こっそり明かりをつけておくから」


「ああ。獣に襲われちゃ大変だ。うちの庭も使ってくれ。実は、うちの子たちもあの子と遊びたがっているんだ。長老会がああだから、なかなか表立って遊ばせられないが……」


「長老会というか、ゴルグの親父さんがどうもなぁ」


 そんなことを言いながら、作業に戻っていった。


 帰ってから、ゴルグさんに村人たちの言葉を伝えると、ゴルグさんは黙って私を台所へ連れていった。

 台所の窯近くには裏口があって、その近くにゴルグさんは忍び寄ると、耳を澄ますよう囁いた。


 耳をそばだてると、なにやら女性の声がする。四、五人ほどだろうか。

 なんとその中には、ゴルグさんの御母上の声もあった。


「その果物より、こっちの方がいい。あの子の食いつきがいいとゴルグが言っていた」


「じゃあこっちのぶどうも置いていこうか」


「肉は大丈夫かい? あの子ったら折れそうなくらい細いじゃないか」


「そんなに渡して大丈夫なのかい? お前んところも育ちざかりが四人もいるだろう」


「ああ、あの子たちなら大丈夫さ。つい最近、旦那がよく肥えた鶏を買ってきてくれてね」


 そんなことを小声でこそこそ話している。


 足音が去ってから確認すると、昼に村の男たちからもらったのと似たような大きな風呂敷包が置かれていた。

 中身は食料品で、厳しい食糧事情の中、何とか分けられるものを分けてくれたのだろうと思える内容だった。


 私たちは居間へ戻った。するとゴルグさんが、ぽつりとこう言った。


「アフガニスタンは、部族統治の特色が強い国です。特にこういった地方の農村では、村ごとの掟が絶対だ。長老会が駄目といえば、そのまま禁忌となるのです。父は、長老は、サハルのことを忌み嫌っておりますから……」


 要するに、ゴルグさんの御父上がサハルを嫌っている以上、村人たちも表向きはサハルを差別するが、望んで従っているわけではない、ということなのだろう。


 私は、村人たちへ憤っていたことを恥じた。まだまだ私はこの国のことを知らない。



●6月25日 晴れ、夜は涼し


 今日の夜、いつものように遊びに出かけるサハルに、私もついていくことにした。

 いつもはゴルグさんと二人だけなので、私の同行をサハルは喜んでくれた。


 私は以前村人に言われたように、ゴルグさんと一緒に、サハルをそれとなく放牧場へ連れていった。


 山の斜面の、岩と草場が入り混じった場所で、岩場の影に明かりがついたままのランプが置かれていたので、すぐに分かった。


 サハルはその明かりの周りで遊び始めた。明かりのそばに、絵本が数冊と、サッカーボールが置かれていたのだ。


 明日、彼にそれとなくお礼を言っておこうと思う。



●6月26日 晴れ、夜はやや肌寒し


 今晩もサハルの夜の冒険に付き添った。今度は庭を使っていいと言ってくれた彼の自宅へ向かった。

 ゴルグさんの家とは真逆の、村はずれにある家だ。


 庭にはやはり明かりがついていて、大きな杏の木があった。

 その枝にお手製のブランコがついていて、見たことのないサハルは不思議そうな顔をしていた。


 私が遊び方を教えると、さっそくサハルはそれで遊び始めた。とても嬉しそうだった。


 その様子を見守っていると、ゴルグさんに肩を叩かれ、家の方を見るよう言われた。

 見ると、家の窓から子供たちが数人、じっとこっちの様子をうかがっていて、私と目が合うと慌てて引っ込んだ。


 こんな夜更けに誘っていいものか迷っていると、家の玄関に明かりがつき、彼と、彼の奥方が子供たちを連れてやってきた。


「こんばんは、先生。ゴルグ」


「今晩は特別よ。声を出さないように、静かにね。みんなが起きてきちゃうから」


 彼と奥方がそう言うと、子供たちは飛び上がって喜び、サハルのもとへ駆け寄っていった。


 驚いたサハルは、最初は恥ずかしがってゴルグさんに引っ付いていたが、彼の家の長女が根気強く説得したことで、徐々に彼の子供たちと遊ぶようになった。

 誰かとボール遊びするのはサハルにとって初めてのことで、とても楽しそうだった。


 その間、奥方は私たちに熱いお茶を出してくれた。

 たった一晩の内緒のお遊戯会だったが、とても楽しいひと時だった。



●6月29日 晴れ、暑し


 ここ最近は嬉しい話が続く。

 以前ゴルグさんから頼まれていた、花壇の件で進展があった。花の苗がようやく届いたのだ。


「ロサ・ペルシカ」というアフガニスタンやイランに自生する薔薇の交配種で、少女の名をもつ。まさにサハルにぴったりの花だ。花は小ぶりで香りも少ないが、丸っこい黄色の花弁に、中央が紅く彩られた姿は実に愛らしい。


 けれどゴルグさんは一点だけ不満があるようで、この花がイギリス生まれなのが気に食わないと言っていた。


 それでも一株一株、とても丁寧に植えるのだから、花に罪はないということなのだろう。


 思った以上に苗が小さく、花をつけてくれたのは一株だけだった。それだけが残念だった。


 それでもサハルは大層喜んでくれた。それはもう飛び上がって喜んでくれた。毎朝起きると真っ先に花壇に向かうのだという。予定通りではなかったが、ひとまず喜んでもらえたようで何よりだ。


 来年は沢山の花をつけてくれることを祈ろう。



●6月30日 晴れ、砂嵐


 今日は、村に一泊させてほしいと、変な一団がやってきた。


 ドイツの人道支援のNPO法人と言っていたが、あれはどう見ても軍人だ。

 それに話していたドイツ語も少しおかしかった。私にはドイツ人で医師の友人がいるが、彼らが話していたドイツ語は、友人が話していたものと違っていた。


 村の人々も違和感に気付いていたのだろう。

 村長ことゴルグさんの御父上は、最低限のやり取りをして、村の外れ(私の家の近くだった)に宿泊するよう言いつけた。


 彼らが外出する時は、警察と村の男たちを監視役に張り付かせていた。ゴルグさんも今回ばかりは御父上に素直に従っていた。


 一方の彼らも、村から歓迎されていないと気付いていたのだろう。彼らもまた、村の人間と関わらないようにしていた。アフガン人ではない私とも、一言二言会話するぐらいで、ほとんど話さなかった。


 だが一人、それに反する行動をとる者がいた。大柄な白人の若い男だ。蒼い瞳に銀の髪をしていた。真夏の蒼穹を見上げたような、美しくも眩しい目をしていた。


 彼は大変人懐っこく好奇心旺盛な性格で、日本人の私が村にいることを大変珍しがった。


 彼らの宿泊先が私の家に近かったこともあり、夜遅くまで彼と話をした。

 私が他の日本人スタッフと共に灌漑事業をやっていると話すと、身を乗り出して話を聞きたがった。そのキラキラした目が、まるで少年のようだと思った。


 もしかすると、村人とやり取りするより、自分からあれこれ聞き出した方が、ハードルが低いと思ったのかもしれない。


 一方のゴルグさんはこの青年を警戒していた。サハルを家の奥に隠し、決して青年や一団に見つからないようにしていた。


 その警戒っぷりは、私が青年と話していると、私の護衛と称して銃を持ったまま私の側に立つほどだった。

 実に露骨な態度だったが、青年は始終ニコニコしたままで、ゴルグさんにも積極的に話しかけた。ゴルグさんは不快そうだったが、青年はめげなかった。


 そんな調子だから、ついにゴルグさんは声を荒げた。


「そんなことを聞いてどうする」


「知りたいから?」


「知ってどうする」


 青年はちょっと考えてから、顔を上げた。


「どうするか決めたいから、ちゃんと知りたいんだ。勝手に決めつけて接するのは失礼だろ」


 するとゴルグさんは少し面食らった顔をした。私もちょっと驚いた。空気の読めなさそうな顔をして、存外思慮深い青年だった。


 翌朝、彼らは日が昇ると同時に去っていった。他の男たちは無表情なのに、青年だけは満面の笑みで手を振っていた。


 「奇妙な若者だ」と、ゴルグさん呟いた。よほど印象に残ったのだろう。青年が去っていった山をいつまでも見つめていた。



●7月6日 晴れ、乾燥強し


 今日もまた奇妙な客がやってきた。ここのところ来訪者が多い。今度はゴルグさんの知り合いだった。


 北部同盟か、それともタリバン系列か。いずれにせよ、彼らは村ではなく、真っ先にゴルグさんに会いに来た。それも真夜中にだ。

 ゴルグさんが険しい顔でサハルを私に預けに来た。私にも事が済むまで家から出ないでくれと頼まれた。

 あまり良い出会いではないのは確かだ。


 今もこうして、寝かしつけたサハルの横で日記を書いている。できれば穏便に事が済んでほしいが……。

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