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〈2014年1月29日 午前6時3分 アメリカ合衆国ミシガン州 アッパー半島 アルジャー郡 トラウニク〉
使われなくなったトンネルの中で夜を明かしたニコラスたちは、朝食をとることにした。昨日の夕飯の残りが朝食だ。
「お代わりいる人いるか? 『ヤンソンの誘惑(スウェーデンの郷土料理)』? だっけか、そのグラタンはもうないけど、ビーフシチューならまだまだあるぞ」
いち早く食べ終わり、給仕を遺族と交代したケータが車内を見回すのに合わせて、ニコラスは手を上げた。その後に何人かが続く。
今なら温め直せる料理を、とこだわっていたパメラの主張が正しかったことがよく分かる。
胃に温かいものが流れ込んでくるだけで、こうも活力が湧いてくるものか。そのうえ味も絶品となれば、スプーンも進むというもの。
ずっと緊迫していた空気も大いにリラックスできている気がする。
一方ニコラスの背後、雪上車の運転席と助手席に、リラックスできてない男が二人。
「ひねくれ者のイギリス人にしちゃ随分と素直だな。疑わないのか」
「ここ数年の合衆国安全保障局の動きに、これ以上ない説明が見つからん限りはな」
ニコラスとカルロから『失われたリスト』とそれにまつわる事件の概要を聞いたイギリス工作員は、そう憮然と呟いた。
無論、全容は話していないが、これまでずっとUSSAを監視していた彼には腑に落ちる部分も多かったらしい。
「我々が入手していた情報は、五人のアメリカ兵が戦地で忽然と姿を消したというものだった。それ自体についてはさして重要とは思わなかったが、彼らが交戦した相手がUSSA子飼いの非公式部隊だったというのが関心を引いた。あのアメリカが戦地で身内同士で争ったとなれば、勘繰りたくなるもんだろう? だがそこにタレコミが入った」
「イーリスからの情報か」
ニコラスがそう尋ねると、工作員は肩を竦めた。
「最初は眉唾物にしか思わなかったがな。だが失踪した兵士の一人、ラルフ・コールマンとイーリス・レッドウォールとの間に接触があったことが判明して話が変わった。何より彼女一人をUSSAがつけ回していたのが証拠になった。そこで試しに俺が派遣されたわけだが」
工作員は皿に残っていた最後の肉を咀嚼し、頷くように飲みこんで口を開く。
「大当たりだった。俺が派遣された途端、USSAの動きが慎重になった。これを見て他の常任理事国も工作員を派遣し始めた。イーリス・レッドウォールも事前にリークしていたんだろう。自分を守るためとはいえ、大した女だ」
工作員は綺麗に空になった皿を片手に口元を拭い、「誰がやったのかは知らんが」とうそぶいた。
「ロバーチ一家を囮にした命知らずのお陰で、USSAも我々工作員もそちらに引っかかったが、最初だけだ。先ほどの襲撃がその証拠だ。早く次の手を打つ必要がある。その少女への扱いはともかく、USSAの足止めは引き受けよう」
「頼んだ」
「敵に回ろうなんて考えるなよ」
ニコラス、カルロ両名の相反する返答を聞いた工作員は、興味深げに肩眉を上げて薄く笑った。
「お前はもう少しこの男を見習うべきだな。俺のような人間相手に素直に物を頼むと碌な目に合わんぞ。まあその辺が例の少女に気に入られた理由なんだろうが」
閉口するこちらに意地悪くせせら笑った工作員は、手早くスノーシューを履き終えると、そりを小脇に車外に出た。
吹き荒ぶ風は強く厳しいが、昨晩のブリザードが嘘のような快晴だった。
「もう発つのか」
「こういうのは早い方がいい。俺としても、お前ら爆弾みたいな連中と行動を共にするよりよっぽど安全だ」
工作員は小型そりに荷物を載せると、そりを引きながらトンネルを抜け、その先の雪に沈む木立の中へ消えていった。
「……口の減らん野郎だ」
「舌が二枚以上あるからな。工作員ってのはそういうもんだ。舌も顔も性格も、すべてが二つ以上ある。そういうお前こそ、悪党が堂に入ってきたんじゃないのか?」
珍しいものを見たとばかりに口端を吊り上げるカルロに、ニコラスは眉をしかめた。
「お前らに言われたかねえよ。それに相手は工作員だ。発信機も盗聴器も途中で気付かれて捨てられる可能性が高い。あくまで保険だ」
「へえ?」
これだからコイツと話すの嫌なんだよ。
ニコラスは辟易しつつ、お代わりのシチューを受け取り掻きこんだ。
その一時間後。
朝食も終わり、もこもこに着込んだマルグレーテの娘たちが車外で遊ぶ間、車内では食後のコーヒーをお伴に大人たちだけの会合が開かれた。
議題はもちろん、ハウンドのうなじに埋め込まれたチップの特定である。
「それで、例のチップの情報は集まったのか」
「それなりに。結論から言うと、完全に該当するチップはなかった。だが似ているのがいくつかあった。DARPAだ」
「DARPAだって?」
ケータが素っ頓狂な声を上げた。
国防高等研究計画局――通称『DARPA』は、最先端の軍事技術を研究する国防省の特別機関であり、米軍を支える最高峰の頭脳である。当然、研究内容に関する情報は機密指定のものばかりだ。
「なんでそんな情報持ってるんだ」
「どんな理知的な人間も性欲の前じゃ猿に戻るのさ。特に男はな。ま、研究と結婚してるようなド変態は無理だが、成果に焦ってる非モテ男なんかはちょっと褒めるだけでコロッといくぞ」
「うわぁ、最低だ」
ケータが心底ドン引いた顔で顎を引いたが、一方のアレサ、パメラ、マルグレーテの女性陣は「ああ」と訳知り顔で苦笑した。
「いわゆるハニートラップってやつね。自信ない男ほど、ちょっと褒めただけですぐ調子乗っちゃうやつ。口も軽くなるし」
「妻子がいるなら子供できたって脅し文句も使えるわね」
「特殊性癖持ちの男性だと、言いふらされるの恐れて従っちゃうかもね。あと部署によっては安月給に予算カツカツで研究してるとこもあるから、問題を公にしたくないって心境も働くのかも」
えげつない井戸端会議を繰り広げる女性陣に、ケータがますますショックを受けた顔で黙りこくった。
古今東西、男子会より女子会の方が会話が生々しくなるものである。
ニコラスは「あー」と手を振った。
「ヴァレーリ一家直伝のハニートラップはともかく、だ。似てるのがあると言ってたな。どれだ」
「こいつだ。こいつを見比べてほしい」
そう言ってカルロは手元のタブレットをひっくり返した。そこに表示されていたのは、二枚の画像である。
一枚はハウンドのうなじに埋め込まれたチップのエックス線拡大画像。
もう一枚は、手のひらサイズのオレンジ色の楕円形カプセルで、アンテナのような棒状のものがついている。
「これなんだ?」
「海洋生物の生態調査に使用する衛星発信機、いわゆるビーコンだな」
「あのクジラとかシャチとかの頭にくっつけてるやつか?」
眉をひそめるケータに、カルロが頷く。
「冷戦時代、米海軍でイルカやクジラを軍事利用できないかって研究があったんだよ。機雷なんかを除去するためのものだったが、動物愛護の観点からとうの昔に頓挫した。この海軍が投げ出した研究を、イスラエルの海洋生物保護団体傘下の研究機関が引き継いだ。海獣の保護活動のためにな。そいつを――」
カルロは眠気覚ましのコーヒーで唇を湿らせて。
「DARPAがスカウトして再始動させたんだ。人間相手に使えないかどうかってな」
「けどこれアンテナも入れると30センチ近くもあるぞ。こんなデカいの首に埋め込めるわけないだろ」
「んなこと分かってる。注目したのはこいつの電子回路基板だ。こいつをこいつと重ねると――」
カルロがビーコンの基盤を、ハウンドの首のチップと重ねた。全員が息をのんだ。
「……似てるな。こいつを小型化したと?」
「恐らくな」
ニコラスが尋ねると、カルロは頷いた。
「現在、DARPAが進行中の計画の一つに、兵士個人に埋め込むタイプの、生体通信機の開発プロジェクトがあった。心臓の自家発電ペースメーカーを利用した、超小型生体チップタイプの通信機だ。現状、通信は不可能で、位置情報の発信がせいぜいなようだがな」
「本当はその埋め込んだ生体通信機で、離れた場所から戦場の兵士に指示を出せるようになるのが理想だった。けど今の技術じゃまだそこまでいってなくて、兵士の位置情報を発信するのが限界……ってことか?」
「そういうことだ。ただ論文によれば、通信は不可能でも、兵士が死亡した後に少量のデータを送信することは可能だったらしい」
「それがハウンドに埋め込まれたチップの正体か。で、彼女は発信する情報を、位置情報ではなく、リスト暴露のために使おうとしている、と」
「ああ。ちなみに心肺が停止してから十分後に送信される仕組みになってる」
「ってことは、その十分が勝負所ってわけか。これでナズドラチェンコを同行させた理由が分かったな」
「んんん? 待った待った、ちょっと情報整理させて」
首を捻ったケータはメモ帳にイラストを描き始めた。
「ええっと、取りあえず今ハウンドの首には、自家発電ペースメーカーを利用した電池不要の衛星発信機が埋め込まれてて。こいつはハウンドの心拍と連動してて、彼女の心臓が止まってから十分後に発信される仕組みなんだよな?」
と、デフォルメされたイラストにコメントを交えつつ、さらさらと図解していくケータに、全員が目を見張った。
絵を描くのが趣味とは聞いていたが、ケータの特技は絵画的なものではなく、コミックなどを描く技法のようだ。
「んで、ハウンドはこの発信機で『失われたリスト』を暴露しようってんだよな?」
「ああ。けど実際にリスト自体を発信するわけじゃない」
「え、違うのか」
「こいつは本来、動物の位置情報を伝達するだけの発信機だからな。容量的にリストそのもの送信はできないんだと思う。――俺も書いていいか?」
ニコラスはケータからペンを受け取って説明を試みた。ちなみに自分の絵心は皆無であるので、文字オンリーでの解説だ。
「あくまで俺の推測だが」と前置きしつつ、
①通信要員 (ナズドラチェンコ)が予め暗号化されたリストを暴露場所に送信
↓
②ハウンドが死亡する
↓
③十分後、チップが情報(パスワード?)を送信
↓
④暴露場所にてリストの暗号が解除される
「こういうことなんじゃないかと思う。パスワードを送信するだけなら、大した容量じゃないしな」
「なるほどなぁ」
「だがこの計画には大きな欠点が二つある」
【欠点】
1、暴露までタイムラグがある
2、電波妨害されたら終わり
「2は言うまでもないよな。パスワードを発信する以上、その電波ごと敵が妨害してしまえばリスト暴露は不可能になる。もう一個の方は、ハウンドの心臓が止まってから、彼女に埋め込まれた発信機がパスワードを送信するまで、十分のタイムラグがある。この十分の間に発信機を破壊されたら終わりだ」
「とどのつまり、パスワードが送信されるまで、ヘルハウンドの死体を敵に奪われないようにする必要があるってことだな」
カルロの発言に、思わずペンが止まった。
「もうちょっと言葉を選べよ」とケータが抗議するが、そんなもので止まる男ではない。
「まどろっこしいことやってる場合か。ヘルハウンド捜索の一番重要な鍵だぞ。つまり奴は現在、死に場所に最も適した場所を求めて彷徨ってるってことだ。もしくは最初から用意した死に場所に向かっているかだ。自分の死体を暴かれない、最適な墓穴へな」
「…………要するに、発信機を破壊されなければいいわけだ。電波妨害するにしても、この広大なアッパー半島すべてをカバーするのは不可能だしな」
死体を暴かれない最期の地。
その墓場に、ハウンドはこの凍てついた大地を選んだ。
「坑道の奥とかは? その、爆弾で出口塞いじゃえば、誰も手が出せないんじゃない?」
言いにくそうにパメラがおずおずと進言したが、カルロが即座に否定する。
「いや、それはない。爆発の影響で発信機もろとも岩で押し潰されたら詰みだ。地中に埋めれば、電波状況も悪くなるしな」
「なら森の奥地は? この辺りの森はともかく広いし、私たちの隠れ家だってずっと見つかってなかったし」
「それもないと思う」
マルグレーテの案に首を振ったのはアレサだ。
「この辺りは古くからチペワ族が治めてる土地よ。森は確かに広いけど、昔からここを管理している彼らが易々と余所者の侵入を見過ごすとは思えない。あなたたちが見つからなかったのは、彼らの治める森じゃなかったから情報が漏れにくかったってのが大きかったんだと思う」
「わざと雪崩起こしてそこに埋まるとか……」
「人間が自然現象をそう易々と起こせるわけないでしょ。それに雪崩に巻き込まれれば必ず生き埋めになるわけじゃないのよ。運よく助かるケースもある」
アレサにぴしゃりと否定されて、ケータが気まずそうに俯く。
ここでようやくニコラスは口を開いた。
「溺死じゃないのか」
その呟きで、車内がシンと静まり返る。
「この発信機はもともと海獣のためのものなんだろ? じゃあ水と相性がいいってことだ。この辺りは湖も多い。死体を沈めてしまえば痕跡も残らない」
「けど今は真冬よ? どこの湖だって凍結してるわ」
「それこそが好都合だろ」
そう返すと、アレサも黙った。
凍った湖に穴をあけて、そこに重しと共に沈む。夜が明ければ湖はまた凍てつき、穴は塞がれて見えなくなる。
「……死に方としてもそいつが一番苦しまずに済むかもな。低体温症になると人間はあらゆる感覚が麻痺する。溺死は本来苦しいもんだからな、唯一の救いかもしれん」
カルロの発言を皮切りに、車内に凍てついた空気が満ちる。雪上車の分厚い装甲が取り払われ、外気に晒された気分だった。暖房は十分に効いていた。
感覚が急速になくなり熱が失せた指先を、ニコラスは無言でこすり合わせていた。その音が聞こえるほど静まり返っていた。
誰か、なにか話さなければ。
そんな焦燥に襲われる。誰かに責められたわけでもないのに。だが誰もなにも言わない。
けど何かを――、
コンコンコン。
雪上車の後部扉をノックする音が響く。破られた静寂に、全員が音もなく安堵の声を漏らした。
マルグレーテの娘たちだった。マルグレーテが気まずそうな顔で急いで立ち上がる。
「ごめんね、今ママたち大事な話してて――」
娘たちは母親の早口ぎみの叱責を遮った。心底不思議そうに、どこか不安そうに、背後のトンネル入口を指差した。
「ママ、あれなぁに?」
全員が振り返った。
そこに、奇妙な物体があった。
トンネル入口付近。バスケットボール大の二つの車輪がついた、ダンベル型の物体が、陽光を背に佇んでいた。
なんだあれ、と思った矢先。それは動いた。
コロコロとこちらに数メートル。それからぴたりと止まって、クルクルその場でダンスするかのように回り始めた。
コロコロ、クルクル。コロコロ、クルクル。
車内にますます困惑の色が広がった。ニコラスはそれをよく見ようと立ち上がった。
瞬間だった。
ダンベル型の物体が、突如、猛スピードでこちらに転がってきた。
「まずいっ」
カルロが叫び、ニコラスはすぐさま発砲した。
弾がアスファルトを跳ね、その火花の中を物体が疾走してくる。
速い。妙な動きをする。予測ができず、弾がまったく当たらない。
ニコラスは瞬時に、精密射撃から弾幕射撃に切り換えた。それでなんとか雪上車30メートル手前で撃破に成功した。
直後、強烈な爆風と炎が吹き上がり、雪上車を飲みこんだ。
間一髪でマルグレーテが娘たちを引きこみ、パメラが扉を閉めてくれたからよかった。扉があきっぱなしだったら爆炎が車内を吹き荒れ、全員焼け死んでいた。
「自爆ドローンだ! 連中、月面探査ロボットを軍事転用しやがった!」
ケータが叫ぶと同時に、カルロが運転席に飛び込んだ。
雪上車を装甲車がわりにした自分らのように、考えることは同じらしい。
コロコロ、コロコロ、コロコロ、コロコロ。
僚機からの観測データを共有したのだろう。トンネル入口には先ほど爆発したダンベル型自爆ドローンが十数機集まっていた。
それらが一斉に、こちらへ殺到する。
「早く外に出ろ! ここじゃ爆発の衝撃をもろに食らう!」
「今やってる! お前らこそ撃ち落とせないのか!?」
「今やってる! このダンベル速いんだよ!」
両者とも、鬼気迫る悲鳴まじりの怒声だった。
初めて目の当たりにする未知の物体。その威力を目の当たりにした直後とあって、誰もが恐怖していた。
そのうえ蛇行しながら転がるドローンは素早く、動きが不規則で、弾幕射撃でもなかなか当たらない。
ケータに至っては当てるのを早々に諦めてショットガンに切り換えたが、それでも間に合わない。
雪上車がトンネルを抜けた。
粉雪の白煙を撒き散らして疾駆するそれを、無数の自爆ドローンが追走する。見る者がいれば、幻想的かつ神秘的な景観において実にシュールな光景だったろう。
ものの数秒走ったところで、雪上車は方向転換。
木立の中に突っ込むと、緩やかな斜面の稜線を登り始めた。
転がって移動するドローンならば、斜面には弱いのではないかと踏んだのだ。
けれど、当ては外れた。
ドローンが両の車輪を雪面で空転させた。雪を飛び散らせながら回転を速め、下へ下へ掘っていく。そのタイヤが、雪下の岩や樹の根元に触れた瞬間、ドローンは大きく跳ねた。
回転から跳躍へ。高速回転するモーター特有の唸りを上げながら、ドローンは着実に斜面を登り始めた。
対して、最初こそ順調に登っていた雪上車の足は止まっていた。雪の深みにはまったのだ。
「くそっ」
カルロがハンドルを切り、雪上車が左右に揺れる。
足元の雪を踏み固めて履帯をかませようしているのだ。
が、ドローンはそれを待たない。無慈悲に、無機質に、淡々と距離を詰めてくる。
「ニコラス、伏せてくれ!」
「待ってケータ! 手榴弾なんか投げたら雪崩が――」
アレサが青い顔で警告するも、気遣う余裕はない。
五分後に雪崩に巻き込まれるとしても、いま爆死しない道を選ばなければならなかった。
ケータが投擲した手榴弾が飛んでいく。
手榴弾はあまり転がらず雪に沈んだが、数機のドローンを巻き込んで起爆した。それに誘爆したのか、巻き込まれたドローンが盛大に爆破する。
慌ててケータが後部扉を閉める。
斜面を舐めるように駆けあがってくる爆炎に目を焼かれながら、ニコラスは覆った腕の隙間から確かにそれを見た。
爆破する瞬間、いくつかのドローンが方向転換して、爆発めがけて飛び込んでいく光景を。
――こいつら、熱探知で追ってきてるのか……!
「パメラ! シチューってまだ残ってるか?」
「今それ聞く!?」
立て続けに鳴り響く轟音に耳を押さえていたパメラが目を剥く。
だが応える余裕もない。
ニコラスは荷物搬入用の小型そりを引っ掴み、中に毛布を適当に敷き詰めた。
そこにストーブ上の隅で保温中だったシチューの大鍋を持ち上げ――るのは熱いので、服の袖をミトンがわりにしてそり内の毛布の上に乗せる。
「ちょっとそれただのシチューよ……!? それで撃退する気!?」
「ただのシチューでも役に立つときがあるんだよっ」
ニコラスは後部座席を蹴り開け、そりを谷底めがけて滑走させた。
そりがドローンの群れの中を突っ切っていく。するとドローンが逡巡するかのように一瞬だけ停止した。
判断は早かった。ドローンは駆け上がるのを止め、タイヤを逆回転させてそりを追い始めた。
そりが滑り、ドローンの群れが追い立てる。
谷底に到着すると、そりはスキージャンプよろしく、谷下の崖を踏切に、宙高く飛び上がった。ドローンもまた、その後を追った。
そりと一緒に、ドローンが仲良くそろって崖下へ転落していく。
数秒後。遠くの花火の音のようなくぐもった音と、軽い震動を最後に、雪山の静寂が戻った。
「……行った?」
「みたいだな」
全員がぐったりと全身を脱力させた。パメラは信じられないとばかりに、何度も首を振った。
「本当にシチューで撃退できるだなんて」
「ああ、上手くいってよかった」
「ええ、本当に。……ところであんた、さっき『ただのシチューでも役に立つ時がある』って言ったわね。それって不味かったって意味?」
おっと、こいつは非常にまずい。
ニコラスは自分の頭を吹っ飛ばされないよう、全力で弁護すべく口を開いた。
直後、ドン、と雪上車が大きく揺れた。
開いた後部扉から、一機のドローンが飛び込んできたのだ。
一瞬で全員が凍りついた。
咄嗟に銃口を向けるが、間に合わない。
ケータとアレサが子供たちに覆いかぶさり、パメラは身を丸めて自分を守ることしかできなかった。
「ふんっ」
ガァンといい音がして、ドローンが吹っ飛んだ。
マルグレーテが火掻き棒をフルスイングしたのだ。
吹っ飛ばされたドローンは美しい弧を描き、そのまま空中で爆発した。ホームランを見届けたかのような、妙な清々しさがあった。
そんな光景を見送って、
「映画とかで投げられた手榴弾を蹴り返すシーンがあるけれど、案外間に合うものね」
よかったわ、と曲がってしまった火掻き棒を手に満面の笑みを浮かべた未亡人が、エクスカリバーを携えた騎士王に空見したのは自分だけではあるまい。
ニコラスたちは予想以上に逞しい救世主を前に、ただただ唖然とするしかなかった。
数分後。
ニコラスはアレサと共に外に出て、周囲を確認していた。
『どうだ』
「敵影なし。偵察ドローンが飛んできた様子もない。けど、早く離れた方がいい」
『だろうな。地図を確認次第、出発する』
「出発は」
『10分後』
10分後か。それならギリギリまで対空警戒をしておくか。
そう思い、ニコラスは雪上車から25メートル離れたところの、セダンぐらいありそうな大岩によじ登った。
敵が寄こしたのが先ほどのダンベルもどきだけとは限らない。特に今日は快晴なので、無人偵察機を飛ばすのには最適な環境だ。
――まあ、見つけたからといって、撃ち落とせるわけでもないが……。
そんなことを思いながら、大岩の上に胡坐をかいた時だった。
「ニコラス、早く戻ってッ!!」
絶叫に等しい叫びに度肝を抜かれて振り返れば、アレサが今まで見たことのない必死の形相で叫んでいた。
「雪崩よ、雪崩が来るッ! 早くこっちに――」
森が震えた。
震動は徐々に大きくなっていき、轟音が急速に迫ってくる。
自分が間に合わないと悟ったのだろう。
アレサは自分だけ雪上車に戻り、後部扉を閉める瞬間、こちらを振り返った。
「口元を手で覆って! それから泳いで! そうすれば――」
聞こえたのは、そこまでだった。
真っ白の大津波がニコラスたちを飲みこみ、押し流した。谷底の、崖めがけて。
●9-6 投稿日 10月27日(金)
先週もお知らせした通り、仕事の関係で、次の投稿は再来週の10月27日となります。
お待たせ仕舞って申し訳ありませんが、必ずご満足いただけるものを仕上げて参りますので、しばらくお待ちください。




