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9-4

〈2014年1月28日 午後3時12分 アメリカ合衆国ミシガン州 アッパー半島 ハイアワサ国有林近郊〉


「考えたな。屋根に土と苔を被せて地面にカモフラージュしたのか。これなら衛星でもなかなか見分けがつかないな。家屋自体が低めの平屋なのも、それが理由か」


 完全に日も落ちた暗闇の吹き荒ぶ雪の中で、上背を丸めたカルロ・ベネデットは隠れ家をしげしげと眺めている。

 対するニコラスは憤然と腕を組んだ。


「おい、いい加減説明しろ。元側近ってどういう意味だ」


「そのまんまに決まってんだろ。ヴァレーリ一家を抜けてきた」


「……それを信用するとでも?」


「信じるか信じないかはお前次第さ。第一、こうなったのはお前のせいだぞ」


「俺がしくじったのは事実だけどよ、お前なんでもかんでも俺のせいにするの止めろよ」


「自覚あるならもう少し反省してもらいたいもんだな。お前のせいで、もともと面倒なボスがさらに面倒なことになったんだぞ」


 そう吐き捨てたカルロ曰く。




『ほんっっっとムカつくあの駄犬、俺の玩具みすみす逃がしたくせにさぁ! ちょっとは悔しがって食い下がれよ、なにあっさり引き下がってんの!? 地に這いつくばって吠え面かけよ、なんでお前の方から見切りつけてんのさ! 見切りつけたのはこっちの方だわ! お・れ・が! 見切りつけたのっっっ!! あー腹立つ!! 今すぐ死ね! モッツアレラの角に頭ぶつけて死ね‼』




「――ってな感じ物にも人にも当たり散らしててな。滅茶苦茶めんどうくさかったから抜けてきた。結論、お前のせいだ」


「…………マフィアってそんな簡単に抜けていいもんなのか?」


「知らん。だが許可は下りたぞ」


 下りたのか。なんと適当な。


 ともあれ協力者が増えるのはありがたい。人物が人物なだけに手放しで喜べないが、頼もしいのは事実だ。


「ひとまず協力には感謝する。それで、今後の方針についてなんだが――」


 その時だ。


 ふと見上げた視線の先。吹雪始めた木立の奥、雪上車のヘッドライトに反射する、キラリと輝く何かをニコラスは見た。


 咄嗟に伏せ、膝立ちでM9A1自動拳銃を構える。


 カルロも振り向きざま、懐からH&K P30L自動拳銃を引き抜いた。


 発砲音が重なる。

 一人をカルロが倒し、二人をニコラスが倒す。


 直後、雪上車の背後にそろって飛び込んだ。

 フルメタルジャケット弾の驟雨(しゅうう)が雪上車装甲上を跳ねる中、ニコラスは背後の様子を伺いながら口を開く。


「こいつの装甲は」


「12.7㎜なら余裕。同じ箇所にロケットランチャーが命中しても二発までもつ。ちょっとしたストライカー(米陸軍の装甲兵員輸送車)だな」


「履帯なんだからアムトラック(米海兵隊の水陸両用装甲車)だろ」


「変なとこで古巣推ししてくんじゃねえよ。装甲車並みってことに変わりねえだろ」


 反論しようとするも、突如増えた弾幕に閉口する。


「……二個小隊はいるな。ここに来るまで後つけられたか?」


「一応吹雪いてる時を見計らって移動はしていたが、熱探知で待ち構えられてたらどうしようもないな。どっちにせよここはもう放棄だ」


「同感だ。遺族を呼んでくる」


 カルロからブッシュマスター次世代戦闘銃(ACR)を受け取り、先ほど撃った敵の位置から距離を逆算して光学照準器を合わせる。

 この吹雪だ。視界は最悪、弾道もかなりの修正を余儀なくされるだろうが、雪の動きで風向きが一目瞭然なのが救いだ。


「敵襲か!?」


「数は、位置は!?」


 隠れ家からケータとアレサの叫び声が聞こえる。

 声は上擦っているものの、慌てふためいた様子はない。


 ニコラスは「そうだ」と怒鳴り返し、二人に敵情報を伝え、遺族の避難誘導を頼んだ。


「彼女たちを雪上車に乗せてくれ。ここはもうもたない」


「分かった!」


「私が行ってくる、ケータは撃って」


 二人の返答を背後に聞きながら、応戦に打って出る。


 敵は撃ってくるものの、こちらへ近づいてこない。恐らくこいつらは威力偵察、牽制して時間を稼ぎ、本隊の到着を待つ腹づもりだ。ならばこっちはそれまでに逃げるまで。


 カルロとケータが制圧射撃で敵の進軍を止める中、ニコラスは目についた敵を片っ端から着実に仕留めていく。


 一方、遺族らもすでに異常事態を察していたらしく、アレサの避難誘導に驚くほど冷静に従ってくれている。しかもすでに荷物をまとめ終えたうえでの避難だ。


 この様子なら五分と経たずに乗り込みが完了するだろう。下手な新兵よりよっぽど動きが速い。こう言っては何だが、逃げ慣れている。


――本来、慣れるもんじゃないんだろうが……。


 そう思い、ちらと乗り込む遺族に目をやって、目が点になる。


「何やってんだ?」


 弾丸が飛び荒ぶ中、ミトンをした手で慎重に鍋を運ぶパメラの姿に、ニコラスは唖然とした。


「見れば分かるでしょ。夕飯運んでんの。せっかく作った熱々の料理置いてけって?」


「いや、そういうわけじゃないが……」


「心配しなくても温め直せる系の料理しか作ってないから大丈夫よ」


 そういう問題か? いや、武器弾薬と医薬品も運んでるからいいのか……?


 あまりに平然と真剣にできたての夕飯を運ぶパメラに戸惑う一方、マルグレーテはというと。


「ママー! 今度はどこ行くのー?」


「だっしゅつ? だっしゅつするの?」


「そうよ。まだ行先は決まってないけど、今度乗る車はあれ」


「わぁー戦車みたい!」


「カッコイイー!」


「そうね。さ、今のうちの乗り込みなさい。いいっていうまで絶対に出ちゃ駄目よ」


「「はぁーい」」


 キャッキャッ騒ぐ娘たちと和気藹々と話している。


 ニコラスは心底当惑した。いくら何でも慣れ過ぎではなかろうか。


 同じことを思ったのだろう。ケータが「えぇ……」と言わんばかりの困惑顔で親子を見つめ、次いでこっちを見てきた。


 いや、こっちに振られても困る。 


「おい、遺族はこれで全員か? 報告ではあと二人いたはずだが」


 カルロの質問ではっと我に返る。

 なんということだ。イーリスと『盲目の(ブラインド・ウルフ)』がいない。


――まずい。取り残されたか。


「ケータ、アレサ、家の中の捜索を頼む! もしかしたら表側の納屋に」


 と、言いかけた瞬間。


 納屋が吹っ飛んだ。

 否、正確には壁の一部が爆発した。


 爆煙の中から登場したのは一台のスノーモービルで、運転席にはイーリス、荷台にはダネルMGLグレネードランチャーを構えた『盲目の狼』がいた。

 回転式弾倉を備えた連射可能な擲弾発射器である。


「おやおやおや。今日はまた来客が多いねえ。お帰り願おうか」


 『盲目の狼』が続けさまに擲弾を撃ち込んでいく。盲目なのが信じられないほど正確な射撃である。


 その合間に、スノーモービルは接近していた敵数名を跳ね飛ばして、雪上車の真横にドリフト停止した。


「待たせたわね。久しぶりだったから、キーをどこへ仕舞ったかど忘れしちゃって。さ、行きましょうか」


「あっ、はい」


 深く考えるのを止めたニコラスは気圧されるがまま頷いた。


 その時だ。背後に敵が現れた。

 案の定こちらが本隊のようで、挟撃からこちらを包囲しつつある。


 それを目の当たりにしたイーリスは眉一つ動かさなかった。


「ここからは二手に別れましょう。私たちはこのまま森へ行くわね。近くに坑道があるから、ブリザードが来る前にそこへ潜り込んで敵を攪乱するわ」


「あ、狼お婆ちゃん。これ今日の分のお夕飯ね」


「これはこれは、すまないねえ」


 マルグレーテからバスケットを受け取り、股の間にお伴の狼を挟むように乗せた『盲目の狼』はほくほく顔で微笑んだ。

 それを確認したイーリスもまた振り返り、こちらに手を振った。


「じゃ、後で落ち合いましょう! 行先はパメラとグレーテに聞けば分かるから」


 そう言い放つなり前方の敵陣に突っ込んでいったイーリスたちは、グレネードで敵を蹴散らしながら包囲網を突破していった。


「……俺たちも脱出するか」


「……そうだな」


 同じく深く考えることを止めたらしいカルロに同意して、ニコラスたちも出発することにした。せっかく包囲網に穴が開いてることだし。


「おーい、おーい!」


 雪上車が敵陣を突破した直後だった。

 件のイギリス工作員が血相を変えて走ってくる。どうやら近くで遺族を監視していた彼も、戦闘に巻き込まれたようだ。


「待ってくれ、俺も乗せてくれー!」


 カルロが胡乱気に睨んだ。


「あれなんだ」


「例のイギリス工作員だ」


「へえ」


「おいっ、頼む乗せてくれ! 駄賃なら払うから!」


「こう言ってるぞ。ベネデット、どうする」


「1マイル500ドルだ」


「1マイル500ドルだとさ。持ち合わせはあるか?」


「ある訳ねえだろっ! けどそれ相応のネタはくれてやる!」


「偉そうな野郎だな」


 そうぼやきつつ、カルロは後部座席のハッチを開けるよう指示を出した。




 ***




「で、これからどうする?」


 現在はほぼ使われていない、かつての銅鉱山へつながる道路のトンネル内に雪上車を停めたカルロは、開口一番そう言って運転席からこちらを振り返った。


 すでにあたり一帯は完全にブリザードに包まれている。燃料の消費を抑えるためにも、今しばらくここでやり過ごすのが吉だろう。


「もちろん今後の方針について話す。そのために援軍を呼んだんだからな。と、その前にあんた」


 ニコラスは急遽、同行することになったイギリス工作員に耳栓を渡して後ろを向くよう指示した。


「どうせあんたもこっちに提供する情報絞るだろ。だからこっちも絞らせてもらう」


「随分な態度だな。それが協力者にする姿勢か?」


 憤慨する彼の前に、アレサが医薬キッドケースをどんと置く。


「ここに五種類の麻酔薬があるんだけど、どれがいい」


「分かったよ、聞かなきゃいいんだろ……」


 ブツブツ不平を言いながら、工作員は渋々従った。それを確認して、


「で、お前は何をしにきたんだ」


「おいおい、俺も疑うのか? こいつを用意してやったろ」


 カルロが肩眉を上げ、雪上車の車体をコツコツ叩く。ニコラスは首を振った。


「お前が首領(ドン)の言いつけでこようと、個人的な打算で動いていようとどうでもいいが、お前の目的がハウンドの命を守らないことなら切る」


「なるほど? それについては約束しよう。奴に死なれると俺たちとしても困るんでな。捜索の邪魔もしない」


 おどけたように両手を広げるカルロの言を、ニコラスは一旦信じることにした。

 少なくともこいつは、こちらに利用価値があると判断する限り味方でいてくれる。そういう男だ。


「じゃあケータ、話してくれ」


「おう。ニコラスが先生に頼んでた件な」


 そう言ってケータは懐からジップロックに入ったUSBを取り出した。


 出立前、27番地の外科医でハウンドの主治医であったジル・アンドレイ医師に頼んでいた調べものだ。


「ハウンドのうなじ部分に埋め込まれてるっていう生体マイクロチップに関してだ。これに例のリスト情報が記憶されてるってことだが、エックス線写真からこのチップの機種特定を試みた」


「機種の特定? 何のために」


 眉をひそめるカルロに対し、ニコラスは首元の弾丸の首飾り(ホッグズ・トゥース)をいじりながら説明した。無意識だった。


「埋め込まれたチップは、ただの記憶媒体じゃない。ハウンドの心電図と連動したもので、彼女が死亡した際に外部へデータが自動送信される仕組みになっている、というのが先生の仮説だ。仮説通りなら、チップの機種によって電波の届く範囲が分かる」


「ああ、そういう。ヘルの狙いが本当に“『失われたリスト』の暴露”なら、チップが送信したデータを中継する通信設備が必要になる。つまりは、チップのデータ送信が可能な範囲内で通信設備がある場所。そこにヘルがいるってことか」


「そういうことだ。憶測に憶測を重ねるのは気が進まないが、現状ハウンドの居場所を探るのに、これぐらいしか手がかりがない。イーリスから何か聞ければよかったんだが」


「あながち間違ってねえと思うぞ。俺たちの方でも、セルゲイ・ナズドラチェンコがロバーチから抜けたのは確認してる。チップのデータ送信を中継し、全世界に拡散してリストを暴露する。ナズドラチェンコはそれにうってつけの人材だ。実際クリスマスの一件の時、奴はヘルの協力者だったしな。ヘルが以前からこの目的達成のためにナズドラチェンコと結託していたと考えれば、筋書きは通る」


 ニコラスは少なからず面食らった。

 あのカルロが自分の憶測を支持するとは思わなかったのだ。そして確信する。


 こいつが支持したということは、この憶測がいい線をいっているということだ。


――さしずめ俺は探知犬ってことか。


 首飾りをいじっていた手を下ろし、代わりにポケットの中のループタイを握りしめる。ハウンドのトレードマークでもあった孔雀石(マカライト)のループタイだった。


――いいだろう、乗ってやる。


 ニコラスはカルロの思惑のまま動くことにした。こいつが提供する情報網はそれだけ旨い。


「そんなわけだ。このチップの機種の情報をもとに、ハウンドの居場所を特定する。お前も分かることがあったら言ってくれ」


「高くつくぞ」


 そう言いつつもタブレットを取り出し調べる態勢を整えるカルロに頷き、ニコラスは受け取ったUSBをノートパソコンに接続した。




 ***




 へえ。意外とやるじゃん、あの番犬。


 元ロバーチ一家幹部、セルゲイ・ナズドラチェンコは、その報告を目にして口角を僅かに吊り上げた。

 血の付着したグローブを歯で脱ぎ、ホームボタンを連打して捨てアカウントからのメールを閉じる。


――こっちが大人しく言うこと聞くと思ってるのが心底ムカつくんだよなー。詰めが甘えんだよ。


 とはいえ、さして驚くものでもない。ロバーチ一家がロシア当局に忖度せざるを得ないのは割と有名な話だ。


 それよりセルゲイは、ニコラス・ウェッブがすでに再起し、仲間と共に遺族を護衛しながら行動を開始している点に驚いた。

 ヘルハウンドなんてとんでもない女に依存するぐらいなのだから、精神的に脆い人間だと思っていたのだが。こいつ本当に戦傷後遺症患者なのだろうか。


――ま、どーでもいいか。こっちの方がずっとヤバいし。


 つ、と視線をやれば、死体を黙々と谷底へ落としていくヘルハウンドの姿があった。


 『トゥアハデ』の監視・偵察部隊だったのだろう。数年前から、この半島には『トゥアハデ』の手の物と思われる民間人に扮したこういう連中が分隊単位で至るとこに散らばっている。


 山中の尾根沿いにある山小屋にいたこいつらもそうだ。もう生きてはいないが。


 流れる流血が湯気をたて、すぐに雪に吸われて赤黒く凝固する。

 まだ死後硬直も始まっていない死体は動かせやすいのか、ヘルハウンドは難なく稜線上まで引きずると、そのまま谷へと蹴り落としている。


 真冬のアッパー半島だ。雪が融ける頃に白骨になって見つかるだろう。


 最後の一人を蹴り落として、ヘルハウンドが振り返る。


「偽装は」


「もうやった。あと三日は気付けないと思うぜ」


 無線機・通信機の類にダミーの報告を自動送信する仕掛けを施した、背後の山小屋を指差すと、ヘルハウンドはさした反応も示さず自分を押しのけ山小屋に入っていった。


――こりゃもうもたねえな。


 そう思いつつも、セルゲイは黙って後に続いた。返り血の付着した衣類を処分する必要があった。


 小屋の中にはいると、ヘルハウンドはすでに衣服を脱いで暖炉に放り込んでいた。


「たぶん時間を巻き戻してもさ、結局こうなったと思うんだ」


 唐突に語り始めたその小さな背に、うっすら浮かんだ紅い傷跡を眺めながら、セルゲイは腕を組んで壁に肩を寄りかけた。


「テロという行為は、国家を揺さぶるのに最も効率がいい手段となり得る。最小限の人員で、最大限の悪意を植え付ける。特にアメリカのような移民で構成された民主国家にとっては、天敵と言ってもいい。人種・宗教・文化の差は価値観の差異に通ずる。争いの種もそれだけ増える」


 かつて望まぬがままテロリストになった女は、暖炉の火を眺めながらとうとうと呟く。


「テロ行為は無視すれば無効化されるという奴がいる。けどそれは誤りだ。無効化なんてされてない。見えなくなっただけだ。悪意の種は確実に巻かれている。早い話、特定の人種を撲滅させたいと思うなら、その人種を装って民間人に対する無差別テロを行えばいい。テロにより恐怖と怒りを植え付けられた国民は、防衛本能からその人種を迫害するようになる。そして追いやられた人間は、第二のテロリストとして産声を上げ、祖国へ牙を剥く。そうやって国家は内部分裂していく。民主国家は意思決定が遅いのと、全国民に参政権が与えられているのが弱点だな」


「……お前の祖国をアメリカが攻めたのは、仕方がなかったって言いたいのか」


「別に許しちゃいないさ。けど時間を巻き戻しても、同じ結論に至っただろうなと思っただけだ。たとえ大統領がカッサンドラを秘書にしてても無理だっただろうさ。あの同時多発テロが起きてしまった以上、『アル=カイーダ』がアフガンに潜り込んだ以上、アメリカ人の怒りと恐怖に火をつけた時点で開戦は避けられなかった」


「お前さ、いつまでそういうことやる気なの」


 思わず漏れ出た声は、自分でも驚くほど低くて、僅かに震えていて癪だった。


 この女はいつまで『黒妖犬(ヘルハウンド)』を演じ続ける気なのだろう。

 もう仮面はとっくにひび割れているくせに。


 いや、最初から演じられてなどいなかった。身に余る役を無理くり羽織って、見るからに拙い演技で無我夢中で踊り狂っていただけ。


 それでも、この女が無茶を通したのは――。


「本気で合衆国政府(ホワイトハウス)相手に交渉する気か」


 ヘルハウンドは一切の反応を示さなかった。何も聞こえていないかのように、いつものカフェ店員の服を着こんでいく。


 セルゲイはそれでも質問を投げ続けた。

 今さらもう止まらないなんてことは分かり切っている。だが同志でなくとも似た者同士として、彼女が下した決断の意図を聞いてみたかった。


「連中は動かねえよ。都合の悪いことは全力で揉み消すのが国家ってもんだ。交渉のテーブルに着く前に、濡れ仕事(ウェットワーク)部隊派遣されて消されるのがオチだぜ」


「政府との交渉は最終段階だ。リストを反米国家に送信した後に行う。ロシア、中国、イラン、北朝鮮、イラク、アフガニスタン。それから常任理事国のイギリスとフランス、さらに同盟国の日本。各国首脳陣に向けリストを暴露し、そのうえで私が表に立つ。『失われたリスト』に関する証拠品はすべて抹消されているが、唯一の生き証人が私だ。こちらが待たずとも向こうから席を用意するさ、店ごと貸し切ってでもな」


「そーかよ。んじゃその後は?」


「殺されるんじゃないか。上手くいけば裁判からのグアンタナモ行きだが、『双頭の雄鹿』が黙ってなかろうよ。その前までにUSSAを解体に追い込めれば上々だが、まあ無理だろうな。だが解体のきっかけになるなら満足だ」


 そこまでやるか。

 たった一つの望みのために。


「なんでそこまでこの国を庇う? 祖国を焼いた国だろ」


 ようやくヘルハウンドの動きが止まった。

 襟を上げ、いつものループタイを締めようとして、持っていないことに気付いた様だった。


 ハウンドは上げていた手をだらりと下げた。燃え盛る暖炉の薪が崩れて、盛大に火の粉が上がった。


「それでも、彼らが愛した国だから」


 ああ、そうか。


 セルゲイは彼女と自身の違いを明確に自覚した。


 やはりこいつは俺と同類ではない。怨むこともできぬ復讐者など、あって堪るか。


「お前、俺ちゃんが思ってたよりずっと馬鹿だったんだな」


「別にお前と一緒だよ。戻らないものが戻ってこないことが受け入れられなくて、ずっと駄々をこねてる」


「駄々をこねる、ね」


 セルゲイは、そう言うに留めた。それ以上は口を開きたくなかった。


 同情などしない。共感もしない。

 何を踏みにじってでも、親友とその妻を売ったあの男をぶち殺すと決めた。この女も、所詮はただの踏み台に過ぎない。


 ただ先短い己の人生で、この女が最も自分が憐れんだ人間になるのだろうと思った。




 ***




――とある学者の手記



 ●5月25日 晴れ、風寒し


 あれからというもの、ゴルグさんはサハルをあまり家に置かなくなった。日頃の護衛稼業にも連れていくようになり、なるべく常に行動を共にしているようだ。


 「見て学ばせるためだ」とゴルグさんは言っていたが、その実、彼女を戦場に連れていくよりも、あの村に置いていく方が心配だと判断したのだろう。

 銃も握ったこともない身としては理解しがたい部分もあったが、私とて常に彼女の側にいられるわけではない。だから彼の決断を尊重することにした。


 サハルはゴルグさんと一緒に居られて素直に喜んでいた。


 とはいえ、この国で女児をあちこちに連れ回すのはそれなりに目立つ。悪目立ち、という意味でだ。


 なので私はサハルに男児を装ってもらうことを提案した。そのことについてはゴルグさんも異論なかったが、彼女の髪を切ることに関しては猛反対した。


 正直髪も痛んでいたし、シラミがついていたので治療のためにも切った方がいいと思ったのだが、ゴルグさんとしてはそうはいかないらしい。


 結局サハルは髪を切った。シラミから解放されて、サハルは嬉しそうだった。

 ゴルグさんは最後まで渋ったし、切ったことを残念がっていた。



 ●6月1日 晴れ、時々砂嵐


 今日は驚くべきことが判明した。サハルが得た能力についてだ。


 盲目の人の聴覚が鋭くなるのと同じだ。色盲で色が分からない分、他の感覚が鋭くなっているのだろう。


 まず一つ、遠くからの視線にいち早く気付くことだ。


 誰かに見られていることに気付くのは珍しい話ではないが、数百メートル先の人の視線にも気付くのは恐れ入る。

 山道を歩いている際、彼女が指差した方向には大抵人がいるのだ。


 先日は500メートル先にいる人間に気付いた。彼女の視力では到底視認できない距離だ。私も見えなかったので望遠鏡で確認して、腰を抜かすほど驚いた。


 もう一つはもっと驚異的だ。


 なんと彼女は体臭から相手の感情を読むのである。これに関しては彼女にしか分からないので説明のしようがない。だが本当に言い当てるのだ。


 特に怒りや嘲り、嘆き、敵意、欺瞞といった負の感情には特に敏感で、ゴルグさん曰く彼女の警告のお陰で難を逃れたことが一度や二度ではなかったという。


 これまでのサハルの境遇を鑑みれば、生き残るために身に着けた、もしくは進化した能力なのだろうか。だとしたら少し物悲しい。


 けれどこれらが彼女にとって、立ちはだかる苦難を打ち払う武器になるのであれば、喜ばしいことなのだろう。



 ●6月12日 晴れ


 今日は大変素晴らしい日だった!


 なんとあのゴルグさんがサハルのために花を植えたいと言い出したのだ。これには訳がある。


 仕事の関係でしばらく村に半年ほど留まることになったのだが、前述の通りゴルグさんとサハルは村で歓迎されていない。

 なので基本サハルは家にこもっているのだが、彼女も年頃の少女だ。そんな調子では気が滅入ってしまう。


 そこでゴルグさんは、サハルのために庭に花を植えることにしたようだ。

 正直、花を植える以外に服や玩具など、気にかけてやった方がいい点はたくさんあるが、今は置いておこう。


 大事なのはあの仕事一辺倒で、サハルを娘ではなく兵士として育ててきたゴルグさんが、彼女のために花を植えようとしていることだ。


 何より頼みごとをしてきたゴルグさんの顔といったら! 

 図鑑を眺めてはうんうん唸る彼の姿は何とも微笑ましい。全力で協力することにした。


 植える花の種類はまだ決めていない。取りあえず鼻がいいあの子のために、香りはあまり強くない花にしようということになった。



 ●6月15日 晴れ


 今日、ゴルグさんの御母上がやってきた。サハルのことで相談があるのだという。まだ解決してない内容なので、後日詳細を書こうと思う。

次の投稿日は10月13日です。


再来週あたり少し繁忙期に入りますので、9-5投稿後は1週間お休みを頂きます。何度もお待たせしてしまって申し訳ありませんが、必ず高クオリティのものを仕上げて参りますので、今しばらくお待ちください。


(9-5 10月13日   9-6 10月27日)

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