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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~  作者: 志摩ジュンヤ
第8節 其は我が命なればこそ、其は我と同じ人なり
116/194

8-12

 階段を降りること十数分、ニコラスたちは広い空間に出た。


「病院の真下にある秘密の地下施設とくりゃ、ふつー白壁に囲まれた最新テクノロジーの実験施設とかがお約束だと思うんだが……いくらなんでも杜撰すぎじゃね? ルーター地面に直置きする奴、初めて見たわ。床じゃなくて地面だぜ?」


 セルゲイの指差す先を照らせば、なるほど、確かにWi-Fiルーターがややぬかるんだ地面に直接置かれ、泥跳ねが機材本体にこびりついている。


 地下施設、ではあるのだろう。けれど、その実態はニコラスたちの予想を裏切り、即席的でやや原始的な代物だった。


 幅25メートルほどの直線路の左側に、個性の欠片もないプレハブ倉庫が等間隔にずらりと列をなしている。

 灯りはあるものの、工事現場などで使う投光器を適当に並べただけの雑な仕様で暗がりは多く、まだまだフラッシュライトは手放せそうにない。


 舗装もされていないので轍もくっきり残っている。溝は深く、模様も細かいからオフロードタイヤか。四輪駆動で移動しているのかもしれない。

 一方で空調だけは管理されているのか、はたまた比較的温度が一定に保てる地下のせいか、コートも要らないほど暖かい。


 セルゲイの言う通り、良く言ってダム堤体内部の監査廊、悪く言えば鉱山現場付近の仮設住宅と評するのが妥当だろう。


 だがそうではないことは、プレハブ窓から中を照らせば一目瞭然だった。


 設置された手術台に、医療用シートで覆われた台に並べられた器具の数々。手術照明灯がわりに設置された三台のLEDライトに付着した黒い染みは、血痕だろうか。


「どう見ても“加工”施設だな。住民が独自にやってた臓器工場と骨工場のモデルはこいつらか」


 ニコラスが窓から顔を背けると、「みたいだな」とカルロが頷いた。


「衛生面にかなり問題あるが、ばらした“商品”さえ無事ならこの程度で問題ないんだろう。そう考えるとこの設備でも納得がいく。稼働を最優先で時間・費用どちらのコストも抑えられる」


 つまり、臓器やらを摘出した後の人間の生死は問わないということだ。

 骨に至るまで根こそぎ奪っている時点で察してはいたが、改めて聞くと非常に胸糞が悪い。


「で、ヘルとの連絡は?」


「ループタイが発信機だったんだが……駄目だ。車から飛び降りた時に落としたみてえだ」


「役に立たねえ番犬だな」


「お前らがハウンドから予備端末取り上げるからだろ。あと二台はあったのに」


「取り上げたんじゃねえよ。車の充電器にブッ刺してただけだ。そういうお前こそ慣れねえ隠し事なんかしてんじゃねえよ。位置情報共有してたなら早く言え。対策ならいくらでもあったぞ」


 ぐうの音も出ず、ニコラスは反論を飲みこんだ。


 マフィアたちを警戒して話さなかったことが裏目に出たのは事実だ。これでハウンドとの連絡手段は断たれた。


「まーまー、番犬ちゃんを責めるのはそこまでにして。そんなこともあろうかと、こんなものを俺ちゃん用意してたわけよ」


 プレハブ内から拝借したのか、比較的綺麗そうなパイプ椅子に腰かけ、セルゲイが組んだ脚の上で端末を叩き始めた。


 カルロが「何を」と眉をしかめて尋ねる。一方のニコラスは心当たりがあった。


「もしかして、ジャックとウィルと話してたあれか」


「ご明察。今はただの鼻たれ小僧だけど、良い腕持ってんぜ、あれ」


 そう言って、セルゲイはダウンジャケット右ポケットからある物を取り出した。


 アメンボにも似た、十字に四つ脚を開いた四翼小型ドローン。

 ニコラスは目を瞬いた。ジャックの発明品の一つで、フラッシュをたきながら自立飛行する目くらまし用の玩具だ。


「ウィルだっけか、あのハッカーの卵ちゃんと事業提携を組みまして。こいつのプログラムをちょいといじくらせてもらったのよ」


 セルゲイは小型ドローンに電源を入れ、掌から飛翔させた。


 離陸した小型ドローンは真っ直ぐ飛んでいき。


「うわっ、ちょ、なんですかこれ!?」


 蜂よろしく顔の周りを飛び回る小型ドローンに、ペレスが驚いた声をあげた。


「自動追尾式小型ドローンだ。発信機をつけた対象めがけて障害物をよけながら自動で飛んで追尾する。設定で対象や高度、速度を変更することができる。

 名付けて『フギン』。もう一機あっからな。こっちは『ムニン』」


「なんだその変な名前」


「ああん? お前北欧神話知らねーのかよ。大神オーディンに使えるワタリガラスだよ、こいつらを世界中に飛ばしてオーディンは情報収集してんの」


 へえ、と相槌を打っていると、ペレスがドローンから逃げ回りながら「発信機なんていつ付けたんですか!?」と泡を食って尋ねた。


「最初におめーと握手した時。おめーが振り返った時、ジャンバーの後ろの裾にこいつを接着剤でくっつけたのさ」


 セルゲイが指先で摘まんだ小指の爪ほどの大きさの発信機を見て、ペレスは慌ててジャンバーを脱いで確認した。


 ということは。


「もしかして、それハウンドにも仕込んだのか?」


「おーとも。あいつ今回の潜入、変装してたからな。着替え管理してる部下に頼んでブラの前中心とこの金具に仕込ませたのよ」


「ブラの前中心?」


 聞き慣れないワードに首を捻っていると、カルロが助け舟を出してくれた。


「ブラジャーの谷間のとこにリボンとかジュエリーとかついてんだろ。あの部分、前中心っていうんだよ。んでこいつが言ってんのは、その谷間のとこの金具に発信機仕込んだってこと」


 ニコラスは思わず顎を引き、床にぶちまけられた生ごみを見るかのような目でセルゲイを見た。


 なんつーとこに仕掛けてんだ。変態じゃねえか。


「違えんだよ、あいつ、着替える時は必ず上着とかに発信機仕込まれてねーか必ずチェックすんだよ。ガードが固いの。下着だけはチェックが緩いの」


「いや、なんでそれ知ってんだよ」


「やっぱ変態だな」


「変態言うなっ、仕込んだのは俺ちゃんじゃなくて部下、部下だかんな!? あとテメーにだけは言われたくねえよっ」


 ビシィっとカルロを指差しギャンギャン吠えるセルゲイを横目に、ニコラスはそれとなくカルロから距離を取った。


 やはり、こいつらと情報を共有したのは失敗だったかもしれない。

 ニコラスは目元を覆いながら。


「んで、発信機の範囲は」


「半径5キロ。対称が範囲内に入ったら地図上に反映されるようになってる」


「ケータたちにも仕込んだのか」


「当然。あの日本人は分かんねーが、ガキどもは……うん。いるな。どこにいるかは不明だが、取りあえず5キロ以内にはいる」


「じゃあまずそっちと先に合流しよう。人質に取られたりしたら身動きが取れなくなる」


「まあそーね。んじゃ早速」


 セルゲイが小型ドローン『フギン』を投げた。『フギン』は宙でくるりと一回転すると、すぐに信号を拾ったのか、ジャックとウィルたち目がけて真っ直ぐに――壁に向かって飛んでいった。


 コン、コン、と壁に衝突を繰り返すドローンを見て、一同は閉口した。


「まあ、建物構造とか読み込ませてなかったからさ。対象まで直線距離飛ぼうとすんのよ」


「どうすんだよ、これ」


「……紐かなんかで繋いでおけばいいんじゃないか」


 それだ。


 カルロの意見が即断即決で採用され、ニコラスたちは移動を開始した。




 最初に気付いたのは、ニコラスだった。


 前を歩くカルロの肩を叩き、ジェスチャーで前方注意を促して、静かに構える。

 カルロたちも気付いた。


 前方から流れてくる、頬を微かに撫でる冷気。

 同時に漂ってくる獣臭。地上の廃病院で嫌というほど嗅いだ犬の臭いだ。周辺に漂っていた医薬品や消毒液の臭いが、あっという間に駆逐されてしまった。


 ニコラスたちはライトを消し、近くのプレハブやコンテナを掩蔽に身を潜め、銃を構えた。


 息を殺し、耳を澄ます。


 足音が聞こえてくる。反響していて聞き取りづらいが、二人、いや三人。


 砂利を踏みしめる音は鈍く、重量がある。大人、それも――。


「男です。三人並んでこっちに来ています。うち両脇二名の武器所持を確認」


 暗視スコープ越しに視認したロバーチ構成員の囁き声は、すぐさま無線で伝達された。

 全員に緊張が走る。


――私語がない。


 ニコラスは違和感に眉をひそめた。


 自分たちのライトは200メートル先まで届く。彼らはこちらの存在に気付いている可能性が高い。

 なのになぜ、堂々と足音を響かせてやってきているのか。


『背後を警戒しろ。回り込まれてるかもしれない』


 手信号で伝えると、ヴァレーリ構成員らは頷いて背後へ注意を向けた。それを確認して、ニコラスは前方に視線を戻し、今度は後方組を除く全員にジェスチャーする。


 カルロもセルゲイも、ロバーチ構成員も頷いた。


 ニコラスは三本指を立てた。


 2、1――。


 瞬間、ニコラスたちは一斉にフラッシュライトを点灯した。


 十数本からなる光線が一本の光束となり、謎の三人組が照らし出される。


 眼球を焼きかねない照度に晒されてなお、三人は怯んでも狼狽える様子はなかった。


「誰だ」


 自身のライトを逸らしつつ、ニコラスは確認に声を張り上げた。光線で漂白化(ホワイトアウト)して対象が上手く見えないためである。


 すると、真ん中の人物が進み出た。


 やはり男だ。40代、白人、茶髪茶眼。

 背が高く、首から下だけ見れば20代と遜色ないほど引き締まっている。頬が日焼けで赤らんでいるからアングロサクソン系だろうか。


 確かに見る限り、武器は持っていない。


 ニコラスは警戒心を最上限に引き上げた。


 視界が光に慣れたのだろう。男は真っ直ぐにこちらを見据えると、甲高く舌打ちした。


「やはり逃がしたか。クルアハめ、言いつけも守れないとは」


 それを聞くなり、ニコラスは発砲した。

 マフィア組もそれに続いた。


 敵味方の識別など不要。トゥアハデ関係者ならば全員敵だ。


 引金から指を離す。

 フルオート射撃が止み、空薬莢が地面で数回跳ねて、転がっていく。


 静寂。

 数秒耳を澄ませる。


 音が完全に掻き消えたのを確認すると、ロバーチ構成員が二人、前へ進み出た。その背後にニコラスも続く。


 再び点灯したフラッシュライトの先、地面に転がった遺体が浮かび上がる。


 だがその数は、二人。


「随分な挨拶だな」


 瞬間、遺体の一つが嘘のように跳ね飛んだ。走行中のトラックと衝突した人のように。


 首と手足を無秩序にぶらつかせて、人血を撒き散らす遺体が錐揉み舞いで後方の闇へ消えていく。


 あまりの超常現象に、ニコラスたちは硬直した。


 それが遺体の下に隠れていた男によって投げ飛ばされたのだと気付いた頃には、すでに男は間近に迫っていた。


 くぐもった湿った音が響く。


 先頭の構成員の一人、首の後ろから、棒のようなものが突き出している。

 男の手刀だった。


「離れろッ」


 警告を叫んで、ニコラスは躊躇なく、事切れた構成員ごと撃った。


 本能で分かる。こいつは、あのクロム・クルアハと同類だ。恐らくは、トゥアハデ“銘あり”の一人。


「ほう。いい反応だ」


 やはり躊躇なくロバーチ構成員の遺体を盾にした男が、血染めの顔でニヤリと笑う。その凄惨。威圧。


 何より。


「退け、退け! こいつの右腕、ただの腕じゃないぞ!」


 先行していたもう一人の構成員が慌てて下がる。


 先ほどまで生きていた同僚の喉を()()で貫き、かつ()()()で屍体を持ち上げ投げ飛ばす膂力を目の当たりにすれば、どんな歴戦を自負する兵士でも恐れ慄く。

 これでも、異常に出くわして硬直しないだけまだマシだ。


――なんつー腕力……! 漫画じゃねえんだぞ!?


 男が骸を投げ捨て、突進する。向かう先は、こちら。


「っ」


 ニコラスは上半身を大きく右に逸らした。その頭部があった箇所を、拳が貫通する。


 男の腕から飛散した返り血が、ビッ、と。ニコラスの目元に付着する。


「ぐっ……!」


 血で目を塞がれるも、拭う暇はない。男の拳が眼前に迫っていた。


 だが。


――あのガキより遅え!


 ニコラスは太腿の副装備(サブウェポン)、M9A1自動拳銃を抜きざまに発砲した。


 狙いを定めず、ただ引金を絞って弾をばらまくだけの制圧射撃もどき。それでも有効打にはなった。


 男がのけ反った。

 瞬間、ニコラスは男の襟首を引っ掴み、自分から倒れ込んだ。


 引き込み式膝十字固め。

 自身が倒れる反動を利用して相手を引き倒し、前のめりになった相手の膝を絡めとって極める。


 銃口を男の顔に向ける。が、男が銃身を取って逸らす方が早かった。


 男の掌の中でメキ、と鳴るM9を見て、ニコラスは驚愕した。

 膂力だけでなく、握力も桁外れか。


「構うな、撃て!」


 ニコラスが叫ぶと、傍らにいたロバーチ構成員の目がハッと見開かれる。

 揉み合いゆえ撃つのを躊躇っていた彼は、瞬時に銃を上げた。


 撃発。

 一つの単発音と共に、金属が激しくぶつかる鈍い音が鳴る。


 その場にいた誰もが唖然とした。


 男が掌で弾を止めたのだ。


 解放された拳銃を向けることも忘れて、ニコラスは呆然とした。直後、はたと気付く。


――こいつ、義手か!


 ニコラスはすぐに男から離れた。常人離れした膂力を発揮する義手だ。掴まれたらただでは済まない。


 ついで男は、自分を撃ったロバーチ構成員へ向かった。


「気を付けろ! そいつの右手は――」


 瞬間、男の右手が青い光を放った。

 バチリと音が鳴る。


 向けられる銃身をいなし、男はそのまま構成員の顔を鷲掴んだ。


 絶叫が上がった。


 バチバチと嫌な音を立て、肉の焦げる臭いが充満する。


「スタン機能付きの筋電義手だ。なかなか便利だろう?」


 崩れ落ちる構成員の首を掴み、振り向いた男が嗤った。

 そこに。


「伏せろ!」


 セルゲイの怒声は、直後のフルオート射撃に掻き消された。


 無数の射線が一点に集約され、構成員ごと男を穿つ。

 すでに電気ショックでやられていたか、はたまた一斉掃射が決め手となったか。


 いずれにせよ、構成員は絶命した。


 静寂が戻った。


「……味方ごと撃つのはロバーチ一家だったか。いい。実にいい。チェチェン帰りの殺戮者らしい振る舞いだ」


 息絶えた構成員がずるりと倒れ、男が現れた。

 流石に数発食らったのか、顔は歪み、声はくぐもっている。


 ニコラスはその額に銃口を定めた。


「撃つなよ、番犬。最後に聞き出す」


 背後からカルロが銃を構えたまま歩み寄った。


 その真横で、セルゲイが部下に手信号を送っている。死亡した構成員の認識票を回収していると察して、ニコラスはそれとなく目を逸らした。


 男に目を戻す。


 そこでふと、気付いた。男の口に何かが咥えられている。


 それは――


――笛!


 男が思い切り、笛を吹いた。


 音はない。吹いた息の音が聞こえるだけだ。人間の耳には。


「野犬です、野犬が来てる! 数十頭はいるぞ!」


 悲鳴に近い叫声が上がった。背後を守っていたヴァレーリ構成員である。


 ニコラスはすぐさま前方にライトを向けた。


 通路奥、小さな影が数個、こちらに近づいてくる。その数は見る見るうちに増えていく。


 男が嗤った。


「近年、うちの研究班がつくった新種の大型警備犬だ。ピットブルの膂力、ジャーマンシェパードの知性、ロットワイラーの耐久性を兼ね備えている。上でうろつく出来損ないとは訳が違うぞ」


 男の顔めがけてカルロが蹴りを放つ。

 けれど男が手元の閃光弾を転がす方が早かった。ピンはすでに抜かれていた。


 閃光が奔る。


 たった一秒。されど一秒。

 走り出した男に銃口を向ける頃には、犬の群れが間近に迫っていた。


「ペレス、犬避け!」


 ペレスが犬避けを前方に投擲する。白煙が上がるとともに、群れの中央に穴が空くが、群れの勢いは止まらない。


「もう一発!」


「今ので最後ですよ!」


 ペレスの悲鳴に舌打ちして、ニコラスたちは迎撃を開始した。


――こいつら、銃を恐れないのか……!


 ニコラスたちはたちまち苦戦を強いられた。


 一本道の通路で挟み撃ち、そのうえ数十頭の犬に囲まれている。さらにこの犬たち、いっぺんに襲ってこない。

 あくまで囲んで吠えたてては、群れの中から急に数頭が襲いかかってくる。


 銃というものを理解しているのか、銃口を向けた途端に避けてしまうので弾が当たらない。


 一方、まんまと逃げおおせた男は数頭の犬に守られながら、高みの見物をしていた。

 男がこちらを指差す。


「そういえば、ソレは指定の奴だったか」


 何がと答える前に、悲鳴が上がった。ペレスだ。両脚に犬が数頭噛みついている。


「ペレスッ」


 咄嗟に手を掴もうとするも、犬に噛みつかれそうになって思わず引っ込める。

 そうこうしているうちに、ペレスの姿は犬の群れに取り込まれて見えなくなってしまった。


「ではな、諸君。しばらく遊んでもらえ」


 男が踵を返した。「待て」と叫ぶも、待つはずもなく。


 犬にペレスを引きずらせながら、男は通路奥へと消えていった。


「退け、退け! さっきのプレハブ通りまで戻るんだ!」


「行くぞ番犬! 奴は諦めろ!」


 カルロとその部下に促され、ニコラスは歯噛みしながら踵を返した――かったのだが。


「おい、こいつら! 後ろ行かせてくんねーぞ!?」


 通路後方へ下がろうとして阻まれたセルゲイが怒鳴る。そこに至り気付く。


 前方と後方を比べると、後方の方が犬の頭数が多いのだ。


 ニコラスは怒鳴った。


「前だ! さっきの男の後を追え!」


「そっちで合ってんの!?」


「なら犬っころの相手すんのか!?」


 セルゲイに怒鳴り返して、ニコラスは前方、犬の包囲網で手薄なところを狙って撃ちながら突っ込む。カルロたちも続いた。


 すると驚くべきことに、犬は包囲をあっさり解いた。


 代わりに全頭がいっせいに自分たちの後方へ回り込み、追い立て始めた。 


「完全に羊扱いだな」


「誘導してやがるな、くそっ」


 カルロと舌打ちしながら先を急ぐ。


 反響も加わって、耳が割れそうなほどの音量で吠えたてられながら、ニコラスたちは逃げ続けた。


 真っ直ぐ抜け、分岐を左へ曲がり。また走って、十字路を右に曲がり、またも分岐で右へ曲がって。


 走って、走って、走り抜け。


 ニコラスたちは前方に灯りを見た。

 希望の出口というには、やけに薄暗く、心許ない暖色灯である。


 それでも行くしかないので、ニコラスたちはそのまま灯りめがけて突っ込んだ。


「なんだここ……」


 息を切らし、痛む左脚の切断痕を撫でながら、ニコラスはその光景に目を瞬かせた。


 一見、これまで通ってきたプレハブ通りに似ているが、通りに設置してあるのはプレハブではなく海上コンテナだ。

 そのうえ通りの幅は、これまで通ってきた通路の四倍はある。


「犬が遠ざかっていくな」


「ってことはここがゴールかね」


 カルロは汗ばんだネクタイを緩め、セルゲイは両膝に手を置き息絶え絶えに呟く。逃走劇から解放されて、ニコラスたちはようやく一息ついた。


 呼吸が整い、汗もひいて、全身と頭が冷えた頃。


 ニコラスたちはようやく自分たちが今いる場所に気付いた。


 通路は高さ30メートル、幅100メートル。一面コンクリートで覆われた床に、色とりどりの海上コンテナが無数に設置されている。


 コンテナ自体は見るからに中古品で、錆びついて錠や扉が開くかどうかも不明だ。あたかも美術館前の公園に展示されているミニマルアートのオブジェのように、ある種の法則性をもって通路に佇んでいる。


 そのコンテナを、床を覆う、夥しい血痕と弾痕。


 加えて通路両脇の壁、高さ20メートルほどのところに、張り出し足場(キャットウォーク)があった。

 通路に沿って真っ直ぐ伸びており、人の胸の高さほどの金属板で覆われている。その所々に空いた小さな窓は、銃眼か。


「加工場、兼、バトロワ会場ってとこか? 見張り台までこしらえるとは、ご丁寧なことで」


「どっちかっつーとデスゲーム会場だろ。剣闘士同士の殺し合いは古代ローマからの娯楽だからな」


 肩をすくめたセルゲイに、カルロが呟いた。


 どちらにせよ、碌でもないことに変わりない。


「ナズドラチェンコ、発信機は」


「けーんざーい。ペレスの発信機もまだ動いてるぜ、生きてるかどうかは分からんが。――あん?」


 黙り込んだセルゲイに、衆目が集中する。


 セルゲイはしばらく口元に手を当て、端末画面を覗き込んだ後。


「ヘルハウンドが来てる。恐らくこのフロアにいるぞ」


「本当か!?」


「ああ。それに、あいつだけじゃねえ。ガキどもも、日本人も、ペレスもここにいるな」


 全員集合ってことか。


 そう思った矢先、ブザーが鳴った。


 法外な音量に思わず耳を塞ぐも、直後、どこかのスピーカーから垂れ流される声音に渋々耳から手を離す。

 というか、音割れしてる上くぐもった早口でまくし立てられて、なにを言っているのかさっぱり分からない。


「おい、誰かスペイン語分かる奴いるか」


「俺ちゃん、東欧系以外は専門外」


「一応分かるが訛りと音割れが酷くて上手く聞こえん」


 片耳を塞いで盛大に顔をしかめるカルロに、「分かる範囲でいいから」と通訳を頼む。


 カルロは高くつくぞとばかりに恨めしげにこちらを睨むと、手を離してじっとアナウンスに耳を傾ける。


「ルール、簡単。生き残れ、以上。アイテム、落ちてる。各フロアを探せ」


「フロア? 別の部屋があるのか」


「ちょっと黙ってろ。……廊下、ハンターがいる。ブロック、移動禁止、乗ってもいいが、危ない。各フロア、迷路、罠がある。敵、殺せ。他のチーム、殺せ。ルール違反、殺す。逃げても、殺す」


 ここから先はニコラスでも分かった。カウントダウンが始まった。


 セルゲイが腰に手を当て、わざとらしい溜息をついた。


「テンプレ過ぎて面白みも欠片もねーな。強制参加のデスゲームとか、素人の三文小説で間に合ってるっつーの。……Wi-Fiは飛んでるな。クラックすれば普通にネット使えるぜ、これ。電波妨害(ジャミング)もねえっぽいからドローンもいけるな」


「通常は持ち物ぜんぶ取り上げての強制参加なんだろ。……コンテナは動かんな。中に石かコンクリートが入ってる。特にトラップが仕掛けられてるわけじゃなさそうだが、これでバリケードは現実的じゃないな」


 早速ルール違反できるか確認し始めたな、こいつら。


 その堂々たる潔さには呆れを通り越して感心ものだが、ニコラスもまた同類である。


「上の張り出し足場(キャットウォーク)に選手のご登場だ。シバルバ構成員、見える範囲でざっと20人。見張り役だな」


「兼、盛り上げ役だな。脱落者が減ってきたら絶対追い立てに回るぞ」


 スコープ越しに周囲を観測するニコラスに、カルロが口元を歪めて笑った。

 さらにニコラスはコンテナ上に乗り、通路奥の壁沿いにフロアらしき入り口がないか確認する。


 一つ、二つ……。


「五つはフロアがあるな。木の枝と一緒だ。この通路を幹に、左右非対称に枝が分岐してる。フロアは枝の先だ」


「木の枝っつーか、蟻の巣だろ。番犬、弾は」


「SR-25が48発、M9A1が31発。そっちは」


「部下も含めて十分も撃ち合いしたら()()()()だ」


 つまり、弾もそう多く残っていないということだ。

 それでも銃や電子機器類を持ち込めただけ、自分たちはまだ恵まれている方だろう。


「ナズドラチェンコ、一番近い位置にいるのは」


「ガキどもだ。ちなみにヘルハウンドは一番遠い。位置的にたぶん、あのフロアじゃねえか?」


 通路奥、壁に空いた入口らしき洞を指差すセルゲイに、ニコラスは歯噛みする。

 当然ではあるが、やはりそう上手くはいかせてもらえないか。


――ハウンド。


 ブザーが轟いた。


 地底迷宮における殺戮死合(デスゲーム)、開始である。




 ***




 海上コンテナと鉄条網からなる迷路を前にして、ハウンドは背後を振り返った。


 入り口は二重のフェンスに加え、三個小隊程度のシバルバ構成員が塞いでいる。ご丁寧なことだ。


 誘導されているのは分かっていた。クルアハの寄こしたメールに記された位置情報に、都合よく目の前に現れる地下廊への入り口、追い立てる割には襲ってこない野犬。


 シバルバ当主は随分とまどろっこしいことをするものだ。

 それとも、こちらの自殺願望の理由を知りたがる『トゥアハデ』が躍らせた結果だろうか。


 だが今は、そんな事どうでもいい。


――まずはニコラスの安否確認。それから、ペレスと合流しないと……。


 ここで見せられた遺体は三つ。ラルフ、トゥーレ、ベルの三人だ。


 まだロムとレムの二人が残っている。そして彼らは双子だった。


 急がなければ。


 ニコラスも、ペレスも、ジャックもウィルもケータも。皆この迷路のどこかで、人質に取られているかもしれない。


 ちゃんとしろ。守らなければ。


 今度こそ間違えるな。

 あの五人と同じ轍を、彼らに踏ませたくないのなら。


 ハウンドは最悪の事態を脳内で描きつつ、迷路の中へと駆け出した。


 自分がすでに過ちを犯し続けていることに、気付けないまま。




 ***




「驚くほどあっさりかかったな。あの兵士が決め手となったか」


 アーサー・フォレスターは自身のデスクで頬杖を突きながら、極秘通信により画面共有された監視カメラ映像を眺めていた。


 その様子を意外そうにまじまじと見つめるのは、右腕であり最初の部下でもあるオヴェドである。


「なんだ」


「いえ。長官は、そういった催しは嫌悪されるものと思ってましたので」


「嫌いだ。唾棄すべき行為だ。だがこれもまた、国民が望んだ結果なのだ、オヴェド。シバルバの上級市民の大半はアメリカ人だからな」


 金持ちへの憎悪。


 上手く考えたものだと思う。


 負の感情を同じくし、共に罪を犯させ、得られる刹那の快楽を貪り合うことで、同胞意識を刷り込ませる。

 この度し難い享楽もまた、潤滑に統治する手法の一環なのだろう。


 フォレスターは監視カメラ映像の一つ――殺戮をリアルタイムで観賞し盛り上がる人々――の光景を拡大して、目を眇めた。


「これもまた、この国が生み出してしまった澱みの一つだ。たったの5年で人はここまで堕ちることができる」


 そう言って、フォレスターは画面を閉じ、少女に焦点を当てた映像に戻した。


 人々は、殺戮とゲームの見分けがつかなくなったのではない。

 理解はしているが、娯楽消費という己の快楽のために、あえて無視して興じている。


 その厚顔と愚蒙。なけなしの矜持を守るため自ら盲目に徹する惰弱ぶり。


 見事だ、シバルバ一家。そして彼らもまた、その弱さゆえに滅ぶ。


 少女への復讐に拘泥したがゆえ、『トゥアハデ』が憑りつく余地を与えてしまった。もはやシバルバには、彼ら『双頭の雄鹿』に喰い尽くされる未来しか残っていない。


「にしても、こうもあっさり罠にかかると拍子抜けだな。こんなことならもっと早く自陣に引き入れるべきだったか」


「申し訳ありません」


「気にするな。ニコラス・ウェッブと彼女の接点は今のところ確認できていない。これが弱みになるとは、誰も思うまいよ」


「……やはり、長官は彼らも救うおつもりで」


「無論だとも。彼は我が国に尽してくれた誇り高き海兵隊員で、アメリカ人だ。だが、分からぬな。どうしてあの娘は我らをそこまで拒むのか。願いならば、言われずとも叶えてやるというのに」


「あの五人が原因でしょうか」


「例の兵士か」


 フォレスターの鷹揚たる口調にごく僅かな不協和音が混ざった。隠し切れぬ侮蔑と憤りを乗せて、フォレスターは忌々しげに吐き捨てた。


「愚かな真似をしてくれたものだ。分別のつかぬ幼子に不要な情報を与えて、無用の混乱を招いた。ラルフ・コールマンといったか。気の毒なことだ。奴さえいなければ、彼女は我らの庇護のもと、正しき道へ往けただろうに。他の四人も同罪だ。愚かな大人に誑かされた結果がこれとは、この娘も報われぬ」


「………………なら、どうして長官は彼女を彼らに預けたのですか。大人の隊員と同等の訓練までさせて」


 すかさずオヴェドが「余計な口を挟むな」とばかりに睨んでくる。


 けれど、クルテクはどうしても衝動が抑えられなかった。

 壁の一部に徹することを忘れてしまうほどに。


 一方、フォレスターは事もなげに。


「決まっているだろう。あの娘を守るためだ。あの娘が『失われたリスト』の鍵であることは、すでに他国の諜報機関にも知れ渡っていた。特にロシア・中国・イギリスの三か国は手に入れようと血眼で探し回っていた。解放すれば彼女は捕えられ、惨い扱いをされることは明白だ。

 であれば、そうならぬよう工面してやるのが我々の役目だろう。訓練もその一環だ。いたいけな少女の幸せを願うことが、そんなにおかしなことかね?」


「であれば、ラルフ・コールマンに任せたのは何故ですか。奴が危険人物であることは、以前からご存じだったのでしょう」


「彼女が唯一反応したのが奴だったからだ。保護した直後、彼女が食事も拒むほど酷く衰弱しまったことは、君が一番よく知っているだろう? 彼女を思えばこその選択だ。裏目に出たことは否定しないがね。無論、私も深く後悔している。他の人間に任せるべきだった」


「ですが、」


「クルテク、弁えなさい」


 先手を打って封殺され、クルテクは口を閉ざして壁の一部に戻った。


 どうせもう、何も変わらないのは骨身に染みて知っている。


「そう言ってやるな、オヴェド。彼のような人間もまた、この国には必要なのだ。彼も、ラルフ・コールマンも、棄民も、五大マフィアのような塵芥も。すべてを包括してこそ、我が祖国アメリカなのだ」


 それを聞くなり、オヴェドは恥じ入ったように目礼した。それをクルテクは、自分で驚くほど無感動な胸懐で見ていた。


「だがこれらの人間を束ね国家を運営するには、ある程度の結束が必要になる。個々人のアイデンティティや歴史観、民族感情以上に強固な繋がりだ。国内の分断が加速する今だからこそ、迅速に手を打たねばならない」


 フォレスターの目線が上がった。

 その先にあるのは、黄金で象られた双頭の雄鹿。


「特区は二重の意味で役に立った。一つは痩せ衰えた国内企業への特効薬。もう一つは我らにとっての『敵』の創造と培養。たったの五年で、ここまで成し遂げられれば十分だろう。――特区を潰す。限りなき呵責をもって、徹底的にすり潰す」


「では、ニコラス・ウェッブの処遇は、どうなさいます?」


「放っておけばよい。彼も立派な大人だ。いずれ娘の幼稚な詭弁に気付く。心配するな、オヴェド。彼ならば、必ず私の意志に賛同してくれる。彼の過去ならば、なおさらな」


 さて、と。フォレスター椅子から身を乗り出し、組んだ両手に顎を乗せた。


「さあ、クロム・クルアハ。私のために英雄(ヒーロー)になっておくれ」

次の投稿日は5月31日です。

(試験期間のため、またも一週間お休みを頂きます。申し訳ありません)


エピローグも含め、8節は残り2話となります。

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