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代行屋『ブラックドッグ』~偽善者は一人だけの英雄になりたい~  作者: 志摩ジュンヤ
第8節 其は我が命なればこそ、其は我と同じ人なり
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8-11

お待たせしました!

 医師アンドレイの言葉が耳奥で反響している。


 今、なんと――?


『聞いているのかね、軍曹!? いいか、『失われたリスト』はヘルハウンドが持っている、彼女の体内に埋め込まれた生体マイクロチップがそれだ。彼女こそが、リストそのものなんだ!』


 繰り返された言葉を脳内で反芻して、ようやく事態を理解する。

 ニコラスは顔面から一気に血の気が引いていくのを知覚した。


 こちらの状態を察したのか、アンドレイ医師はいったん一息つくと、声をやや低めて再びまくし立てた。


『多少は飲み込めたかね。いいか、軍曹。今すぐハウンドと合流するんだ。決して彼女を奪われてはならない。一人にしてもならない』


「一人にしても、ですか……?」


『ああ。ここから先はあくまで私の推測なんだが、そのマイクロチップはハウンドの脈拍と連動して送信される構造になっている。そうでなければ先日のクリスマスの自殺行為への説明がつかない。

 もしこれが事実なら、本当に()()()()()()()()()()()()()()()()()()のなら、彼女にとって自殺も他殺も関係ない。その身がどうなろうと、死にさえすれば、彼女の目的は達成される!』


 ニコラスは愕然と立ち尽くした。だが一方で、点と点が線で繋がったような得心があった。


 我が身を差し出すのが前提の、捨て身の戦闘スタイル。

 犯罪都市『特区』をして劣悪と言わしめる三等区の一角に過ぎなかった27番地を、五大マフィアに一目置かれるほどに成長させた才腕と怜悧を備えながら、あっさりそれらを捨てて自分のような新参者に譲ろうとする執着のなさ。


 あれは、無欲だったのではない。

 すべてを諦めただけ。


 何もかもを手放し、捨て去った空っぽの人間が行きついてしまった末の成れ果て。


 ならハウンドは、ずっと死ぬための準備をしていたというのか。

 俺のことは、必死に救おうとしておきながら――?


 そんなの。


――ふざけるな……!


 歯と目元にぐっと力を込めて、ニコラスは激情を飲みこんだ。

 今はまだ、アンドレイの仮説に過ぎない。直接会って確かめねば。


「事情は分かった。すぐにハウンドと連絡を取る」


『ああ、そうしてくれ。頼むぞ軍曹、君が一番の――』


 と、そこでニコラスは、アンドレイの懇願に等しい哀訴を耳から離す羽目になった。

 カルロがスマートフォンを奪おうと手を伸ばしたからだ。


「この期に及んで隠し事か、番犬。ヘルに何があった?」


「何やら穏やかじゃないですねー」


 洗いざらい吐けと言わんばかりに詰め寄るカルロとセルゲイに、ニコラスはどうすべきか逡巡した。


 こいつら五大マフィアが欲するのは『失われたリスト』のみ。ハウンドの生死は二の次だ。


 そして現在、ハウンドの周囲を守っているのはヴァレーリ・ロバーチ両家の人間。すなわち今、一番リストに近いのは、こいつらだ。

 そのうえで、ハウンドを真っ先に止められるのも、こいつらだ。


――リストの在り処さえ喋らなければ、まだ。


 生唾を飲み、冷や汗をその背に感じながら、意を決して口を開く。


 ケータたちがいない今、頼れるのは自分だけだ。選ぶしかない。より最善であろう可能性に、賭けるしか。


「……ハウンドの主治医からだ。彼女が自殺する可能性が高まった。今すぐ合流しないと危険」


 刹那。視界に影がよぎった。


 右手に衝撃が奔り、眼前に糸くずのようなものが数本、宙を舞う。


 それが自分の髪だと気付いた直後、頬を伝ったぬるりとした触感に、総身が総毛だつ。


 銃声なら判る。弾丸が耳元を掠めるのは、幾度も経験している。

 だがこの音は、弾丸以上に重量のあるものが高速で過ぎ去っていくような風圧は。


 ニコラスは振り返り、戦慄した。


 真っ二つになったスマートフォンの合間に、肉切り包丁にも空見する大鉈が突き立っている。

 その得物の持ち主を、ニコラスは知っていた。


「ありゃ、ミスっちゃった? 耳、切り飛ばしたつもりだったんだけど」


「クロム・クルアハ……!」


 答え合わせとなる返答はニコラスの右前方、除雪で積み溜まった雪山の頂上から現れた。


「やあ。また会ったね、お兄さん」


 これといって特徴のない、どこにでもいそうなラテンアメリカ系の少年は、無邪気すぎる笑みを湛えてもう一本の得物を構えた。


 表情と行動がまるで一致しない不気味さは相変わらずだが、今回は少し違った。


 突如鳴り響く、遠吠え。

 一つ、また一つと増えるそれは四方八方から鳴り響き、囲まれていることを嫌でも思い知らされた。


「……チッ、シバルバの連中が近づかない理由はこれか」


「ガキの()()()だったっつーオチね。犬っころもこないだより多いぞ」


 事態を悟ったカルロとセルゲイがすぐさま部下たちを展開させる。


 一方、震える両膝を折らぬよう何とか堪え、茫然自失にクルアハを見上げる男が一人。ペレスだ。


「えーっと、自警団の……誰だっけ。まあいいや。取りあえずご苦労さま」


「わ、私は」


「ふふ。てっきり、お使いもできない駄目な子犬かと思ってたけど、最後の最後でいい仕事したから許したげる。おいらってば超ラッキー――」


 瞬間。クルアハが雪山の稜線に引っ込んだ。

 ニコラスたちが集中砲火を食らわせたからだ。


 抉れた雪が粉と舞い、霧をまとったように頂が霞むが、仕留めたなどとは夢にも思わない。


「立てペレス、逃げるぞ!」


「っ、すみません」


「ここに来なけりゃシバルバに追われてる。両方を相手するよかまだマシだ」


「それでも反省したけりゃ、あとでどぎつい灸を据えてやんよ」


 忌々しげに悪態をついたセルゲイは返す刀で部下に叫ぶ。ロシア語ゆえ詳細は不明だが、撤退を指示しているのは明白だった。


 クルアハだけならまだしも、数十頭はくだらぬ野犬の群れ相手に、だだっ広い駐車場ではすぐに囲まれてしまう。

 何より『トゥアハデ』からの刺客が、この少年だけのはずがない。


 ニコラスたちは近くの建物めがけて一目散に駆け出した。


 それを追い立てるように野犬の吼え声が轟き、それに紛れて、管状の線が雪上を無数に穿つ。

 やはり伏兵を忍ばせていた。


狙撃(スナイパー)! ガキの左右斜め後方!」


「くそっ」


 真横のカルロが足を速めた。

 対して走れないニコラスは殿を務め、雪に義足を取られそうになりながらも、後方へ撃ち続けた。


 雪に残った弾痕から伏兵の位置はすぐに知れたが、なにせ数が多い。

 そこに、野犬の群れが殺到してくる。


 四つ脚の獣は足が速い。200メートル近くの間合いを、ものの数秒で詰めてきた。


「ウェッブさん、口と鼻塞いで!」


 ペレスが投手(ピッチャー)よろしく何かを握り、片足を上げた。


 それを見てニコラスは踵を返して全力疾走。は、できないが義足を引きずりながら走った。


 ペレスが何かを投擲した。それは野犬の群れの頭上で弾けて、ドライアイスが砕けたような白煙を噴き上げる破片を周囲に振りまく。


 野犬からキャンと悲鳴が上がった。と同時に、目に染みるほどの刺激臭があたりに満ちる。


「今回はちゃんと持ってきたんだな」


「ええ。効くでしょう、犬避け」


 引きつった笑みを浮かべながらも、ペレスは銃を構えて半円状に白煙の向こうを薙ぎ払った。

 マフィア組もそれに続いて撃ちまくる。


 その掩護射撃を横目に、ニコラスはようやく建物入り口に漕ぎつけた。


 以前侵入した中央エントランスではなく、研究棟と思しき10階建てが二棟連なった建物だ。数本の連絡通路で繋がっている。

 入口横にICカードを通す機械があるので、裏口と見た。


 ニコラスはマフィア組を振り返った。


「二人とも、部下連れて奥の連絡通路へ行けるか」


「通路?」


「ああ、犬っころの侵入経路を絞ろうってわけね。その方が数頭ずつで済むもんな」


 我が意を得たりとばかりに頷くセルゲイの真横を、部下ことロバーチ構成員が最小限の足音で小走りに奥へ消えていく。

 元軍人で構成されているだけあって、判断が早い。


 それを見て理解したカルロも、背後を親指で指す。


「お前も先行しろ。その足じゃ残られても足手まといだ」


 言われずとも。

 悔しさを弾倉を叩き込んで紛らわせ、一歩を踏み出した。


 瞬間。


「へえ、意外だな。連中、お兄さんの言うこと聞くんだ」


 突如脇から聞こえた声に、ニコラスは反射で身を捩った。

 そこを、例の主張の強い大鉈が貫通する。


 避けるのを見て、クルアハは悔しがるどころか心底嬉しそうに微笑んだ。


 そのあまりのあどけなさに、頬をひりつかせる風圧に、ぞっとする。


 クルアハの後頭部めがけて、セルゲイが銃床を振り下ろす。難なく避けられた。


 そこにロバーチ構成員の砲火が集中するが、これもまた避けられる。


「んのガキっ、さっきまで雪山の後ろに……!」


 カルロが発砲しながら呻く一方、ニコラスはすでに察しがついていた。


 雪上に島のごとく散らばる、瓦礫の頂。そこに付着した濡れた足跡。


「瓦礫の上を跳べばあっという間だよ。おいら、南国生まれだからスノーシュートか苦手なんだよね」


 幅、普通に2メートル以上あるがな。


 そう胸中で呟きながら、問答無用で7.62×51mm弾をフルオートで少年に叩き込む。無論、嘘のように当たらない。


 ニコラスも驚かない。この少年の獣じみた身体能力は、すでに経験済みだ。余裕綽々にペラペラ話せる所以でもある。


「接近戦は避けろ! そいつは人語を話すジャガーだ、人間だと思わない方がいい!」


「言われんでもそうするわっ」


 セルゲイをはじめ、マフィア組が数名からなる複数チームに分かれた。

 各々が発砲しては通路奥に近いチームから踵を返して奥へ後退する遅滞戦術である。


 ニコラスもその波に乗ろうとするも。


「っ!」


 斬撃に阻まれ、乗らせてもらえない。

 どうやらこの少年は、自分を標的に絞ったらしい。


 掠るだけで致命傷になり得る剣戟が、絶え間なく繰り出される。


 一撃、二撃、三撃。


 その度に身を捩り、転がり、SR-25の銃床で払って何とか避ける。


「お、いいねぇお兄さん。義足なのに良い身のこなし」


 鉈の刃先が銃床に食い込み、引き寄せられる。

 クルアハの手刀が、眼前に迫った。


 少年の爪先が視界いっぱいに広がる。

 それを、ギリギリ触れる寸前で避け、上半身を前へ大きく倒す。


「!?」


 クルアハが後方へ吹っ飛んだ。額にニコラスの踵――義足が直撃したからだ。


 胴回し回転蹴り。

 柔道の受身に蹴りを付随させたような技で、前転の要領で蹴りを放つ。全体重を蹴りの一点に集約できる。が――。


――防がれた……!


 直撃の瞬間、クルアハは両腕をクロスして阻んでいた。

 もう立て直して、こちらへ突貫してくる。


 一方、ニコラスは出遅れた。大技を放った直後。しかもこちらは義足で、立ち上がりに時間がかかる。


 まずい。


 咄嗟に腰の拳銃に手をかけるも、クルアハはすでに大鉈を振り上げていた。


 刃が振り下ろされる。


 ニコラスは左脚を持ち、義足で刃を受けとめた。靴底の一部が切れ飛ぶ。


 同時に右脚で蹴り飛ばそうとするが、逆に抱え込まれた。


「……っ!?」


 拳銃が蹴り飛ばされ、遠く、床を転がっていく。

 残る武器はSR-25。だが負い紐(スリング)が防弾着ポーチの弾倉に引っかかって、上手く構えられない。


――このガキ、なんつー体幹……!


 腰から捻じって必死に藻掻く。

 だが少年の小脇に抱えられた右脚は外れず、樹の幹に縛りつけられたかのようにビクともしない。


「お兄さんの攻撃、独特で強力だけどスキ多いよね。義足のせいかな? これ、重心移動で動くタイプでしょ」


 カン、と切っ先で左脚を突かれる。その刃が、ぬらりと右脚へ向いた。


「両脚とも義足になっても、あんな蹴りできるかな?」


 ヤバイ……!


 右脚に刃が突き立つ寸毫、ニコラスは義足を外し、その切っ先を“蹴り”飛ばした。


 接合端子への操作一つで利着脱が可能な、骨直結型義足ゆえできる芸当だった。


「このっ」


 苛立った少年が再度刃を振り下ろそうとするが、その顔面めがけて義足をぶん投げる。


 クルアハは大きくのけ反る形になり、瞬間、ニコラスは渾身の力で右足を引き抜いた。


 弾みで靴がすっぽ抜ける。貧乏くさく現役時代のものを履きつぶした結果、ついに靴紐が切れたのだ。

 お陰で右足が外れた。


 やっと自由の身になったニコラスは立膝にSR-25を構える。


 獲物に逃げられて怒り心頭なクルアハもまた、再び突貫の姿勢を取る。


 瞬間、その頭上に。


「ウェッブさん!」


 ペレスの叫び声に、ニコラスは本能的に口と鼻を覆って横へ転がった。

 投擲された犬避けが炸裂したのは、その直後だ。


 白煙が降り注ぎ、靄がクルアハを包む。


 直撃ではなかったが、ニコラスもただでは済まなかった。


 粘膜という粘膜を刺激され、生理的な涙が目尻から溢れ出す。それでもニコラスは靄の中で呻く小さな人影を睨み、銃を構え続けた。


 瞬間、数本の手に襟首を掴まれた。驚いて身を捩るが。


「すみません、私です! 大丈夫ですか!?」


「先行しろっつったろ、このバカ犬! とっとと引っ込め!」


 カルロに怒鳴られて前――恐らく通路奥だが――へ、放り出された。ついでに「足!」と義足を腹めがけて投げつけられる。

 自身の義足(あし)で蹴りを食らって、変な声が出そうになったものの、渾身のプライドで咳き込んで何とか誤魔化した。


 このどら猫野郎、あとで覚えておけよ。


「その馬鹿引きずってけ! そっちの方が早い」


「へーへー」


 呆れ切った様子のセルゲイとその部下に捕まれ、ニコラスは文字通り引きずられながら撤退した。それでも眼と銃口だけは、決して逸らさなかった。


 犬避けによる靄が晴れていく。

 そこにはもう、少年の姿はなかった。




 数分後。




「で、これからどーすんのよ。いつまでもこの地下に引きこもってらんねーぞ」


 口火を切ったのはセルゲイで、スーツにこびりついた埃を払いながら言った。


 元は薬品などの資材等を管理していたのだろう。地下室は天井と壁の大部分が剥げ、錆びて崩れた金属ラックが対戦車障害物のごとく床を埋め尽くしている。

 お陰でバリケードの材料には事欠かないが、セルゲイの言う通り、ジリ貧なのは明白だ。


――当分、靴は取りに行けそうもないな。


 ニコラスは靴代わりに右足に巻き付けた布を撫でながら、前髪をかき上げた。


 水も食料も持っていない現状、自分たちに籠城戦の選択肢はない。今だって付属品のフラッシュライトでお互いの姿を視認しているぐらいだ。いずれは電池切れで動くことすらままならなくなる。


 『トゥアハデ』もそのことを重々承知しているようで、現時点、襲撃の気配はまるでない。出てくるのを待ち構えているのだろう。


 どうすべきか。


 額に手を当て、何となく周囲に目を巡らせていたニコラスは、ふと、ペレスが立ち上がって壁沿いに耳をつけているのに気付いた。


「ペレス?」


「……以前から気になっていたんですが」


 指でコンコン、と壁を叩きながら、ペレスは独白するような声音で呟いた。


「シバルバの主要産業は麻薬取引ですが、その売り上げは年々下がっているんです。2年くらい前かな、そのくらいから領内で密売人を見かける回数が減ったんです。シバルバじゃ麻薬取引は“合法”なんで、密売人っていうのもおかしな話なんですけど」


 それを聞いたカルロとセルゲイも、顔を見合わせた。


「2年くらい前となると、ちょうど連邦捜査局(FBI)麻薬取締局(DEA)と組んで麻薬狩りをやった頃だな。コロンビアでコカ畑が押収されたやつ」


「俺ちゃんもその辺、気になってたのよね。収入減った割には羽振りが悪くなった感じもしなかったし。んで、それが?」


「おふた方も不思議に思いませんでしたか。なぜシバルバが他一家の侵入を極端に拒むのか。他一家は便宜上、搬入や輸送のためなら通行を許可するのに、シバルバはそれすら嫌がる。

 そのくせアメリカにやってくるセントローレンス運河からやってくる不法移民は、せっせと領内に入国させる。わざわざ構成員を運転手に寄こしてまでです」


「……秘密のルートがあるって言いたいのか」


 ニコラスがそう尋ねると、ペレスは壁に手をつき、もたれながら大きく頷いた。


「はい。収入は減って、人口は増えているはずなのに、シバルバが金に困っている様子はない。となれば、別の商売をやっていると考えるのが妥当だと思うんです。

 でも私が見た限り、そんな感じは微塵もなかった。道路はいつも通り、シバルバには内陸だし、空港はありません。陸路でも海路でも空路でもないとなると、」


「残るは地下、か」


「はい。だからこうして、抜け道でもないかと思いまして」


 ニコラスは額から口元へと掌でなで、顎を覆った。


「……ペレス、シバルバって割と、特区外とのやりとりも多いよな?」


「国とですか。ええ、まあ。不法移民を密売人に仕立てて、国内の麻薬取引市場を圧倒しているとか」


「単純な労働力としては? 前に特区外のでシバルバが棄民だか移民だかを、バスで移動させてんの見たんだが」


 それは、以前のクリスマスの際の出来事(7節5話)だった。バートン教官と共に見たあの光景を、ニコラスはよく覚えている。


「もちろんあります。けど所詮は特区外ですから、特区のように好き勝手無法は働けないと思いますよ。シバルバが国内に密売人送りこんでるのって、有名な話ですし。FBIも警察も馬鹿じゃないですし」


――密売人がアメリカへ流入した分、領内のが減ったのか? 不法移民なら、そのまま国へスライドさせれば領内の人口コントロールはできるが……、わざわざ領内に入れる理由はなんだ? 

 領内を介さなくても、ロバーチあたりと交渉して、港でも借りてそこで入国料を取る方が、楽に稼げるだろうに。


 そこまで思い至り、不意に、ニコラスは全身の産毛が逆立つのを感じた。

 まさか。


 その時だった。


「うおあ!?」


 ペレスの姿が消えた。

 直後、ドタンと何かが倒れる音がして、「ぐえっ」という呻き声が上がる。


「ペレス!?」


 全員が仰天して立ち上がり、ペレスの元へ向かう。


 そこには、穴があった。

 壁の一角、ドア一つ分ほどの空間がぽっかり空いており、ペレスはその空間の向こうに倒れ込んでいた。先ほどペレスがもたれかかっていた壁だった。


 その腹の下には、下へと続く階段まである。


「……本当にあったな、抜け道」


 思わず顔を見合わせると、カルロは「お約束過ぎて逆に引くけどな」と肩をすくめた。


「いーじゃん、別に。逃げ道には変わりないっしょ。おい、すっとこどっこい。これで『トゥアハデ』の狩場に案内したことはチャラにしてやんよ」


 セルゲイにそう言われ、ペレスは「どうも」と顎を撫でながら息をついた。




 ***




『地下だと?』


 画面の中でロバーチ一家当主――ルスランの柘榴色の双眸が僅かに細まり、表情の剣呑さが一層増す。


 乗せたノートパソコンが落ちぬよう膝の高さを調節しながら、ハウンドは頷いた。


「ああ。以前、都市開発の一環として、富裕層向けに大規模な地下街モール建設の計画があったそうだ。特区設立でおじゃんになったが」


『あー、冬季のお籠りが長すぎて鬱になりそうだからウィンドウショッピングしたいっていう、金持ちの願望まる出しで進められたあれね。俺も聞いたことある。ミシガンの冬は長いからねぇ』


 愉快そうに柳眉を持ち上げたヴァレーリ一家当主――フィオリーノがケラケラと笑うも、その橄欖石(ペリドット)の眼球が素早くこちらの背後を確認したのを、ハウンドは見逃さなかった。


 今、自分がいる位置と、部下の監視体制が万全かどうかの確認だ。

『失われたリスト』の“鍵”であろう自分が逃げないように、逐一、着実に。


――車内で監視役(ごえい)が真横にいようと油断はしない、か。


 ハウンドは自分の真横に座るヴァレーリ構成員と、その奥の車窓から外を一瞥した。


 もうじき車列は、ターチィ・シバルバ間の国境線に辿り着く。あと一時間もすれば、自分たちはシバルバ領を離脱する。


「詳しく言うと、北部のブルームフィールド・ヒルズからバーミンガム、バークレーの三都市を横断する形で建設された、全長5キロ以上からなる巨大地下街モールだ。建設予定地はミシガン州道一号線直下、つまりシバルバ領一等区一帯を横切る形になる」


『……なぜ州道の真下にした? 地盤沈下を起こすぞ』


『それ俺も思った。つかセレブなら出かけないで自宅に販売員呼びなよ』


「私に言うなよ。まあ経済効果とか、何かと街にとっても有益だったんじゃね、知らんけど」


 ともかく、とハウンドは咳払いをして話を戻す。


「着工されたのは8年前で、6割がた進んでいたそうだ。つまりシバルバ領内には、工事跡地として巨大な地下道がある。独自に手を加えて、広げている可能性もあるだろう」


『なるほどねぇ。シバルバが領内に俺らを入れたがらなかったのは、それが原因か』


『それが今回の五芒星条約違反と、どう関わってくる? 現時点では糾弾材料としては乏しいと報告を受けているが』


「住民の独断ならな。だがシバルバ自身がやってるなら話は別だ」


 ルスランの問いに、ハウンドは画面共有で資料を開いた。今回の依頼に差し当たり、ペレスが初日に渡してくれたファイルに、行方不明者リスト共に入っていたものだ。


「今回の協力者、ホルヘ・ペレスから入手したものだ。彼は自警団の会計補佐をする片手間、独自にシバルバ一家の調査を行っていた。うち、これが人口増減のデータ。各関所のデータ管理を任されてた頃にまとめたんだと。データは一年分しかないが、これによると去年のシバルバ領内の人口増減はほぼゼロということになっている」


『……合衆国市場を相手に、シバルバが人体部品産業に手を出していた、と?』


『ありえない話じゃないねぇ。いくら入国させた不法移民を、密売人や労働力として国内に送りこんでいたとしても、領内の人口増減がほぼゼロだなんてありえない。そんぐらいシバルバの“入国審査”ってガバガバだもん。とっくの昔に住民人口がパンクしてたっておかしくない。それなのに、住民の数が増えてないってことは、』


「ああ。不法移民を“商品”に加工して売り出している。使える人間は駒に、使えない人間は“商品”に。人体部品売買――麻薬に代わる、現在のシバルバ一家の主要産業さ。医療の発達で臓器移植のハードルは年々下がっている。先進国であればあるほど、人体部品は高値で売れる」


『本当なら条約違反だねぇ。アメリカ国内で新たに商売を始める場合は、必ず他一家への報告が必要だ。アメリカを敵に回さないためにもねぇ』


『やってくれたな。公になれば、流石の合衆国も動かざるを得んぞ』


『ほんとだよ。せっかく特区がアメリカに有益であろうように調整したのにさ。まったく台無しだよ。合理的ではあると思うけど』


 当主らの愚痴はさておいて、ハウンドは素早く今の推察をニコラスへ送信する。

 ついでに彼らの位置情報も確認する。


――ケータたちは移動してるか。ニコラスも……うん。この様子だと逃げきったな。


 ハウンドは座席シートに背を投げ出した。


 無事とは言い切れない。ニコラスたちはまだしも、ケータたちに至っては服に縫い込んだGPS装置のみが移動していたという、最悪の事態も考え得る。


 けれどもう、自分にはなにもできない。


――結局、誰も救えなかった。


 犠牲になった元27番地住民。かつて自分を見限り、助けを請うた人々。元裏切者で、粛清を逃れた者もいる。


 それでも、ハウンドは助けてやりたいと思った。自分もかつて、そうして誰かに手を掴んでもらった。


――ま、その手を掴んだ相手を呪い殺してるんだから、世話ないけどな。


 ペレスは無事だろうか。ニコラスと一緒なら、大丈夫だと思いたいが……。


 その時、握っていた携帯が震えた。


 流石ニコ、返信が早いな。などと思って、画面を開き。


 ハウンドは凍り付いた。



 ――『これ、な~んだ?』――



 送り主は不明。画像添付と共に送り付けられた文面は、絵文字だらけで中高生が身内でふざけて送るそれだ。

 そんな喋り方をするガキに、つい最近、会っていた。


 呼吸が止まった。視界が揺れ、雑音が消えて己の鼓動のみが喧しく鳴り響く。


 震える指で、画像を開いて。


『……? ヘルハウンド、どうした』


『え? ヘル、ヘル、どったの――って、おわぁっ!』


 フィオリーノの驚く声と、隣の監視役が仰天する声が重なった。

 ハウンドが膝上のノートパソコンを、監視役めがけて投げつけたからだ。


 と同時に、ハウンドは窓を開け、上半身を突っ込んだ。


「ヘルハウンド様!?」


 監視役が慌てて足を掴もうとするも、顔面を蹴りつけて車外へ転がり出る。


 時速40キロの世界に放り出され、ハウンドは身を丸めて雪道を転がった。吹雪と雪道で速度を控えていたのが功を奏した。


 けれど、ハウンドはもう何も考えていなかった。先ほど監視役の顎を強かに蹴りつけたことすら、覚えていなかった。


 転がり終わる前に立ち上がり、吹雪の中を全速力で駆け抜ける。


――ニコ……!


 べっ甲のループタイがポケットから落ちて、雪に沈んだ。


 画面に表示されていたのは、人の足。

 ズボンごと切断されたであろう、血塗れの右足が履ていたのは、海兵隊支給の軍用ブーツだった。




 ***




「ヘルが逃げただと!? 何やってんだ、あれほど目を離すなっつったろ!?」


 ニコラスにイタリア語は分からないが、カルロの狼狽しきった様子と声音で、すべてを察した。


 ハウンドが逃げたのだ。


――なんで。


 ニコラスは困惑と憤りを必死に堪えながら、部下と通話中のカルロの口元を注視する。


 耳に端末を押し当て、険しい目元で報告に耳をそばだてていたカルロは、一転、瞠目して天を仰いだ。


「やられた。あのクソガキが真っ先にお前を狙うわけだ」


 カルロが自分を指差した。そこでようやく気付いた。


 右足の靴。

 クロム・クルアハとの戦闘で奪われたそれは、ハウンドを動かすのに十分すぎたのだ。


 たったそれだけで動いてしまうほど、彼女は追い詰められていた。


「ハウンドはっ」


「高速道路を走行中に飛び降りたところまでは確認したそうだ。すぐに追おうとしたが、シバルバの襲撃を受けて身動きが取れない。やってくれたな」


 返す言葉もない。


 ニコラスは己の迂闊さに拳を握るしかなかった。


 フラッシュライトに照らされたセルゲイが、仏頂面で腕を組んだ。


「どうすんだよ。ここ地下で、まだ階段の途中で着いてもねえってのに」


「俺たちは戻る。この状況で、どこへ通じてるかも分からん抜け道に賭けられるか」


「戻ったところで『トゥアハデ』とこんにちはだぜ?」


「本隊と合流する。すでにヘルの逃亡は首領(ドン)もご存じだ。お前んとこのボスもな。一緒に引き返した方が身のためだと思うが?」


「生憎俺ちゃんはボスへの忠誠心を買われてスカウトされたわけではないので。俺ちゃんたちはこのまま行く」


「ならこいつは連れていくぞ。どうせいたところで役に立たん。――おい、ここまで協力してやったんだ。今度は俺たちに協力してもらうぞ」


 カルロが目で合図すると、ニコラスは為す術もなく彼の部下に両脇から抱え込まれた。もはや連行である。


 抵抗する気力はなかった。反論するだけの材料もない。

 元よりこの脚だ。足手まといなのは、自分が一番よく分かっている。


 ニコラスは目を閉じ、ギュッと唇を噛み締めた。


 逡巡は一瞬。


「ハウンドが、『失われたリスト』だ」


 途端、一同が黙りこくった。


「……おい。今、なんつった?」


 セルゲイの低い問いかけに、刮目して目を合わせる。


「『失われたリスト』はハウンドが持っている。彼女のうなじの頸骨付近にマイクロチップが埋め込まれているのを、うちの医師が発見した。医師の見立てじゃ、マイクロチップと彼女の脈拍が連動してるって話だ。彼女が自殺する危険性が高まったって言ったのは、そういうわけだ」


「なっ……!?」


 カルロが大きくのけ反り、直後、凄まじい勢いで胸倉を掴み上げられた。


「このクソ駄犬、なんで今まで黙ってやがった……!? あいつがリスト本体だってなら、もっと厳重に警護してたぞ!?」


「……すまん」


 そうとしか、言いようがなかった。


 マフィアを警戒して黙ったのは、自分の選択だ。それが裏目に出た。


 黙って目を伏せるこちらに、カルロが奥歯をギリと噛み締める。


「……なるほどね。自動的に送信されるってのは、そういうわけ。道理で死にたがるわけだわ。自分が死ねば自動的にリストが公開される。連中への復讐としちゃ、一番有効的な自爆だわな」


 視線を斜め上に向け、セルゲイがポツリと独白した。一転、地に視線を落として、再び上げる。


「そうと聞いちゃ、ますます引き返すわけにはいかねーな。シバルバや『トゥアハデ』からすりゃ、鶏が鍋と油しょってやってくるようなもんだ。ここまで苦労して追い回したあのじゃじゃ馬を、みすみす敵に渡してたまるか」


「分かっている。だが番犬は――」


「俺も行く」


 ニコラスは即答した。ここで、引き下がるわけにはいかなかった。


「俺の靴だけでハウンドが動くなら、俺の存在自体がいい餌になるはずだ。頼む、連れていってくれ。途中で置いていっても構わないから」


 カルロとセルゲイが顔をしかめて目線を合わせた。どうすべきか本気で迷っているようだった。


 その時だ。


「あの、一つよろしいですか」


 おずおずと手を上げたペレスに、全員の視線が突き刺さる。中でも一番鋭かったカルロが、剣呑さを隠しもせずつっけんどんに尋ねた。


「なんだ」


「リスト云々の話は分かりませんが……その。ここ地下ですよね? なんで携帯が通じてるんです?」


 これには全員が虚を突かれた。


 言われてみればそうだ。階段を降り始めて、すでに十数分が経過しているが、未だ底は見えないし、それなりに深く潜っているはず。

 なのに何故か、電波が通っている。


「こりゃー、ますます確かめるしかないですな」


「……そういや、シバルバの名の由来は『冥界』だったな」


 いよいよ、らしくなってきたな。


 ニコラスは言外にそう言って、階段の下を覗き込んだ。


 200メートル先まで照らすフラッシュライトをもってしても払い切れない奈落が、そこにぽっかりと、無音に大口を開けて待ち構えていた。

次の投稿日は5月17日です。

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