8-5
今回のグロ描写はかなりきついです。必ず食事を終えてからお読みください。
〈2014年1月15日 午前9時23分 アメリカ合衆国ミシガン州 特区15番地(ミチピシ領二等区) 西12マイルロード〉
ペレスの意味深げな発言の答えは、すぐに見つかった。
一見、米国でよく見かける一等地の高級住宅街である。だがその違和感に、誰もがすぐ気付く。密度の異様な高さ。極端に狭い家々の間隔。
さらによく観察すると、三種類の家が混在している。
一つは普通の邸宅。
一つは邸宅だが、明らかに七、八家族ぐらいは詰め掛けてそうな、舗道にまで私物があふれかえった家。
最後の一つは、言うまでもない。掘っ立て小屋だ。
「なんつーか、三匹の子豚みてーな家だな」
車窓脇に頬杖をついてぼやくセルゲイに、ニコラスも同感だった。
さながら普通の邸宅が“煉瓦の家”、大所帯の邸宅が“木の家”、掘っ立て小屋が“藁の家”といったところか。
藁の家に至っては、狼が来る前に雪で潰されそうだ。
素人出来の木枠をビニールシートと毛布で何重にも覆い、屋根の代わりにトタン板を乗っけて石で重しをしただけの、家と呼べるのか怪しい代物である。
「ペレス、ここ二等区だよな?」
「ええ、驚いたでしょう」
事もなげに頷いたペレスは、手元の7.62㎜口径弾を弾倉へ弾込め中で、外どころか窓にも目をやらなかった。
「なんで家にこんな差があるんだ?」
「シバルバでは階級数が多いんです。資産に応じて三つの等区で住み分けする他領とは違う。ここでは資産だけでなく、人種、出身、住んだ年数によっても区分けされるんです」
「人種、出身は分かるが、住んだ年数も?」
「ええ。ここじゃ元から住んでる人間が一番偉いんです。特区設立以前からね。無論トップはシバルバ一家ですが」
「具体的には」
「元から住んでる人間を頂点に、移民、国内から移住してきたアメリカ人――つまり棄民ですね。基本はこの順です。その中で人種による順位付けがあって、ラテンアメリカ、黒人、アジア人、白人の順に下がっていきます」
「白人が最下層かよ。これまでの怨念ってか? 良い趣味してんねー」
セルゲイのせせら笑いにペレスは表情一つ動かさない。ニコラスは質問を重ねた。
「元から住んでる人間と棄民をどうしてそこまで区別する? 同じアメリカ人だろ」
「さあ。私の一家が引っ越してきたころにはすでにこれだったので、なんとも。ただ元から住んでる人間も一般人です。反社と繋がりがあるとか、大企業の社長とかCEOとか、そんなんじゃない。スーパーのレジ打ちやったり、ダイナーでウェイターやってる、どこにでもいる普通のアメリカ人ですよ」
「ペレスが引っ越してきたのは?」
「ちょうど2年前ですね」
淡々とした返答が逆に空恐ろしい。特区が設立したのは5年前。
つまりこのシバルバ領は、たったの3年でこうも露骨に階級分けされ、かつペレスはそれを抗うことなく受け入れている。
それが抗った果ての諦観なのか、当初から受け入れたものだったのか。
ニコラスの目には俯いたペレスの頭が見えるばかりで、見当がつかなかった。
とはいえ、任務は任務である。
咳払いで注意を集めたニコラスは、スピーカー越しに聞いているであろう運転手のカルロにも届くよう声を張り上げた。
「ひとまず、各々自分の最終目的を確認するぞ。まず俺たち27番地は元住民を保護して帰還する。これが基本方針だ」
我らが統治者ハウンドは、元住民だったシバルバ領民のSOSに応えた。すなわちそれは、27番地の総意である。
27番地代表の一人として、ニコラスは行方不明になった元27番地住民を見つけ出し、次の犠牲者になるやもと怯える彼らを保護せねばならない。
そして、
「加えてシバルバ一家近辺に怪しい動きがないかを調査する。あわよくばその動向から敵の狙いを分析する。余裕があればの話だがな」
「『双頭の雄鹿』ってやつらだね!」
「……こないだハウンドを襲った、連中だね。慎重にいかないと」
ジャックとウィルの発言にケータがぎょっと、セルゲイが瞬時に目を尖らせて、こちらを一瞥する。
あの機密事項をこんな子供に話したのか、と言いたいのだろうが、ニコラスとしても覚悟の上である。
『敵地に連れていくのであれば、彼らの自衛の妨げとなる情報操作は極力控えたい』
これが今回の任務に際し、ニコラスがハウンドや27番地商業組合に進言したことだ。
当初からシバルバ・USSAの罠を予期していたハウンドは、少年二人をあえて連れていくことで、自分の動きを制限しようとしたのだろう。
ニコラスが無茶をしないようにと。
だがニコラスとて、その手に乗る気はない。場合によってはケータに二人を預けてハウンドの元へ行く。
自分にとっての最優先はハウンドだ。この少年たちではない。
ならばせめて、もし彼らだけで対処しなければならなくなった時のために、最大限の備えをしてやりたかった。
「ジャック、俺がなんで『敵』と言ったか分かるか」
「あ、ごめん」
言っちゃダメだった、とジャックが口を両手で覆った。
USSAや『双頭の雄鹿』のことはここにいる全員の周知の事実だが、ここにはペレスがいる。
信用していないわけではないが、迂闊な情報漏洩はしないに越したことはない。
「俺ちゃんたちは変わらずよ。打ち合わせで話した通りね」
セルゲイら五大マフィア組はハウンドを保護しつつ、『失われたリスト』の“鍵”――すなわちハウンドがリストの在り処をほのめかすような言動をしないか監視する。
要は”ハウンドの確保”が主な目的で、行方不明者捜索には興味がないし、協力する気もないということだ。
これは予想範囲内なので、ニコラスも頷くに留める。
そしてケータは自分らと同じとして、
「自分は失踪者と、今後被害にあうかもしれない住民を保護できれば、それで構いません。救援要請に応えていただけただけで、すでにありがたいんで」
「27番地に来ないのか?」
「これでも自警団ですから。お役御免になったら考えますかね」
そう言いつつも、俯いたペレスの口端には自嘲とも苦笑ともとれる笑みが浮かんでいた。
一度はハウンドを見限った手前、どの面下げて、などと思っているのかもしれない。
ニコラスはそれ以上の言及を控えた。
取りあえず、とペレスはようやく車窓へ目を上げた。
「まずは16番地にあるシバルバの詰所に向かいましょう。昨晩のことも報告しなきゃならないし、ダメ元で行方不明者のことも聞いてみましょう」
むしろ、そいつらが犯人の可能性が一番高いんだがな。
言外にそう呟いて、ニコラスは静かに吐息した。
***
〈2014年1月15日 午前10時30分 アメリカ合衆国ミシガン州ビバリー・ヒルズ 特区16番地(ミチピシ領二等区)〉
住宅街を抜け、大通り沿いのショッピングエリアに出ても、シバルバ領の異質さは変わりなかった。
加えて、道行く人間のほぼ全員が足を止め、こちらを凝視するものだから気分が悪い。
車から降りるや否やこれだ。先が思いやられる。
「なんかさ。オレらだけめっちゃ見られてない?」
「……ニコラスとかケータより、僕らを見てる気がする」
ニコラスの両脇に立ったジャックとウィルが、縮こませるように身を寄せてきた。
「白人だからだろ。見たとこ、このエリアは階級の低い人間は出歩いちゃまずい場所みてえだからな。見ろ、ラテンアメリカと黒人しかいねえ」
カルロの指摘通り、出歩いているのは中南米出身と思しきラテンアメリカ系と黒人、南米先住民系の人間に限られていた。
しかも他領の二等区民より身なりが良い。
シバルバ一家が同郷の人間を優遇しているのだろうか?
「ひとまず私が話をつけてきます。皆さんは車の中にいてください。絡まれたりしたらことだ」
そう言って、ペレスは下車するなり小走りでシバルバ一家詰所前の階段を上がっていった。
元は自動車学校だったのだろう。レンガ壁に外された看板のアルファベットの痕が思い切り残っている。
駐車場には教習車の代わりに、ピックアップを改造武装したテクニカルや、どう見ても元は盗難車とみられる外車がずらりと並んでいる。
中にはハンヴィーやVBL対戦車装甲車まである。メキシコ軍からの横流し品だろう。
「あんたら、ぼさっとしてないでとっとと車戻りな。さっきの奴も言ってたろ」
すぐに目線を飛ばせば、自分たちのリムジン後方に駐車していたキッチンカーから、初老の男が手を振っていた。
見た限り新大陸生まれの白人だろうか。追い払うような手つきだが、心底心配そうに眉根を寄せている。
「特にそこの子供二人、悪いこと言わんから早く隠れな。ここじゃ白人の子供は犬猫以下だ。ぼけっと突っ立ってるとすぐ攫われて売っぱらわれちまうよ。ほれ、このエローテ(トウモロコシにマヨネーズを塗り、チーズ、チリペッパー、レモン汁をかけたもの)やるから、大人しく車で待ってな」
「俺が取ってくる。お前ら、先に入ってろ」
ケータに促されたジャックとウィルは、青い顔ですぐさま車の中に引っ込んだ。
それでも窓越しに「飛ばす?」とドローン片手に顔を覗かせるあたり、まだめげてはいない。
飛ばさなくていいとニコラスが首を振った、その時。
詰所出入り口で喧騒が上がった。
「こりゃひと悶着ありそうだな」
カルロが組んでいた腕を解いた。
シバルバ構成員と思しき男たちが、銃火器を手に続々と階段を降りてくる。
その後ろから慌ててペレスが追いすがるが、誰一人として聞く耳を持たない。
シバルバ構成員はそのまま、問答無用でリムジンを取り囲んだ。
「撃つなよ、まだな」
取り囲む人壁の一部がすっと割れて、いかにも羽振りのよさそうな男が現れた。
両手首にじゃらじゃらとシルバーアクセサリーをつけた男は、これは驚いたとばかりに仰々しく両手を広げた。
「ようこそ俺の縄張りへ、すっとこどっこい諸君。俺が16番地管轄で幹部のジャレド・サンチェスだ。で、リーダーはどいつだ」
「いちおう俺だ」
ニコラスは一歩進み出た。
幹部がかけたサングラスの下から、吊り上がった眉がのぞいた。
目は見えないが、口元に浮かべた下卑た笑みから小馬鹿にしているのは明白だ。
「こいつは驚いた。聞いた話じゃ、あばずれ当主の側近と田舎者イワンの幹部が来てるって話だったが。とうとう雌犬の部下にまで頭を下げるようになったのか?」
露骨な挑発である。が、それで退くカルロとセルゲイではない。
「へえ。猿の割には人間の言葉が上手じゃねえか。訛りがクソ強えがちゃんと英語喋ってやがる」
「いちおうって言葉を体よくスルーするノータリンぶりは流石ですねー。一度もロバーチに勝ったことないくせに」
「口がよく回るじゃねえか、色男ども。客を回すのも早けりゃ口を回すのも早いってか?」
幹部がカルロに詰め寄っていくと、それに応じて人壁もリムジンからカルロへ中心が移った。
ニコラスはもちろん、セルゲイもケータも眼中になしだ。
「ま、待ってくださいっ」
そこにペレスが割って入った。
ポケットから折りたたんだドル紙幣を数十枚取り出すと、平身低頭で幹部に差し出す。
「調査し終えたらすぐ出ていきますから、金も後で持ってきます。今回はこれで――」
「後ぉ? 今すぐ持ってこいつってんだよ!」
幹部の蹴りがペレスの膝を強かに打ち、ペレスは倒れ込んだ。
ただ膝を狙うのではなく、膝横の靭帯を狙っての蹴りゆえたちが悪い。
ペレスの手から離れたドル札が宙を物悲しげに舞う。
ニコラスは無言でM9A1自動拳銃を引き抜いた。
「おいおい、ドンパチはじめようってか? この数で?」
煽るように幹部が手を広げ、地を向いていた銃口が一斉に上がる。
20対4。圧倒的にこちらが不利だが、ニコラスは真顔で安全装置を外し、銃を構えた。
こちらとて無策で敵陣に飛び込んだわけではないのだ。
一方、散らばった紙幣を吸殻ごと踏みつけたカルロは、ポケットに片手を突っ込んだまま数歩進み出た。
「なんだ。お前らまだこんなケチ臭え稼ぎやってんのか。幹部でこれとは世知辛いな」
「ああ? んなのただの暇つぶしに決まってんだろ。俺たちには麻薬があるからな」
「時代遅れだな」
「んだと?」
幹部たちがカルロを取り囲んでいく。ニコラスはセルゲイに耳打ちした。
「おい、なんであいつらベネデットばっかに絡んでんだ? お前ガン無視じゃねえか」
「そりゃあ俺ちゃん、インドア専門ですもん。顔知らなくて当然っしょ。顔出すようになったの最近だし。荒っぽい肉体労働は部下の仕事、俺ちゃんは優雅にモンエナ片手にゲーム実況」
「そうじゃなくて」
「あーはいはい。今から説明します、します。っとに融通のきかねー番犬だな」
セルゲイは億劫そうに解説を始めた。
「ヴァレーリ一家ってのは昔っから身内狩り専門の一家なんだよ。ほんとのホントに大昔の話だけどよ。70年にアメリカでRICO法が施行されたろ? そっからFBIが嬉々としてマフィアどもを狩り始めた時、ヴァレーリ一家はそれに協力してFBIの猟犬として動いたんだよ」
「進んで身内を裏切ったってのか?」
「表向きな。こいつは逃げきれねえと覚った当時のゴッドファーザー苦肉の策さ。全員狩られるよりマシだと思ったんデショ。お陰でヴァレーリは功労者として評価され、FBIやRICO法の魔の手から逃れられた。だから特区設立なんて大それたことができたのさ。ここの発足人はフィオリーノ・ヴァレーリだからな」
「それがシバルバとどう関わってくるんだ」
「まんまと一杯食わされたFBIが、腹いせに麻薬取締局と国際刑事警察機構とタッグ組んで、コロンビアで大規模な麻薬狩りやったんだよ。んでシバルバが持ってたコカ畑、300ヘクタールが丸々押収」
「……八つ当たりじゃねえか」
「だってお前、云百億ドルの損害よ? 当時の担当者のこと考えたら同情するわ。殺されるだけじゃ済まねーもん」
だったら堅気になるか自首すればいいのに、と思うが、そうはいかないのが彼らの世界だ。悪党というのも楽ではない。
ちらと人壁に囲まれるカルロを一瞥する。
あの位置ならば、問題ないか。
「つーかお前ら例の雌犬はどこへやったんだ、ええ?」
「知らん。その辺うろついてんじゃねえか」
「しらばっくれんじゃねえ! 俺の弟はあの女に粉々にされたんだ。雌犬を出せ、出なきゃうちでの行動は一切許さん」
唾を撒き散らして詰め寄る幹部に、カルロは眉一つ動かさない。表情は。
「へえ? そこまであの雌犬が心配か? なに、一晩借りたらすぐ返してやっから――」
代わりに、その右手が閃いた。
「よ゛っ……!?」
幹部の舌から、万年筆の切っ先が生えた。
カルロが顎下から突き立てたのが貫通したのである。
幹部からくぐもった悲鳴が上がる。
その悲鳴に混じって「撃て」と言葉にならない絶叫が上がるが、セルゲイが面倒くさそうに手を振る方が早かった。
着弾、着弾、着弾、着弾。
湖面に降り注ぐ雨粒が如く、血狼煙が次々と上がっていく。
一瞬にして人壁は穴だらけになり、突然仲間を狙撃された手下たちは訳が分からず立ち尽くした。
その残党めがけて、ニコラスは発砲した。
突っ立っていた連中を、一人ずつ丁寧に射殺してく。
ケータも加勢に入った。
受け取ったエローテをマラカスのように両手で握って、器用に首とこめかみ目がけてピンポイントで蹴りを叩き込んでいる。
静寂。
掃討は、一分足らずで幕を閉じた。残るは幹部一人である。
「合図が遅え。猿の唾がかかっただろ」
「段取りが遅れたのはてめーとこの部下だぞ。文句あんならもうちょい躾けろ」
鬱陶しげにスーツの前を払うカルロにセルゲイが中指を立てる。
そう。狙撃は二人の部下によるものだ。
ペレスに頼んで、16番地に隣接した区画の自警団駐屯所の屋上に両家の狙撃チームを数組配置し、この詰所を狙っていたのである。
わざわざ詰所前に駐車したのも、カルロがさりげなく位置取りを変えていたのも、このためである。
「さて。耳障りだからと舌を潰したが、これじゃあ喋れねえな」
カルロがゆらりと幹部の前にしゃがみこむ。
先ほどの威勢はどこへやら、幹部は全身を震わせて地面にへたり込んでいる。
猫だと思って吠えたてていたのが、猛獣だったと今さら気づいたのだろう。
「面も汚えし言葉も話せねえ猿なら要らねえな」
「頭も悪いしな。どうせ何も知らねえだろ」
「――! ――……!」
カルロとセルゲイに見下ろされ、幹部が必死に身振り手振りで命乞いをする。
けれど二人は眉一つピクリとも動かさず。
「聞こえねえな」
「ロシア語話せよ」
「イタリア語もシチリア語も喋れねえ猿は死ね」
カルロに銃口を向けられ、幹部が物凄い勢いで懐からスマートフォンを取り出した。
翻訳アプリを介して命乞いをしているらしい。最先端の斬新な命乞いだ。
そんな時、ニコラスのポケットが震えた。腕時計を確認したニコラスは迷わず通話に出る。
ハウンドからの定時連絡だ。
「俺だ。何かあったか?」
くぐもった声で囁くハウンドの声は、いつにも増して低い小さい。
何かあったのだ。それも重大なことが。
ニコラスは一言一句、聞き逃すまいと耳を澄ませた。
「おい。猿が喋ったぞ」
「行方不明者が消えた場所に心当たりがあるんだと。どーするよ」
振り返るカルロとセルゲイに、ニコラスは短く「場所は」と問うた。
それを聞くなり、ニコラスはすぐさまスマートフォンを耳に当てた。
「今すぐ向かう。そこで待っててくれ」
***
「来たか」
建物脇の暗がりからぬっと現れたハウンドに、ペレスとケータが短い悲鳴を上げた。
一方のニコラスとしては、見慣れた登場である。
ハウンドはなぜか暗いところが好きで、待ち合わせの時はだいたい暗闇からにゅっと出てくるのだ。黒妖犬の名を冠しているせいだろうか。……いや、それはないか。
「顔のそれ、ドーランか?」
「ファンデーションね。ドーランはのっぺりしすぎて逆に目立つのよ」
象牙の肌を小麦色に染めたハウンドは、そう言って腕を組んだ。
一方でその格好は実に奇妙だ。
服装こそ薄汚れたジーパンにポンチョ、ガウチョ・ハットと現代風だが、その背にはナップザックだけでなく、カラフルなストライプ柄の布包みを背負っている。
「ペルーの行商人、ちらほら見かけたんだ。この顔だからね。日系ペルー人を装うのが一番手っ取り早いかと思って」
なるほど。上手いことを考えたものだ。
行商人なら見知らぬ顔でその辺をうろついていても不自然ではないし、武器も隠し持てる。
「で、ここがその工場か?」
カルロにつられて、全員がハウンドの背後の建物を見上げる。
自動車整備工場だろうか。
搬入口前の駐車スペースは広く、山と積まれた野晒しの車両パーツから流れ出た錆が、コンクリートを赤く染めている。打ち捨てられて数年は経っていそうだ。
「ここに出入りしてる住民を見かけたんでね。それも夜間に限ってだ。現地住民も近寄らないし、住み着いている様子もなし。中を調べたら案の定さ」
見つけるんじゃなかった、と言わんばかりのハウンドのしかめっ面に、ニコラスの中で嫌な予感が鎌首をもたげる。
「臭うか」
「分かんない? この刺激臭」
ハウンドに言われて全員が鼻を引くつかせるが、やや薬品臭いこと以外は何もわからない。
ハウンドは視線をリムジンへ移し、目を眇めた。
「ジャックとウィルは車の中か」
「ああ。周囲をドローンで監視してもらってる。調査中に襲撃されても事だしな」
「そっか、うん。それがいい。元に戻れなくなるから」
踵を返し、工場内へ入っていくハウンドの背に猛烈な不安を覚える。一体、ここで何が起きたというのか。
「気合い入れろよ。ちとキツイぞ」
ハウンドが迷いのない足取りで最奥の白いプレハブへ向かっていく一方、ニコラスたち搬入口から数歩で足を止めた。
盛大にむせたのだ。
いま理解した。凄まじい刺激臭だ。
先ほど外で気付けなかったのは、建物全体が雪と氷でコーティングされて外部へ臭いが漏れなかったためだろう。
道理でさっきからハウンドが、鼻先をポンチョでしっかり覆っているはずだ。
プレハブ室のドアノブにハウンドが手をかける。本来、機械加工室かエンジン整備室だが――。
「うっ……!?」
ドアを開けるなり、ケータが回れ右をして早足で立ち去った。吐き気が堪えられなくなったのだ。
意地で何とか耐えたが、ニコラスも本心はそうしたかった。
骨だ。人間の。
吊るされたもの。黄ばんで山と積まれたもの。寸胴鍋の中でプカプカ浮かぶもの。骨格として組み立てかけのもの。
あらゆる状態の骨の見本市かと言いたくなるほど、多種多様な骨がプレハブ内を占領している。
「なんだこれ」
人骨の山を前に、ニコラスは絞り出すように辛うじて呟く。
人間が好物の魔物が、一片の肉片に至るまで綺麗にこそぎ取り、骨だけ無造作に捨てたような骨の山だ。
加えて目に染みるほどの悪臭を漂わせる、腐肉と脂らしきもので溢れ返りそうなドラム缶が、数個。
その真横には、
――硫酸風呂……!
これは現実かと、本気で目を疑った。
何を溶かしたのか考えたくもないどす黒い液体で満たされた、強烈な刺激臭を放つ陶器製のバスタブがあった。
その縁には髪の毛と脂がこびりつき、どう見てもしがみついた指の痕としか思えぬ血痕が、数本の線を残している。
悪夢の具現化。ホラー映画だって、ここまで惨たらしくはない。
なんだここは。
誰が、何のために――。
「……死体処理、じゃねえな、こりゃ。中途半端すぎる」
「骨工場かね。俺ちゃん初めて見た」
臭い対策か、煙草をふかし始めたカルロとセルゲイに、ニコラスは吐き気を咳で誤魔化しながら尋ねた。
「なんだ、それ」
「文字通り、骨を作るための工場よん。骨から肉を剥がしてー、苛性ソーダでこびりついたのを溶かしてー、表面を日光と塩酸で漂白する。んで市場に流す」
「骨格標本向けの市場はとっくに廃れたって聞いてたんだがな。どこに売り捌いてんだ?」
「南アジアじゃ仏教徒の一部が、祈祷用に人間の脛骨でつくった笛と頭蓋骨の椀を使うらしいぜ」
「マジか」
顔を歪めつつも平然と語るマフィア組に、本能的な嫌悪感がせり上がってくる。
死体なら戦場で嫌というほど見た。
だがそれは、生きようと足掻いた末に力尽きたものだった。あるいは巻き込まれ、唐突に与えられた死に戸惑いながら息絶えたものだった。
ゆえにまだ、死体から『生』を感じ取ることができた。
けれど、これにはそれがない。
これは機械的な死だ。無機質な死だ。人を人とも思わぬ、尊厳の欠片もない死だ。
これほどの冒涜が、この世にあっていいのか。
「そんな……じゃあ二等区で消えた行方不明者は、みんな」
ペレスが膝から崩れ落ちる。
それを労わるようにハウンドは、しかして容赦なく聞くに堪えぬ現実を突きつける。
「事務室の方で遺留品が見つかってね。全員かどうかは分からないけど、何人かここで骨になってる。昨日の野犬が喰ってたのもそうだと思う。恐らく、加工できない分をまとめてあそこに捨ててたんじゃないかな」
ペレスが口を押えて蹲った。ニコラスはその辺で一番なにも使われてなさそうなバケツを差し出してやった。
自分ももう限界だ。
ニコラスは咳き込みながら、ハウンドから煙草を一本頂戴することにした。吸い込んだ煙で思い切りむせるが、この臭いでむせるより遥かにマシである。
「ゲホッ、これ、シバルバ一家が……?」
「「いや、それはない」」
マフィア組は口をそろえてきっぱり否定した。
「移植対象の臓器ならまだしも、骨なんてさほど金にならん。麻薬でぼろ儲けしてるシバルバがわざわざ手を出すとは思えん」
「それになんつーか杜撰なんだよな。あそこのバスタブ、硫酸風呂だろ? 骨加工するための場所で、肝心の商品を死体ごと溶かしてどーすんのって話よ」
「報復の線は? 報復ついでに出た遺体を利用して、下っ端が小遣い稼ぎに手を出したとか」
ニコラスの質問に、これまた二人は首をひねる。
「どうだろうな。見た感じの印象は行き当たりばったりだ。効率が悪すぎる」
「俺らマフィアも暇じゃないかんねー。死体と遊びたいっつークレイジー野郎ならともかく、どう見てもトーシローのやり口なんだよなー。こだわりがねえ。小遣い稼ぎっつーなら、ペレスみたいな野郎からカツアゲやった方がまだ実入りが良いぜ」
いつも以上のハイペースで煙草を消費していく二人にならって、ニコラスも二本目を口にする。
人体に害があると判明しつつも、人類が煙草を手放せない最大の理由だ。追い詰められた人間ほど即物的な快楽を求めやすい。
「カルロ、セルゲイ。ちょっと来てくれ」
事務室前でハウンドが手招きした。
これ以上の死体とご対面はごめんだと顔を引きつらせる二人に、ハウンドは「違う」と頭を振った。
「遺留品で確認してほしいものがある。お前ら一家に関わるものだ」
そう言われては二人も断れない。渋々足を動かす二人に続いて、ニコラスも事務室へ入った。
先ほどの人骨加工室と同じく、こちらもまた乱雑とした部屋だった。
遺留品に混じって、食い散らかしたであろうテイクアウトの油紙や紙コップ、ペットボトル、空き缶類が埃をかぶって散乱している。
こんな場所で飲み食いできる神経を疑うが、犯人には道徳倫理はおろか、整理整頓という概念すらないらしい。
呼びつけたハウンドは、手元に集めた数枚のIDカードと思しきものを二人に見せた。
「これ、お前らの領民のだよな?」
ハウンドの手に握られたものに、ニコラスはピンときた。
これは身分証明書だ。
合衆国が発行する公式のものではなく、五大マフィア各一家が独自に発行している、特区でしか使えない身分証明書だ。
それらを見たマフィア組は「ははあ」と薄ら笑いを浮かべた。
「でかしたヘル。これなら多少やりようはある」
「所詮お猿は猿でしたねー。わざわざ他領から人攫って地雷踏むとはご苦労なこって」
「何かできるのか、これで」
そう尋ねると、カルロとセルゲイはにんまり口端を吊り上げた。
「五大マフィアは五芒星条約で、全一家に禁止事項を科している。うち、故意による他領住民の拉致・監禁・殺害は重罪だ。必ずその土地を治める一家に話を通す必要がある」
「けどうちらそんな話、聞いてないんでねー。条約違反だ。これでシバルバをしょっ引けるぜ」
***
ハウンドの姿を探すことは、そう難しいことではなかった。
鼻のいい彼女にとって、あの骨工場は地獄以外の何者でもない。ならば工場の風上、それも地上のニオイが届きにくい高い所にいると踏んだ。
「飯の心配はいらなさそうだな」
骨工場から南へ300メートル、こじんまりとした私立動物病院(もちろん廃墟だ)の屋上の角に、その背を見つける。
「お陰様で。あの程度で食欲落ちるほどやわじゃないもん」
口元に加えたプラスチックスプーンをひょこひょこ動かすハウンドの手元にあるのは、米軍御用達の戦闘糧食、MREである。
一次賞味期限の切れた放出品だが、なぜかハウンドはでき合いものを食べる時、冷凍食品でもデリバリーでもなく、必ずMREを選ぶ。
自宅の食糧庫に常備しているほどの徹底ぶりだ。ニコラスとしては食い飽きた味だが、ハウンドにはこれが魅力的らしい。
「どっかのお節介な誰かさんが、私のザックの底にいつの間にかこれ仕込んでてね。賞味期限もあんまないし、こうして消費してるとこ」
「そうか。んじゃこれ、追加分だ」
ズボッと三日分の糧食を、ハウンドのナップザックに突っ込む。
ハウンドがじとーっとした目で睨んできた。
子供扱いするなと言いたいのだろうが、知らんぷりだ。このぐらいの心配はさせて欲しい。
「ペレスとケータは?」
「ペレスの方はだいぶ落ち着いたが、ケータは駄目だな。水飲んじゃ吐くの繰り返しだ。今、ジャックとウィルが面倒みてる」
大の大人が子供に面倒を見てもらって情けない、などというのは酷だろう。死体を見慣れたニコラスですら、今は食欲がわかないのだから。
しかしそれでも無理やり口に詰め込むのが兵士である。腹が減ってはなんとやら、吐いてでも食える時に食っておくのも、兵士の仕事の一つだ。
それに食欲はわかずとも、腹は減っている。
生存を賭け、千歳を経てその身に備えた生命の知恵。もとい本能は、時に薄ら寒くなるほど残酷だ。
ニコラスはハウンドの隣に腰を落ち着けると、糧食パックをこじ開けた。
微かに雪のちらつく暮合、曇天の切れ間から差し込む橙色が雲の鉛に混じって、なんとも形容し難い色を醸し出している。
不気味とまではいかないが、綺麗と言えたものでもない。
そんな景色を眺めながら、ニコラスたちは義務的に手を動かし、黙々と腹を満たした。
「毎度思うんだけどさ、なんでチリビーンズってこんな塩辛いの? 腎臓殺しに来てんのかってレベルで辛いんだけど」
「実戦じゃ汗かくからな。俺としてはジャムとフルーツソースに処理に困る。量が多い」
「あ、じゃあそれちょーだい。代わりに食べたげる」
「頼む。……おい、勝手にタバスコソースをぶっかけるな」
「けどニコ辛いの好きでしょ?」
「好きだけど限度っつーもんがあるだろ。あとそれを対価にすんの不公平だぞ」
「まあまあ。肉一個あげるからさ~」
「一番小さいの寄こすなよ……どんだけ食い意地はってんだ」
やいやい互いの皿を突き合うこと十数分。ニコラスたちは、食後のカフェオレを無言ですすっていた。
食事というのは不思議なものだ。多少冷たくとも、腹が満ちると体が温まる。心も安らぐ。
あんなものを見た後でも、ひとまずなんとかしようという気力が湧いてくる。
「大丈夫か」
日の沈んでしまった地平線を見据えたまま、ニコラスは尋ねた。
ハウンドは数秒「う~ん」と唸って、
「あんま大丈夫じゃない」
と、言った。
思わずニコラスはカップを落としかけ、慌てて握り直した。それほどの衝撃だった。
「なんだよう。ニコが聞いたんじゃん」
「あ、ああ。悪い。けどこう、正直に答えてもらえると思ってなかったから」
ハウンドが弱音を吐いたのは初めてではないが、以前は怪我と発熱で朦朧とした状態だった。素面で、しかも面と向かって言ってくれたのは初めてだ。
ハウンドは唇を尖らせたが、それもすぐスッと真一文字に引き結ばれた。
「誤魔化したらニコ追っかけてくるでしょ。それじゃ困る」
「……ってことは」
「うん。『双頭の雄鹿』の関与は確定。『トゥアハデ』も入ってきてる。そしてなぜか連中は、シバルバの私への復讐に全面協力してる」
やはりか。ニコラスは短く舌打ちした。
「厄介だな」
「それ以上に不可解だ。連中の目的とシバルバの目的が一緒のはずないんだけど……どうしてここまで付き合ってんだか」
「親米派として今後の協力を約束した、は、ないだろうな」
「だね。シバルバだし」
シバルバ一家は五大随一の反米派で有名だ。特区へ進出してきたこと自体、当時はあり得ないと裏社会を驚愕させたほどだ。
謎は尽きないが、それはさておき。一つ疑問がわいた。
「『双頭の雄鹿』はともかく、よく『トゥアハデ』も関与してるって分かったな。あれ、いちおう虎の子なんだろ? そうホイホイ出してくるもんじゃないと思ってたが」
「ああ、うん。私もそう思ってたんだけど……こうも見せられちゃね」
「見せる?」
「ニコも見たでしょ、死体。野犬のとさっきの骨工場の」
なにを言われたのか理解するのに、数秒を要した。
凍てついた夜風が直接動脈に入りこんできたかのように、悪寒が全身を襲う。
待て。それは、あの惨たらしい遺体をあえて見せていたということか……?
なら、あの遺体は――。
「『トゥアハデ』は私の過去知ってるからさ。だからこうして、あえて見せてるんだと思う。だから連中の仕業だって一発でピンときたよ。いわゆる追体験ってやつ? 連中、あの場にいたからね」
「あの場……? っ、おいハウンド、お前、まさか」
「うん。見てたよ、ラルフたちの最期。それが奴らが私に与えた罰だったからね」
次の投稿日は3月29日です。




