8-4
〈2014年1月15日 午前2時22分 アメリカ合衆国ミシガン州 特区5番地(ミチピシ領一等区) 特区警察ミチピシ駐在所〉
――行かせたか。思い切ったことをしたな。
一部始終を上空より目撃したクルテクは、事の推移からこれまでの情報を整理する。
無。それ以外に表現しようのない部屋に、クルテクはいた。
音から電磁波とあらゆる手段の侵入を防ぐ防諜壁に囲まれた、1DKにも満たない正方形の部屋。あるといえば、デスク、椅子、パソコン等の電子機器類のみ。
うだつのあがらぬ中年警部と信じて疑わぬ特警の同僚たちは、クルテクが自身のデスクルームの一角に秘かにこんなものを設けていたなど知る由もない。無論、その正体にも。
そんな部屋でクルテクは、行儀悪く椅子の上に足をあげ片膝を立ててコーヒーをすすっていた。
凝視する先にはデスクトップパソコンのディスプレイ。
かつて中央情報局が私有していた偵察衛星からの航空写真が写されていた。
こいつはかなり優秀で、上空遥か彼方から地上のバス停でベンチに座る人間の手に持っている缶コーヒーの銘柄が分かるぐらい解像度が高い。
唯一の不満といえば、CIA吸収合併の折に、この偵察衛星の所有権を丸々合衆国安全保障局に奪われたことぐらいだ。
うん。考えるだけ不愉快だ。切り替えよう。
クルテクは脳内のデスク上に、メモ用紙とペンを置いた。
さて、まず各勢力の現状からだ。
この『失われたリスト』争奪戦に参加した個人を含める四勢力を、クルテクは脳裏に箇条書きで書き出していった。
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●ニコラス・ウェッブ率いる27番地
●USSA、もとい『双頭の雄鹿』
●五大マフィア(うちミチピシ一家は撤退。ターチィ一家は不明、様子を窺っていると推察される)
●セルゲイ・ナズドラチェンコ
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この四勢力の認識、『失われたたリスト』と『二冊目の手帳』への認知・推測は以下の通りだ。
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●ニコラス・ウェッブ陣営
→『失われたリスト』:ヘルハウンドが所持
『二冊目の手帳』:鍵でない可能性はあるものの、ヘルハウンドにとって大事な遺品
●USSA陣営
→『失われたリスト』:ヘルハウンドが所在を知っている(と、自分には伝えた)
『二冊目の手帳』:鍵ではない。不要。だがヘルハウンドを誘き出す餌として有効。
●五大マフィア陣営
→『失われたリスト』:ヘルハウンドが所持
『二冊目の手帳』:鍵ではない。
※シバルバ一家はヴァレーリ・ロバーチ両家に追いついていない模様
●セルゲイ・ナズドラチェンコ
→五大マフィアに同じ。
ただヘルハウンドとの接触の多さから、何かしら個人的密約を交わしている可能性はあり。
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ナズドラチェンコという不確定要素はあるものの、こうしてみると各勢力の認識はほぼ一致している。
つまり現時点、各勢力は拮抗しており、これまでの推測通りの振り出しに戻った形になる。
相も変わらず“『失われたリスト』はヘルハウンドが持っており、『二冊目の手帳』はリスト捜索の鍵とはなり得ない”。
一方、一歩リードしている陣営もある。USSAだ。
――元タリバン兵「カーフィラ」は、入手した『失われたリスト』を一冊目に書き写した。そして隠蔽のため、擬装用に全く同じ手帳を用意して、客人であった日本人学者に持たせた……。
クルテクは独自に入手した極秘情報を胸中で反芻する。このことを知っているのはUSSAだけだ。
その一方、USSAはまだヘルハウンドの真の目的に気付いていないが、ニコラス・ウェッブと五大マフィアはその可能性に薄々気付きつつある。
自害。それがヘルハウンドの真の目的の一つだ。
そしてまだ実行していないところを見るに、現在ヘルハウンドは何らかの理由で自害できない状態にあるといえるだろう。
この理由については、クルテクに思い当たる節がある。
ヘルハウンドの協力者の一人、『パピヨン』だ。
彼女を守る壁が今、存在しないのだ。
とはいえ、無防備なわけではないので手が出せないのは変わりないのだが。
とまあ、現在の勢力図はこんな感じだろうか。
USSAは『失われたリスト』と『手帳』に関する情報で抜きんでているものの、肝心なヘルハウンドの目的を掴み切れていない。
対して、ニコラス・ウェッブと五大マフィアはリストと手帳への情報は不足しているが、ヘルハウンドの動向把握でUSSAの一枚上手をいっている。
「結局どこもどっこいどっこいか……。けどまあ、一番の上手は彼かな? 臆病って聞いてたけど、ここぞというタイミングで大胆な手を打ってくるなあ」
この争奪戦一番の穴馬ニコラス・ウェッブを、クルテクは衛星画像越しに見やった。
彼こそが一番の番狂わせだ。
彼がいなければ、リストもヘルハウンドも、とっくにUSSAか五大マフィアの手に落ちていただろう。
それがぽっと出の落ちこぼれ兵士がこうも引っ掻き回すとは。
そのうえで今回のヘルハウンドの離脱だ。
先ほどのやり取りを観測した限りだと、この男はヘルハウンドと何かしら個人的なやりとりをした可能性が高い。
つまりヘルハウンドから得られる重大な情報を、この男だけが独占できる。
――果たして吉と出るか、凶と出るか。
ニコラス・ウェッブは耐えられるだろうか。
ヘルハウンドの過去に。ヘルハウンドが背負うものの重さに。
この男はどうも、この少女を救いたくて奔走しているようだが、これほどまでに救いがたい少女を、彼はどうやって救う気なのだろうか。
一番救う資格のない立場にいるというのに。
「ひとまず彼を監視するのが一番効率よさそうだなあ」
穴馬は穴馬足り得るのか。そんなことはどうでもいい。
クルテクにとっての至上命題は、すなわち国益だ。
このアメリカ合衆国にとって、益となるか否か。
かつての組織が消滅しようと、主が変わろうと、何を犠牲にしようと。その目的だけは変わらない。
これまで通り、自分は自分の仕事をするだけだ。
――さて。今日も張り切って仕事するとしますか。
のけ反って大きく伸びをしたクルテクは、空になった紙コップ片手に立ち上がった。任務続行には、コーヒーの補充が必要だった。
***
電話が鳴ったのは日付も変わった深夜だったが、アンドレイは2コールと待たずに出た。
「そうか。彼女は行ったか」
ニコラスから事のあらましを聞いたアンドレイは、診察用の回転椅子にゆっくり腰掛けた。
「よく見送ったな」
『俺が止めても行ったでしょうから。それに、定時連絡の約束は取り付けられました。位置情報の随時共有してますし、まだなんとか』
「また黙って出ていかれるよりはマシか。確かにな。感謝するよ、軍曹。大きな成果だ」
そう告げるとニコラスは『いえ』と謙遜してから、言いにくそうに尋ねた。
『その、先生から見て、ハウンドの現状は』
「直接診てないことには何とも言えんな。今の彼女は刻一刻と心情に変化がみられる。これまで頑なに崖へ直進していた昔に比べれば嬉しい変化だが、不安定であるのも確かだ。君にはどう見えた?」
『今は……大丈夫、だと思います。彼女自身も相当迷ってるみたいでした』
「迷っている、か。確かにそうだな。私も同意見だ。少なくとも今はまだハウンドは決断しないだろう。無論、目を離せる状態ではないがね。重ねていうが、よく見送ってくれた。無理矢理引き留めようとすると、彼女の場合、逆効果になることが多いのでね。現状、最善の判断といっていい」
物言いたげな沈黙が返ってくる。本心ではずっと傍にいたかったのだろう。
それを重々承知しているアンドレイはすぐに、今後の方針へと話題を変えた。
「数日前の検診の様子を見るに、彼女の内には二人の『彼女』がいる。現在の彼女は、内でその二人が主導権を巡って争っている状態とみた」
『二重人格ですか?』
「いいや、違う。あれは二重人格ではない。どちらかといえば、どの“仮面”を被るかどうかで争っている状態だ」
『“仮面”……?』
「軍曹もしょっちゅう目にしているだろう。彼女の笑顔だ。なんとも胡散臭い笑顔だとは思わないかね?」
『ええ、とても。無理してるの見え見えなんですけどね。普通に笑った方が可愛いのに』
おやおや、これはこれは。
アンドレイはこっそり含み笑いをした。
ただの奥手な朴念仁と思っていたが、この男、存外イイ性格をしている。しかもこの様子だと無自覚だろう。
これは将来が楽しみだ。
「その笑顔への評価は置いておくとしてだ。これまで観察した限り、ハウンドが被る“仮面”には二種類がある。一つはいつも君が見ているものだ。『六番目の統治者』、代行屋としての彼女だ。もう一つは……うむ。なんと言おうか、かつて少女兵だった頃の彼女、というべきかな」
『少女兵時代の……』
「そうだ。そして現状、『少女兵』のハウンドが彼女の主導権を取ろうとしている。それが先日のデンロン社での攻防、並びにクリスマスの戦闘で、ハウンドを自暴自棄に走らせた最大の要因だ。少年少女兵がどのような戦い方をするか、軍曹もよく知っているだろう?」
ニコラスは押し黙った。言うまでもないだろう。
少年少女兵の戦い方は基本捨て身だ。
己が所業の結末を知らぬ無垢さゆえの凶行。
己が命の重さを知らぬ無知さゆえの無謀。
加えてまだ善悪の判断が育ち切っていないため、驚くほど容易に残酷なことができてしまう。
そのうえ刷り込みでどのようにも仕込めるため、非力で脆弱なことを除けば非常に使い勝手の良い駒なのだ。
飼い主の命令に忠実な、冷酷無比の殺戮人形。
ハウンドはそこに至る前になんとか逃げ切れたようだが、自分の命を軽んじる傾向は捨て切れていない。
己の命と引き換えにUSSAを道連れにする、などということを簡単に選択できてしまうのだ。
それが前回、ハウンドがアーリントン国立墓地で自殺行為に及んだ原因だと、アンドレイは踏んでいる。
――問題は彼女がなぜUSSAが手の出しにくいアーリントンを選んだのかということだが……いま軍曹に伝えるべきことではないな。要らぬ心配を招く。
「そういうことだ。頼んだぞ、軍曹。君が命綱だ。君なら、いや、君だけが彼女を繋ぎとめられる存在だ。くれぐれも目を離してくれるな」
『もちろんです。何かあればすぐすっ飛んでいきます』
「うむ。何かあったらすぐに連絡しなさい。できる限りのことはしよう」
アンドレイは通話を切った。
今回の任務はヴァレーリ・ロバーチ両家の幹部が同行しているという。“鍵”に逃げられてさぞ憤慨しているだろう。
軍曹が上手く言い訳してくれることを祈るとしよう。あのシバルバ領で仲間割れなど冗談ではない。
今回のシバルバ一家からの依頼を、27番地は断れなかった。
断るわけにはいかなかった。
特に『六番目の統治者』であるハウンドは。
だから依頼自体が罠と知りつつも乗り込んだのだ。
少年二人を連れているのが気がかりだが、それさえ除けば二人は、即時ドローン修理可能かつ操縦に長けた操縦手と、即戦力になり得る天才ハッカーだ。
現時点、27番地に二人の代わりとなれる人間は存在しない。
元特警のマクナイトもついていることだし、ここは彼らがヴァレーリ・ロバーチ両家と協力しつつ、無事帰ってくることを信じて待つとしよう。
目元を指で揉んだアンドレイは、ふと今回の通話内容を記録しようと、パソコンを立ち上げ電子カルテを開いた。
日々の細やかな記録は、当該患者の治療だけでなく他の患者治療にも役立てることができる。やや面倒だが、大切な日課だ。
ファイルの中からニコラスとハウンドの名を探し、先にハウンドのファイルを開く。
「おっと、そういえばまだファイル内の整理をやっていなかったな」
せめて画像の整理ぐらいしておくかと、アンドレイは一番上にあったレントゲン写真をクリックした。
日時と撮影した部位ごとに分類するためだ。
開いてみれば、それはハウンドの上半身を撮ったレントゲン画像だった。
紙カルテの方も参照しつつ、名前を変更してファイリングしようとした、刹那。
「――ん?」
不意に違和感を覚えた。
何かは分からない。だがアンドレイはこの手の違和感を大事にしている。
アンドレイはすぐさま画像を拡大した。
環椎と第二頸椎の間、ごく僅かに白いもやがある。腫瘍や炎症が起きている時に見られるようなものに似ているが、これは――。
「…………まさか。いや、そういうことか!」
アンドレイは椅子を蹴倒して立ち上がった。
これだ。これがハウンドの本当の目的だ。
彼女はすでに『失われたリスト』を持っている。
彼女そのものが、『失われたリスト』だ。
道理で死にたがったはずだ。なにせ、すでに彼女の計画は完結している。
いつでも実行に移せるのを、あえて待機しているに過ぎない。
――そうか。だからアーリントン……!
かつて彼女を命懸けで護った五人の兵士、しかしその死すら抹消された無名の英雄。
なんたることだ。これでは生ける墓標ではないか。
もしや彼女は、そのためだけにアメリカに来たというのか。
たとえ仇敵USSAに殺されることになっても。否、殺されることによって彼女の目的は達成される。
なんということを。
――商業組合の招集を、すぐに議会を開かねば。任務などしている場合ではない。これではみすみす奴らにリストをくれてやるようなものだ。今すぐハウンドたちを呼び戻さねば。
スマートフォンを鷲掴みにした、その瞬間。
カツン。
と、何か窓にぶつかる音がした。
***
「聞いてもらった通りだ。そういうわけだから、少なくともハウンドは今はまだ大丈夫だと思う。安心してくれ」
「……そう言われて俺たちが納得するとでも?」
「そーだよ。勝手な真似しやがって」
手下たちと共にこちらを囲むカルロとセルゲイの目は鋭い。ニコラスもそれを甘んじて受け入れる。
ハウンドの単独行動を見送った直後、ニコラスはヴァレーリ・ロバーチ両家の構成員に捕縛された。
今回の任務に際し、カルロとセルゲイに随伴していた部下である。
これまで姿を現すことなく別行動していたのは、二人の護衛兼、ハウンドの監視役として内密に待機していたためだろう。
それが今、監視対象をみすみす逃がした不届き者を、こうしてとっちめに現れたというわけである。
もちろん、その頭であるマフィア二人は完全におかんむりだ。
「あーあー、おめーなら止めんだろうと思って見過ごした俺ちゃんが馬鹿でしたー。はあああああ。これボスになんて報告しよ……」
「黙っておくしかないか……。首領に報告しようもんなら、自ら乗り込んできかねん」
そろって顔を覆い、どでかい溜息をついた二人に、手下たちの同情的な視線が集まる。
とはいえ腐ってもマフィア。即座に切り換えた二人はぐるんと顔をあげ。
「で?」
「あのじゃじゃ馬はなんて?」
「いや。特に何も言わずに行ったが……」
それを聞くなり二人は露骨に舌打ちした。
ハウンドが自分にだけ何か打ち明けて離脱したのだろうと勘繰ったのだろう。
隙あらば情報を聞き出そうとする抜け目なさは流石ではあるが、本当に何も聞いていないのだ。聞かなかったし。
――ループタイのことは伏せておくか……。
一人内心で頷き、ニコラスは困惑顔で立ち尽くしている四名を振り返った。
「そういうわけだ。俺たちは今後、ハウンドとは別行動でいく。それが伝えたくてな。唐突ですまない」
「いや、唐突なのはいつものことだからいいんだけどさ……」
「朝っぱらからなにやってんの……」
「…………眠い」
目をしょぼつかせながらブツブツぼやくケータ、ジャック、ウィルの三人に対し、ペレスは昼間と変わらぬ完全武装だ。恐らくそのまま寝たのだろう。
任務に忠実というより、それがこのシバルバで生き残る最低限の知恵なのかもしれない。
「何といいますか……もしかして、そちらの統治者は存外気まぐれなので?」
「存外どころかかなりだな」
「はあ」
苦労しますね、と呟いたペレスに、ニコラスは「こいつとは仲良くなれそうだ」と思った。
小気味よい電子音が、一つ。
ポケットに手を突っ込んだニコラスは、通知を確認するなり頷いた。
「ハウンドからだ。無事、二等区の16番地に潜入したそうだ。ペレス、確か被害者の半数が二等区で姿を消してるよな?」
「はい。あと三等区にも何人か」
「ならお互い手分けして現場検証してくか」
「俺たちはともかく、ハウンドがそんなほいほい動いて大丈夫なのか? ここ一応シバルバのお膝元だろ」
やっと眠気から解放されたらしいケータが心配そうに眼をこすった。
シバルバから一番マークされているであろうハウンドが、そう易々と潜入できるのかと問いたいのだろう。
するとニコラスに代わり、ペレスが回答した。
「シバルバは移民が多いんです。他一家が移住に際し、多額の上納金を要求して制限してるの対して、シバルバにはそういったのはありません。なんで彼女みたいな東洋系も珍しくないんですよ。変装すれば多少は誤魔化せるかと」
「へえ、そうなのか」
「ただ一か所に留まるのは難しいと思います。ここの人間は余所者への警戒心がかなり強い。下手をすると一家へ密告されてしまう」
「ああ。ハウンドもその点を注意してるみたいだな。できる限り半日おきで場所を移動するそうだ」
通知音と共に連投されるメッセージを一瞥して、ニコラスは頷いた。
それを背後から覗き込んだカルロとセルゲイは、不承不承といった体で渋面をつくった。
「まあ音信不通になるよりまだマシか」
「位置情報も共有できるっぽいしねー。番犬ちゃん、あとでそのスマホ貸ーして」
「断る。情報だけ口頭で共有してやる」
「なんでよー、仲良くしようよー」などとセルゲイが絡んでくるが、ガン無視する。
また妙な監視アプリなど仕込まれるのはごめんだし、ループタイという強みを失うのは避けたかった。
そんな時、欠伸を噛み殺したジャックが「ねえ」と声をあげた。
「そもそもの話なんだけどさ。ハウンドってなんでこの依頼受けたの? 罠だって分かりそうなもんなのに」
言われてみれば、と全員が考え込む。ニコラスは黙ってそれを見守った。
するとペレスが、ゆっくりと重たげに口を開いた。懺悔室にて己の罪を告白するように。
「……領民、だからでしょう」
「領民?」
「ええ。元ではありますがね。自分もそうです」
「アンタもか」
ニコラスが言うと、ペレスは頷いた。
「ええ。家族と一時、27番地に住んでいたことがあります。依頼が自警団に持ち込まれたのも、そういうわけだと思います。私を通せば『六番目の統治者』を説得できると思ったんじゃないですかね」
「え、え、え? どういうこと?」
ジャックが困惑したように周囲を見回す。それを見たペレスは観念したように嘆息した。
「今回、失踪したのは元27番地住民なんです。それも全員」
ニコラスを除く全員がぎょっと振り返る。
視線を一身に受けて、ペレスはやや肩を丸めながら説明した。
「27番地とシバルバの“十三日の攻防戦”はご存じでしょう? その戦いで27番地から裏切者が出たことも。あの時ハウンドさんが行った粛清と報復に、ついていけない住民がいたんです。それがこの失踪事件の犠牲者であり、依頼人なんです。私はその代表に過ぎません」
そう嘆息したペレスの目には、深い後悔と不安、それらに塗り潰されそうな微かな希望が見てとれた。
もはやこれ以外に縋るものがないと、一心に祈っているように思えた。
「……てっきり断られるものと思ってました。彼女は若いですけど慈悲深い人ですね。ウェッブさんはご存じでしたか」
「犠牲者の名前に心当たりがあってな。今のにはないが、初期のころに作成された名簿にあった」
「ああ、まだ残してたんですね」
完全に愛想つかされたと思ってましたよ。
自嘲気味に肩をすくめるペレスに、カルロが鋭く問うた。
「なぜシバルバに移住しようと思ったんだ。何か条件でも出されたか」
「まさか。我々だって殺し合った連中のとこなんかで暮らしたかないですよ。大半が特区外に出ました。そこで暮らそうと頑張ったんですが、所詮は棄民ですからね。市民権を売り払った我々は合衆国内では不法移民扱いだ。
仕方なく特区へ逆戻り、27番地以外の各番地を転々としているうちに、いつの間にかシバルバに来てたってわけです。成り行きですよ」
「……まさかと思うがよ。それ、シバルバが仕組んだ結果、なんてことじゃねーだろうな」
確認に近いセルゲイの詰問に、ペレスは「かもしれませんね」とあっさり答えた。
「確証はありませんよ? ただ私がここへ住む羽目になったのは、弟が麻薬にはまったのが原因ですからね。それもシバルバが以前から極秘裏にミシガンへ流してたやつです。それだけ連中のハウンドさんへの恨みは深いってことなんでしょう。ほんと、よくここに来てくれたもんですよ」
申し訳なさげに項垂れるペレスを見て、ニコラスはなぜ彼が老けて見えたのかの理由を悟った。
一滴でも血を垂らせば嗅ぎつける頬白鮫のように、シバルバはずっと27番地への報復の機会を窺っていたのだ。
彼の鮫は餌を選ばない。喰らえるものは何でも喰らいつく。
たとえそれが棄民であろうと、ハウンドへの報復となるなら手段を選ばないということか。
「……そちらの状況は分かった。それでペレス、お前はこちら側の人間ってことでいいんだよな?」
「ええ。それはもちろん。あのシバルバの味方なんて死んでもごめんですからね」
「ならいい。俺たちとしても、現地に詳しい人間が必要だからな」
「詳しい、ですか。確かに余所者よりはマシですね」
含みのある発言にニコラスは眉をしかめた。
行けば分かりますよ、とペレスは言った。
「百聞は一見に如かずってやつです。ヘルハウンドさんも向かってることだし、夜が明けたら現場検証がてら我々も向かいましょう。この街の現状を知ってもらうには、見てもらった方が早い」
ペレスの提案に、全員が顔を見合わせた。
得体のしれない不安を内に抱えて。
次の投稿日は3月22日です。




