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プロローグ

この小説はフィクションです。実在の人物・団体・組織機関などとは一切関係ありません。

「お前、自分に価値なんてないと思ってるだろ?」


 倒れ込んだ自分の腹に跨った女は、そう、ゆっくり宣った。


 改めて、美しい女だと思った。


 髪も、瞳も、服も、靴も、すべてが漆黒で、肌だけが白い。白黒映画の中から飛び出したような姿なのに、やけに鮮やかで光って見えた。


 けれど、それは“麗しい”だとか“艶やか”などいう光ではない。


 振り上げられた刃の、月光の下で煌めく鋼刃の切っ先。死を迎える兵士が最期に目にする輝き。

 そんな恐ろしく物騒で、不吉な光。けれど瞬きの間も目が離せぬ、刹那の美。


 女は漆黒の瞳を不機嫌そうに眇めて、僅かに顔を近づけた。


「飼い主の手を噛もうとしたくせに惚けるとはいい度胸だ。番犬としての自覚がまるでないな」


「……俺みたいなのが、役に立つと本気で思ってるのか」


 呻くように返すと、女の口端がつり上がった。口元だけがナイフで切りこんだような笑みをつくった。


「なるとも。給料を酒につぎ込むのを止めて、睡眠薬をシリアルがわりに食うのを止めればな」


 女が親指で指した方角と逆方向に顔を逸らす。買ったばかりの瓶は割れ、安いウィスキー特有の薬品臭が鼻を突いた。


 無様な醜態が愉快なのだろうか、女はクスクス笑うと小首をことりと傾げた。


「いいだろう。そんなに見たいのならくれてやる」


「…………なにを?」


「戦場」


 女はもう笑っていなかった。削げ落としたような無の表情で、心臓の上を指でとんと突いた。


「死にたがりの負け犬、お前に戦場をくれてやろう。お前が求めてやまない、愛しくもおぞましい地獄に戻してやる」


「そこでお前が、俺に、価値を与えてくれるってのか?」


「まさか。私は何も与えない。お前がお前自身に与えるんだ」


 俺が?


 意味が分からず言葉だけが頭で反芻する。


 俺が、俺自身に価値を与える。すべてを失い、空っぽの俺が、一体なにを与えるというのか。


「お前がお前自身をどう思い、どう扱おうと知ったこっちゃない。だがお前はすでに私の番犬、私の所有物。私に拾われた以上、私の望む存在になってもらうぞ。飲んだくれの番犬なんぞ、クソの役にも立たんからな」


 逃げるなよ?


 緩やかに、滑らかに女の唇が動いて、口内が見える。鮮血のような赤をみて、初めて白と黒以外の色があったと気付いた。


「失ったのなら取り戻せ。失くしたのなら探し出せ。言っただろう、お前は価値のある男だと。そうでなければ、この私が拾うものか」


 女の瞳に男は吸い込まれた。奈落のような漆黒の奥底に、燃え盛る何かを見た気がした。


「銃を取れ、ニコラス・ウェッブ。戦え。戦って己を取り返せ。そのためにこの墓場はある。せいぜい嗅ぎまわって彷徨え。その先に何があろうと、お前がどんな姿に成り果てようと、私はお前を愛してやるさ」


 女が高らかに謳った。荒野で縄張りを叫ぶ狗のように。獲物を屠り咆哮する獣のように。不遜に、堂々と。


 男は意味が分からなかった。

 女が自分を信じる理由も、戦わせたがるわけも、何もかも。


 だがその声明は明瞭に響いて、心を打った。


 負け犬と言えど、犬は犬。

 それが命令とあれば、従うまでだ。


「分かった。戦えばいいんだな」


「ああ。戦え、私のために、お前のために」


 ようこそ、ニコラス・ウェッブ。私の墓場にようこそ。


 女は先ほどの胡散臭い笑みを浮かべて、掌を差し出した


 それに、男も手を伸ばした。芸を仕込まれた犬が『お手』をするように。恐る恐る女の手を取った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後のスコープを除くシーン………。かなりゾワッとしました………!
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