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最終章 大切な人へ捧げた曲

【最終章 大切な人へ捧げた曲】

 裏サイトの管理人は高橋祭という噂を耳にしたのは、裏サイトが消えてその噂の尾ひれが広がりきった頃だった。携帯電話は便利なもので画面メモという機能がある。物好きな誰かが、ハーメルンが書いた裏サイトの調査報告をわざわざ保存して、そこから消去方でたどり着いた結論らしい。またしても祭を守るはずのハーメルンが、祭のことを追いつめる方向に動いた。噂だから証拠は無いが、否定をする根拠も無い。その上で真実だから質が悪い。サイト経由では無く口頭やメールで回っている噂なため、回るのに時間がかかるだろう。けれど見過ごせない。

 昼休みに辰巳と春菜を非常階段に呼び出して、どういう対策をするか話し合う。祭のことは呼んではいないが、祭に知られる前に噂を消すのがベストだ。

「とりあえずハーメルンで否定してみるか?」

 辰巳が言う。

「まだそのタイミングじゃないだろ? 裏サイトの本当の管理人を知ってると思われてる以上は、発言に気をつけないとまずい」

「でも私達が裏サイトの本当の管理人を知ってるのは、考えようによっては好都合じゃない? ただ否定するだけで、相手は不正解だと思い込むでしょ?」

 確かにその通りだ。タイミングを見計らって、裏サイトの管理人を当てるというような窓口を作ろうと決める。

「問題はスクールだよな」

 スクールは高校の携帯サイトの番人になろうとしている。そのため祭が見せしめとして吊し上げることは十分に考えられる。けれどハーメルンに出来ることはまだ無い。極端に裏サイトの肩を持つ事になれば、裏サイトの管理人を聞かれて不正解と返答しても真実味が薄れる。俺達に出来ることを三人で考えながら、昼休みは過ぎていった。


 翌日には裏サイトの管理人が祭だと言う話をしている同級生を朝から何度も見た。噂が流れる速度は凄まじい。ちっぽけな情報が曲解されながら広がっていく。

 一時間目が始まってすぐに祭は早退した。特に体調が悪そうな節も見つからなかったのに変だ。辰巳と春菜に視線を送ると、二人も同じ感想を持っているようだ。得体のしれない不安を抱えながら一時間目を終える。

 祭に何かがあったことは間違いないだろう。ただ今流れている噂を聞いて不安になっただけならばまだ良い。けれど誰かの悪意が祭に向けられたとしたら状況は違う。そんな最悪なイメージが頭に浮かぶ。

「祭、何かあったの?」

 不安や怒り、マイナスの感情を隠して、祭の席に近い場所にいるクラスメイト達に聞く。

「わからないけど、携帯電話見てから顔色変えていなくなったよ」

 返事を聞いてから祭にメールを送る。何が起こったか、それを知りたい。なるべく多くの情報を仕入れたいと思い、祭と話すところを見たことがあるクラスメイトから話を聞いて回る。ペアのストラップに気付いた目敏い奴から冷やかされながらも収穫はあった。

 祭にメールを送った奴がいた。噂好きのクラスメイトの細木だ。自慢げに裏サイトの管理人かどうかという内容のメールを送って反応を見たと言っていたが、これは前にハーメルンで使った手口だ。俺達の行動は何かと裏目に出てしまっている。

 昼休みまでには高校内の公式見解として、祭は裏サイトの管理人という扱いになった。スクールの方は、さすがにまずいと思ったのか、裏サイトの管理人について言及する記事は削除されていた。けれど何が起こるかわからない。今も祭の机のそばで、こそこそと何かをしようとしている奴が辰巳に追い払われた。水際で辰巳が止めている間に、俺に出来ることは無いだろうか。

 相談する相手を考えると、関水先生が頭に浮かび、一人で美術準備室に向かった。

「なんか久しぶりね」

 関水先生から笑顔で迎え入れられて、コーヒーを二人分用意して座る。

「濃さも丁度良いし、上手になったんじゃない?」

 コーヒーの味を誉められるが、今は素直に喜んでいられる状況じゃない。話をどう切り出そうか悩んでいると関水先生が口を開いた。

「思い詰めたような顔して、何を悩んでるの?」

 端から見て悟られるような顔をしているのだろうか。

「祭の噂知ってますか?」

「知らないけど、悠也君をそんな顔にさせるって事は、ずいぶん深刻みたいね」

 関水先生に事の経緯を説明する。裏サイトが無くなったこと、ハーメルンの調査方法が利用されていること、結果として祭が裏サイトの管理人候補に上がり噂になったこと、そして今日の早退がそれを裏付けたこと。ハーメルンの事は客観的に、また祭が本当の裏サイトの管理人だと悟られないように細心の注意を払った。

「悠也君は真実って何だと思う?」

 まるで禅問答かのような質問をされる。

「真実は、大多数が信じる事ですか」

 どんなに間違ったことだとしても、それが簡単に論破出来ることだとしても、大勢が信じているという事実はそれらを捻り伏せてしまう。

「そうね。じゃあ真実を作るにはどうすればいいと思う?」

 関水先生は正解とも不正解とも言わずに次の質問をしてくる。その目はまるで俺の心の内を見透かしているように見える。

 この質問に大多数に信じさせると答えたら、次の質問は、大多数に信じさせるにはどうすればいいかに繋がる。もっと核心に近付かなければならない。

「根拠を持たせることです。根拠を持たせるには事実が必要で、事実を作るためには行動をすることが必要です」

 俺の返事を聞いて関水先生は微笑む。

「きっと――それが悠也君の答えよ」

 はっきりとわかる。関水先生は何か大切な事を伝えようとしてくれている。それが何なのか、今の俺にはわからないが、決して忘れてはいけない何かだ。

「私はもっと単純だった。真実っていうのは、自分よりも大切だと思える誰かに向ける気持ち。これが悠也君と同い年だった頃の私が出した答えよ」

 俺が祭に向けている気持ちが真実なら、それが他人にとって信じられるものなら、俺に出来ることが見えてくる。

「一つだけ教えてあげる。都合の良い感情は表に出さないようにしなさい。笑った方が良い時に笑うんじゃなくて、笑いたい時だけ笑える男になったほうが素敵な男になれるわよ。悠也君は周りに気を遣うじゃない。それは悪いことじゃないけど、いつだって正解とは限らないからね」

 深く礼をする。言葉では無く行動で感謝を示す。それが一番ふさわしいような気がした。

 それから会わなかった間に何をしていたかという話を続けて、授業が始まる前に席を立った。


 翌日、祭は高校に来なかった。昨日送ったメールの返信も来ていない。朝の教室でハーメルンに出来ることを考える。真実は大多数、それを味方にする。ハーメルンはあくまで象徴的な存在だった。人気はあるが、味方がいる訳じゃない。

 スクールの方は掲示板が消えた。これは祭の噂を抑える対策だろう。けれど、噂はサイト上だけで広がるものじゃない。携帯サイトの無力さを実感する。

 対策を打なければならない。まずは祭のフォロー、次に悪質ないたずらを止めて、最終目的は噂を消すこと。何をすればいいのか、答えが見つからない。

「やめろよ」

 教室内の会話が消えたと同時に、情けない声が聞こえてくる。見ると辰巳が細木信二の胸倉を掴んでいる。その顔はボーリング場で見た時と同じものだ。理由は考えるまでもない。祭のことを馬鹿にされたのだろう。

「やだよ」

 辰巳の声は冷たい。

「僕が何をしたって言うんだよ」

 辰巳に胸倉を捕まれたクラスメイトは怯えきっている。

「わからねぇなら余計に許せねぇな」

 このままだと殺しかねない。そんな風にまで思わせられた。チャイムが鳴り、細木は安心した表情になるが、それは間違いだ。今の辰巳を佐藤先生が止められるはずがない。

「助けて」

 悲鳴が上がるが、他のクラスメイトは見て見ぬふりをしている。まるで黒魔術の儀式のように、恐怖に襲われている生け贄を傍観している。

「何をしてる」

 教室に入って来た佐藤先生が言うが辰巳は無反応だ。大事になることを恐れて止めに入る。

「どうにかするから、もう少しだけ我慢してくれよ」

 俺の言葉を聞くと辰巳は力無く頷き、胸倉を掴んだ手の力を緩めた。

 もう限界に近いのだろう。現に辰巳は爆発して、ホームルームが終わった直後に生活指導室へと連行された。春菜を見ると悔しそうに唇を噛んでいた。


 放課後に佐藤先生から聞き出した住所を頼りに祭の家へと向かう。メンバーは俺と辰巳と春菜の三人だ。春菜が見立ててくれた手土産を割り勘で買って、何の話をする訳でも無く歩く。お見舞いという名目だが、祭が仮病であることは二人も薄々感じているだろう。

 住所のメモにある場所はオートロックのマンションだった。インターホンのパネルに部屋番号を入力して、呼び出しのボタンを押す。

「はい。高橋です」

 呼び出し音が二回鳴った後で、声が聞こえてくる。

「クラスメイトの鈴木悠也と言います。今日は友人とお見舞いに来たのですが」

 出た相手が母や姉であることを想定して丁寧に答える。

「私だよ。今開けるから待ってて」

 その反応で祭だと思う。機械越しに聞く声は、本人とわかりにくい。

 自動ドアが開き、中に入る。祭の住んでいる二階五号室へ着くと、祭は玄関のドアを開けたまま俺達を待っていた。服装はパジャマと言うよりは部屋着のようだった。

「お邪魔します」

 玄関からリビングまで聞こえるように言う。

「どうぞ。私しかいないけどね」

 返事は家族からではなく、祭からされた。玄関で辰巳が無造作脱いだ靴を、自分の靴のついでに揃えて家に上がる。春菜が申し訳程度に買った手土産を手渡すと、祭は嬉しそうな顔で俺達に礼を言った。

 祭の部屋に入ると、女の子のオーラが漂っていた。淡いピンク色のカーテンに、整えられたベッドの上にはぬいぐるみ。床にはカーテンと同じような色の絨毯が敷かれ、その中心にはローテーブルがある。そのローテーブルの上には読みかけの本が伏せられていた。いきなり押し掛けたにもかかわらず部屋は片付いている。

 本当はお見舞いという形では無く、彼氏として、妥協したとしても友達としてこの部屋に来たかった。口実無く遊びに行ける関係では無いことが寂しい。

「コーヒーと紅茶どっちが良い?」

 祭に聞かれて、全員コーヒーを頼んだ。祭がいなくなり三人でローテーブルを囲むように座る。誰一人として思ったことを口にしなかった。祭は登校拒否の頃に戻っている。それは重過ぎる事実だ。祭の明るい笑顔が、逆に俺達の気を重くさせる。

 祭は四人分のコーヒーと手土産に買ったシュークリームをトレイに乗せて持ってくる。よく同じ形のマグカップが四つもあるなと感心する。祭はトレイの上にある物をローテーブルに移してから、俺達と同じように床に座った。

 なんとなく高校での出来事を話しながら、コーヒーとシュークリームを口に入れる。俺達は逃げてしまっている。現実から目を背けて、この瞬間を楽しく過ごす。本題を切り出すタイミングを見計らいながら、三人を見るが会話が止まらない。話すことを止めてしまったら、全てが崩れ落ちてしまいそうな、そんな雰囲気がある。

「あのさ――」

 意を決して会話に口を挟む。辰巳と春菜にはその意味がわかってもらえたようで、会話が止まりそうになるが、祭は言葉を続ける。

「それでね。私――」

「もういいよ。そんなに無理するなよ」

 祭の言葉に口を挟む。嫌な役目だ。和やかだった場の空気が一転して、重苦しくなる。

「辛いことがあるなら泣けばいい。許せないことがあるなら怒ればいい。嫌なことがあるなら悩めばいい。なんで――そんな風に笑っていられんだよ」

 時間が止まったかのような沈黙の中で、時計の針が回る音だけが聞こえてくる。まるで今、動いているものが時計だけのような錯覚を感じる。そんな中で祭が微笑んで、俺達の時間は動き出す。

「私だって、辛いし、許せないし、こんなの嫌だよ。夜は一人で泣くこともあるし、嫌がらせのメールもたくさん来た。だけど――私の代わりに春菜が泣いてくれてる。辰巳君が怒ってくれてる。悠也君が悩んでくれてる。それが嬉しいの。だから私は、みんなといる時だけは笑っていられる」

 祭は小声で自分に言い聞かせるように言った。

「嘘つくなよ。春菜ちゃんが泣いて、俺が怒って、悠也が悩んで、俺達は祭ちゃんの代わりにこんなことしてるんじゃねぇ。祭ちゃんを守れない事が悔しいから、それぞれ苦しんでるんだ。それが嬉しいなんて、頼むから言わないでくれよ」

 辰巳は吐き出すように言葉を出す。溢れ出る感情が抑えきれないようで、その目は血走っている。

「嬉しいって言ってごめんなさい。でもみんながいれば本当に大丈夫だから」

 祭は自分の言葉を反省するように小声で呟く。

「本当は大丈夫じゃないだろ?」

 祭が泣きそうな顔で口にした大丈夫という言葉を鵜呑みには出来ない。

「わかったようなこと言わないでよ」

 祭のたった一言で突き放される。けれど俺も男だ。これぐらいでは引けない。

「わからないよ。祭が話してくれないからさ。だけど――だから俺なりに考えるんだよ。本気で祭の事をわかりたいからさ。だから、わかったようなことを言われたくないなら、俺に教えてくれよ。俺にわからせてくれよ。今、祭が抱えている物を全部」

 自分でも何を言っているのかわからない。時として言葉に意味は無くなる。だけど伝えたい。

 祭を見るとその瞳が潤んでいる。目尻からこぼれ落ちそうな大粒の涙が流れ出すまでに時間はかからなかった。

 限界までせき止められたダムが決壊するかのように、その涙は止まることなく流れ続けている。

 春菜はもらい泣きして、祭以上に派手に号泣している。辰巳は二人の泣き顔を見ないように気遣って、視線をマグカップに落としていた。

「助けて」

 祭は涙が止まらないままで言う。俺はずっと、この言葉を待っていた。辰巳はあえて口を開くことはせずに、俺に向かって顎をしゃくった。

「まかせろ」

 力強く、簡潔に伝えた。これ以上の言葉は不必要で、これよりに短くすることも出来ない返事だ。この言葉を言いたくて、この言葉を求められたくて仕方が無かった。


 お見舞いの翌日、祭は高校に来た。俺達の言葉が響いたのか、自分の中で一段落着いたのかはわからない。けれど教室に祭がいるという事実は、俺のことを奮い立たせてくれた。

 ただひたすら祭の事を救う手段を考え続ける。考えていると直感が鈍るという辰巳の台詞を思い出す。けれど直感なんて便利な物を持ち合わせていない俺には、考える以外に答えを導く方法はない。

 やるべき事は見えてきているがリスクが大きい。けれど祭から助けを求められた。それは持っている全てを賭けるのに十分過ぎる理由だ。春菜のことを巻き込みたくないため、辰巳だけに呼び出しのメールを送る。

 非常階段へ向かうと、俺よりも先に辰巳は着いていた。辰巳はヘッドフォンから流れる音楽を聞きながら、足でリズムを刻んでいる。その表情が心なしか明るいのは、俺が行動に移るという事を見越しているからだろう。

「春菜ちゃんがいないって事は、そういう事なんだろ?」

 辰巳が前振りも無く言い出した。理解が早くて助かる。

「お前の事巻き込んでもいいか?」

 辰巳は無言で口角を上げる。言うまでも無いという訳だ。味方が一人いるだけで心強い。

「それで、どんな作戦を立てたんだ?」

「まずハーメルンに連名欄を作る。そこに名前を書けば、ハーメルンのメンバーになるって感じかな。それが全校生徒の半数を超えたところで、ハーメルンとしていじめを止めるための声明を出そうと思ってる」

 頭の中にあるイメージを言葉にして説明するが、伝えることが出来たのかわからない。より明確にしようと話を続ける。

「祭に対して嫌がらせをしてる奴っていうのは、それが正しいって共通意識を持ってるはずなんだ。だから、その部分を揺さぶって否定出来れば、次は祭を守る事が正しいって意識を植え付けることが出来るだろ。そうすればこの問題は終わる」

「そんな簡単に出来る事か?」

 簡単じゃない。その上、リスクも高い。それを説明すると、辰巳は空を見上げて微笑む。その表情は俺の答えに満足したようでもあり、覚悟を決めたようでもあった。

「じゃあ始めるぜ」

 携帯電話を開く。辰巳は黙って頷いた。ハーメルンの全ページを削除して、連絡用のメールボックスと連名欄を作る。そこに俺の名前を書き込んだ。

 ――これからハーメルンの連名欄を作ります。ハーメルンは今後、高校内でのいじめ対策機関としての役割を持とうと思い、その意志決定には生徒の力が必要です。一人でも多くの名前がこの場所に書かれることを願う。 ハーメルン代表 鈴木悠也

 書き上がった内容を辰巳に見せてから、サイトを更新した。名前を出せば話題になりやすく、又信用されやすくなる。すぐ辰巳にも第一号として連名へ加わってもらい全ての準備が整った。

 チャイムが鳴り教室へ戻ってもまだハーメルンにアクセスした生徒はいないようで特に注目を浴びることはなかった。どうなることやらと思いながらも授業は始まる。するとすぐに、ちらちらと俺のことを見るクラスメイトが何人か出てきた。この分だと俺は次の休み時間に人気者になれそうだ。

 案の定、授業が終わると俺はクラスメイト達に囲まれることになった。内容は言うまでもない。ハーメルンの管理人が俺だったという件についてだ。祭についての私情を隠して、真摯に受け答えをする。大事になることは覚悟していたが春菜を巻き込まないようにしたのは正解だかわからない。春菜と祭を見ると辰巳が説明してくれているようだ。良い相棒を持っていると何かと助かる。

 六時間目の授業中にハーメルンにアクセスすると、連名が増えている。俺のさっきの受け答えが好印象だと感じてもらえたようで、休み時間に俺の周りにいたクラスメイト達の名前は一人残らずあった。この後は時間の問題だろう。

 放課後には同級生が俺のクラスに押し寄せて来た。好奇心で見に来る生徒もいれば、俺に共感してくれて話を聞きにきてくれる生徒もいた。その一人一人に対して、ハーメルンが考えていることを説明する。いじめを無くすという大義名分は、同級生達に心地良く響いたようで、その場でハーメルンにアクセスして名前を入れてくれている奴もいた。

 ハーメルンの連名欄に名前が増えていく。この調子で事が進めば、あとは時間の問題だ。

 翌日は朝のホームルーム前に春菜から仲間外れにしないで欲しいと言われた。その目が寂しそうで罪悪感に胸を締め付けられる。それから昨日と同じように人は増えた。当初の目標であった全校生徒の半数までは届かないが、俺を知る同級生のほとんどが入っている。

 順風満帆に事は進み、ハーメルンにも連絡が来る。窓口からのいじめの情報をサイトのトップに乗せる。もちろん本人に確認を取った後だ。無くなったジャージを探して欲しいなんてものから、クラスでの陰口を無くしたいなんてものもある。

 流れに便乗して、祭のことを書く。裏サイトの濡れ衣を着せられているという内容だ。これが抜本的な解決になるかはわからない。

 昼休みに四人で美術準備室へ向かう。ハーメルンが起こした最後の騒動は落ち着きを見せだして、俺の元を訪れる生徒はいなくなった。もう教室にいる必要は無いだろう。

「成功したみたいだぜ。馬鹿な噂をする奴はいなくなってる」

 辰巳が口を開く。この騒動が起きている間は、話もままならない状況だったため、久しぶりな気がする。

「うん。上手い具合に祭ちゃんの話も逸れたと思う」

 春菜が言う。

「ごめん。ハーメルンは無くなる」

 二人に深く頭を下げる。

「構わねぇよ。必要になったら、また作ればいい」

「そうそう。何も謝ることは無いよ」

 二人が言ってくれて救われた気持ちになる。

「私のせいだよね」

 祭が口にするが、暗い雰囲気にはならない。

「こっちは初めからそのつもりだから」

 祭に向かって言った。

「でも私、ここまでしてもらえる資格無いよ」

 俯きがちに祭が呟く。

「資格なんて欲しけりゃ俺がやるよ。賞状も必要か?」

 辰巳が言い切る。祭はその冗談に笑い、場の雰囲気が良くなった。相変わらず偉大な男だ。たった一言で空気を変えてしまう。

 ハーメルンに掲示板を作り、そこにいじめを止めた武勇伝の書き込みが増えるように仕向けた。その結果としていじめを止めることが格好良いというような風潮さえ出始めている。ここまでにハーメルンの全てを使い切ってしまったが、満足のいく結果になっている。

「放課後ちょっと来てもらえるか?」

 祭と水族館に行って以来、ナポレオンフィッシュにしか見えなくなった佐藤先生から呼び出しを受ける。ハーメルンの話が教員に回ったのだろう。トップページに堂々と俺の名前を載せたのだから仕方が無い。返事をして一時間目の授業を待った。

 授業の途中で辰巳が保健室へと行った。教師の許可を取って教室を出てから目が合う。仮病だと辰巳の顔に書いてあった。結局辰巳は一時間目から四時間目までを保健室で過ごして、昼休みからは普通に授業を受けていた。

 放課後に佐藤先生と職員室へ向かう。その途中で辰巳に呼び止められる。

「悠也、切り札だ。持っていけ」

 辰巳がボイスレコーダーを手渡してくる。

「何に使うんだよ」

「困ったら再生しろ」

 佐藤先生が俺と辰巳との会話の終わりを待っていたため、訳がわからないままに礼を言って切り上げ、歩き出した。

「本当に頼むよ」

 佐藤先生は暗い表情で額を撫でる。何を頼まれているのだろうか。おそらく佐藤先生は俺が間違っていないと思っている。けれど教師という立場上、問題を起こした生徒は指導しなければならない。だからこの頼みとは、余計な事を言うなという意味なのかもしれない。

「最大限に努力しますよ」

 皮肉混じりの優等生的な返事をするが、それを聞いた佐藤先生の表情はより暗くなる。この先生は、やっと俺の性格に気付いたのかもしれない。

 呼び出された場所が生活指導室でないのは、今まで俺が優等生として振る舞ってきた見返りなのだろうか。職員室を通り、来賓を迎えるための部屋に案内される。

 革張りの高そうなソファーがテーブルを囲み、敷かれた絨毯にも手の込んだ模様が入っている。他の教室とは違う雰囲気の中で、佐藤先生に促されて腰を下ろす。

「少し待っててな」

 佐藤先生がいなくなる。問題を起こした生徒では無く、重要参考人としての扱いなのだろう。言葉尻が柔らかい。

 やることも無く、これから起こるであろうことを考える。担任の佐藤先生と生活指導のカバ田は確実に来るだろう。この部屋の広さから考えると、学年主任、教頭、もしかしたら校長までもが列席すると考えられる。そう思うと俺が生活指導室に通されなかった理由は、単に部屋の大きさだけの問題だったのかもしれない。

 準備が長いと思いながら時計を見る。ホームルームが終わってこの場所に直行したから、もう十五分近くも待たされている。スクールバックの中にある文庫本を読もうと思ったが、これから生活指導を受ける立場上、心象を悪くすることは避けたい。時間を潰すことを諦めて背もたれに深く寄りかかった。

「待たせたな」

 入ってきたカバ田に偉そうに言われて、不本意ながらも姿勢を正す。佐藤先生が申し訳無さそうに目配せをしてくる。二人に続き、学年主任と教頭の姿があるが、校長は来ていない。予想は少しだけ外れたと思ったのも束の間、思いがけないことに村田伸吾の姿まであった。村田伸吾に睨まれるが相手にしない。

「彼は高校のスクールの管理をしている。こういう話になると私達ではわからない部分も出てくると思うため、一緒に来て貰った」

 学年主任が言った。それから教師達と村田伸吾が俺の前に腰を下ろしていく。

「ほら、まず謝罪だろ。それから話を聞かせてもらおう」

 カバ田が言う。こっちが背筋を伸ばしているのに、足を組んでふんぞり返っているのは、教師と生徒という立場を抜きにして、人間として間違っている。

 それに俺は頭を下げる訳にはいかない。ここにハーメルンの代表として来ている以上、俺の行動はハーメルンの行動になり、俺の発言はハーメルンの発言となる。連名欄に名を連ねている生徒達の顔を潰さないために、謝罪という言葉を無視する。

「話って何が聞きたいんですか? 昔話なら桃太郎と白雪姫ぐらいなら出来ますけど」

 口をついて出た言葉は、ただの皮肉だった。頭に血が上ると冷静に喧嘩を売ってしまうのは、悪い癖だと思う。けれど後悔しても遅い。

「茶化すな。ハーメルンについてだ」

 カバ田が怒鳴った。俺は言葉を口にする前に、頭の中をまとめる。最優先事項は辰巳と春菜の名前を出さないことだ。

「ハーメルンはちょっと難しいですけど、頑張ってみますね。確かドイツの都市の名前ですよね。名産物は――」

「いいかげんにしろ」

 カバ田の顔が赤くなる。話に聞くところによれば、カバは赤い汗を流すらしい。カバ田も同じように赤い汗を流しそうだ。佐藤先生は頭を抱えている。

「鈴木悠也君、私達は君から話を聞きたいだけで、説教をしたいとか、そういうつもりじゃないんだよ」

 カバ田を窘めてから、学年主任が諭すように言う。それなら相手のペースに合わせよう。

「それは俺にもわかっていますよ。逆にハーメルンがした悪い事って何かありますか? しいて上げるならば、前の生活指導の情報は流しましたが、流れてはいけない情報が流れるという情報管理の体制が問題ですよね? 他に上げるとすれば、高校のスクールの呼びかけは無視しましたけれど、校則で指定されている訳でも無かったし、仮に校則を棚に上げるのであれば、こっちからすれば極度の拡大解釈ですよ」

 話ながら俺って口が達者だと思う。これは全て読書のおかげだ。これからも本を読もう。

「そうだね。けれど高校が混乱したのもまた事実だよね? そうなれば私達は対策をしなければならない。だから話を聞かせて欲しいんだ」

「話を聞かせて欲しいと言われても、抽象的過ぎますよ。もう少し質問を具体的にして貰えるとありがたいです」

 学年主任は少し悩んでから口を開く。

「それなら、君はなぜハーメルンを作ろうと思ったの?」

「高校の裏サイトを潰すためです」

 この辺りは話してしまっていいだろう。知られたところで不都合の無い情報だ。

「なら生活指導の情報を流した理由は?」

「ハーメルンに話題性とカリスマ性を持たせるためです。ほら高校の中で先生に反抗する奴って生徒から人気集めたりしますよね。それと同じですよ」

 そんな模範解答のような受け答えを続けると、学年主任は質問に詰まる。ほとんどの質問に対しては嘘を言わずに返事をしたが、一緒にサイトを作った生徒がいるかという質問にだけは答えなかった。

「なんでスクールに協力しなかったんだ?」

 ずっと黙って話を聞いていた村田伸吾が口を開く。目を合わせて話そうとする姿勢に好感を持つ。いじめしない、させない、見逃さないのというスローガンのせいで苦手意識を持っていたが、スクールの管理という面では一目置ける存在だ。きっと俺がスクール側にいたら、こいつとは仲良くなれたかもしれない。

「信用出来ないからだよ」

 教師の対する口調ではなく、生徒同士の感覚で返事をする。

「どうして信用出来ないと思った?」

 即座に聞かれる。

「いじめしない、させない、見逃さないって言ってただろ?」

「それがどうした?」

 変な事を言い出したと、村田伸吾の表情に出ている。

「俺には綺麗言にしか聞こえなかった」

「そうか」

 村田伸吾は俯いて呟く。自分を全否定されたように、その目にあった光も失われている。

「その信念だけは嘘じゃないと思ってるよ。ハーメルンの役目は終わったから、そっちは頑張ってよ」

 それを聞くと、村田伸吾は俯いたままで少しだけ微笑んだ。俺の気持ちは伝わったらしい。

「それで話は終わりか?」

 懲りもせずに態度のでかいカバ田が言う。

「話は終わりかって聞かれても、俺は招かれた側で、先生方が招いた側ですよね? そっちが聞きたいことが無いなら終わりじゃないんですか?」

 正論を口にする。学年主任との受け答えで、佐藤先生、学年主任、教頭は納得しているようだが、カバ田はまだ言いたいことがありそうだ。

「先生方も納得出来たようだし、俺として言うことはないが、それでもお前が高校の中を騒がせたことには間違い無いな」

 カバ田は言うことが無いなら話さなければいいという感覚を持ち合わせていないらしい。

「返事はどうした?」

 黙って聞いていると、カバ田は凄んでくる。

「そうですね。仮に俺が学校を騒がせたとしましょう。何か問題が起きましたか? まさかいじめが減ったのが問題なんて言いませんよね?」

「俺は学校を騒がせた事を問題として考えている」

 話にならない。おそらくカバ田はなんとしても俺に謝らせたいようだ。辰巳の用意してくれた切り札の出番だろう。この中に何があるのかわからないが、手持ちのカードはこれだけだ。賭けてみる価値はある。

「これを聞いて下さい」

 右のポケットからボイスレコーダーを取り出す。

「――実は私知ってるんですよ。うちの」

 カバ田の声が流れ出す。同時にカバ田の顔色が変わる。

「止めろ」

 言われた通りにボイスレコーダーを止める。さすが辰巳だ。切り札の名に恥じない効果を見せた。カバ田の元に怪訝そうな視線が集まる。

「川田先生、これはどういうことですか?」

 学年主任が口を開く。

「私にはわかりかねます」

 矛先はカバ田に向いた。俺がこの場にいる必要は無いだろう。

「さっきのボイスレコーダーを最後まで聞かせて貰えるかな」

 学年主任に言うと、カバ田が俺を見る。その目が弱々し過ぎて少しだけ同情してしまう。

「嫌です」

 答えるとカバ田の瞳が輝く。俺の代わりにこの話し合いを終わらせてくれるだろう。

「本人が嫌と言うなら仕方ないですな。どうです今日はこの辺りで」

 カバ田は自分にとって都合の良い場所では物わかりが良い。この一言で、今日の集まりは終わった。佐藤先生がほっとした顔をしている。

「では失礼します」

 一礼をして職員室を後にする。マナーモードにしてあった携帯電話を開くと、辰巳からいつもの場所で待つとメールが入っていた。時間も場所も定められていない待ち合わせだが、おそらく時間は俺が来るまで、場所は喫茶「アカシア」だろう。


 喫茶「アカシア」に着くと辰巳と春菜と祭の三人に迎えられる。三人は心配するような節も無く、話に花を咲かせていて自分が信頼されていると感じる。

「多少は役に立ったよ」

 ボイスレコーダーを辰巳に手渡す。

「どのぐらい?」

「大富豪で言うなら八切り程度だな」

 ボイスレコーダーの果たした役割はその程度だろう。けれど切り札を作り出した辰巳の存在は、カードに例えるならジョーカーのようだ。

「それって何?」

 春菜に聞かれる。

「辰巳がくれた切り札。俺もまだ内容は聞いてない」

 俺が言うと辰巳はボイスレコーダーの再生ボタンを押した。さっき聞いたカバ田の声が流れる。その内容は、カバ田と関水先生の会話だった。関水先生の気を引こうとして、必死に様々な話を振るが、途中で学年主任や教頭や校長の陰口が入る。関水先生はただ相槌を打っているだけだ。陰口は生徒だけの出来事じゃないんだなとしみじみ感じる。

「どうやって録音したの?」

 祭が辰巳に聞く。

「簡単だよ。授業さぼって、美術準備室で張り込みしたらカバ田が来てさ。ボイスレコーダーを録音モードにして隠しておいた。ここまでの出来になるとは思わなかったけどな」

 辰巳は得意そうに胸を張る。春菜の表情も明るい。

 祭を見ると笑っている。お見舞いに行った時の様な無理な笑顔ではなく本当の笑顔だ。それだけで今回の行動は全て肯定される。投げ捨てた優等生の立場も、潰したハーメルンも、祭の笑顔の代償と言うには些細すぎる。

 関水先生は自分よりも大切だと思える誰かに向ける気持ちを真実だと言っていた。その定義を借りれば、俺の胸にある祭への気持ちは真実なのだろう。それを伝えたいが、伝えるのが怖い。関係が崩れるのを恐れるなんて、自分がここまで女々しい奴だと思わなかった。

「私、最近ハーメルンの笛吹きの話読んだの。ネズミが大量発生してる村に笛吹きが来てね。笛吹きは村のネズミを駆除してお金をもらうって約束を村人達としたの。それで笛吹きはネズミを笛で操って殺して、お金を請求した。でも村人達はお金を払わなかった。それに怒った笛吹きは、子供達をさらったって話なんだけどさ。あ、もしかして知ってる?」

 頷いたのは春菜だけだ。俺は笛吹きが活躍するという以上の話は知らない。それは辰巳も同じようだった。祭は話を続ける。

「それでね。これって笛吹きが子供達を助ける話だと思うの。嘘だらけの世界から逃げ出して、嘘の無い世界へ連れていくみたいなね――それと同じように私もハーメルンに助けてもらった。陰口とかそういうものから、かけ離れた場所に連れてってもらえた。本当にありがとう」

 真正面から礼を言われて照れる。春菜と辰巳も頷きつつ照れ笑いを浮かべている。

 こんな風に言ってもらえるとハーメルンを作って良かったと心の底から思える。知らず知らずの内に何度も祭のことを追いつめてしまったが、最終的には祭の事を守れた。誇らしげな気分だ。

 それから俺達の会話は止まること無く続いた。結果としてはハーメルンと裏サイトは四人だけの秘密では無くなったが、それに代わるように四人だけの絆が出来た。この空間を壊してはいけない気がした。


 喫茶店を出て祭と別れた。薄暗い路地裏を辰巳と春菜と話しながら駅へと歩く。祭への未練だろうか。俺の歩調が遅く、二人を待たせている。

「悠也早くしろよ」

 辰巳が振り向く。小走りになって二人に追いついた。

「そっちじゃねぇだろ?」

 辰巳が笑みを浮かべて言うと、春菜が何かを納得したように微笑む。仲の深い友達は、俺以上に俺自身を見ているようだ。

「悠也は気を遣い過ぎてるんだよ。告白の一つぐらいで私達の関係は崩れないよ」

 春菜に本心を言い当てられる。それで覚悟は決まった。

「そうだな――行ってくる。先に帰ってて」

 二人に背中を向けて走り出す。背中を押されたというより、背中を蹴られたと言った方が正しいような応援だが、弱腰になっていた俺にはそれぐらいがちょうど良い。

「よく言った。気張れよ」

「うん。良い結果を祈ってる」

 二人の声援を受けて祭の住むマンションへと向かう。もう家に着いてしまったかもしれない。それなら呼び出せばいい。そんな事を考える。


 すぐに祭の後ろ姿が目に入った。その遠い背中に向かって、腹から声を出し名前を呼ぶ。すると祭は振り向いた。俺は近付きながら言葉を探す。胸の高鳴りを押さえきれない。

 一歩歩く度に、一歩分の距離が縮まる。祭まで後二歩というところで思い付く。想いを伝えるため、これ以上の台詞は無いだろう。

 好きとか、愛してるとか、付き合って欲しいとか、そんな借り物の言葉じゃない。どんなに回りくどくても、どんなに臭くても、俺自身の言葉で伝えよう。

 祭のことが自分よりも大切だという事を。

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