第四章 木漏れ日の中、寝転がるように
【第四章 木漏れ日の中、寝転がるように】
四人で遊ぶ約束の日、制服姿の男女が二人ずつ放課後に一緒に高校を出て遊びに出掛ける。いかにも青春真っ直中というシチュエーションだ。風は夏を迎える準備をしているかのように湿り気があり、空を流れる雲がいつもよりも速い気がする。
「どこ行こうか?」
辰巳が言う。普段、二人で遊んでも決して出てこない台詞が新鮮だ。辰巳の事だから自分なりのスケジュールを立てた上で、周りの意見を尊重して臨機応変に対応していくのだろう。女の子と動く時には、そんな器用さが必要だと前に本人が言っていた。
「ボーリングは?」
春菜が提案して決まる。すると辰巳は先頭を切って、近くの複合アミューズメント施設へと歩き出す。どこのボーリング場へ行こうかという話に持っていかないところが凄い。これも辰巳が想像していた流れの一つなのだろう。
派手な電飾で飾られた自動ドアの中に入ると、一階のゲームブースの音が混ざり合って騒々しい。そんな中を通りエスカレーターで、ボーリングの受付になっている五階へと向かう。上の階に上るにつれて、ゲームの音が遠ざかる。
申し込み用紙にそれぞれの名前と代表者の電話番号を記入して提出した。なんだか社会科見学の班を決める時にやった作業に似ている。
「一応断っておくけど、煙草吸ったら追い出すからね」
大学生ぐらいの店員が、やる気無さそうに事務的な手続きをしながら辰巳に向かって言う。別に言っている事に間違いがある訳ではないが、上から目線な態度が癇に障る。
「こっちも一応断っておくけど、高校生だからと思ってふざけた態度取るとクレーム入れるからね」
店員の口調を真似て辰巳が言った。同時に春菜が吹き出す。
「あのさ。君達が煙草を吸うと店側に責任を問われるんだよ。わかる? それと、あんまり大人を馬鹿にするなよ」
「対して年も変わらねぇくせに、そんな疲れた顔して大人ぶるなよ」
間髪入れずに辰巳が返す。さっきから笑っている春菜は問題無さそうだが、祭が引いていないか心配になり声をかける。
「大丈夫?」
「平気だよ」
祭は平然としている。
「今日はボーリング流れそうだけどいいかな?」
「全然いいよ。私あんまり上手くないから」
辰巳と店員が口論をしている中で、祭はそれを無視しながら平然と受け答えをする。俺が思っていた以上に、祭は肝が据わっているようだ。
「辰巳、そろそろいいだろ?」
「そうだな。行くか」
辰巳はまくし立てている店員に背中を向けて歩き出す。無視というのは究極の攻撃だと思う。相手の存在を認めず、まるで小さな虫のように扱う。シカトがいじめの基本として定着していることも理解出来る。
「おい。そっちの友達も軽そうな奴ばっかりだな」
店員が口にしたと同時に辰巳の表情は固まり、それから辰巳の温度が急激に冷めていく。俺は今までに一度として、辰巳のこんな表情を見たことがない。いつも飄々として、全て冗談に変えて軽く振る舞う。それが俺の知っている辰巳のはずだ。
「今――なんて言った?」
辰巳は振り返り店員へと近付く。動作こそゆっくりしているが、このまま殴りかかりそうな雰囲気を感じる。
「もう一回言ってみろよ」
視線の鋭さが違う。店員も雰囲気の違いに気付いたようで、伏し目がちだ。時間にして十秒程の睨み合い――いや辰巳が一方的に睨んでいる状態が続き、受付の奥から上の立場だと思われる店員が出てきた。
「大変失礼致しました。お客様」
奥から出てきた店員が頭を下げる。自分が悪い訳でも無いのに謝る姿を見て、少し気の毒だと思い辰巳を止めようとする。
「もういいよ」
俺が言葉を発する前に辰巳は呟く。俺達は受付に背中を向けて、さっきの店員が上司から怒られている声を聞きながら、ボーリング場を出た。
「ごめん。ボーリング行けなくなった」
自動ドアを出ると辰巳が口にした。いつも通りのテンションだ。
「どこまで演技だよ」
辰巳が本気で苛立っていたことに対してフォローを入れる。こう振れば軽い話に出来るだろう。
「全部。暴言吐かれながら帰るのも癪だろ?」
辰巳は二人に笑顔を見せる。
「え? さっきの作ってたの? 本気で怒ってるんだと思った」
春菜が驚きの声を上げる。
「辰巳君って俳優とか向いてるんじゃない?」
祭が言う。和気藹々とした空気になり、俺は携帯電話で店のホームページからメールでクレームを入れる。もちろん本社宛にした。店員の名前はネームプレートを見てわかっている。俺達が如何にボーリングを楽しみにしていたかという内容をなるべく同情を誘うように書き綴った。
「悠也はさっきから何してるの?」
春菜に聞かれる。軽いジョークを言おうと考えるが、気の利いた台詞が出てこない。正直に答える。
「携帯で本社宛にクレーム入れてた。もう終わったよ」
それを聞いた辰巳が笑いだして言う。
「お前性格悪いな」
「お互い様だろ」
憎まれ口を叩き合い。空気は完全に和んだ。
どこに行こうかという話になり、今度は祭の提案で喫茶「アカシア」へ向かうことになった。
「こんにちは。今日は大集合だね」
注文の時にマスターから言われる。マスターが声をかけてくれるのは嬉しいが、毎回と言っていいほど、反応に困る。
「あれ? マスターって祭ちゃんの事知ってるんですか?」
春菜が疑問を口にする。喫茶店に来て自己紹介をするということも無いため、マスターに俺達の名前はわからない。けれどマスターはわからないなりに考えて口を開く。
「知ってるよ。前に彼と二人で来てくれたよね」
マスターは祭と俺を交互に見る。
「悠也聞いてないぜ」
「言ってないからな」
返事をしながら、苦手と言われたポーカーフェイスに挑戦する。
「祭ちゃんは、なんでまた悠也と一緒に来たの?」
「たまたま本屋さんで会ってなんとなく? この前、映画も行ったよね」
祭から同意を求められて頷くと、三人の視線が俺に集まる。
「それも聞いてねぇ」
「そうだな。それも言ってない」
ポーカーフェイスを作りきれずに諦めることにした。鏡が無いから確認出来ないが、おそらく今の俺は焦りと照れが入り交じった顔をしているだろう。
そんな俺の困惑とは関係無く、春菜と祭がガールズトークを始める。隣に俺がいるにも関わらず、俺の名前が何度も出ている。
注文を済ませてから女の子二人の間でレギンスだのパンプスだの聞いた事はあるが、その言葉が指す物を連想出来ない単語が飛び交っている。話には入っていけずに、にやつきながら俺を見ている辰巳に話を振った。
「聞きたいことがあるなら答えるし、言いたいことがあるなら聞くけど、どうして欲しい?」
「なら折角だから一つだけ言っておくよ。聞いてくれ」
何を言われるのかわからないままに辰巳の言葉を待つ。
「イルカとクジラの違いは大きさだけなんだぜ」
大きく予想を裏切られる。辰巳はそんな俺の顔を見て満足そうにしている。これだけのために意味ありげな前置きをしたのだろう。
「何かのジョーク?」
辰巳の思惑通りになっていると悟らせないように冷静に答える。
「ただの雑学だよ」
それから春菜と祭が会話に加わり、社会科見学の話になる。ディズニーシーの話になった時、意外なことに辰巳がアトラクションやパレードに詳しくて驚いた。
春菜と祭と別れた帰り道で辰巳と二人になる。地元の駅で降りて、お互いの自宅の方向へと歩いていると、辰巳が口を開いた。
「少し付き合えよ」
辰巳が顎で公園を指す。自動販売機で缶コーヒーを二本買ってからベンチに座る。この公園は規模で言うと小さい方だろう。大雑把に数本の木が植えられて、塗装の剥げたベンチがいくつかあり、砂場と滑り台といった遊具が申し訳程度に設置されている。照明の無い公園を月明かりが薄く照らしている。
昼間から夕方ぐらいの時間帯であれば、ベビーカーを押している主婦や、砂場や滑り台で遊ぶ小学生の姿が目に入るが、日が落ちると一気に人気が無くなる。
「今日は助かったよ。どうにかして空気変えなきゃと思ったんだけど、良い方法が見つからなくてさ」
声のトーンが暗い。ボーリング場での一件をまだ気にしているのだろう。
「気にするなよ。多分二人は気付いてないからさ。それより珍しいな――辰巳が本気になるって」
「そうだな。かなり久しぶりな気がするよ」
缶コーヒーを開ける音が、静かな公園に吸い込まれる。それから二人して煙草に火を点けた。
風が吹く度に木の葉が擦れる音が聞こえる。風の無い時に煙草を吸うと、火種が燃え広がる音がする。そんな静けさの中で、辰巳が口を開いた。
「昔話してもいいか?」
俺と辰巳の間柄で、この問いかけに意味は無い。それでも今の俺達にとっては必要な儀式のようだった。黙って首を縦に振る。
「俺さ。昔はもっと――なんて言えばいいのかな。真剣に友達と付き合ってたんだよ。でもさ、人間関係が広がると、しがらみみたいなものが出来るだろ? そういうのが本気で許せなかったんだ。友達面して陰口言ったりとかさ。そういうのにいちいち反応して――きっと不器用だったんだろうな。周りにいる奴みんな大切で、誰も悪く言われないで欲しくて、でもそれが無理でさ」
辰巳は一つ一つの言葉をゆっくりと口に出す。それはまるで独り言のようで、それでも俺に伝えようとする何かがあって、ひどく曖昧な印象がある。
「それで他人と距離を置くようになって、気付けばこんな性格になってた。誰とでも上手く付き合うけど、誰にでも壁を作る。軽くて、ノリが良くて――でもそれだけの奴にさ」
辰巳は自分をあざ笑うように俯く。
「辰巳、俺に言わなかったか? もう俺達に壁作るなってさ」
「よく覚えてるよ。あれは自分に言い聞かせてた部分もある。悠也と出会ってからだな。俺の作ってた他人への壁なんて、相手を入れないように、自分に大切な人が出来ないように作った金網ぐらいの中途半端なもんだって気付いたのはさ。悠也の作る壁はさ、俺とは目的が違うんだよ。俺の壁が他人を入れないように作った金網なら、きっとお前の壁は他人に自分自身を見せないように作った石造りの壁なんだよ。そう思ったら自分がすげぇちっぽけに感じてさ」
辰巳はフィルターのそばまで燃えきった煙草を投げ捨てて、新しい煙草に火を点ける。それから大きく煙を吸い込んでまた話し始めた。
「俺が俺自身でいられるって感じたのはそれからだな。悠也と出会って、ハーメルンが出来た。悠也と春菜ちゃん、これからは祭ちゃんもだな。関係が深くなってさ。自分の事なら何を言われてもかまわないんだ。百倍にして返り討ちにできるからさ。でも――お前らが悪く言われるのは許せなかったんだ。どうしても」
春菜と祭の顔が頭に浮かぶ。二人が傷つける奴がいたら、俺はそいつを許さない。
「俺は辰巳に心配されるほど弱くないぜ」
「知ってるよ。だから一緒にいて安心出来た。それに前の生活指導の一件でさ。悠也が春菜ちゃんのこと助けただろ? 今は本気でお前の事を信頼してる。自分だけのために裏で糸を引く奴じゃないってわかったからさ」
真顔で信頼してるなんて言われて、嬉しいが返事に悩み、頷いてから軽い冗談を言う。
「今日は俺達のために怒ってくれた訳だろ? 礼でも言おうか?」
「茶化すなよ」
「男二人で、こんな話して、茶化さないでどうやって始末つけるんだよ」
「それもそうだな」
空き缶を灰皿代わりにして煙草を捨てて、また煙草に火を点ける。空き缶の口から、火の消えた煙草の煙が流れ出ていた。
それから俺達の間で会話は少なかった。何を話していたかと聞かれれば返答に悩むが、居心地の悪さは感じずに、ただ時間だけが過ぎていった。煙草が減っていくのと一緒に月が傾いていき、どちらともなくベンチを立つ。話を終えた辰巳の横顔は、憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。
社会科見学の朝にいつもより早起きして準備をする。まだ目覚めていない胃にインスタントコーヒーを流し込み、熱めのシャワーを浴びて、今日のために買った洋服を着る。リーバイスのジーパンに、白いシャツ、合わせる靴はもう考えてある。
着替えが終わると、鏡の前に立って普段よりも気合いを入れて髪をセットする。タオルで拭いただけの湿り気のある髪の毛にワックスを馴染ませて、ドライヤーで乾かしながら髪型を作る。全ての行程が終わり自分の全身を眺める。いつもとあまり変化が無い。けれど新品の服を着るというのは気分が違う。
まだ体に馴染んでいないジャケットを羽織って、待ち合わせた駅の喫煙所へと向かった。空一面に広がる青空には雲一つ無い。優しく吹く風も心地良く、絶好のお出かけ日和だろう。
缶コーヒーを片手に二本目の煙草を吸い終える頃に辰巳は来た。お互いに手を上げて挨拶を交わす。辰巳もこの前買った服で全身を固めている。足下にはコンバースの赤いワンスター、強めのダメージ加工とペイントの入ったジーパン、上半身には、構造のわからないジャケットを羽織っている。無難な格好を好む俺には出来ないコーディネイトだ。俺とは違い荷物は無く、社会科見学に手ぶらで行くという神経の図太さも辰巳らしい。
ファッション雑誌に載っている自称お洒落な奴が着ていそうな服装だ。けれど辰巳が着ていると印象が違う。お洒落な奴特有の違和感が無い。辰巳は主張の強い服をねじ伏せて、自分のものにしている。このまま写真を撮れば、ファッション雑誌の表紙を飾れると思わせるほどに板に付いていた。
なんでもない話をしながら電車に揺られる。空港に近付くにつれて電車は込み合い、また同級生の姿も目に付くようになった。満員電車に乗った経験は今までにもあるが、これだけは慣れることが出来ない。スーツ姿のサラリーマンを見ながら、毎日こんな電車に乗っていることを考えて、小さな尊敬を覚える。人と人に押しつぶされながら、頭の中で目的地までに通る駅を数えた。
空港に着くと、電車から人が溢れ出る。その中には同級生の姿が多く、思っていた以上にこの電車に乗っていた生徒は多かったようだ。
「ちょっと野暮用付き合ってもらえる?」
集合場所へと向かおうとする辰巳に言う。
「別にいいけど、どこ行くんだ?」
「お前だけに良い格好させたくないからさ」
それ以上は何も言わずに、バスターミナルへ向かって、東京ディズニーリゾート行きのチケットを四枚買った。
「なるほどね。俺の分は払おうか?」
辰巳が財布を出す。
「ディズニーシーのチケット代を辰巳が受け取ってくれるなら、もらおうかな」
俺が言うと辰巳は軽く笑って、財布をポケットにしまった。
集合場所の広場のようなスペースには、それぞれのクラスの級長が組の書かれたプラカードを持って立っている。そこには既に春菜と祭の姿があった。二年四組の列の真ん中辺りに座り込んでいる。グループ毎にクラスの列に並んでいる同級生の間を抜けながら、二人の元へと向かう。
「おはよう」
言いながら辰巳と腰を下ろす。そこで祭の私服姿を初めて見て感動を覚える。土日に遊びに誘ったこともなく、祭と動いたのは放課後だけだ。制服姿しか見たこと無いのは、当たり前と言ったら当たり前だ。
高校の同級生の私服姿を見るということは、相手のプライベートを覗き見るような感覚がある。高校内で関わる上では決して見ることの無い私服姿は、相手の内面を物語る。
もう見慣れてしまっている辰巳や春菜に関して言えば、特に感動をする程のものじゃない。他の同級生も相手に興味が無いため、見て何かを思う訳でも無い。しいて言えば、こいつって案外お洒落なんだとか、以外と洋服には無頓着なんだ、なんて感想を抱くがそれ以上の感想は抱かない。だけど祭の私服姿というのは俺にとって易々と見ることが出来ない神聖なものに近い。
変に思われないように、自然体を意識しながら、祭へと視線を送る。デニム地のロングスカートに、白いカーディガン。首もとで光るネックレスが、よく似合っている。
「晴れて良かったよね」
誰へという訳でも無く春菜が言う。
「礼なら俺に言ってくれよ。効果が十倍になるように十匹、テルテル坊主作ったからさ」
辰巳が両手の指を広げる。テルテル坊主を数えるのに匹という単位は正しいのだろうか。
「私も作ったよ。テルテル坊主」
祭が言う。これは辰巳と違い本当だろう。その言葉から、祭が今日を楽しみにしていたという事が伝わってきて、テンションが更に上がる。
「実は私も」
それに春菜が続く。女の子というのは占いやジンクスみたいなものが好きな生き物だと、どこかの雑誌で読んだ覚えがある。偏見だらけの恋愛コラムには、小さな真実もあるようだ。
班長になってしまった俺は、話を抜けて全員集合したということを級長に伝えに行く。名簿にチェックを入れて、また雑談に戻った。
学年全員の点呼が取れたようで、学年主任が拡声器を片手に、軽い挨拶をした後、社会科見学の心得を話し始めた。学生らしい行動を心がけるようにと締めくくられ、代わる代わる教師や生徒の代表が連絡事項を読み上げて、社会科見学の始まりが告げられた。家に帰るまでが社会科見学、という名言が出なかったことを不思議に思う。けれど小学校中学校と聞いてきた言葉を今更言っても仕方が無いのだろう。高校二年にもなれば、バナナがおやつかを確認するまでも無く、好き勝手に菓子を持ってくるし、現地で調達するということも出来る。
「じゃあ行くか」
言いながら立ち上がる。
「空港の屋上だよね?」
春菜の質問に頷いてから、四人で屋上へと向かう。エスカレーターから見下ろすと、グループ単位で動く同級生の姿が見える。
屋上には退屈そうにしている関水先生の姿があった。ベンチに缶コーヒーと点呼用紙を置いて、文庫本を眺めている。
「あなた達が一番乗りよ」
関水先生はベンチに置かれた用紙にチェックを入れた。
「これから遊びに行くの?」
「ちょっと夢とネズミのテーマパークまで」
辰巳がおどけて言いながら、ポケットから四枚のチケットを取り出した。
「買っておいてくれたの?」
祭が言うが、辰巳は首を横に振る。
「姉貴が仕事で、よく貰ってくるんだよ。社会科見学で行くって言ったら気前良くくれたぜ」
辰巳はそれを俺達に手渡す。礼を言いながら受け取ると、祭が律儀に財布を出して金を払おうとする。
「金はいらねぇって」
「でも――」
「俺だってただで貰ってきただけなんだから、ここで金なんて受け取ったら罪悪感で死にそうになる」
それを聞くと祭は素直に財布をしまった。
「辰巳君ってお姉さんいるんだ。知らなかった」
春菜が言う。
「家族構成なんて改めて話すようなことじゃないだろ?」
「それもそうだね」
俺達は関水先生に手を振りながら、空港のバスターミナルへと向かった。ここから東京ディズニーリゾートへまで直通のバスが出ている。発車時間は調べてあるし、四人分の切符も買ってある。今度は俺がバスの切符を三人に手渡した。もちろん金は受け取らなかった。
バスはディズニーランド前で一度停まり、それからディズニーシーの停留所に着いた。外に出て体を大きく伸ばすと関節が音を立てて鳴る。太陽はまだ高い。綺麗に手入れをされた街路樹やディズニーキャラクターのモニュメントの下に濃い影が出来ている。
入り口のゲートをくぐって、受付を通り、ディズニーシーに入る。早速目に入ったのは、でかい地球儀と言えばいいのだろうか。噴水の中に、地球が浮いている。その奥には、ヨーロッパ風の建物がバランス良く立ち並んでいるのが見えた。人は多いが、どこを見ても、切り取って一枚の絵画になり得そうな景色がある。聞こえてくる音楽にしても、音量の割に不快感は無く、テーマパークに来たという気分を引き立てられる。
「捕まえたから写真撮ろうぜ」
辰巳が何のキャラクターだかわからない緑の鳥の襟首を掴みながら言った。夢の国の住人を捕まえるなんて凄い奴だ。緑の鳥はじたばたと逃げるような仕草を見せているが、決して本気では逃げようとしない。夢の国の住人は、案外ノリが良いらしい。春菜はそれを見て笑っている。
「そんなことしたら可哀想だよ」
祭が言うと、緑の鳥は感謝を示すように、その羽というか手で祭の頭を撫でた。祭に気安く触りやがって、俺なんてまだ手も繋いだ事が無い。緑の鳥に対して軽い殺意を覚える。
近くにいたカップルに頼み、緑の鳥を中心にした一枚目の記念写真を撮ってもらった。代わりにシャッターを押すことになり、その役目を俺が果たすと、今度はディズニーシーの中心部を目指すことになった。
周りには見覚えのある景色が広がる。運河があり、淡い色で外壁を塗られた建物、ベネチアだったろうか。少年と少女がゴンドラで橋の下へ行きキスをする映画が思い浮かぶ。
目の前にはディズニーシーのモチーフである大きな海があり、それぞれデザインの違う船が数隻浮いている。視点を遠くに持っていき左からずらしていくと、開拓時代のアメリカ、古代のアラビア、物々しい火山が見える。支離滅裂な風景だ。けれど本来は共存することの無い物同士が混ざり合い、良い雰囲気を醸し出している。
「タワテラ乗ろうよ」
春菜が言う。タワテラという単語をパンフレットで探すが見つからない。こっそりと辰巳に聞くとタワー・オブ・テラーというアトラクションの略だと教えてくれた。
水のある風景とは良いものだ。歩きながらも疲れを感じない。巷でよく聞くマイナスイオンが出ているのだろうか。どんな風に行動しようかという会話で盛り上がりながら、タワテラの入り口に到着する。
一時間待ちという案内を見て、心が折れそうになる。どうも俺は並ぶという行動が苦手だ。四人でいれば、楽しくアトラクションを待てると思いながら列に入ろうとする。
「ちょっと悠也。どこ行くの?」
春菜に呼び止められる。乗ろうという話になったアトラクションの列に並ぼうとしているのに、どこへ行くのと聞かれても困る。
「チケット出して――ここで待ってて」
奪うように俺のチケットを持って、春菜は祭の待つ列に並ぶ。その背中を呆気に取られながら見ていると、隣にいる辰巳が口を開く。
「悠也って最近、ディズニーランド来てないだろ?」
「まぁ。来る理由も無いからな」
辰巳は得意げに笑い。ファストパスというシステムについて説明してくれた。要するにアトラクションに乗る予約だ。時間が指定されるが優先的に人気アトラクションに乗れるというもので、今や常識的らしい。
「なんで辰巳はそんなこと知ってるんだよ?」
「たまに姉貴に付き合わされるんだよ。見かけ倒しの優男よりも、大事な弟と行きたいんだと」
うんざりした表情で辰巳が言うと、すぐに春菜と祭は戻ってきた。さっき渡したチケットと、もう一枚ファストパスと書かれたチケットを手渡されて、礼を言って受け取る。
「時間まで何か並ぼうよ」
春菜が言う。
「あの電車、空いてるよ」
すぐに辰巳がアトラクションの乗り口を指さす。伊達に美里さんに付き合わされていない。
四人で電車に乗って、ゆっくり流れていく景色を眺めながら、お互いが乗りたいアトラクションを上げていく。アトラクションの名前を言われても、難しい呪文のようにしか聞こえない。そのため俺は基本的に相槌を打っていた。
会話に入る余地が見つからなかった。だけど憂鬱な気分になることも無く、疎外感も無い。純粋にこの四人でいる空気が楽しい。
電車を降りると近未来的な場所に出た。そこですぐに春菜が次のアトラクションに目を付けて、その列に並ぶ。待ち時間は二十分と表示されていた。
アクアトピアとアトラクション名の書かれた洒落た看板の向こうには、水上を自在に動くコーヒーカップとホバークラフトの中間のようなものがある。
俺達の順番はすぐに来た。四人で丸い乗り物に入ると、すぐにそれは動き出す。不安定に揺れながら、ぐるぐると回る。所々で春菜と祭が声を上げるため、辰巳は面白がって自力で揺らそうとする。
「悠也、手伝え」
辰巳に言われて、タイミングを合わせて体を大きく揺さぶる。けれど大した揺れは起きずに、アトラクションは終わった。
「辰巳君、揺らそうとしないでよ」
春菜が言うが、辰巳は笑いながら聞き流している。
「悠也君は乗りたいアトラクション無い?」
祭に言われる。
「アトラクションって言っても、俺あんまり詳しくないからさ。みんなが乗りたい奴乗ろうよ」
紛れもない本心だ。
「そう。何か気になるアトラクションあったら言ってね」
心配してくれているのは嬉しいが、同時に心配をかけてしまっていることを申し訳なく思う。元よりテンションの高い方じゃない俺だが、今日に限り馬鹿になることに決めた。
春菜と辰巳が歩きだして、自然に俺と祭は二人についていく形になる。次のアトラクションが決まっているのか、それともディズニーシーには水族館や動物園のように順路があるのか、前を歩く二人は迷い無く進んでいく。
「吸おうぜ」
歩く途中で辰巳に言われる。
「こういう場所って禁煙じゃないの?」
聞くと辰巳は、喫煙所と書かれた看板を見上げる。さすが夢の国だ。喫煙所の看板もキャラクターで飾られている。
辰巳と喫煙スペースに入り煙草に火を点ける。すると春菜と祭も一緒になってついて来た。
「私も吸ってみていい?」
春菜が言う。
「やめとけよ。そんな良いものじゃないからさ」
俺が言うが、辰巳が一本手渡して、ライターの火を近付けた。けれど火は点かない。
「そのまま吸ってみ」
辰巳が言うと、春菜のくわえた煙草の先が赤く光り火が点く。同時に春菜は噎せて、涙目になった顔を上げた。それから辰巳が何やら吸い方をレクチャーしている。
「私も貰ってもいい?」
祭に言われる。辰巳が悪い前例を作ってしまったため、ここで断る訳にもいかずに、ライターと一緒に一本手渡す。すると祭は平然と煙草を吸い始めた。
「吸ってた?」
以外に思いながら聞いてみる。
「全然。春菜が失敗してくれたから、なんとなく吸えた。けど別に美味しいものじゃないね」
祭は煙を吐き出す。その煙の色が、薄い紫色で肺まで入れていないことはわかったがあえて触れない。隣を見ると辰巳のレクチャーはまだ続いている。
「肺に入れるんだよ。肺に」
「そんなの無理だよ」
この分なら、今日をきっかけに二人が煙草を吸い出すことは無いだろう。安心を胸に、大きく煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。なぜかわからないが今日の煙草はいつもよりも甘い味がした。
喫煙所を出て辿り着いた場所は、深い森のようなイメージの場所で、ピラミッドに似た遺跡のようなものがある。
そこでは特に並ぶことも無く、二つのジェットコースターに立て続けに乗った。
「ふらふらするよ」
軽く平衡感覚の狂った春菜が左右に揺れている。なぜか声までも間延びしている。
「春菜ちゃん、大丈夫?」
「うん。大丈夫だと思う」
春菜の横揺れは徐々に収まってきている。
「ちょっとお昼でも食べて休憩しようか? そしたらファストパス使える時間になるでしょ」
祭が言って、今度はどこで昼を食べるかという話になる。本当に話に事欠かない場所だ。入り口で貰ったパンフレットを眺めながら盛り上がった末に、食事の場所はタワテラの近くにあるサンドイッチ屋に決まった。
すぐそばにある船のアトラクションで入り口の近くまで戻り、そこから目的の店に向かった。
煉瓦調の味がある建物の中は思いの外明るい。それぞれ注文をして、サンドイッチとドリンクを受け取ってから席に着いた。
辰巳が面倒そうに、無駄にでかいサンドイッチのピクルスを取り除いていると、春菜がそのピクルスを見て言う。
「これ隠れミッキーじゃない?」
「隠れミッキーって何?」
つい疑問が口から出る。ディズニーに関して言えば、俺は完全な素人だ。
「本当に何も知らないな」
また辰巳が得意そうに説明してくれる。隠れミッキーとは、ディズニーランドとシーに隠されたミッキーのことで、普通に過ごしていても見つかりにくい場所――建物のネジや、壁の染みなんかにあるらしい。ここからは春菜の話になるが、隠れミッキーを見つけることはディズニーのコアなファンにとって一種のステイタスになっていて、アトラクションに乗らずに隠れミッキーを捜すような強者もいるそうだ。俺には理解出来ない。
確かにピクルスは円では無く、円を三つ組み合わせたようないびつな形をしている。けれどこれをミッキーと呼ぶのは少し強引な気がする。
全員が食事を終えて、店を出ようとしたところで、レジの横の白塗りの壁が剥がれている場所が目に付く。中の煉瓦がむき出しになっていて、そこに白塗りの一部が残っている。隠れミッキーはこういう場所にありそうだ。なんて思いながら目を凝らして見ると、その白塗りの一部が不自然にミッキーの形になっている。
「隠れミッキーあったよ」
三人が近付いてくる。隠れミッキーの場所を指さすと、祭と春菜は写真を撮った。俺には隠れミッキーの価値がわからないが、こうやって見つけだすのは楽しいし、ディズニーが好きならわざわざ探しに来るのも頷ける。
「食後は煙草吸いたいでしょ?」
春菜が気をきかせてくれる。その好意を受け入れて、俺と辰巳は喫煙所へと向かうが、春菜はもう懲りたのか一緒に来る気は無さそうだ。
「私達お土産屋さん見てくるね」
祭が言って、五分程度の男女別行動が始まった。
洒落た喫煙所で辰巳と二人、煙草の煙を揺らす。
「後で別行動するか?」
辰巳は口角を上げる。
「別にいいよ。四人で来てるんだし、誘おうと思えばまた誘えるからさ」
本心を軽く隠して返事をする。
「今日出来ることが明日出来るとは限らないんだぜ」
何かの映画に感化されたのだろうか。格言のような一言を口にして、余韻を持たせるように薄く笑った。
お互いの煙草が燃え尽きて、二人を探そうと喫煙所を出ると、春菜と祭の姿が見えた。頭にはお揃いの耳付きカチューシャがある。
「お待たせ」
言いながら二人に近付く。
「これ悠也君の分ね」
祭から二人のものとは少し違うデザインのカチューシャを手渡される。辰巳も同じ物を春菜から渡されている。
これをどうしろと聞くほど、俺は空気の読めない男じゃない。頭に渡されたカチューシャを付ける。辰巳を見ると、やはり頭にはカチューシャがあった。
「せっかくだし、写真撮ろうよ」
春菜がシャッターを押して欲しいと、ディズニーシーの係員に頼み、サンドイッチを食べた店を背景にして写真を撮った。
それから俺達は耳を付けたままでファストパスを使いタワテラに乗った後は、次のファストパスを取りに別の場所へ行って、空いているアトラクションがあれば乗ってと、とにかく慌ただしく動いた。
楽しい時間が過ぎるのは早いもので、夜がやってくる。ライトアップされた園内は、昼とはまた違う印象がある。昼間はただの飾りであった街頭が道を照らして、屋外のアトラクションはそれ自体が一つの風景になりそうなほど美しく見える。
花火がよく見える場所へ行こうと、アラジンに出てきそうな城のそばに陣取って時間を待つ。
同じことを考えている人は多いようで、十分前だというにも関わらず、周りには大勢の人がいて、何をするわけでも無く時間を潰している。時間が経つにつれて、人の数は増えていく。
楽しげな音楽と共にカウントダウンが始まった。目の前に見える水面の照明は一層の彩りを増して、それとは対象的に周りの照明が暗くなる。夜空の星が打ち上げ花火を待っているかのように輝いている。
放送が客を煽り、周囲のテンションは口にする数字に反比例して高くなる。
ゼロ、と聞こえた後に、一瞬タイミングがずれて、一発目の花火が上がる。それに二発目、三発目と続き、すぐに数えられなくなる。
流れ出した幻想的な音楽に乗りながら、夜空にたくさんの光達が舞い、それらが儚く消えていく。同じ風景が二度と見えなくなるとでも言いたげに打ち上げ花火は夜空を彩り続けた。
最後に寄った土産物屋でみんなとはぐれてしまう。辰巳に言われた「今日出来ることが明日出来るとは限らない」という言葉が思い浮かび、なんとなく祭の姿を探す。
人と人の隙間をゆっくり歩くと、辰巳と春菜が二人でいるのを見つけた。声をかけようとするが思いとどまる。この二人が一緒にいる。それなら祭は一人だ。二人に背中を向けてまた歩くと、ストラップを眺めている祭の姿を見つけた。
「誰かに土産?」
近付いて声をかける。祭が手に取り眺めているストラップがペアになっていて、小さな不安を抱く。関水先生は彼氏がいないと言っただけで、祭に好きな相手がいないとは言っていなかった。
「そういうんじゃないんだけど可愛いなと思って」
祭は手に取ったストラップを俺に向ける。ペアにしてはハートのようなモチーフの無い地味なデザインで、一見してだけではペアには見えない。
「いいじゃん」
「悠也君が使えるなら、はんぶんこしようよ。お金は私が出すから」
こんな申し出を断る訳が無い。祭はどんな気持ちでいるかわからないが、俺からしてみれば好きな子とのペアのストラップを持つことが出来る。
「金はいいよ。俺が出すから」
「そんなの悪いよ」
こんな会話が繰り返されて、結果として、祭の分を俺が出して、俺の分を祭が出すという複雑なことになってしまった。けれど簡単に言えば割り勘で、それ以外の何でもない。
それから二人で土産物屋を眺める。俺は土産を買う相手が何人もいる訳でもなく、自分の家でディズニーキャラクターの入ったクッキーやチョコレートを食べる気も起きずに、手っ取り早く買う物を決めて、祭の荷物持ちとして動いた。会計を済ませてから、辰巳と春菜と合流して、ディズニーシーを出る。
土産の量が対象的だ。俺と辰巳は小さな袋一つだが、春菜と祭は店に置いてあるだろうと思われる袋の中でも一番大きな袋を満杯にしている。
正面のゲートをくぐり離れていくにつれて、背後から聞こえてくる音楽が小さくなる。幸せの余韻に浸りながら、ゆっくりと歩いた。
ディズニー帰りの人で一杯の電車に揺られて、途中で二回の乗り換えを挟み、まず祭と別れて、地元の駅で春菜と別れた。辰巳と二人の帰り道でストラップを受け取り忘れた事に気付く。けれどあえて辰巳に言うことでは無いと思い、いつもの交差点で別れる。それから一人で自宅への道を歩いていると、携帯電話が鳴る。開くと祭からのメールで、ストラップを渡し忘れたから高校で渡すという用件だった。