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第二章 どこまでも響く笛の音

【第二章 どこまでも響く笛の音】

 朝のホームルームから祭の様子を気にして過ごすが大きな変化は無い。彼女は裏サイトの存在を知らないのだろう。それなりに真面目に授業を受けているとすぐに昼休みに入った。

 昼休みの高校は人のいない場所が少ない。そのため自然な流れで美術準備室に向かい、作戦会議を開くことになった。関水先生がいるのが気になるが、あまり問題は無いだろう。昼食を終えて、人数分のコーヒーを用意してから会議が始まる。

「とりあえずページの担当だけ決めよう」

 口に出してはみたが、それぞれが得意な事を考えると自然と割り振られる。

「悠也がサイトの管理、俺が嘘と冗談、春菜ちゃんが恋愛作法で、来た相談は三人で話し合うのが妥当だろ」

 特に異論は無い。上手い事を言う自信はあるが、面白い事を書ける自信は無い。その上、恋愛ついての記事を書ける程経験が豊富な訳でも無く、俺に出来ることはサイトの管理ぐらいだ。

「うん。今夜中にページ仕上げるね。それとページの更新なんだけど、週一回ペースにして、曜日をずらせば頻繁に更新されてる感じが出ると思う」

「その更新する曜日なんだけど、金曜日は外した方が無難だな。よほどインパクトが無ければ土日で忘れられるだろうから話題になりにくい」

 誰かが何かを言う度に、話はまとまっていく。結果として、火曜日に嘘と冗談、木曜日に恋愛作法、というペースで更新して、相談のページについては随時ということになった。

「次はどうやってハーメルンを広めるかだよな」

 俺が言う前に、辰巳が口にする。

「私、明日の昼放送の担当だから、葉書でも来た事にして紹介するよ」

「頼む。葉書は内容がわざとらしくならないように、俺が今夜メールで送るな。後は学校の裏サイトに書き込んで口コミ待ちと、発想古いけどチェーンメールかな」

「チェンメ撒くなら俺にまかせろ。同級生のアドレス百件近く入ってるぜ」

 辰巳が胸を張って、そのポケットにある携帯電話を軽く叩く。

「百件って凄いな。まかせるよ。けど送るアドレスはサブアドレス使ってくれよ。じゃないと辰巳が関係者ってわかる」

 ハーメルンの広告メールの送信者に相沢辰巳と出てしまったら、管理人の姿を表に出す羽目になる。それを避けるために、ハーメルンを作った時に用意したサブアドレスを辰巳に教えた。

 決めなければならない事が全て終わり、雑談を続ける。途中から関水先生が混ざり、二杯目のコーヒーが飲み終わる頃に予鈴が鳴り、教室へ戻った。

 五時間目の授業はカバ田の生物だ。カバ田の恨みは一晩では消えなかったようで、教室に入りながら辰巳を睨んでいた。

「じゃあ授業を始める、日直」

 話し方が嫌いだ。主語だけで物事を伝えようとする奴を俺は好きになれない。親しい友達となれば話は違うが、この場合は指示や命令に近い。カバ田はいつも日直の後に号令と付け足すだけの事をしない。

 形だけの礼が済み、授業が始まる。

「じゃあ相沢辰巳、遺伝における優性と劣性を説明してみろ」

 何の脈絡も無く辰巳が指名される。

「わからねぇ」

「目上の者を相手にその言い方はなんだ。それにわからない訳では無く、復習をしなかっただけだろ。言い直せ」

 相変わらず性格が悪い。

「先生なんか勘違いしてない? 俺は先生のこと年上だとは思ってるけど、目上だと思った事なんて一度も無いよ」

 辰巳は口調こそ柔らかいが、明らかに喧嘩を売っている。カバ田の顔が赤くなる。

「優性と劣性は交配時に、それが明らかになります。遺伝子を――」

 春菜が答える。

「別にお前に答えろとは言っていないが――まぁこんなことはわかって当然だからな」

 言い方がいやらしいが、要するに正解ということだ。その後で春菜が辰巳に目配せしているのが見えた。

 その後、カバ田は辰巳への復讐を諦めたのか、何事も無かったかのように授業を続けて、授業開始から五十分経ってチャイムが鳴った。

 放課後、辰巳はバイト、春菜は放送部の打ち合わせがある。帰り道の途中までは辰巳と一緒だったが、駅前で別れて喫茶店のそばにある本屋に入った。本を一冊買ってコーヒーでも飲もうかと思いながら、平積になっている文庫本の裏書きを読んでいると、祭の姿が目に入る。これはチャンスだ。

 高校とは不思議な場所で、学校内で出会っても挨拶程度しかしない関係でも、放課後や休日に出会うと何故か距離が縮まることがある。これは辰巳との出会いについても言えるだろう。

「今日は一人?」

 勇気を出して声をかける。

「そうだよ。部活も無いし暇だから、本でも買って読もうかなと思って、悠也君は?」

「俺も同じような感じ」

 自然と話が続き、お互いが読んで面白かった本を紹介し合って、本屋を出る。スクールバックには祭のお勧めである海外作家のファンタジー小説が入っている。今度貸してくれると提案された時に借りる約束をすればよかったという後悔が胸にある。けれど、すぐに読みたいという気持ちに負けて買ってしまった。

 本屋を出ると、ここで別れるか、どこかに誘うか、というニ択に悩まされる。誘ったら変に思われてしまうと自分の中の天使的な奴が言う。もし誘わなかったら男じゃないと自分の中の悪魔的な奴が囁く。

「悠也君って、これから用事ある?」

 次に口を開いたのは天使でも悪魔でも無く祭だった。

「暇、かなり暇。用事も宿題も夕飯も無いよ」

 予定が無いことを全力でアピールする。

「なら軽くお茶でもしようよ」

 祭が微笑む。断る訳が無い。

「何をするかは私が決めたから、入る店は悠也君が決めて」

 何処へ行こうか考えた末に、喫茶「アカシア」に決めた。春菜がシフォンケーキを美味しいと言っていたし、店内の雰囲気も悪くない。


「あれ、今日は違う女の子連れてきたの? 色男だね」

 店に入るなりマスターに言われる。最近マスターがフランクになっているのは嬉しいが、今日に限って言えばこの店は地雷だった。

 前に来た理由は放送部の取材の手伝いだと祭に説明する。きっと言い訳にしか聞こえないだろう。そうは言っても俺と祭の関係上、取り繕う必要は無い。納得してもらえているのかわからないが、二人でテーブル席に座った。

 注文した二杯のコーヒーとシフォンケーキが運ばれてくる。

「あ、ごめんね。灰皿出し忘れてたよ」

 マスターはカウンターに積んである灰皿を一つ取って、テーブルの上に置く。祭は灰皿から俺へと視線を移した。

「どうも」

 返事をしてから気付く。二つ目の地雷を踏んでしまった。この店に来てから俺の印象が徐々に悪くなっている気がする。

「私、煙草吸う人苦手なんだよね」

 視線を合わせずに祭が呟く。俺は何も言えずに黙り込む。

「嘘。気にしないで吸っていいよ」

 茶目っ気のある笑顔を向けられて、救われた気分になった。

「やめてよ。心臓止まるかと思った」

 安心して煙草に火を点ける。祭との距離が近くなった気がした。

 春菜と来た時にも思ったが、場所の雰囲気は誰と一緒にいるかによってがらりと変わる。この喫茶店にしても、辰巳といれば秘密基地、春菜と来れば休憩所、祭と過ごすと天国になる。

「関水先生がよく二人の話をしてるから、興味あったんだよね」

 この二人とは俺と辰巳のことだろう。

「良い話? 悪い話?」

「両方かな。悪い話のほうがちょっと多いかも。でもいつも言ってるよ、この学校で彼氏を作るならあの二人のどっちかが良いって――他の男の子には無いものを持ってるって」

 祭の口から意外な言葉が出てくる。関水先生からの評価がそれほど良いとは思ってもいなかった。

「それは光栄な話だね」

「悠也君達を含めても五人だけの小さい部活だから、たまに活動しないで雑談で終わる日もあるんだ。そこでよく話題に出る」

 祭に噂されていると聞いてテンションが上がる。

「俺達はどんな噂されてるの?」

「部活には出ないのに昼休みに来るとか、次の学校のイベントで二人が問題を起こすだろうとか、そんな噂。二人の事を話してる時って、関水先生楽しそうなんだよね」

 あっと言う間に祭との時間が過ぎ去り、日が落ちてから喫茶店を出て別れた。家まで送るという申し出は断られてしまったが、ひどく充実した気分だ。夜空には疎らな雲が浮いていて、その隙間にぼんやりとした満月がある。

 彼女のことを考えると、胸がキュンとする――なんて言葉にすると気色悪いが、これ以上の言葉が思い付かない。胸がときめくでも、胸が締め付けられるでも、胸が痛むでもない。胸がキュンとする。胸にそんな違和感を覚えながら、月明かりが照らす夜道をたらたらと歩いた。


 辰巳のチェーンメールは成功したようだ。ハーメルンの訪問者数は一つ授業が終わる度に、少しずつ増えていった。どうやら授業中に思い出したかのようにハーメルンにアクセスしている同級生が多いようだ。辰巳と春菜が書いたページを読み返す。

 ――嘘と冗談 勘違いの無いよう先に書いておくけど、このページに書かれていることの八割は嘘と冗談。あんまり真に受けないように笑い飛ばしてね。

 俺のバイト先の話を一つ。今、某ファーストフード店で働いてるんだけど、マニュアルがやたらとしっかりしてるのね。それで専門用語? みたいなもので「サンキュー」っていうのがあるんだわ。研修の初日に必ず返事は「サンキュー」って教わったんだけどさ。要するに店員同士の応対にはいつも「サンキュー」って付けるの。

 それで、俺より一ヶ月先輩のAさんが、仕事中にミスして店長に怒られた時の話なんだけど、Aさんが泣きそうになりながら「サンキュー」って連呼するのね。それ店長が当たり前のように受け入れてるの。二人の受け答えが面白くてさ。もはや宗教だね。このバイトが何日続くかわからないけど、続報期待していて下さい。最後まで読んでくれてサンキュー。って、あれ? 職業病が出た?

 ――恋愛作法 男の子も女の子も異性の気持ちって気になるよね? ここではそんな素朴な疑問や悩みを解消出来るように色んな事を書いていくよ。後、個人的な悩みなんかがあったら相談部屋ってページからメッセージを送ってね。相談内容とハーメルンからの答えはページに載せさせてもらうけど、もちろん匿名で大丈夫だから。

 では栄えある第一回目のテーマは「恋に落ちたら」

 高校の中に好きな人がいると、毎日緊張して過ごすことになるよね。それでどうやって近付こうか悩んでる君に朗報だよ。毎日挨拶をするの。確かに緊張はすると思うけど、もし君だったら挨拶をされて嫌な気分になるかな。大丈夫でしょ? 毎日告白をする訳じゃないんだから出来るよね。それと、大好きな人のことは自然と観察するはずだし、朝も放課後も教室のどの辺りにいるかわかるなら、自然に声をかけることが出来るはずだよ。頑張ってね。バイバイ!


 読み終えてから、二人の文章能力は凄いと改めて思う。辰巳の先が気になるギャグセンス、春菜のカリスマギャルブロガー的な書き口、二人とも短時間でよくやってくれたと思う。俺は自分の記事を持ちたいと思いながらも、この二人程のセンスも無いと自覚しているため、提案をしないで終わるだろう。

 昼休みに入る。俺と辰巳は美術準備室でコーヒーを飲みながら、春菜の放送を待った。備え付けのスピーカーから軽い電子音が漏れて、昼放送は始まった。

『どうも、放送部の前川春菜です。今日はみんなの希望でもあった、高校から近い良い感じの店を紹介します――』

 雑貨屋や喫茶店の紹介が次々と済んでいく。中でも喫茶「アカシア」については特に力を入れて紹介していたようで、他の店の紹介よりも長い時間を取って、その良さを丁寧に説明していた。

『じゃあ恒例のお手紙の時間ですね。ペンネーム、ハーメルンさんから、初めまして私達はハーメルン、うちの高校のサイトを作りましたアドレスは――』

 春菜は声色を上手く切り替えて手紙を読み上げた。辰巳と不敵な笑みを浮かべ合って、昼放送は終わった。


 放送が流れてからハーメルンの訪問者数は爆発的に伸びた。春菜の話によれば、ハーメルンのアドレスを聞き逃した生徒からアドレスを教えてくれと頼まれる事が何度もあったらしい。俺達は作戦会議のため、放課後の喫茶「アカシア」に集まった。

「二人とも記事良かったよ。アクセス数もガンガン延びてる」

 アクセス数と共に上がっていくテンションを隠さずに言う。

「サンキュー。次はもっとすげぇ事書くぜ」

「期待してるよ」

「私、作って欲しいページあるんだけどいい?」

 春菜が言う。

「いいよ、何?」

「アンケート取れたら、記事がもっと良くできると思うんだ」

「わかった。すぐに作るよ。アンケートの内容って決まってる?」

 行動は早ければ早いほど良い。今はハーメルンが高校に定着するかしないかの境目だ。

「うん。決まってる。けど、そんなに急がなくて大丈夫だよ」

「二人が頑張ってるんだから、俺も自分の仕事はきっちりやるよ」

「悠也のそういうとこ、嫌いじゃないぜ」

 珍しく真顔で辰巳が呟く。

「あれ? 辰巳君照れてない?」

 春菜が茶々を入れると、辰巳は誤魔化すように煙草に火を点けた。

「そういえば結構相談来てるよ」

 携帯電話の画面を二人に見えるように、テーブルの上に置く。二人が読み終わるタイミングを見計らいながら、次のメールへと切り替える。

「大喜利みたいなのが多いな。某ファーストフード店で働いているハーメルンさんに質問、そこで使われているサンキューというのは和訳するとどういう意味になるんですか? っていうのは答え甲斐あるぜ」

「うん。真面目な相談っていうのは今のところ、告白したら今の関係が崩れそうで怖いっていうのぐらいだよね。でも一つ一つ答えると真面目な相談が浮きそうで心配」

 少し考えて口を開く。

「ページ増やそう。相談部屋の中に、大喜利用と相談用って感じで二つに分ければ問題無いだろ?」

 自分のやるべき事が増えるが嬉しい。俺は二人と違って自分のページを持っていない分、こういう所で活躍したい。俺の仕事が誰にでも出来る以上は、誰よりも早く効率良くやるべきだ。

 辰巳と春菜が次の記事の相談を始めて、手持ちぶさたになったため、煙草に火を点けてページ作りを始める。相談部屋の中に回答用のページを二つ、後はトップページにアンケート用のページを作る。

「回答用のページなんだけど、良いネーミング無い?」

 二人に話を振る。

「本気の相談用と不真面目な相談用みたいな感じでいいんじゃないかな? 下手に捻るとわかりにくいだろ」

「私も賛成」

 意見がまとまり、ページの作成は終わる。

「回答用のページは出来た。あとはアンケートの内容もらっていい?」

「さすが速いな」

 辰巳が言う中でメモ帳を出そうとすると、春菜がスクールバックから一枚のルーズリーフを取り出す。

「こんな感じ。週変わりで五個ずつぐらい出してくれるとありがたいかな」

 ルーズリーフにはみっちりとアンケートの内容が書かれている。

「わかった。早急に取りたい内容が出来たりしたら、言ってな。ちなみにアンケートは、二人のページの更新とずらして、週一回の月曜日にしようと思うんだけどいいかな?」

「うん。ありがとう。それで大丈夫」

 春菜の返事を聞いてから辰巳を見ると力強く頷かれた。

 作戦会議が終わり三人で喫茶店を出る。空は昼と夜の中間、限りなく灰色に近い水色で、街並みがぼやけて見えた。


 土曜、日曜を怠惰に過ごした。この二日間でやった事と言えば、祭に勧められた本を半分程度読み進めたことと、裏サイトの巡回ぐらいだ。ようやく祭の蔭口は収まりを見せて始めていた。

 月曜日というのは憂鬱になる。金曜日まで毎日高校に行くのは、毎週のことながら気が遠くなる話だ。電車の中でアンケートのページを更新して高校に着く。

「悠也、大喜利読んだ?」

 朝の教室で、自信満々な辰巳に言われる。

「まだだよ。アンケートの更新はやった」

 小声で答える。あまり人のいる場所でハーメルンの話をしたくない。

「そっか。授業中に読んでくれよ。自信あるんだ。あと昼休みに美術準備室な。春菜ちゃんも呼んであるからさ。関水先生から、ハーメルンの職員関係の情報聞こうぜ」

 チャイムが鳴り、辰巳との会話が終わる。担任の佐藤先生がホームルームを行い、授業が始まる。昼休みまでに、辰巳と春菜の更新した相談の回答を読んでおこうと思い。先生にばれないように注意しながら、膝の上で携帯電話を開く。

 ――不真面目な相談の回答 

 (問)サンタはいますか?

 (答)おい、てめぇ、何て言った? 赤い服のあいつは、妖精と一緒で信じないと消えるんだぞ。あんなに陽気で愉快な白ヒゲオヤジを俺は失いたくない。だからお前も疑うな!


 (問)だたいたすたきだよ! ヒントは狸

 (答)おまれまもまだまよ! 間抜けだ。


 (問)どうしたら世界は平和になりますかね?

 (答)その答えは――俺の口からは言えねぇ。もし知ってしまうと、お前も戻れなくなる。これ以上、他人を巻き込みたくない。わかってくれ。


 (問)とてもとても落ち込んでいます。ヒップホップなテンションで慰めて下さい。

 (答)お前元気、良いお天気、気分を換気、そして歓喜

一念発起、実力発揮、そして人気、本当ラッキー! 


 (問)某ファーストフード店で働いているハーメルンさんに質問、そこで使われているサンキューというのは和訳するとどういう意味になるんですか?

 (答)そいつは難しい質問だが――良い質問だ。「サンキュー」の和訳は不可能だ。その理由は、次の俺の記事で書こう。


 ――真面目な相談の回答

 (問)告白したら今の関係が崩れそうで怖いです。どうすればいいですか?

 (答)えっと、告白したら相手との関係は確実に変わります。崩れるって言い方だと怖いかもしれないけど、変わるだけって考えると少しは楽にならない? それに告白の返事が良いものでも、友達から恋人へ関係は変わるでしょ? 恋をしたら、変化を恐れちゃだめだよ。人間は意外と強いから、当たっても砕けない。頑張れ!


 二人の更新を確認して携帯電話を閉じる。授業中に吹き出しそうになるが、どうにか耐えた。辰巳のギャグセンスは相変わらずだ。また晴菜の「恋をしたら変化を恐れるな」という言葉も印象的だった。

 退屈な授業が終わって、昼休みに入る。教室を出て三人で美術準備室に向かった。

「あんまりこの二人と関わっちゃだめよ」

 関水先生が春菜に声をかける。

「もう手遅れみたいです」

 春菜が返す。

「春菜ちゃんって砂糖とミルク入れるんだよね?」

 辰巳は振り向かないで尋ねる。

「うん。どっちも入れて欲しい」

 辰巳は返事を聞いて頷いた。

「この前の放送良かったわよ」

 関水先生が春菜に話を振る。

「聞いてくれたんですか? ありがとうございます」

「どういたしまして。紹介してくれてた喫茶店今度行こうと思ってるのよ。それとハーメルンっていうのは何だったの?」

 二人の話を聞いていて、冷や汗が垂れそうになった。春菜はハーメルンを誰かのブログみたいなものと関水先生に説明した。

「なるほどね。私もサイトは見たのよ。なかなか面白い内容だったわ」

「私も放送入れる前にサイトをチェックしましたけど、学校的には問題ありませんよね? 職員会議で話題になってたりとか」

 春菜は自分が当事者であるにも関わらず、客観的な立場を装って堂々と受け答えをしている。また自然な流れでの情報収集も欠かしていない。これだから女の嘘はわかりにくい。

「大丈夫だと思うわよ。裏サイトみたいな陰口を言う場所でもなさそうだし」

「なら良かったです」

 春菜が笑顔で言う。女って生き物は怖い。泣きながら嘘をつくと言うが、笑いながらでも自分を偽れるようだ。

「出来たぜ」

 辰巳が四つの紙カップを無理矢理運んでくる。少し危なっかしい。

 それぞれの手元にコーヒーが行き渡り、昼食が始まる。俺と辰巳は菓子パンを、春菜と関水先生は手作りの弁当を出した。

「春菜ちゃんって、自分で弁当作ってるの?」

 辰巳が言いながら春菜の弁当をのぞき込む。

「うん。たまに手抜きの日があるけど、毎朝頑張ってる」

「偉いわね。きっと良いお嫁さんになれるわよ」

 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴るまで会話は続いた。


 帰りのホームルームで担任の佐藤先生に呼ばれて職員室へ行く。悪い意味で呼び出された訳ではない。単なる世間話と言えばいいのだろうか。佐藤先生は俺を通してクラスの人間関係を把握しようとしているようだ。基本的に友達の評価がマイナスになるような事を口にすることは無いが、それでも生徒の目線でのクラスの情報というのは、教師にとって有益なものであるらしい。俺は、こういう事をこなして、高校の裏情報と優等生の地位を得ている。

「せっかくの放課後に悪いな」

 佐藤先生は歳のせいで広がってしまった額を撫でながら言う。悪いと思うなら呼び出さないでくれ。という本心を隠して社交辞令を口にする。

「特に用事がある訳でもないので、気兼ね無くいつでも呼んで下さい」

 自分の口から出る言葉なのに違和感がある。

「ありがとう。それで早速本題なんだけど、学校の裏サイトって知ってるか?」

「名前は知ってますよ。けっこうひどい陰口なんかが書かれてるらしいですよね」

 嘘は吐かないが、本当の事も言わない。イメージ作りだ。もしも俺が裏サイトに詳しければ、少なからず心象が悪くなる。

「そうか。最近、先生達の中で話題になってて、問題として考えているんだけど、俺達ぐらいの年代だとあんまり器用に携帯電話を使えなくてな」

 言葉に助けを求める自嘲的なニュアンスがある。

「なら俺の方でも、軽く調べてみますよ。友達に何人か当たれば、裏サイトについてもわかると思いますから」

「そうか。助かるよ」

 予定調和の会話が終わる。会話の途中で生活指導の教師達が明日の二年の学年集会についての話をしていることに気付いた。どうやら一斉生活指導が行われるらしい。

「最近の調子はどうだ? 勉強の悩みなんかがあれば、遠慮なく言ってくれよ」

「ありがとうございます。世界史のこの前の授業のことなんですけど――」

 スクールバックからルーズリーフを出す。教師に質問をする際にメモを取るだけのことで印象が良くなる。その時に丁寧にまとめてあるノートを見えるように出せば更に効果的だ。

 また相手の申し出に甘えること。これも一つの礼儀になる。年上にとって可愛い年下の要素の一つとして、甘え上手というものがある。前回の授業の話を持ち出して、単にわからないのではなく、授業を聞いた上で疑問に思った事を口にする。

「――ってことになるからなんだけど、この説明で大丈夫か?」

「わかりました。ありがとうございます。では、失礼します」

「おう。ありがとな」

 席を立ち、すれ違う教師達に愛想の良い挨拶をしながら職員室を出た。

 佐藤先生の呼び出しにより少し遅めの放課後を迎えた俺は、喫茶「アカシア」のカウンター席で一人の時間を過ごす。祭に会えるかと期待しながら本屋に寄って時間を潰してはみたが、願いは叶わずにいつもの喫茶店に入った。

 ハーメルンのトップページに、明日の二年の学年集会で一斉生活指導があると書き込む。生徒の噂ではなく、職員室で聞いた情報だ。信じても良いだろう。

 それが終わるとアイスコーヒーと煙草で自分の世界を作り、祭に勧められた本を開く。前の土日で読み進めてはいたが、まだ読み終わっていない。

 好きな相手に勧められた本というのは、読んでいると相手の事が思い浮かぶ。このシーンでどんな情景を思い浮かべたのだろうか、主人公の気持ちをどう考えたのか、それが同じだったら嬉しい。そんな女々しい事を考えながらページをめくる。

「今日は一人かい?」

 マスターに声をかけられる。最近マスターはよく話かけてくるようになったと思う。

「みんなに振られちゃったんで」

 それ以上会話は広がらずに、活字に目を落とした。

 どれぐらいの時間が経っただろうか。長い間、本の世界に浸かっていると、一人の客の訪れで現実に引き戻される。

「あら、奇遇ね」

 声をかけられて振り向くと関水先生の姿があった。慌て気味に煙草を隠す。

「こんばんわ」

 返事をするが目が合わずに、関水先生の視線の先を追うと、俺の使っていた灰皿があった。

「これは何かな?」

 関水先生がその灰皿を手に取り、俺の顔をのぞき込む。笑顔が怖い。

「灰皿ですね」

 沈黙に支配される。関水先生が口を開くまでの十数秒だったが、それが永遠に感じられた。

「まぁ別に構わないけど、気をつけなさいよ。私じゃなかったら、大変だったわよ」

 関水先生が教師としての態度を崩して、俺の隣に座る。安心していいのだろうかと、疑心暗鬼になりながら、その横顔を眺めていると、おもむろに鞄から煙草を取り出した。

「火借りてもいい?」

 頷いてライターを手渡す。

「ありがとう」

 関水先生のこういう大人な気遣いが出来るところが素敵だ。最低限の言葉と行動で、相手の不安を拭い去る。そのおかげで安心して自分の煙草に火を点けた。

 二人の間に不思議な空気が流れる。関水先生は注文したブレンドを飲みながら書類の整理をして、俺はその隣で小説を読んでいる。端から見たら教師と生徒には見えないだろう。

「春菜ちゃんが放送で紹介してた通り良い店ね。祭ちゃんも言ってたけど」

「祭から聞いたんですか?」

「そうよ。悠也君と二人で来たって、テンション高めに話してたわ」

「本当ですか?」

「半分は冗談よ――悠也君って案外わかりやすいわね」

 からかわれている。半分は冗談らしいが、その詳細が気になる。

「いつも涼しそうな顔してるけど、年相応なところが見えて嬉しいわ」

 関水先生はカップに口をつける。

「どこにでもいる高校生ですから」

「頭は良いのに、自分のことはわかってないのね。私から見れば絶滅危惧種ものだけどな。悠也君と辰巳君は」

 言葉の意味がよくわからないままに頷くと、関水先生は言葉を続ける。

「最近の若い子って難しいじゃない? 不満を溜め込んで、自分の評価のために良い子を装って、私の頃と比べるとすごく不安定だと思うのよね。だから悠也君達みたいに、不満があれば反抗して、煙草を吸って背伸びして、そんな風に高校時代を過ごすのは大切なの。私の目線で本当に高校生らしく見えるのは悠也君達だけよ。ちょっと説教臭いかな。年は取りたくないわね」

 関水先生は煙草に火を点ける。今度は自分のライターを使った。

「何読んでるの?」

 本屋で着けて貰った紙のカバーを外して、小説の表紙を見せる。

「前に祭に勧められたんです」

「そういえば、そんなことも言ってた。祭ちゃんも悠也君が勧めてくれたって文庫本持ってたわ――さっきテンション高めに話してたっていうのは言い過ぎたけど、悠也君の話をしてたのは本当よ」

 祭が俺の勧めた本を持っていたらしい。嬉しさと同時に不安に駆られる。祭に勧められた本は夢と希望の溢れたファンタジーであり、俺が勧めた本は元バンドマンが書いている、いわゆるビート文学と呼ばれるジャンルだ。夢と希望の代わりに酒と煙草で溢れている。読書の嗜好があまりにも違い過ぎるため引かれないか心配だ。

「どうしたの?」

 不安が顔に出てしまったらしい。関水先生が俺を見る。

「渡した小説が祭に合うかどうか心配で」

「可愛いところあるじゃない。絶対に大丈夫よ」

 関水先生は絶対という部分を強調した。この言葉が真実ならば俺の不安は払拭される。

「一つだけ良いこと教えてあげる。祭ちゃん、今彼氏いないわよ」

 良いこと教えてあげると言われて、本当に良いことを教えて貰ったのは生まれて初めての経験だ。心の中で、力強くガッツポーズを作った。


 朝の通学電車でハーメルンにアクセスする。少し電波が不安定なため、ページを読み込んでいる携帯電話を軽く振る。画面を見ると辰巳の更新はもう済んでいた。

 ――嘘と冗談 今回は質問の回答に書いた、俺がバイトしている某ファーストフード店の「サンキュー」の和訳が不可能な理由を教えよう。

 最初に言っておくが「サンキュー」は実は日本語だ。和製英語って奴だな。この「サンキュー」は時と場合によってその意味を変える。ここでは、俺の経験から正確な答えを考える。

 サンキューの使い方は大きく分けて四つある。それは、挨拶のサンキュー、感謝のサンキュー、了解のサンキュー、謝罪のサンキューだ。全て読んで字の通りに受け取ってもらっていい。

 挨拶、感謝、了解、謝罪、の四つの意味が場面によって変わる日本語は存在しない。しいて上げるなら「すみません」が近いね。だけど「すみません」だと謝罪と感謝だけになるから、挨拶と了解が足りない。以上。

 近いうちに「サンキュー」次によく使われる「プリーズ」について書くからお楽しみに。またな!


 電車を降りると、眠そうな表情の春菜と出会った。向こうも一人のようで、二人で通学路を歩く。

「更新見たよ。さすがだね。悠也ってどうやって情報仕入れてくるの?」

「職員室で耳を澄ませば聞こえてくるんだよ」

 通学路を歩く生徒が多く、ハーメルンという単語を隠して、最低限の言葉でやりとりをする。

 突然、春菜が頬に舌を当てて変な顔になる。何かの小動物に似ている気がするが、どうも思い浮かばない。

「どうしたの?」

「口内炎出来ちゃってさ。痛いんだよね」

 高校に着き、学生としての一日が始まった。朝のホームルームの最後に佐藤先生から軽い目配せされる。言葉は無くとも、昨日の裏サイトについての事を頼むという内容が伝わってくる。それに会釈をして答えた。

「例の情報ってマジ?」

 辰巳に聞かれる。今日の一斉生活指導のことだろう。

「昨日職員室で聞いたからマジだと思うよ」

 声を潜めて答える。

「なら俺、四時間目で早退するから、放課後いつもの店で待ち合わせしようぜ」

「わかった。あ、今回の更新も良かったよ」

 辰巳が得意げに頷き、始業のチャイムが鳴る。席に着くと退屈な授業が始まった。

 カバ田の汚い文字をルーズリーフに写しながら、時間が流れていく。声、顔、態度、全てが不快だ。カバ田が教科書を読みながら教室を歩き、俺の隣を通り過ぎる。カバ田の唇の両脇に溜まった謎の白いジェル状の物体、通称カバ田汁がたまに飛んでいる。

「おい、前川」

 通り過ぎたカバ田の背中を眺めていると、突然カバ田が春菜の名字を呼ぶ。そこで前回の授業で春菜が辰巳を助けたことが頭に浮かんだ。どんな因縁を付けるのかと思いながら展開を見守る。

「なんですか?」

 春菜が返事をする。

「お前、今何か食べていただろ?」

「食べてないですよ」

 おそらく春菜は口内炎が痛んで、舌で触れていたのだろう。カバ田の勘違いもわからなくはないが、それでも食べていたと疑ってかかる態度は良くない。

「いや。俺は見たぞ」

 受け答えが理不尽だ。もしも見たのであれば、質問の意味は無い。頭が悪い奴特有の話し方だ。こういう教師を見ていると、教員試験のレベルを疑ってしまう。

「本人が食べてないって言ってるんだから、食べてねぇだろ。ってか本当に見たなら聞くなよ」

 辰巳が苛立って言う。いつもの様に冗談半分に喧嘩を売る態度では無い。

「何か言ったか?」

 カバ田が辰巳を睨む。

「言ってねぇ」

「いや。俺は聞いたぞ」

「聞こえてるなら、聞き返す必要ねぇだろ。カバでバカって本当に救いがねぇな」

 正論だ。俺には出来ない切り替えしだと思う。辰巳は思考回路がシンプルな分、処理速度も速いのだろう。語尾に付け加えられた啖呵も小気味良い。

「もういい――出て行け」

 カバ田が顔を赤くする。辰巳は返事をせずに、スクールバックを持って教室を出る。辰巳は教科書もノートも机の上に出していなかったため、気持ち良い程行動が速い。暫く沈黙が続き、カバ田は何も無かったかのように教科書の続きを読み始めた。


 昼休みに入った。この後の集会で生活指導が行われるのだろう。今日は辰巳が帰ってしまったため、美術準備室で春菜と関水先生と三人での昼食になった。

「辰巳君の事巻き込んじゃって、悪いことしちゃったな」

 春菜はカバ田の授業の話を持ち出す。

「早退するって言ってたから問題ないだろ。タイミングが少し早まっただけだよ」

 言いながらコーヒーを用意する。いつも辰巳にまかせっきりにしたいたため、あまり要領が掴めない。なんとかコーヒーを作り上げて席に着く。辰巳がいないだけで、何か物足りなさを感じるが、その感情を気持ち悪く思い自分の中で打ち消す。

「コーヒーちょっと濃いわよ」

 関水先生からクレームを入れられる。

「文句なら早退した辰巳に言って下さいよ」

「そういえば職員室で話題になったわよ。もっと高校生らしく振る舞ってもらいたいってね」

 関水先生の言う「高校生らしく」という言葉に、どこか高校教育を馬鹿にしたニュアンスがある。

「それなら安心して下さい。この前、先生の言ってた高校生らしさは保たれていますから」

「そうね」

 関水先生は昨日の自分の言葉を思い出して軽く微笑む。春菜が不思議そうに俺達を眺めていたので、俺と関水先生が喫茶店で出会った事を話した。

「春菜ちゃんの放送で興味持ったのよ」

「ありがとうございます」

 自分が紹介したことをきっかけに、誰かが興味を持ってくれるというのは、放送部冥利に尽きるものなのだろう。それから春菜は美術準備室を出るまでずっと嬉しそうにしていた。

 集会が体育館集合だったため、少し早めに美術準備室を出た。春菜は女子のグループに誘われて合流しため、俺も適当な男子のグループに混ざる。

「今日、生活指導があるらしいよ」

 噂好きのクラスメイト、細木信二が言う。

「どこで聞いたの?」

 ハーメルンで知ったという返事を期待して聞いてみる。

「ハーメルンってサイト。知ってる?」

 細木は期待に応えてくれた。俺の作戦は成功していた。

「名前ぐらいなら」

 俺が答えると他のクラスメイトがハーメルンの話題に食いつき盛り上がった。高校内でハーメルンが広まっているのはわかっていたが、クラスメイト達の会話を聞いていると改めてそれを実感させられた。

 二年四組の列に並んで、チャイムが鳴ると学年集会は始まった。級長会による司会の元に、起立、礼の無駄な挨拶が繰り返されて、校長、学年主任、生活指導の教師達が順に説教にも似た話を続ける。掻い摘んで話せば五分もあれば伝えられる内容をだらだらと話すのはある種の様式美なのだろうか。毎度の事ながら、こういった集会の不毛さ加減には呆れてしまう。

 話に上るのは、修学旅行の準備を兼ねた次の社会科見学と学校の裏サイトについてだ。佐藤先生の言っていたように、裏サイトは教師達の中でも問題になっているようで、仮に使っていないとしても見ているだけで罪だとかいう昔ながらの論理を学年主任は真面目な顔で語っていた。

 クラスメイト達の話に耳を向ける。俺のこの状態は会話に混ざっているのか、ただ隣にいるのかわからない。教師の私語を注意する言葉を聞き流しながら、隣にいる細木は話を続ける。

「この前、煙草が親に見つかってさ――」

「マジで? だるいな、それ」

 自分が如何に不良かという自慢話に、相手が喜びそうな反応をする。こうした退屈なやりとりも、人間関係を築く上では重要だ。

 退屈な話であることは、教師の話も変わらない。けれど相槌を打たなければならないという点で、クラスメイトの話の方が苦痛に感じる。

「うるさい! 静かにしろ!」

 何度注意をしても減らない私語にカバ田が怒鳴り声を上げる。傍観していると不思議に思える。周りで話していたクラスメイト達は静まり返り、数分後にまた話を始める。周りの空気を読んで、みんなが話しているのだから自分も大丈夫だと思う感覚が気持ち悪い。もしも辰巳ならカバ田が怒鳴ろうとも気にせずに、いつもの調子で話を続けるだろう。

 一組の級長である村田伸吾がマイクの前に立つ。彼は生徒会も兼任している。本当の意味で優等生という言葉が似合う奴だ。

「僕達は、いじめをしない、させない、見逃さない。というスローガンを掲げて対策をしようと思います。この活動の内容としては――」

 高校二年にもなって真顔でこんなことを言えるのは、悪い意味で尊敬に値する。このスローガンを聞いて、非核三原則が頭に浮かぶ。持たず、作らず、持ち込ませず――もしかしたらこれも、村田伸吾の言っているスローガンと同じように、何の意味もないものなのかもしれない。

 だらだらと集会は続き、最後にカバ田がマイクの前に出た。

「最後に、中だるみの学年である君達は、最近服装や頭髪の乱れが気になる。出入り口で先生達が、気になる生徒を呼ぶから、呼ばれた生徒は指導を受けるように、以上だ」

 やはり一斉生活指導は行われるようだ。これでハーメルンの信頼度は上がるだろう。

 体育館の出入り口で、呼び止められた同級生が不満そうな表情を浮かべている。髪を染めて制服を着崩す、それを咎められるとふてくされる。悪さを一種のステイタスのように感じているのだろう。辰巳の立ち振る舞いとは違い、どこか卑屈な印象がある。その中に春菜の姿を見つけ、近付いて話しかける。

「なんで呼び出されたの?」

「カバ田にスカートが短いって言われた」

 春菜は不服そうに頬を膨らます。その表情はドングリを口に詰めたリスに見える。朝のことを思い出して、口内炎を舌でいじる春菜はリスに似ていたと頭の中で繋がる。

 毎度の事ながらカバ田は本当に器の小さい奴だ。確かに春菜のスカートはやや短めだが、同じぐらいの生徒はいくらでもいるし、そういう女子生徒が今も平然と体育館を出ていった。今日の授業のことを根に持っているのだろう。ハーメルンの仲間でもある春菜をほっとけない。俺なりのやり方で生活指導をぶっ壊してやろうと列に加わる。

「あれ、行かないの?」

 春菜が不思議そうに顔を向けてくる。

「辰巳の代理みたいなもんだよ。ちょっと頼みがあるんだけど、そのスカートもう少し長く出来る?」

「うん。頑張ってみる」

 春菜は折り曲げたスカートを元の長さに戻して、皺を伸ばしている。そんな春菜と話しながら、生活指導の時間を待った。

 俺、変わったな。辰巳の影響だろうか。本来、俺はこういう目立つことを避けて、教師にとって都合の良い優等生という立場を保ってきた。けれど今、そんな過去の自分とは正反対の行動を取ろうとしている。生活指導に噛みついて、春菜の事を庇うとなれば、明日から噂の主語に俺の名前が登場するだろう。

 ほとんどの生徒が体育館を出て、残ったのはこの生活指導組だけだ。説教のパターンを想像して、切り返しを考える。

「お前ら、自分がなんで呼ばれたかわかっているな」

 カバ田が偉そうに口にする。集会の時には気が付かなかったが相変わらず口の両脇にカバ田汁が溜まっている。

「いいか。お前らはうちの学校の風紀を著しく乱している。恥ずかしいと思わないのか? 髪を染めて、ズボンを下げて、スカートを短くして。そんなことをしてもみっともないだけで、決してかっこよくはない」

 逆にカバ田にかっこいいと誉められたら辛い。被害妄想に近い自分のイメージが面白すぎて、つい笑みがこぼれる。

「他の真面目な生徒にも迷惑をかけているのに気付いていないのか? なんだ? 言いたいことがあるなら言ってみろ」

 カバ田が一人の生徒に絡み始める。その生徒は黙って俯いた。生徒のおとなしいこの高校だから、こんな高圧的な態度でも通用するが、少し荒れている高校であれば、カバ田は夜道を歩けなくなるだろう。

「なら一ついいですか?」

 ここで迎え撃つ。生活指導の教師も、生徒達も場違いな俺の存在に困惑している。服装にも髪型にも乱れのない、外見だけ見れば絵に描いたような優等生、それが俺だ。誰かが口を開く前に続ける。

「ここにいる前川春菜さんが呼び出された理由がわかりません。スカートが短いと言われたようですけど、膝まで届いてますよ。それに髪が茶色いと言っても地毛のような生徒も数人混じっています。この生活指導、見直した方が良いと思いますよ」

 俺が言うと生活指導教師達は春菜のスカートを見てから納得したように首を縦に振る。春菜のスカートを伸ばす努力は無駄にはならなかった。そろそろとどめの一撃を入れよう。

「それに気の弱い真面目な生徒であれば、生活指導としての呼び出しを受けたら、言いたい事も言えずに叱られて終わりますよね? 真面目な生徒に迷惑をかけているのは先生方も一緒じゃないですか?」

 相手の急所に言葉を叩き込む。これで論破出来ただろう。

「わかった。今日はもう終わろう。服装、頭髪に乱れがある生徒は次の集会までに直しておくように。以上、解散」

 担任の佐藤先生がまとめる。カバ田は不服そうにしているが、解散の合図が出た以上仕方が無く、諦めたように背中を向けた。

 教室に戻る途中で佐藤先生に声をかけられる。

「かんべんしてくれよ」

 出っ張った広い額に手を当てて、困ったという表情を見せられる。

「すみません。春菜が呼び出されて、頭に血が上っちゃって」

「確かにそれは俺達の落ち度だけどさ」

 佐藤先生は額を撫でる。

「そういえば、学校の裏サイト軽く調べてみましたよ。一応ホームページのアドレス渡しておきますね」

 ポケットから用意していたメモを渡す。

「そうか。助かるよ」

 佐藤先生は機嫌良くそれを受け取った。切り替えが早くて助かる。

 教室へ戻ってすぐにハーメルンのトップページに載せた生活指導の情報を消す。終わったことを書いたままにしても仕方が無い。

 放課後に春菜を誘い、二人で高校を出て、辰巳の待つ喫茶「アカシア」へ向かった。春菜との会話は話題と表情が落ち着きなく変わり、話していて飽きない。

「生活指導あった?」

 辰巳は俺達の到着に気付いて、読んでいた音楽雑誌を閉じる。

「あったよ。私、悠也に助けてもらっちゃった」

 春菜が答える。

「さすが悠也の情報だな。けど悠也が春菜ちゃんを助けたってどういうこと?」

 春菜はさっきの出来事を掻い摘んで話す。少し誇張があるような気がしたが、あえて訂正するほどのものではない。辰巳はそれを聞き終えると、信じられないとでも言いたげな視線を俺に向けてきた。

「悠也も変わったな。俺も見たかったぜ」

「辰巳がいないから代理を務めただけだよ。俺のキャラじゃない」

「あの文句じゃなくて抗議って姿勢は悠也のキャラだと思う。先生達も反論出来なかったし、かっこ良かったよ」

 春菜が言った。かっこ良かったって言葉は、相手が誰であろうと言われると嬉しい。

「ずいぶんロックになったな」

 辰巳は俺を見る。ロックになるという事にどんな意味があるのかわからない。けれどその目を見る限り、少なくとも悪い意味では無さそうだ。辰巳にしては珍しくふざけた印象が無い。

「誉めてるんだぜ」

 俺が返答に悩んでいると、辰巳は付け加えた。


 翌日、ハーメルンが生活指導の情報を流したことが問題になった。生徒同士の噂に敏感な教師がこの学校にいるということに驚く。

 朝のホームルームで佐藤先生がプリントを配り情報提供者を募る。おそらく他のクラスでも同じような事が行われているのだろう。宣伝ご苦労と心の中で言ってみた。

 ハーメルンの犯人探しは無駄な努力だ。俺達が名前を伏せている以上、首謀者を突き止めることは出来ない。また最悪の事態が起こったとしたら、三人の誰かがサイト自体を潰してしまえば、何もわからずに終わる。もちろん最悪の事態を招くような失敗はしないつもりでいる。

 ハーメルンが有名になったことをきっかけに、高校内では携帯サイトが乱立した。どれも個人ブログのようなもので、俺達のライバルになる事はないだろう。何度か相互リンクの誘いがあったが、全て丁寧に断った。個人ブログとのリンクに俺達にとってのメリットは無い。

 昼休みが来たが、辰巳は昨日の自主早退についての説教を受けることになり、四時間目の授業が終わるのと同時に迎えに来た佐藤先生に捕まり職員室へと強制連行された。辰巳がいないと暇だ。春菜も放送部の集まりに出てしまっている。適当な男子のグループに混ざるという手もあるが、つまらない会話の端々で相槌を打たなければいかないと思うと、あまり乗り気になれない。一人で美術準備室へ向かおうと思い、コンビニで買った菓子パンを持って席を立つ。

「悠也君が勧めてくれた本読んだよ」

 廊下で祭に話しかけられる。

「どうだった?」

 小さな不安を胸に聞く。

「良かったよ。普段読まないジャンルだけど、物語に勢いがあって、一気に読んじゃった」

「なら安心したよ。俺も勧めて貰った本読み終わった。ファンタジーもいいなって思ったよ。世界に広がりがあってさ」

 廊下で立ち話を続けても不都合は無いが、流れで美術準備室へと向かうことになった。祭は片手にハンカチで包んだ弁当箱を持っている。おそらくブランド物のハンカチだろう。独特なストライプに見覚えがあった。

「いらっしゃい」

 関水先生に迎え入れられる。向けられた笑顔が意味ありげだが、気にせずに二人で席に着く。空に濃い色の雲があり美術準備室は薄暗い。関水先生は蛍光灯の光が嫌いで、昼間は電気をつけていない。そのため他の教室よりも薄暗さが際立っている。

 食事を終えて、コーヒーを用意する。関水先生に今度は薄いと文句を言われたが、祭が食後はこれぐらいが丁度良いとフォローしてくれた。

 また小説の話に戻る。お互いが紹介した小説の良い所を上げ合って、お互いがどんな情景を想像したかという話で盛り上がる。

「よかったら、私の絵見てよ。あの小説をテーマに描いたのが一枚あるんだ」

 話の流れで祭の油絵を見ることになった。祭はラックから、自分の絵を取り出して、絵画用の三脚のような器具の上に置く。

 視線を油絵に向ける。第一印象は世界の果て。灰色の空の下に白い花が咲き乱れて、その中で一人の少女が歌っている。見方によって少女は踊っているとも、泣いているとも受け取れるが、何故か俺は歌っていると感じた。こんなシーンは小説には無かった。

「この女の子って歌ってるんだよね?」

 祭に聞いてみる。

「それは想像にまかせるよ。小説を読んで思い浮かべる世界が十人十色なのと同じように、絵の解釈だって人それぞれで良いと思わない? 悠也君が歌ってるって感じたなら、悠也君の中では歌ってるんだよ」

 祭の発想に尊敬を覚える。確かにその通りだ。これからは好きな画家を聞かれたら、ダリ、ゴッホ、高橋祭の三人を答えようと決めた。

 そして絵を誉めようと思うが、言葉が思い浮かばない。繊細で大胆、広くて狭い、濃くて淡い、美しくてどこか汚れている、どんな修飾語を思い浮かべても、即座に反対の意味が浮かび否定される。暫くの間、吸い込まれたようにその絵を眺める。

「ごめん。言葉にならない」

 口から出たのはそれだけだった。本当は俺の感動が全て伝わるような、そんな感想を言いたかった。

「謝る必要は無いわ。それって最高の誉め言葉よ」

 関水先生は言った。

「言葉になるなら絵にする必要は無いのよ。絵って言うのは、たくさんの賛辞を言われるよりも、言葉にならない感動を人に与えられる方が価値はあるのよ。悠也君は頭が良いから考え過ぎちゃうのね。芸術って以外とシンプルなのよ」

 美術教師らしい一言に納得してしまう。

「覚えておきます」

「もう片づけて大丈夫かな?」

 俺が頷くと祭は絵を元あった場所に戻した。

「他には無いの?」

「あるけど自信を持って見せれるのは今のだけかな」

 祭の意志を尊重して他の絵見るのを諦めた。

「あ、今日部活休みにしたからよろしくね。さっきメール入れようと思ってたんだ」

 関水先生は祭に言ってから俺に目配せをする。どうやら俺は力強い味方を得たようだ。関水先生に向かって軽く頷く。

「そうですか、わかりました」

 祭が関水先生に返事をしたところで、タイミングを逃さないように口にする。

「放課後遊びに行かない?」

 手汗が大変なことになっている。

「いいよ」

 すぐに祭が言った。関水先生がにやけながら俺を見ている。面白がられているが、関水先生の助力は大きく、文句を言いたいという気持ちにはならなかった。

 二人で教室に戻ると、辰巳は暇そうに音楽雑誌を読んでいた。表紙で中指を立てているギタリストには見覚えがある。

「どうだった?」

 声をかける。

「最悪だったよ。話にならねぇ。出ていけって言われて本当に出ていってどうする、とか言われてさ。どうしろって言うんだよな」

 辰巳が声真似を交えながら言う。それがよく似ているため、生活指導に学年主任が立ち会った事がわかった。

「けどハーメルンの話聞けたよ」

「どういう意味?」

「問題がまた増えて大変だってさ。すっかり悪役になっちまったな」

 別にかまわない。ハーメルンの目的は高校の情報操作にある。教師の中で悪役になったところで、箔が付くという程度だ。

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