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第一章 笛吹きは嘘を聞いてやってくる

【第一章 笛吹きは嘘を聞いてやってくる】

 高校という社会の中では噂話が絶えない。真実と嘘が入り交じった情報も、大多数に信じられれば真実に近付く。ある有名な哲学者は「噂をされるよりも悪い事がある。それは噂すらもされないことだ」なんて寝ぼけた言葉を残した。きっとその哲学者が生きた時代は、恋愛関連の他愛のない噂ばかりが流れていたのだろう。

 俺の通う高校は一見してみると、どこにでもある田舎の進学校だ。この高校の裏側では数々の噂が飛び交っている。それは文部省に公認された繰り返しの生活に対する憂さ晴らしみたいなものだろう。携帯電話で高校の裏サイトにアクセスして掲示板を覗けば、誹謗や中傷の書き込みがいくらでも目に付く。

 悪い噂が流れる時には、噂をする側にも、噂をされる側にも問題がある。要するに火の無い所で煙は立たない。現に俺は噂をされること無く、一年と少しの間この高校で生活してきた。教師からの評判と、友達との良好な関係を保ちながら、優等生の仮面を被って。


 日直の号令で帰りのホームルームが終わり、クラスメイト達は挨拶を交わし合いながら教室を出ていく。そんな中で俺は気になっている女の子、高橋祭を眺める。彼女がゆっくりと席を立つと、艶のある長い黒髪が揺れる。

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな言葉が頭に浮かぶ。古来、日本では美しい女性を花に例えてきたと言うが、本当の意味で美しいものは例えることが出来ない。花では足りないんだ。それは例えばサルヴァドール・ダリの絵であったり、パッヘルベルのカノンであったり、それだけで完結してしまうものにあえて比喩や隠喩を使ったりしない事と同じだ。無理に形容詞を付けると、その形容が負けてしまうものが確かに存在する。

「悠也――」

 そんな事を考えていると名前を呼ばれた。聞き慣れた低い声で、振り向かなくても声の主はわかる。近付いてきた相沢辰巳が窓枠に寄りかかる。ガラス越しに差し込む光が辰巳の茶色い髪に当たり、金色に輝いて見える。

「――いいよ」

 俺は席を立ち、机に掛けてあるスクールバックを持った。相手の気持ちがわかるというのは男同士だと気持ちが悪い。けれど辰巳から名前を呼ばれて、即座に遊びの誘いであることがわかった。辰巳の方でもそれは変わり無いようで、それ以上の会話は無く、二人で教室を出る。

 二人で肩を並べて歩くと、廊下の窓ガラスに映る俺と辰巳の姿が妙に不釣り合いに見える。俺達の外見は不自然な程に対照的だ。俺は学校指定のネクタイと黒髪で、制服を着崩していない。辰巳はネクタイ無しで首に掛けたヘッドフォンと茶髪で、ズボンが腰まで下げられている。他人が俺達の外見だけを見たとしたら、決して仲が良いようには見えないだろう。

「今日はどうする?」

 昇降口に近付き辰巳に聞く。

「いつも通りで」

 これだけの会話で意志疎通が出来る。上履きからローファーに履き替えて外に出た。柔らかい風が気持ち良い。まだ空は青く、至る所に太陽が薄い影を作っている。通学路を通り目に映るものは、田圃と山と林と閑静な住宅街、それとたった一件のコンビニだけだ。同じ制服の生徒を追い越しながら駅までの道を歩いた。


 電車を途中下車して、この辺りでは栄えている街に出る。ティッシュ配りを無視しながら路地裏に入ると、すぐに目的地の目印である古めかしい看板が見えた。

 溜まり場にしている喫茶「アカシア」には、相変わらず客の姿が見えない。おそらくこの店は金に困っていないマスターが暇潰しのために出した店なのだろう。情報化社会と言われる中でホームページも作らずに、広告と呼べるものは風景と同化した立て看板一つだ。

 薄暗い店内に三つのテーブル席とカウンター席があるだけの店は決して広いとは言えない。けれど秘密基地と革ジャンバーは大き過ぎない方が良い。

 テーブル席に座り水を受け取ってから、いつも通りアイスコーヒーを二つ注文する。

「おまちどうさま」

 マスターがアイスコーヒーを二つテーブルに運んだ。俺達の顔は覚えられているようで、断っていないのにミルクとガムシロップとストローが無い。軽く会釈をして受け取り、煙草に火を点けると、辰巳は手を伸ばして俺の煙草を一本抜き取った。

「煙草無いの?」

「おう。お前の物は俺の物、俺の物はお前の物ってことでよろしく」

 辰巳ははっきりと言い放った。「お前」と「俺」の数が某国民的人気アニメと違う。例のガキ大将よりはまともな条件だ。

「それにしても意外だよな」

 辰巳が勢い良く煙を吐く。

「何が?」

「喫煙する優等生が、だよ」

 辰巳はお前のことだと言わんばかりに顎で俺を指す。

「学校の外で優等生になる必要は無いだろ?」

「その発想は好きだよ。だから悠也と仲良くなれた」

 こんな会話をしていると、辰巳と出会った頃を思い出す。それは映画やドラマみたいにロマンチックなものじゃない。新学期が始まってすぐに地元の駅の喫煙所でライターのガスが切れて火を借りた。その相手が辰巳だった。そこで中学校こそ違っていたが、お互いの家が近いとわかり、放課後や休日に二人で遊びに行く仲になった。

「この前聞いたんだけど、今度はホストになったらしいな」

 辰巳の噂は絶えない。クラスが同じになる前から、俺は辰巳の名前を知っていた。このホストというのもクラスで流れた噂に尾ひれが付いたものだろう。

「面白い噂だと思ったからさ。派手目のスーツ着て、予備校の周りをうろついてみたんだよ。悠也の耳に入ったってことは作戦成功だな」

 辰巳は笑い声を上げる。彼は自分の噂を面白がって、あえて尾ひれを付けさせようとする。なんで派手目のスーツを持っているか、という部分についてはあえて突っ込まない。

「お前の一人勝ちだ」

 辰巳は俺の反応を聞き、満足そうにグラスに口をつける。

「そういえば明日の朝、校門前で持ち物検査があるらしい」

 これは今日の昼休みに職員室で耳にした。含みを持たせて辰巳に伝える。

「どうやって知ったんだよ?」

 辰巳が不思議そうな顔を向ける。

「人望だよ。優等生は学校の中じゃ特権階級だからさ。この前、便所で吸い殻が見つかって、それの対応らしい」

「なるほどね。優等生も伊達じゃねぇな」

「価値が無ければ演じる必要も無いだろ」

 優等生という立場は何かと優遇される。今までの経験を言えば、プリントのコピーを手伝った教師から、それとなくテストの問題を教えて貰ったこともあった。

「間違いないな。それで俺に何をしろと?」

「人聞きが悪いな。俺は明日、持ち物検査があるって教えただけだよ」

「わかった。期待は裏切らないよ」

 辰巳は言いながら煙草をもみ消す。アイスコーヒーを一口飲むと、氷が溶けて薄くなっていた。


 眠い目を擦りながら高校に着くと、校門前には学年毎に長い列が出来ている。持ち物検査は本当に行われているらしい。生活指導の教師達が総出でチェックリストを片手に、生徒のスクールバックの中を覗き込んでいる。

 とりあえず二年の列に並ぶ。煙草は改造したスクールバックの秘密のポケットに隠してあるから大丈夫だろう。空は晴れていて、風も強くない。こんな朝なら、生活指導に付き合うのも悪くない。

 列の少し先にいる辰巳が目に付く。辰巳は俺の存在に気付くと、嬉しそうに手を振ってきた。辰巳が何かを企んでいる。まず俺よりも先に高校に来ている時点で違和感がある。いつもなら辰巳は遅刻ぎりぎりの時間に登校しているはずだ。その上、普段以上に落ち着き無く周りを見ている。昨日の入れ知恵は無駄ではなかったようだ。

「辰巳君、なんか嬉しそうじゃない?」

 俺の前に並んでいる前川春菜に話しかけられる。彼女とは中学校が同じで、受験シーズンに志望校が同じという理由で一気に距離が縮まった。幼なじみというものに近い感覚があるが、知り合った時期を考えるとその定義からは外れる。短めのスカートとベージュのカーディガンがよく似合っている。

「何かするつもりだから見ててみな」

「うん。悠也って辰巳君と仲良いよね」

 春菜が首を縦に振ると、軽くパーマのかかっているショートカットの髪が動く。

「言う程でもないよ」

「私は言う程だと思うな」

 大きな目で見つめられる。この顔を見て可愛いと口にする同級生を何人か知っているが、俺にはその感覚はわからない。確かに不細工では無いが、その可愛さは小動物なもので、異性としての意味では無い。

「放送部は最近どうなの? 確か部長になったんだよな?」

 春菜は一年の頃から放送部に所属している。俺達が二年に上がると同時に当時の三年が抜けて、現三年の部員がいないため部長をしていると前に聞いた。

「調子は良いかな。今日の放課後、取材に行くから付き合ってよ」

「考えとくよ」

 話をしていると徐々に列が進んで行く。列の進みが遅くなり辰巳より先に誰かが問題を起こしたのかと思いながら、何が起こったのかを確認する。

「嫌です」

 よく通る澄んだ声で祭だとわかる。高校生活の中で聴覚を全力で使うのは、彼女の話し声が聞こえてきた時だけだ。生活指導の川田先生、通称カバ田に巾着袋を開けるように言われている。

 あだ名が付けられる教師には二通りある。親しまれているか、嫌われているかだ。カバ田は後者に当たるだろう。薄く禿げた頭と小太りの体型が生理的に無理だという女子生徒の話をよく耳にする。

「さすがカバ田だね。生物教えてるくせに、女の子って生き物を全く理解してないよ」

 春菜が半ば呆れながら言う。正直なところ俺にも理解出来ていないが、頷きながら列の進みに合わせてゆっくりと歩く。

「時間かかるなら、俺の先にしてよ。今日は急いでるんだ」

 カバ田に近付いた辰巳がスクールバックを手渡す。辰巳が何かを企むように口角を上げるのを俺は見逃さなかった。何かが起きると春菜に耳打ちする。

「そうだな。いいか高橋、お前の身勝手な行動は他の生徒の迷惑になっている。自分のしていることをよく考えろ」

 カバ田は嫌みな顔を祭に向けてから、辰巳のスクールバックのファスナーを開ける。同時に大量のヘビがスクールバックから這い出てくる。カバ田は悲鳴を上げて、スクールバックを投げ捨てた。

わらわらとヘビが昇降口の前を這いずり、生徒も教師も軽いパニックに陥る。悲鳴を上げる女子生徒に、歓声を上げる男子生徒、生活指導の教師陣も逃げたり学校の外に追い出そうとしたり、まとまりの無い行動を取っている。

「ほらな」

 人間が笑える限界を超えたような笑い声を苦しそうに上げている春菜に言うが、返事をする余裕は無さそうだ。辰巳はやり遂げたとでも言いたげな清々しい笑顔を俺に向けてくる。共犯だと思われるから本当にやめて欲しい。

 結局、持ち物検査はうやむやに終わり、朝のホームルームで辰巳が呼び出された。辰巳が教室に戻って来たのは、一時間目の授業が始まってから三十分程経った後だった。


 昼休みに入り辰巳と二人で美術準備室へ向かう。

「ちょっと――不良はお断りなんだけどな」

 美術の関水先生から軽い冗談と共に迎え入れられる。小綺麗な顔立ちに油絵の具で汚れたエプロン姿が様になっている。

「辰巳はともかく、一応俺は優等生やってるつもりですよ」

「他の先生方はどう思っているかわからないけど、私に言わせてみれば、今朝の一件の計画犯と実行犯が二人して仲良く来たようにしか見えないわよ」

「もっともな意見だな」

 辰巳がまとめる。異論を口にする前に、二人から計画犯に認定されてしまった。

「けど、ちょっとデリカシーに欠けていたわね。持ち物検査なんて発想が古いし、男の先生が女の子の荷物を見るっていうのも問題よね」

「そう。それで俺達は全校生徒を代表して行動に出た」

 関水先生の口から肯定の言葉が出てきて辰巳が調子に乗る。

「そう――でも次やったら許さないわよ」

「どうしてですか?」

「私、ヘビって大嫌いなの」

 三人で和やかな会話をしつつ、備え付けのポットからお湯を分けて貰い、辰巳の作ったインスタントコーヒーを飲む。こんな自由が許されているのは、俺達が二年に進級した直後に美術部の廃部を救ったからだ。

 こんな言い方をすると何やら立派な事をしたような雰囲気があるが、実際に俺達がしたことは単に入部をしただけだ。元々部員数の少なかった美術部は、頼みの綱であった当時の三年が卒業により抜けて、新二年と三年を合わせて二人という状況になった。また新入部員はたった一人しか獲得出来ずに、部員数が合計三人だった。そんな状況の中で、部として成立する最低人数が五人であることに悩んでいた関水先生から、幽霊部員としてでも良いから入部するようにとスカウトを受けた。だから俺達は美術部に入ると同時に、美術部を廃部から救ったという形になった。

その対価として昼休み中に限り、この場所での自由を約束されている。部活のある放課後は他の部員に対して面目が立たないという理由で控えるように言われている。けれど俺達は入部してから今に至るまで、放課後の美術室に来たことは一度として無い。

 関水先生には去年の美術の授業でお世話になった。好きな画家の絵を選び模写をするという授業で、サルヴァドール・ダリを選んだことに共感されて可愛がられるようになった。

 二年に進級してからは俺も辰巳も美術の授業は選択していないため、関水先生との関係は教師と生徒というよりも、年の離れた友人に近い。関水先生にしても、授業を受け持っていない生徒という距離が気楽だということは、言葉の端々から感じられる。

「失礼します」

 三回のノックの後で美術準備室のドアが開き、美術部員でもある祭が入ってきた。彼女を意識するようになってからは、美術部の活動に出たいとまで思うようになっている。けれど新学期に入部して既に幽霊部員になっているという現状から、なかなか行動に移せない。

 関水先生は俺達と話している時とは違う教師の顔を作る。俺は空気を読んで姿勢を正すが、辰巳は気にも止めていない。

「どうしたの?」

 俺は訪れた祭に聞く。緊張で声が上擦りそうになったが、腹に力を入れて堪えた。結果として変な声が出てしまったが誰も気には留めていない。

「春菜に聞いたらここにいるって言われたから。辰巳君、今朝はありがとう」

 祭が言う。羨ましいと心底思うが、辰巳は何故礼を言われているのかわからない様子だ。

「俺、何かした?」

「辰巳がヘビ出した時、助けたっぽくなっただろ」

 不本意だが話が進みそうに無いので、小声で助け船を出す。

「そっか。気にしないで、祭ちゃんとは関係なくやろうと思ってたから。あの時のカバ田の顔、マジで傑作だったよな。折角美術部入ったんだし、今朝のカバをテーマに文化祭用の絵でも描くか? ヘビに怯えるカバ、なんて題名付けてさ」

 辰巳が笑い声を上げると、祭もつられて笑う。祭の笑いながら口に手をあてる仕草に見とれていると、関水先生が口を開く。

「そんな不謹慎な事言わないの。川田先生だって学校のためを思って行動しているのよ」

 関水先生はカバ田というあだ名に対しては注意をしないが、わざとか気付いていないのかわからない。

「確かにカバ田は学校のためを思ったかもしれないですけど、生徒のためって教師として一番大事な部分が置き去りになっていませんか?」

 俺が言うと関水先生は次の句を繋げない。

「さすが計画犯、言うことが違うね」

 辰巳が笑いながら掌を俺に向けてきた。返事代わりのハイタッチで答える。それを見て関水先生は苦笑いを浮かべた。無言の肯定が感じられる。

「祭ちゃん、コーヒー飲む?」

 辰巳が紙カップを取り出し、インスタントコーヒーを作り始める。これはコーヒー係を自称する辰巳の仕事だ。

「私もお替わり、ミルクだけでよろしく。よかったら祭ちゃんも飲んでいったら? 昼休み、まだあるでしょ?」

 昼休みに俺達と談笑している姿を見られて、関水先生は顧問教師としての体裁を保つことを諦めたらしい。けれどその裏側には、祭がこの空気に入れるようにした気遣いがあるように感じた。

「お砂糖二本でお願い。ミルクは大丈夫」

 遠慮がちに祭が言う。

「あいよ」

 俺と辰巳はブラック派だ。それにも関わらず砂糖とミルクがある理由は、気分によって砂糖とミルクの量を変える関水先生の要望だ。ファミレスでドリンクバーを注文して大量に持ち帰ったものが、美術準備室に置いてある。

 慣れたもので、四人分のコーヒーはすぐに出来上がった。その手際の良さには、本日二度目ながら感心する。

「お疲れさん」

 言いながらコーヒーを受け取る。さっきもそうだが、聞くまでもなくブラックのコーヒーを用意した辰巳に気付いて、今朝春菜に言った「仲良いって言う程でもない」という言葉を自分の中で取り消した。

「この子達が淹れるコーヒーってインスタントなのに美味しいのよね」

「誉めてくれてもコーヒーぐらいしか出せないよ」

「コーヒーが出てくるなら誉める価値はあるわよね?」

 関水先生から同意を求められ、祭は反応に困っている。

「なんか本格的な味がする」

 口に付けたカップを下ろして祭は答える。

「良いところに気付いたね。これ、ただのインスタントコーヒーじゃないから」

 辰巳は満足そうに微笑む。

 このコーヒーはインスタントコーヒーを三種類ブレンドして作っている。ファミレスのドリンクバーを混ぜる感覚で、インスタントコーヒーの粉をブレンドするという遊びをしていて、やたらと味わい深いコーヒーが出来た。その後、研究を重ねて出来上がったものが俺達の今飲んでいるコーヒーだ。高校二年にもなってこんなことをしていると知られたら恥ずかしいので、基本的にこの話は伏せている。

「そういえば祭、あの後は大丈夫だった? 俺が見る限り呼び出しなんかは受けてないみたいだけど」

 今度は特に違和感無く言えた。

「うん、大丈夫。特に何も無い」

 コーヒーを飲み終えてカップを片付けると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。

「ほら、帰った。私も後五分で次の授業始まるんだから」

 言いながら関水先生が立ち上がったため、俺達は三人で美術室を出て教室へと向かった。

 昼休みは高校で過ごす一日の中で、最も噂が広まりやすい時間だ。自由に携帯電話が使える上に、他クラスの友人とも気軽に話すことが出来る。

 五時目の授業が始まってから三十分経ち、携帯電話で高校の裏サイトにアクセスして更新が無いか調べる。やはり「今朝の持ち物検査」という題名の掲示板が立っていた。書き込み順に内容を確認してみると、既に辰巳の名前は上がっていた。他の生徒にとっても今朝の持ち物検査には不満があったようで、辰巳を英雄視する書き込みが目立つ。その次に祭についての書き込みがあった。ここからは祭が見せたくなかった巾着袋の中身が何なのか、という話題で掲示板が盛り上がり、煙草説と生理説が提唱されている。

 ふざけんな。叫ぶ代わりに拳を握りしめる。普段なら気にも止めないことだが、噂の主語が祭であれば話は違う。祭は見せたくないものがあった。それを暴く理由や資格は誰にも無い。

 ここでは本人にとっては触れられたくない何かを匿名で好き勝手に話し合う。その匿名の誰かが、この学校で普通に生活していると思うと人を信じたくなくなる。

 ――それよりカバが女子の荷物を見るときの目線、妙にエロかったよね? みんな気付いた?

 流れを変えるための書き込みを入れる。祭に対する中傷は許せない。

 ――私も気付いたよ。カバ田って顔がセクハラだよね(笑)

 ――うん。カバ田って絶対変な性癖あるよ

 更新を押すと、書き込みが続いている。作戦は成功したようだ。こういうサイトでの常識として、話題は無くすものではなく逸らすものだ。もしも祭が可哀想だからそんな話は止めろ、なんて書き込みを入れてしまえば、根性の曲がった誰かが絡み始めて、火に油を注ぐ結果になってしまう。

 一仕事終えてから意識を授業に戻して、黒板の文字を写す。英語の構文とその和訳で一枚のルーズリーフが埋まり、チャイムは鳴った。


 ホームルームが終わり、帰り支度を済ませた春菜がそばに来る。そういえば今朝、放送部の取材に付き合って欲しいと言われた。

「それで付き合ってくれるの?」

 言葉だけを聞けば、奥手な男と積極的な女の子の会話のようだ。けれど意味合いが違う。

「暇だし、いいよ」

 返事をしながら辰巳に視線を向ける。

「俺はパス。馬に蹴られて死にたくないからさ」

 辰巳がおどける。いじられる理由をくれてやりたくないため、わざとらしい否定はしないで、格闘ゲームで言うと強パンチ程度の強さで肩を殴る。すると辰巳はオーバーに肩を押さえるリアクションをして、にやついた顔を俺に向けた。

「そんなんじゃないよ」

 春菜が慌てて言う。

「冗談だよ。今日はバイト。お客さんが俺の作るラーメンを待ってるからさ。それじゃ、またな」

 辰巳は麺を湯切りする動きを見せてから教室を出る。

「辰巳君ってラーメン屋さんで働いてるの?」

「そうだよ。ちなみに先月はコンビニでレジ打ってたよ」

 辰巳はころころとアルバイトを変える。本人なりに自分の適正を探しているらしいが、未だにそれは見つかっていないようだ。

「次は何だと思う?」

「サンキューとか言いながらハンバーガーでも作るんじゃない?」

「なんか想像出来るかも。似合いそう」


 春菜との行動は気楽だ。学校公認のカップルがいるように、俺達は学校公認の友達という関係になっている。俺と辰巳との関係のように、二人きりで行動しても余計な詮索はされずに、それが当たり前の風景として受け入れられる。たまに付き合っているんじゃないかと聞かれることもある。けれど春菜に彼氏が出来た時、俺達の付き合いに変化が無かったこともあり、否定するとあっさりと聞き入れられる。

 春菜に連れて行かれたのは、辰巳とよく行く喫茶「アカシア」だった。話によれば、彼女は次の昼放送の担当で、学校のそばにある素敵な店を紹介するという企画のために資料集めがしたかったらしい。

「いらっしゃいませ。あれ、今日は女の子と一緒?」

 マスターに言われて頷く。俺から話しかければ、受け答えはしてくれるが、マスターから話を振ってくるのは珍しい。

「私がお電話した放送部の前川春菜です。今日はよろしくお願いします」

「君と同じ学校の子だったんだ。お好きな席へどうぞ」

 いつも座っているテーブル席に腰を下ろす。見慣れている店内も、一緒にいる相手が辰巳では無く春菜だと印象が変わるのが不思議だ。

「おすすめってありますか?」

 水を運んできてくれたマスターに春菜が尋ねる。

「そうだね。カフェモカなんかが若い子には人気があるかな。人気があるって言っても、あんまりお客さん来ないけどね。うちが出してるカフェモカは、チョコレートにもこだわってるからね」

 春菜は熱心にメモを取っている。それが終わるとコーヒー豆の種類や、ケーキの人気ランキングなんかを聞き始めた。会話が終わる見込みが無かったため、俺は注文を後回しにして煙草に火を点ける。

 マスターと春菜の会話が終わり、俺はアイスコーヒーを、春菜はカフェモカとシフォンケーキを注文した。一生懸命ノートをまとめている春菜に声をかけるのも悪いと思い、静かに煙草を吸っていると、マスターが注文したものを運んでくれる。

「ありがとうございます。ちょっと悠也、そんな堂々と煙草吸わないでよ。今日は放送部として来てるんだから」

「うちはそういう事は気にしないから大丈夫だよ。煙草と酒の味は、君達位の年齢で覚えるものだからね。でもこのことは放送しないでよ。未成年の煙草を黙認すると営業停止になっちゃうから」

 理解のあるマスターの言葉に救われて、ゆったりと流れる煙を眺めながらアイスコーヒーを飲む。春菜もシフォンケーキを嬉しそうに食べ始めた。

「一口食べる?」

「遠慮しとくよ」

 シフォンケーキを食べ終えてから、また春菜はノートを開き、味の感想をまとめている。こうした努力があるから放送部の昼放送は評判がいいのだろう。単に音楽を流すだけではなく、ゲストを招いたり、映画や音楽の批評をしたり、内容がラジオの放送に近い。その上で高校生にとってホットな話題を毎回取り上げるため、下手なテレビ番組よりも高校内では影響力がある。春菜の話によれば、吹奏楽部の演奏会や軽音楽部のライブなどを宣伝して欲しいという依頼もたまにあるらしい。

 春菜はまだペンを動かしている。暇になり携帯電話でさっきの高校裏サイトを開く。高○祭の生理の周期、という意味の無い伏せ字が使われた掲示板が立っていた。あの後の経過は悪い方向へ進んだらしい。内容が気になり掲示板の書き込みを見る。

 ――今朝の持ち物検査で高○祭が見せたくなかった物が生理用品だと仮定して、その周期をみんなで当てましょう。

 ――今日の様子を見る限り、二日目で機嫌が悪かったようですね。

 ――クラスではどうだった?

 ――昼休みに教室からいなくなってたよ

 こんな書き込みが続き目を疑う。この掲示板は誰かが祭を傷つけるために立てたのだろう。このサイトは掲示板を立てる際、管理人に申請をしなければならない。管理人が許可を出した以上俺に出来ることは無い。

「どうしたの? 顔色悪いよ」

「わりぃ。大丈夫だから」

「良いこと教えてあげる。大丈夫って言葉は、顔を真っ青にして言うと、反対の意味になるんだよ」

「含蓄深いな。覚えとくよ」

「覚えとかなくていいから、何があったか教えてよ」

 誤魔化すことは出来ない。携帯電話を手渡す。

「――ひどいね」

 春菜は言葉に詰まり、これだけを口に出した。顔から血の気が引いている。

「出来ることなら止めたいんだけどさ。多分、管理人ぐるみで動かれてるから、手の施しようが無い」

 言いたくもない弱気な言葉が出てくる。そんな時に入り口のドアが開く。

「デートなら映画なりカラオケなり他にも行く場所あるだろ。なんで二人して辛気くさい顔でお茶してるんだよ」

 辰巳の姿があった。デートという言葉を否定する余裕は無い。

「色々問題があってさ――」

 事の概要を辰巳に説明する。

「そっか。でも噂なんて暫くすれば消えるだろ? 人の噂は四十九日だっけ?」

 正しくは、人の噂は七十五日だ。二十六日足りないし、何か根本的な勘違いがある。けれどそんな突っ込みを入れている場合じゃない。

「俺は今消したいんだよ。それで次にこういう事があったら、即座にその噂を消したい」

「なら悠也が作れよ」

 辰巳は目だけで笑って言う。

「何を?」

「学校裏サイトを。それ使って叩き潰せばいいだろ? あっちのサイトは管理人が情報操作してるとか暴露して。いや、管理人の名前突き止めて晒すって方がパンチあるな。証拠抑えて論理責めは悠也の得意分野だろ?」

 シンプルかつ確信を突いた意見は、辰巳だからこそ思い付いたのだろう。本当に侮れない男だ。

「辰巳ってもしかして天才?」

「今更気付いたのか?」

「馬鹿と天才が紙一重ってよく言うけど、俺の中では今初めて証明されたよ」

 早速、携帯電話でホームページを作る。示された手順通りに必要事項を入力して、十分程度でトップページだけの原型が出来上がった。ついでに今後必要になるであろうサブアドレスも取得した。

「とりあえず出来た。サイト名どうする?」

「バスケットケースってどう?」

 間髪入れずに辰巳が言う。

「何それ?」

 春菜が聞く。

「俺が好きなバンドの曲」

 イメージに合わないので却下する。辰巳は好きな物シリーズで名前を出していくが、あまりしっくりするものが無い。辰巳の意見の中でも「ペンギン天国」だけは個人的に言えば嫌いじゃなかったが、サイト名としてはふさわしくない。

「ハーメルンってどうかな?」

 辰巳が意見を出し尽くして頭を抱えている中で春菜が言う。

「ハーメルン?」

 煙草に火を点けながら聞き返す。

「うん。ハーメルンの笛吹きってあるでしょ? 笛を吹いて子供達を連れていくって話。それって笛吹きに凄い影響力があったからだと思うの。だから同じ位影響力を持ちたいって願掛けも兼ねて、ハーメルン」

「いいじゃん。覚えやすいし、字面も良い」

 辰巳が言う。俺も同意見で、サイト名はハーメルンに決まった。

「じゃあ今後の方針を決めよう。サイトのコンテンツが同じ掲示板じゃ勝ち目が無い」

 名前が決まり盛り上がっていたところで仕切り直す。

「私は情報の信用が大事だと思う。みんなで好き勝手言うのも楽しいのかもしれないけどさ。でもそんなのは一過性で終わるブームみたいなものなんだよね。噂話なんて長続きしないじゃない。だからみんなにとって価値のある情報を流して、それが本当なら信用出来るサイトになると思うの」

 春菜の意見は堅実で、それは放送部としての経験も含まれたものなのだろう。

「俺だったら面白くする。つまらないサイトにわざわざアクセスしようと思わないし、やっぱ面白いから口コミで広がっていく訳じゃん」

 辰巳の発想は毎日を楽しく送れれば良いと豪語する彼らしいものだが、ある意味ではそれは人間の本音とも考えられる。

「俺としては、このサイトにミステリアスな印象を持たせたい。スター性とかブランド力って言い換えてもいいけど、他人に気になるって思わせる力って、つかみ所の無さが大切だと思う。だからサイトの管理人、つまり俺達の情報は出さずに、ハーメルンってサイト自体に人格を持たせたい」

 自分の意見を言う。話し合いは続き、ハーメルンの基本方針が定まる。真実だけを発信する、適度な冗談を混ぜる、管理人は姿を見せない。この三点だけは必ず守ると決まった。

「なんか春菜の事巻き込んでるみたいで悪いな。ここまで付き合わせて言うのもあれだけど、無理しなくていいんだからな。今からでもやめ――」

「それ以上は言うなよ」

 言葉を辰巳に遮られる。

「気遣ってくれてありがとう。でもやりたくてやってる事だから」

 春菜は寂しそうに俯く。

「俺達はもう仲間だろ。ハーメルンってのはただの記号じゃないんだよ。バンドだったりチームだったり、そういう意味を悠也が持たせちまったんだ。だから最後まで付き合うぜ。もう俺達には壁を作るなよ。なぁ春菜ちゃん」

 春菜は嬉しそうに頷く。もしかしたら俺はずっと壁を作っていたのかもしれない。春菜の笑顔を見てそんな感傷に浸る。

「そういえば辰巳、今日バイトって言ってなかった?」

 ふと思い浮かんだ疑問を口にする。

「クビになった」

「なんでまた?」

「中学生位の客にタメ語使われてさ。口のきき方には気をつけろって注意したら、店長に文句言われて、そのまま帰ったよ」

「次のバイトはどうするの?」

「さっき駅前のハンバーガー屋に電話して行ったら即決した」

 それを聞いて春菜は腹を抱えて笑っている。

「やっぱ辰巳は期待を裏切らない男だな」

 笑いをかみ殺して言う。

「何がそんなに面白いんだよ?」

「別になんでもないよ」

 和気藹々とした雰囲気の中で雑談を続けて喫茶店を出る。そして今夜中に俺がサイトを作り上げ、明日の昼休みに三人で集まるという約束をして解散した。

 今までは好きな女の子を悪く言われても、何をすることも出来なかった。俺に出来ることは話を逸らす程度で、その根本を解決することは無理だった。けれどハーメルンがあれば、ハーメルンが強い影響力を持てば、少なくとも今以上のことが出来る。二人と別れた後で、そんな喜びが込み上げてきた。


 ベッドの上で携帯電話を充電しながら、新しく出来たハーメルンのホームページを開く。まだ何のコンテンツも無いサイトだが、既に訪問者数が十人を越えている。まだ誰にもアドレスは教えていないし、リンクも張っていないため、この訪問者は辰巳と春菜だろう。二人が気にかけてくれていると思うとテンションが上がる。

 ホームページを作る上でやるべき事は、コンテンツの設置だ。とりあえずいくつか無題のページを作った。高校生が興味あると思われる事をノートにまとめようとするが、何も思い付かない。自分の発想力の無さを恨みながら、相談をしようと春菜と辰巳に対して一斉送信のメールを送る。すると五分も待たずに返信は来た。

 ――放送部では一番人気があるのは恋愛系のネタかな。あと葉書を貰って相談っていうのも反響が良かったよ。あとは二人が得意な事を書けるページを作ったら良いと思う。サイトは更新速度も大切だからね。

 春菜からのメールだ。俺と辰巳の名前が並ぶ宛先を見て一斉送信だとわかる。

 ――思ったんだけど、面白さと信頼性って矛盾しやすいだろ。だからいっそのこと、冗談のページっていうのを作っちゃえば? そのほうが俺は書きやすい。後、お前って学校の裏情報(この前の持ち物検査とか)詳しいんだから、そういうの載せたらいいんじゃないか? 

 辰巳からもまた一斉送信のメールが来る。

 二人の意見を吟味した上で、俺なりのベストな答えを出して、送り返す。数分後に来た二人の返信の反応も良く、嘘と冗談、恋愛作法、相談部屋と名付けた三つのページを作った。眠る前に学校の裏サイトにアクセスして掲示板を覗くと、まだ祭の話題で盛り上がっている。必ず叩き潰してやる。強い決意を胸にして、部屋の電気を落とした。


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