95話 英傑(偽)
「里の真ん中に突然空いた大穴から、細長いばけものが出てきました」
「親や祖母や曽祖母や曽々祖母たちは必死に応戦し、幼い我らを逃してくれました」
「そうして、時の長老が、最後にこう叫んだのです。『英傑ウー・フーを待て! やつがお前たちを導いてくれるじゃろう!』と」
「なので我らは交代で前の里に遣いをやり、そこに帰ってくるあなたを待ったのです」
「よかった。若い我らは男の連れ込みかたも、授かり部屋での作法も、ましてあのばけものをどうにかする方法など、想像もつきません」
「けれど、英傑ウー・フーが帰ってきた」
「ウー・フー!」
「ウー・フー!」
「ウー・フー!」
やっべぇ気持ちいい。
ウー・フーはしばらく崇められる快感で失神しそうだった。
知らないところで自分が伝説の人物になっているのが、まさかこれほどまでに気持ちがいいとは思わなかった。
若者たちはきらきらと輝いた目で自分を見て、自分の名を叫び、讃えている。
広場のテーブルの一番いい席に座らされ、果物や木の実を運ばれ、髪や首、腕には『飾り』が運ばれてくる。
しかも絶え間なく自分を絶賛する言葉が響き、自分を称える叫びが耳を叩く。
ウーは望んでいたものがここにあるのを知った。
しばらく気絶しかけながらひとしきり崇拝の快楽を味わって……
唐突に冷静になった。
母ちゃんは?
姉ちゃんは?
少なくともここにはいない。
そうだ、大人たちはみな、前の里で、細長いばけものとやらに応戦したのだという。
そうして前の里には誰もいなかった。
高床式の木組みに葉をかぶせた家々はそのままに、人だけが消え失せていた。
ばけものと戦った人たちの痕跡さえなかった。
あの場所に入ることさえ避けていた若者たちが、痕跡をわざわざ片付けたとも思えない。
つまりは、丸ごと食われたか、さらわれたか……『細長いばけもの』がどんなものだかは全然わからないが、若者の口ぶりからして話が通じる相手とも思えない。
たぶん、食われたのだろう。
「…………」
「英傑ウー・フー」
「んあっ、な、なんじゃ?」
「我らはみな、髪も真っ白な若輩です。緑の御髪を持つ者は、もはやあなたしかおりません」
「じゃなあ……」
「我らの長老になっていただきたい」
「……」
自分のことを伝聞でしか知らない世代にちやほやされている。
崇められ、食べ物や飲み物が勝手に運ばれ、座っているだけで、首に、腕に、飾り付けがされていく。
次期長老になってくださいと懇願された。
夢が全部叶っている。
ただ、ここに、当然いると思っていた、母と姉がいない。
ウーは苦悩した。
なぜ、人生はこんなにもうまくいかないのだろう。
うまくいけば、そのぶんだけ、なにかを失う。
どうして自分ばかり、こんな苦境に行き合うのだろう。
ただ、がんばらず、疲れず、痛みも苦しみもなく、無限に愛される人生を送りたいだけだったのに、どうして……
こういう困った時に相談できる母と姉はもういない。
だから、ウーが自分で考えて、自分で決めるしかない。
自分で努力するしかない。
でも、どうしたらいいか、わからない。
ウーはどうしようもなかった。どうしようもないやつだった。
自分のどうしようもなさに愕然とする。まさかここまでだったとは思わなかった。
愕然とするウーは、いつもやっていたことをするしかなかった。
誰かどうにかしてくれ、と祈る。
「わかった。わしが、長老となろう」
とりあえず目の前のちやほやされそうな選択肢をとり、大変なことも、つらいことも、『勝手にどうにかなってくれ』と祈りながら生きていく。
今まで、そうしてきた。
そして――
若者たちの歓声を聞き、新長老ウー・フーを祝う声を聞きながら――
きっとこれからも、誰かに救われることを願って生きていくのだろうな、と思った。