94話 帰還(できなかった)
里だった場所には無人の集落があるだけだった。
そこにいたはずの森の民たちの気配はどこにもない。
ただ、里の広場だった場所に、大きな大きな、穴があった。
どんなふうに空けたのか想像もつかないような、森の民が十人も横に並んで入れそうな、穴だ。
昼の日差しが木立の切れ間からとどくというのに、穴は真っ暗で、そのおそろしいまでの深さをうかがわせる。
ウーはふらふらと、吸い寄せられるように、その穴に近付いていく。
特になにかを思ったわけではなかった。
ただ、そこになんとなく触れてみよう、のぞきこんでみようと思っただけだ。
百年の創作活動によりすっかり創作脳になっていた彼女は、『ネタになるかも』ぐらいは思ったかもしれない。
だが、穴をのぞきこむことは、かなわなかった。
「ひょっとして、ウー・フー様では?」
ウーが声の方を振り返ると、木立のあいだから、若い森の民が顔をのぞかせていた。
まだ真っ白い髪の、百歳前後であろう者だ。
ウーが旅立つ前後に生まれた子のうち一人だろう。
あのころも男が全然来なかったが、一人ぐらいは来ていたはずだ。そいつが残した胤が十ぐらいはあった気がする。
「いかにも。わしが、ウー・フーである」
ウーは精一杯えらそうに胸を反らした。
「ああ、よかった! 伝説の英傑の帰還だ! これで里は救われる!」
ウーは胸をおさえた。
自分のことを伝聞でしか知らないはずの若い世代に『伝説の英傑』とか言われるのは、予想以上に気持ちがいい……!
すごい快感だった。
やばい。
しかしここでガクガクと快感に震えてもいられない。
伝説の英傑には、それらしい、威厳ある態度が求められるのだ。
「して、若者よ。わしがおらんあいだに、里に人がいないようになっとるのは、どういうことじゃ?」
「ああ、そのことで! その穴から離れてくだされ! そこからはばけものが出るのです!」
「……ばけもの?」
若い世代は里跡地の中には一歩も踏み入りたくないという様子で必死に手招きをし、髪までうねうね動かしてウーを必死に招きながら、
「ばけものです! 里は、そのばけものに滅ぼされたのです!」
だから、こちらへ!
若者はそう告げた。
ウーはしばし呆然として、動くことさえできなかった。