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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十章 森の民の時間
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92話 旅立ちの前に

 その後五十年ほどはだらだら引き延ばした。


 おかげでみんな、旅のことは忘れかけた。


 だが、ウーに旅を命じた長老が樹化(じゅか)する前に「英傑ウー・フーが必ずや旅の先から男を連れ帰る。ああ、見える、見えるぞ……三百年ののちに、栄えた里の姿が……」などと言い遺したものだから、みんな思い出してしまった。


 前長老の遺言ということもあって、さすがに旅立たざるをえない雰囲気にされてしまった。


 では、旅を命じられてから引き延ばした五十年間で、ウーはなにをしていたか?

 答えは『だらだらしていた』だ。


『備える』というのは特別な才能だとウーは思っている。


 未来の危機に備える。まだ見ぬ脅威に備える。万が一の時に備える。

 すごく立派だと思う。


 だが……ウーはまったく立派ではない。


 なんとかなるとは思っていない。

 常に『誰かなんとかしてくれ』と祈っている。


 自分をとりまくあらゆる義務だの責任だのを、どこからか出てきた顔のいい男が、大したことない理由で全部どうにかしてくれるのをいつも祈っているのだ。


 だって努力したくない。苦労したくない。それどころか心労さえ感じたくない。


 健やかにのびのび生きたい――これは、生物ならば、みな抱いてしかるべき願いではないか?


 だというのに、ウーの人生は心労まみれだ。

 なんて残酷な運命なのだろう。ウーは母祖(ぼそ)の連なる森に嫌われているに違いがない。


「いやあ、そりゃあ、あんたが嘘ばっかりつくからじゃろ」


 家の中で壁に向けて嘆いていると、やっぱりそばには腹違いの姉がいて、おろおろするばかりの母がいる。


 最近の姉はだんだんと髪が緑がかってきた。


 森の民は見た目こそほとんど変化しないが、髪の色だけは年齢とともに変化する。


 他種族からすれば子供のような体躯と顔立ちは死ぬまで変わらず、身体能力も落ちず、髪を自在に動かす、これも他種族からすれば不思議な力もおとろえない。

 子供だっていつまでも産めるままだ。

 しかし、若い時分は白かった髪は、年齢とともに緑色になっていく。


 樹皮と同じ茶褐色の肌を持ち、木の皮で作った衣服をまとう森の民たちは、髪が緑になっていくと、いよいよ遠目には背の低い樹木のように見えた。


 ウーの髪はまだ真っ白だが、姉の髪は根元あたりが緑色で、母の髪はもう、先端がちょっと白いぐらいだった。


「ウーも母ちゃんみたいに、一人しか産まないでなんとか暮らしていきたい」


 母はおろおろしている。

 ウーの母親はすでに五百年は生きているのだけれど、同種族から見ても少女のような可憐さのある女性だった。


 ちょっと険悪な雰囲気になった場に母を放りこむと、やっぱりおろおろして、あたふたして、その様子を見ると毒気が抜けてしまい、あらゆる険悪さが遠ざかるという、ある意味特殊な能力さえ持っている。


 そういった人だから娘であるウーになにか言われてもやっぱりおろおろする。

 なので、母にいろいろ言うと、たいてい、姉が代わりに返答をよこす。


「言うて、ウー、あんたまだ一人も産んどらんじゃろ。それどころか『授かり部屋』に入ったことさえないんじゃろ?」


「……ウーにふさわしい男がおらんだけじゃもん」


「あんたは、まーたそういうことを……あんなあ、そんなことばっか言うとるようじゃ、この先苦労ばっかするぞ? 母ちゃんだってもう二百年もすればそろそろ樹化するじゃろうし、姉ちゃんはなんか、髪が緑になるのが早いんよ。みんなより早めに樹化するかもわからん」


「姉ちゃんはもう五人ぐらい産んどるからええじゃろ」


「森の民は一人も産めんかったけどな。しかも、女の子ばっかりじゃ。十五まで育てて彼らの時間(・・・・・)に返したけど、娘ども、今ごろ元気でやっとるかのう……」


「だいたい、もう死んどる。連中、百年も生きないって話じゃろが。とがり耳の、真っ白でないのは産まなかったじゃろ。そいつ以外はだいたい五十年とかで死ぬ。今生きとるのは、最近一人だけようやく来た男との子ぐらいじゃろ」


「ああ、そうじゃのう……」


 姉がふっと視線を落とした。


 そのなんとも言えない雰囲気に、ウーは言葉に詰まってしまう。

 けれどウーはこういう沈黙が嫌いだから、なんとか言葉を探す。


「なあ、姉ちゃん、やっぱ、子供って産まな、いかんかのう?」


「……そりゃあ、産まな里が滅ぶじゃろ」


「滅んじゃいかんかのう」


「そりゃあ……」


「先に子を亡くすのは、きっと、寂しいんじゃろ? 彼らの時間(・・・・・)はあんまりにも短いじゃろ。ウーが母ちゃんとか姉ちゃんとこうして話してるような短い時間が、連中には貴重な時間なんじゃろ? ……なんか、そんなん、ウーは耐えきれんわ」


「でもなあ、ウー。姉ちゃんは里が好きじゃ」


「……」


「男が好きじゃ。男はでかいぞ。特に真っ白いやつらは、ウーの倍ぐらいある。知らんじゃろ?」


「知ってはいるぞ」


「抱きしめられたこと、なかろ?」


「……ないけども」


「なあ、ウー。姉ちゃんも母ちゃんも、ウーも、そのうち樹になる」


「……」


「里が滅んだら、この森にある樹々が先祖そのもの(・・・・)だって、誰が覚えておくんじゃ? 姉ちゃんは忘れられとうない」


「忘れられないことが、そんなに大事か」


「大事じゃ。姉ちゃんの愛した男らは、だいたいもう死んどるじゃろうし、子らとて、ほとんどもういないじゃろ。でもな、男たちの伝えた話の中に、子らのさらに子らに、この森と姉ちゃんのことが伝わっとるかもしれん」


「伝わっとらんかもしれん」


「そうじゃな。だから、いっぱい産むんじゃ。伝えてくれるやつが一人でも多く増えるように」


「……そんなに、大事か? 忘れられんと、どうなる? それで、なにが楽しい?」


「忘れられん限り、姉ちゃんは生き続ける」


「七百年も八百年も生きるじゃろ。まだ生きたいのか。ウーなんか、苦しまないならさっさと死にたいぞ」


「姉ちゃんはたぶん、そんなに生きん。言うたじゃろ、髪が緑になるのが早い。ほんに早いんじゃ。それにな、生き続けるのは楽しいぞ」


「どこがじゃ」


「顔も知らん、まったく関係ない人が、自分のことを話すんじゃぞ」


「……?」


「『そういえば昔、どこどこのなになにという人が話していたことなんだけれど、森の奥には女しかいない民がいて、その人はそこで生まれたらしい。その人の母は十五までその人を育てて、そして森の外に放った。そして、外に出たその人が人里に来てまずおどろいたのは、みんな大きい(・・・)ということだった。森の人たちは、みな、この半分ぐらいの大きさで、母親も自分より小さいらしい』」


「……姉ちゃんがどこに出とるんじゃ」


「姉ちゃんじゃあ、こんぐらいじゃ。フーばあちゃんぐらいじゃあなきゃ、名前までは残らん。でもな、話してる人は、姉ちゃんのこととは知らずに、姉ちゃんのことを話しとるんじゃぞ。これは、なんか、面白いと思わんか?」


「ウーはどうせなら、ウーだとわかって話されたい」


「なら、そうなるようにがんばり」


「……」


「お前が、がんばることが嫌いな子なのは知っとるよ。けどなあ、がんばらないかん時は、必ず来る。その時に英傑になれるのか、なれないのかは、ウーの努力次第じゃ」


「来るかどうかもわからん『その時』に備えたくなんかない」


「ほんに、しょうがない子じゃのう、お前は」


 姉はウーの直面している問題について、なにも答えをくれなかった。


 ただ、笑っただけだ。


 でも、ウーはちょっとだけ思った。


 ――生き続ける。


 樹になっても、誰かの口にのぼるような活躍をする。


 みんなが、ウーのことを話す。死後も、なにもしなくても、勝手に、顔も知らないみんなが、ウーの噂話をする。


 それは。

 ちやほやされることが好きな自分にとって、とても楽しいことだな、と。

 本当にちょっとだけ、思ったのだ。


 だから、旅に少しだけ前向きになれたかもしれない。

 ほんの、少しだけ、だけど。 

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