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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十章 森の民の時間
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90話 成人のしきたり/大人になんかなりたくなかった

 百年ほど経ってウー・フーが成長し、ようやく大人の女の仲間入りを果たしたころ、いよいよ男をひっかけるために里を出てもよくなった。


 ウー・フーはあの大英傑である祖母の話をなにより聞いていたので、その知識量たるやすさまじかった。

 祖母の話から得た知識をもとに、同輩たちに色々なことを教え、気づけば憧憬の目を向けられる存在になっていた。


 その『同輩にした話』というのは、以下のようなものである。


「いいか、男というのはな、腹を殴られると弱い」


「男の頭は単純だからな。わけのわからん難しいことを言えば、混乱して、動きが止まる。そこを捕まえるんだ」


「これは世界の真実に迫る話ゆえ、他言はダメだぞ。男は……土と泥からできている。だから、濡らしてやると、弱体化する」


「男の腰の後ろには押し込むと暴れだす部位がある。ここを押すとケガをさせられるかもしれん。腰の後ろには決して触れぬことだ……」


 与太話だった。


 ウー・フーは祖母から色々な話を聞いていた。

 それは、里の者たちも知っての通りである。


 しかしウーは祖母の話をあいまいにしか覚えていなかった。

 だから口から語られる『男』の知識は、ほとんどが妄想だった。


 もちろん里では実物の『男』に触れる機会もあった。

 あったけれど、それは、まだ大人ではない世代にとって、『遠くからながめる』程度の接触がほとんどだったのだ。


 なぜなら、子供は里の決まった場所に隔離されている。


 これは『森の民』の種族特性と、森の民が他種族の男をよく招くことが原因の風習だった。


 他種族からすると、『森の民』の大人と子供は、見分けがつかない。


 全員、子供に見えるらしいのだ。


 なので、間違ってまだ子をなせない子供が手を出されないように、森の民の里では子供を決まった場所でのみ過ごさせておく習慣がある。


 そんなわけで森の民の子供たちは、木陰から遠くにある『授かり部屋』の様子をのぞき、そこから漏れてくる音に耳をすませる程度でしか、『男』の情報を得られない。

 なにせ用件がすんだ男は彼らの時間(・・・・・)に帰っていってしまうのだ。話す機会さえもない。


 そういった環境でウーの妄想九割の与太話は人気となり、すっかり同世代から『ウー先生』というあだ名で呼ばれ、同世代の指導者みたいな立ち位置に立たされていたわけであった。


 すごく気持ちがよかった。


 ウー・フーはわけもなく尊敬されるのが大好きだし、みんなにちやほやしてもらうのはもっと大好きだ。


 だから、最初のころはまだ『祖母の話を妄想で補完したもの』を話していたのだが、ちょっと話をするたびに同世代がキャーキャー騒ぐもので、それが面白くて、最近ではほとんど十割作り話をしているという有様なのだった。


 そんな状況でついに『実践』の日が来てしまう。


 ウーはおおいに悩んだ。


 男をさらうか、連れ込むかして、子をなさないといけない。

 最初は先達が授かり部屋に一緒に来て指導してくれるはずだが、ウーは仲間に「ウーはなんでも知っているからな。先達の指導もいらんのだ」と言ってしまっている。


 指導はほしい。


 というか男を連れ込むとかどうしたらいいかわからない。


 だが、ここでうまいこと成功しないと、これまで同輩たちに語ってきた話が全部嘘だとばれてしまう。

 嘘だとばれてしまうと、今まで得た尊敬とか、食べ物とか、そういうのを返せと言われるかもしれない。

 なにより、これから先、嘘つきと思われて、チヤホヤされなくなるかもしれない。


 重い病気になりたかった。


 なにかこう、うまいこと『実践』を免除されるような厄介な病気に唐突にかかりたかった。

 できれば苦しいとか痛いとかはナシで、実践をしなくてよくなったらスッキリ治るような、そういう奇病にかかりたかった。


 しかし……

 そんな都合のいい病はなかった。


 ウーには純真な同輩たちを騙せる程度の話を作るほかにはぜんぜん才能がなかったが、もう一つあるとすればそれは、異常なまでの健康だった。

 病気もケガもぜんぜんない。

 体力があるというわけではないのだが、なぜかそういった病とは無縁のまま生きてきた。

 病にかかった同輩がみんなから心配されているのを見て、自分も病にかかりたかった。なので雨の中で寝転んだりしてみた。けれど病はウーを好いてはくれなかったのだ。


「このままでは、ウーの嘘がばれて、みんなに嘘つき呼ばわりされる……!」


 実践を翌日に控えて、ウーは家で頭を抱えた。

 家には優しい母と腹違いの姉がいて、部屋という概念のない木組みの高床式の小屋で、ウーの素行は二人に筒抜けだった。


「だから嘘はよくないって言っとるじゃろ? ほんにお前は……」


 姉はあきれた様子だった。母は黙っておろおろしていた。


 ウーは再び「どうしよう、このままでは、ウーの嘘がばれて、みんなに嘘つき呼ばわりされる……!」と悲壮感たっぷりに述べた。


 アイデア待ちである。


 ウーは頭が回るほうではなく、また、窮地で閃くようなこともなかった。

 というか追い詰められるのは嫌いだし、自分の力で大変な状況を打破するとか、そんなことはもっと嫌いだった。


 疲れたくない。

 がんばりたくない。

 チヤホヤされたい。


 それがウーの軸である。

 だから窮地の時は母や姉の前で『困ったなー困ったなー』と延々嘆き続ける。

 すると、母か姉から、素晴らしいアイデアが贈られるのだ。


 しかし。


「ウーももう大人じゃろ? ええかげん自分で問題を解決しーや。お母ちゃんも姉ちゃんも、ウーより早く死ぬんよ。ウーがそんなんじゃいつまでも安心して根を下ろせんわ」


「けどな姉ちゃん、ウーはがんばりたくないんじゃ」


「……お母ちゃん、ウーを助けたらいかんよ。だいたい、ウーがついた嘘じゃろ。ウーが責任とらな」


「ぬあああああ! お母ちゃんを巻き込むなあああ!」


「巻き込んどるの、あんたじゃろ。ええから、なんか考えな。というかな、嘘は嘘だってさっさとバレたほうが、絶対ええよ。この機会に、みんなに嘘だって白状するのがええと、姉ちゃんは思っとるよ」


「考えつかんからずっと壁に向けてしゃべっとるんじゃろ!」


「そもそもなあ、あんた、頼みごとしたいなら、こっち向きぃよ。いつまでも嘆いてればみんなが助けてくれる子供とは違うじゃろ?」


「ウーは大人になんかなりとうない」


「なりとうなくても、なってしまうんが、大人じゃ。……はあ、しょうがない」


「助けてくれるのか!?」


「助けんよ。ただ、姉ちゃんはあんたより年上じゃからな。男の連れ去りかたも、授かり部屋での作法も知っとる。あんたに教えたるから、それしっかり覚えたらよろしい」


「姉ちゃん、ウーは『ものを覚える』とか『がんばって身につける』とかが死ぬほど嫌いじゃ」


「そんならもう知らん」


「んむううううう……!」


 ウーはいっぱいうなった。


 うなってうなってうなり尽くした。


 しかし姉ちゃんはツンとそっぽを向いたままだし、母ちゃんはおろおろしたままだ。


 ウーは低い声でこう述べるしかなかった。


「……わかっ……た……!」


「はあん? なんじゃと? 『教えてくださいお姉様』と頼み込むのが礼儀だと思うんじゃがなあ?」


「姉ちゃんが全部どうにかしてくれるなら、ウーは姉ちゃんの足だって舐める……でも、ウーが努力しなきゃいけないのがイヤなんじゃ……」


「……この子は……」


 姉ちゃんはあきれていた。


 ともあれ、男の連れ込み方と、授かり部屋の作法を教わることになった。


 実践はもう翌日にせまっていた。


 それでどうにかできる才能があるようなら、ウーはこんなふうに育っていなかった。

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