86話 茶番の相談
「……なに?」
ダリウスはまだ、理解が追いつかなかった。
真っ白な霧に閉ざされた中……
アレクサンダーは、小さな小さな声で、顔を寄せ、告げた。
「そいつが死ぬのは段取りの通りなんだ。死ぬっていうか、死んだように見せかけるのは。すぐに治す。っていうか、今すでに治ってる。治されたあとに霧を出したのもそいつ」
ダリウスは抱えた息子の様子を見た。
息子の腹を貫いた矢はいつのまにか消えていて、そこにあるべきはずの穴もまた、消え失せている。
そして目を開けた息子は、「どうも」などと、述べていた。
状況がなにもわからない。
アレクサンダーは多少言葉を整理してから、
「まずね、俺がこいつを殺す段取りにしたのは、死んだことになった方が旅立ちやすいかなと思ったからなんだよ。理由はまあ、そっちで考えてくれ。色んな『なんで?』にいちいち答えてるほどの時間は、さすがに確保できねーからさ」
「……」
「おい、おっさん、起きてるか?」
「うむ。なるほど、それで?」
「で、まあこのあとは、死んだことになってるそいつをどさくさにまぎれて回収して、みんなで街を出ていくつもりだったんだ。ところがおっさん、どうにも、そいつと深い仲みたいじゃねーか」
「……」
「隠さなくていい。まあ、隠してもいいが、素直に話した方が話は早いと思うぜ」
たしかに、こと、ここにいたっては。
隠すべきことなど、ない方がよさそうに思えた。
それは判断というよりも直感だったけれど、自分たちがこうして霧の中で相談できる時間は長くなく――
アレクサンダーは、どうにも、政治的な判断を求めているのだと、予感した。
「……彼は、私の義理の息子だ。真白なる種族の個体数維持を命じ、『真白なる夜』を運営させていた」
「ああ、やっぱり?」
「……わかっていたのか」
「わかってはいねーよ? ただ、いくら真白なる夜が優秀な組織ったってなあ。この街の軍隊がガチでやったら探すこともできないってほどじゃねーだろ。数は力なんだぜ。少数派ができるのはゲリラ戦ぐらいで、それが何年も続けられるような環境は、どこかでっかい組織の支援がないと難しい。んで、この街にはでっかい組織が街しかない。あとはまあ連想ゲームだな」
「……」
「ああ、こいつは現代……異世界知識に基づいた想像なんで、たぶん、ほかのやつはわからないと思う。そこは安心していいぜ」
「……なにがなんだか、という心情だよ」
「で、で、で。今、『街の外から来たアレクサンダーたちが、ダリウスを狙い、それを真白なる夜の頭目がかばった』っていう状況なわけよ」
「うむ」
「もしも、もしもだよ? あんたが、真白なる種族の地位を向上させたいなとか思ってるとしたら、これは一つのきっかけになると思わねーか?」
「……」
「もちろんこんなモンじゃあ、人は被差別種族の差別をやめねーよ。でも、『こんなことがあったから、急に、支配者が、差別政策をやめようと思った』っていう、大勢を納得させるためのわかりやすい話の『こんなこと』にできるとは思わねーか?」
「私が真白なる種族の差別をやめさせたいように、思うのかね?」
「あんた今、こいつのこと義理の息子って言ったじゃん。このわかりやすく真っ白い男を、わざわざ自分の息子にしたんだろ? 少なくともあんたに差別の意思はねーだろ。それどころか保護しようって意思さえ感じる」
「だがそれは、私個人の心情の問題だ。支配者としては、やはり、被差別種族は必要だ」
「あんたがそこで止まるなら、俺はもうなんにも言わねーよ。こいつ連れて街を出てくわ。止めないだろ?」
「……止めるために出る被害を思えば、見送らざるを得ない、かね。君たちにはこの街の法にのっとった裁きを受ける義務があるとは考えているよ」
「ああ、『罰せられない加害者を民衆に見せるのはまずい』って配慮? そこはテキトーに戦ったフリしながら負けて逃げる感じで出て行こうと思ってる。なんなら殺されてやってもいい。俺はマジの不死身なんでまあ、あとで返してくれるなら首を刎ねて晒したらいいさ。俺だけな」
「……」
「あー話がとっちらかった。少し待ってくれ」
アレクサンダーは指を一本立てて、
「これが俺の最後の質問だ。――堂々と、大手を振って、世間様に、この白い息子を自慢したくはねーか?」
「……」
それは。
そんな世界は、想像さえしたことがなかった。
この被差別種族の白い息子を、連れて歩ける世界。
これが私の息子なのだと、堂々と述べられる世界。
血の繋がった方の息子に、この兄を紹介できる世界。
人々が、それを、当たり前のように受け入れられる世界。
あの日。
革命を成し遂げたあとに当たり前におとずれると思っていて、けれど、おとずれることのなかった、誰もが平等な世界。人種も生まれも関係なく、親が子を愛し、子が親を愛していい、世界。
「……そんな世界が、ありうるのか」
「いやあ、俺は経験ねーな。激烈に大変な道を歩むことになるだろうぜ。負担は今以上だろうぜ。俺が提供できるのは、『あんたの心が急に変わったきっかけ』だよ。世間向けのカバーストーリーさ。そのあと行動するのはあんただ」
「……」
「ただあんたが、その夢を見るなら、俺は、その夢を全力で肯定する」
「……」
「まあ、肯定するだけだがな。俺は旅に出るし。ただ、あんたが全部いやになって俺たちのあとを追いかけてくれるなら、一緒に旅するぐらいはできるぜ」
この男は――アレクサンダーは、なにも、たくしてはくれない。
お前が望むなら、勝手にやれ。
彼の発言はそれだけなのだった。
そして、逃げるなら、迎えてくれると。背負い続ける義務などないのだと。……背負い続けなくっても、それでも肯定をしてくれるのだと。そういうことを、言っているのだ。
「私は君を騙して、後継者にしたてあげてやろうかと、そう思っていたのだがね」
「やめとけやめとけ。俺は為政者には向いてねーんだ。『うるせー! 知らねー!』って言って三日で投げ出す自信があるわ」
「……ふははははは!」
ダリウスは笑った。
それは彼を知る者ほど意外に感じる反応のようで、横たわったままの『真白なる夜』が目を丸くしておどろいていた。
ダリウスはしばし、笑いをおさえこむのに時間をかけて、
「どう行動すればいい?」
「お、やっちゃう? 街の制度がらりと変える? 心労も作業量も十倍だと思うけどいっちゃう?」
「真白なる夜の構成員を借りたい。彼らの能力が役立つだろう。なにせ、私は『彼らに命を救われた』のだから、彼らを優遇しようと思い、仕事を与えたとして、民はそういう理由でそうなったと思う。だろう?」
「話が早くて助かる。んじゃあ、そうだな、俺がなんか口上述べるから、あとは真白なる夜とうまいこと協力して、俺たちを追い詰めてくれ。……あー……ただし。ただしな、ちょっと言いにくいことがあって」
「なんだね?」
「サロモン先生にはそういう腹芸ができない」
「……」
「あいつだけはマジで殺しに来る。今もヒリついてる気配が背中にひしひしと伝わってきてる。あいつには気をつけてくれ。霧は出すなよ。イーリィの視界は通しておかないと、マジでサロモンに殺されるぞ」
「あいわかった。彼とは本気で斬り結ぼう。……なに、こういうことには慣れているさ。死なないことが約束されている殺し合いは、楽しいものだよ」