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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
九章 真白なる夜に
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85話 決着のゆくえ

 どうにか生き延びている、という状況だった。


 殺し合いが始まって、しばらく経つ。


 どちらもまだ、生きている。


 けれどそれは『互角だから』などという理由ではなかった。

 ダリウスの一撃必殺の太刀を、青年がどうにか避けているから、という理由に他ならない。


 まったく勝てる気のしない勝負。

 生存することだけで手一杯の時間。

 でも、それでこそダリウスだ、と青年は笑った。


 この時間は本当に永遠に続いてほしいほど楽しいものだった。

 初めて父の側からも殺意(ほんき)を向けてくれた時間だ。この時間を過ごした記憶があればいつ死んだって笑えるのではないかというぐらいの、それは、宝物めいたひとときだった。


 けれど、終わってしまう。


 ――空から、一条の光がダリウスのもとへ飛来した。


 それは矢の数倍の速度であり、矢の数倍のサイズであり、そもそも『やじり』と『(シャフト)』からなる物体ではなく、風のような、炎のような、そういったかたちのないものだった。


 けれどそれは、矢なのだった。


 ある男が『矢』として放った、ものなのだった。


 濃霧のせいで狙いがつけられなかったのか、はたまたわざと外したのか(たぶん後者なのがおそろしいところだ)、矢は二人のあいだに突き立ち、そして――


 すさまじい衝撃波で、あたり一帯の霧を無理やりにかき消した。


 ダリウスと青年はその衝撃に耐えたが、そばで戦っていたらしい兵士や構成員たちは吹き飛ばされ、ごろごろと地面を転がっていった。


 矢が突き立った場所を中心に、石畳にはクモの巣状のヒビがかなりの広範囲に描かれていた。


 青年は肩をすくめる。


「僕らの語らいは時間切れのようです。――彼が来る」


「彼?」


 ダリウスが眉根を寄せる。


 そこに――


 音もなく、誰かが降り立った。


 長すぎる髪、長すぎる外套をまとったエルフの男だ。

 そいつは左手に弓――風を弓の形状に固めたような、不定形の、巨大ななにか――を持ち、ぎらりとした目をダリウスに向けた。


「貴様がダリウスか」


「……いかにも、そうだが」


 気圧されている、というより、戸惑っている、という様子でダリウスは応じる。

 唐突に現れた男が『物静かなのにテンションが高い』のがひしひしと感じ取れてしまい、相手がなんでそこまでやる気なのかわからないと戸惑っているのだろう。


「……なるほど、強者が匂い立つ。貴様であれば、我と良き闘争を演じられるやもしれん」


 ダリウスが青年を見た。

 青年は「彼はサロモンという名の、アレクサンダーの仲間ですよ」と紹介した。


「さあ、我と闘え、ダリウス。我を倒せば、この惨状もおさまるかもしれんぞ」


 青年は「街を火の海にしたのは彼ですよ」と告げた。

 ダリウスはうなずき、


「ならば、戦わぬわけにはいかないね」


「そうだとも。さあ――『果てなき闘争』! 我が一撃を、」


 ダリウスには、街をこの惨状にした襲撃者の口上を待つ理由がない。


 飛び込んで、叩き斬る。


 それは長年の修練によって初動がほぼなくなり、鍛え上げられた肉体によって初速から最高速で、相手が気づいた時にはもう刃が振り下ろされる直前であるという、真正面からの奇襲だった。


 サロモンはこの奇襲に対し、たしかに反応が遅れた。


 しかし、サロモンが軽く手を振ると、ダリウスの刃を阻むように、うっすらと緑がかった透明の壁が出現する。


 ダリウスはその壁の感触を七つは切断したが、八つ目でさすがに剣の勢いがにぶり、九つ目の壁を断つことはかなわなかった。


 サロモンの肩口で刃が止まる。


 人生において『殺意をもって振り下ろした刃を止められる』という経験が、未熟だった少年時代にしかなかったダリウスは、おどろいた。

 だが、すぐさま剣を引き、間合いをとる。


 サロモンは、嬉しそうな顔をしていた。


「見事だ。我にここまで刃を届かせたのは、まだ我が魔法を修得していなかったころのアレクサンダーだけだぞ」


「……」


「無駄口は嫌いか。よかろう。……ああ、心躍る。闘争だ。久方ぶりの、闘争だ!」


 サロモンが背後に無数の矢を浮かび上がらせた。

 その矢はそれぞれが、炎、冷気、かまいたちや流動する砂塵などをまとい、やじりをダリウスの方へと向けた。

 手にした弓には長大な矢がつがえられる。

 それは後ろのあまたの矢と違ってなんにもまとってはいなかったが、込められたエネルギーの量が桁違いなのは、見ただけで理解できる代物だった。


「死んでくれるなよ。願わくば我を殺してみろ、ダリウス!」


 まずは無数の小さな矢が放たれた。


 人類に対応できる攻撃密度ではない。


 回避行動をとって避け切れる範囲でもない。


 たった一人と向かい合って闘っている。だというのにそれは、目に見えない大軍を相手にしているかのような、絶望的な戦力差だった。


 ――あまりにも懐かしい。


 ダリウスは穴蔵に閉じ込められていた時代を思い出す。


 あのころ、真白なる種族は絶対者だった。

 どうしたって勝ちようがない、神にも近い存在だと思っていた。

 未熟な反抗心から逆らいはしたものの、あの連中とまともにやりあって勝てるだなんて、思ってもいなかった。


 けれど、勝った。


 絶望的な戦力差など、実在しない。

 そう見えるだけの、幻だ。


 すべて、斬れば殺せる。


 だからダリウスは、避けようとか、受けようとか、そういう考えを捨てた。


 進んで、斬る。


 前進することが斬り込み隊長である自分にできる、唯一のことだった。


 そうやって様々なものを斬ってきた。

 今回もそうする。それだけの話だ。


 無数の小さい矢が体を削っていく。

 愚直に進む自分に大きな矢が狙いをつけ、放たれる。


 回避が間に合うほどの余力は残していない。

 当たったあとのことなど考えてはいない。


 ダリウスは今まで生き延びてきたが、生き延びようと思ったことはなかった。

 それは『いつ死んでもいい』という捨て鉢な気持ちとは絶対に違うし、『死んでしまいたい』という破滅願望とも違う。


 命を捨てることで、拾える命がある。

 そういう人生が彼に『突撃』を選ばせる


 だが。


「あなたは死ぬつもりではないのでしょう?」


 まるで最初からそうするつもりだったというように、全力で前進する自分の前に躍り出た男がいた。

 そいつはダリウスに当たるはずだった巨大な矢を、体で受け止めていた。


 腹に拳大の穴が空いている。


 ダリウスは、無意識に前進をやめていた。


 自分をかばった男が――白い息子が、肩越しに、振り返った。


「自分を大事にしてくださいよ。もう、若くないのだから」


 口からは血がこぼれている。


 ダリウスは頭が真っ白になった。


 誰かが、叫ぶ。


「『真白なる夜』の頭目が、ダリウスをかばったぞ!」


 あの種族が。

 差別されているあいつらが。

 ダリウスが人未満であることを法によって保証したあいつらが。

 ダリウスを殺したくてたまらない、あの犯罪組織が。


 ダリウスを、身をていして、かばった。


 そんな声が周囲から聞こえた。


 あたりにはなぜか大勢の民がいたのだ。

 彼らはなぜかここに集まり、この瞬間を目撃したのだ。


 人々はこの戦場を見下ろせる安全な高い場所――石造りの家々の屋根の上など――にいて、あたりには夜の闇の中でも視界の確保に充分なかがり火が焚かれている。


 いつのまにか。

 あまりにも不自然に。

 あまりにも周到に――この状況を民たちが目撃するためのお膳立てがなされている。


 ダリウスはしかし、民の様子に意識を割くことがかなわなかった。


 息子が、膝から崩れ落ちた。

 それを支えて、固まっている。


 治療。


 そうだ、瀕死になっても治るという奇跡のような力の持ち主がいるらしい。

 けれどそれはアレクサンダー側の人物で、今、息子を穿つ矢を放ったのもアレクサンダー側の人物だという。


 つまりアレクサンダーがなんらかの理由でこちらを殺そうとしてきた。

 ならば敵対者の治療を彼が許すだろうか?


 わからない。

 ダリウスがとっさに考えられることはこの程度だった。

 特に、息子が今まさに死にかけているこんな時に頭が回るほど、冷静な男ではない。


 そこに、


「よお、ダリウスのおっさん。元気? カグヤはうまく伝令(おつかい)できたらしいな。ばっちりの布陣だったよ」


 気安く、旧来の友人のような調子で声をかける者があった。


 半ばから折れた大きな剣を肩にかついだ、小さな少年――アレクサンダーだ。

 彼はみょうに邪悪な笑みを浮かべながら、


「うまいこといかなかったな」


「……なに?」


「俺とそいつで賭けをしててさ。俺はまあ、おっさんが生き延びる方に賭けたんだ。そいつは、おっさんを殺せる方に賭けた。で、結果はこの通りだ。だから、そいつにとって、うまいこといかなかったなと思って」


「……君は、なにが目的なのだ?」


「目的? 俺に? ねーよそんなもん。ただ俺は恩返しをしてるだけさ。『一宿一飯の恩』って言葉は……まあ、ねーか。金も食い物も渡せるもんもねーから、働きぶりで返してるんだよ。ドラゴンぶっ殺す手伝いしたりな。ほら、借りを残したままにするのって気持ち悪くねえ?」


「これが君の恩返しの結果か」


「そうだよ。おっさんに世話になった恩は返したと思うけどな。命じられらた『真白なる夜の撲滅』はここに達成されたぜ。(あたま)さえ死ねば、あとはたぶん普通に兵士を派遣して普通にどうにかなるだろ?」


「……」


 アレクサンダーが、無警戒に歩いていくる。


 ダリウスは立ち上がれない。


 息子を、今にも息絶えそうな彼を、地面に横たえたい気持ちになれなかった。


 アレクサンダーが目の前にしゃがみこんで――

 小さな声で、言った。


「で、ここからが、内緒話だ」


 その言葉を合図にでもしたかのように、霧が立ち込め始める。


 濃い、深い霧だ。


 多くの民たちがなぜかここで自分たちを見ているはずだった。

 サロモンとの闘いはまだ途中で、彼の矢がこちらを狙っているはずだった。


 けれど、霧に包まれてしまうと、自分と、息子と、アレクサンダーしか世界にいないかのように感じられる。


 アレクサンダーはニヤリと邪悪に笑い、言う。


「この状況をどう利用するか、ちょっと相談しようぜ。『真白なる夜の頭目が支配者ダリウスを守り、街の外部からの襲撃者に今まさに支配者が襲われている』っていう状況を」

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