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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
九章 真白なる夜に
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84話 父

 世界はますます白さを増していく。


 濃い霧に包まれた中には光がとどかない。


 誰にも気づかれないまま空ではすっかり光が沈み、あたりは夜へと変じていった。

 一面、一寸先も見通せぬ、白い暗闇――真白なる夜。


 霧のよく出るこの港町にしても前代未聞の濃霧の中、幾度も幾度も、鋼と鋼を打ち合う音が響き続ける。


「よくもまあ――」霧の中から、奇妙に反響した声が響く。「この濃霧の中で、僕の奇襲を受け続けられるものですね」


 戦闘が始まったあとだというのに、奇襲をし続けられるという、異常性。


 しかしそれは、この濃霧の中では納得せざるを得ない。

 霧に隠れ常に見えない場所、予測しえないタイミング・方向から繰り出される致命の一撃をこの青年はたしかに持っているのだ。


 大きな体も、常に浮かんでいる笑みも、黄色い衣服や赤い帯、なにより赤と青の瞳さえ、見えない。

 真白なる夜、と組織名で呼ばれる青年は、完璧に霧と一体化していた。


 一方で、話しかけられた男は口を開かなかった。

 鋼の男。

 後ろになでつけた黒髪。細い目。眉間にはわずかにシワが寄り、口を一文字に引き結んでいる。


 がっしりとした体躯は真白なる種族と比しても大柄で、手にした曲刀は鍛え上げられた腕の先から生えているかのように、その男の魂と一体化していた。


 これだけの濃霧の中でさえ、ほとんど隙がない。


 朗らかにしゃべる青年と、黙り込んだまま難しい顔をしているダリウス。

 周囲の霧が青年に味方していることもふくめれば、青年が優勢に見えるだろう。


 だけれどこの状況そのものが青年の劣勢を示していた。


 これだけ有利な状況で、なお、一太刀さえ浴びせられない。


 青年の武器は懐におさまるような短剣だ。

 だが、間合いの不利は霧が消している。それは言い訳にならない。


 ダリウスはこちらの位置をつかめていない。

 青年が霧の中に消えれば、じっと動きを止め、周囲の様子をうかがうように停止する。


 青年がどこから襲ってくるのか、本当に、わかっていないのだ。

 ただ間合いに入ったものを打ち落とすことだけに全力を尽くしたその姿は防戦一方とも言えるけれど――それにしたって、これだけの不利な状況の中、防戦を許し続けているという事実に、青年は驚嘆せざるをえない。


 ――本当に強い。


 その強さに憧れた。その強い男にだけは、すべてをぶつけることができた。

 男は青年から見ても天才ではなかった。才覚で言えば自分が上だろう。反射神経も、機転も、そして今や膂力さえも、自分が上回っているはずだ。


 なのに、勝てない。


 ――圧倒されて、誇らしくなってくる。


 自慢の父親だった。


 いつか恩返しをしたいと思っていた。

 幼い日にあった勘違いはもはやない。男は自分を救ってくれたのだとわかっている。だから自分がそうしてもらったように、青年もダリウスを救ってあげたいと思っている。


 ダリウスのことについてはいろいろと調べた。


 青年は『人』の解読が趣味だったし、ダリウスというのは一番解読したい鋼の男だった。

 そしてダリウスは青年があらゆる資料を見るのを止めなかった。好きなようにさせた。

 この不器用な男は、不器用なりに作り上げた型に息子をはめるのをよしとせず、奔放にやらせることで息子を育て上げたのだ。


 ダリウスのことと、この街のことを知った。


 七人の革命者たちが作った街。


 七人の革命者が広げた街。


 七人の革命者たちが維持し――


 そうして、最後に一人しか残らなかった、街。


 青年の知るのはあくまでも断片的、客観的な情報だけだ。

 ダリウス自身は己のことについて多くを語らない。だからダリウスの心中を推し量るのは難しい。


 けれど青年は、ダリウスたちの歩んできた道を知って、こう思った。


『かわいそうに』。


 なにかを変えてしまったならば、その代償は必ず降りかかる。


 なにせ青年は、自分が殺されそうになった時のことを――生まれたばかりだったその時のことを、記憶している。


 支配者となった革命者たち。

 真白なる種族を最下層におくことで維持されていた政治。


 その支配者の家に真白なる種族が生まれてしまうなどと、それを代償と言わずになんと言うのか?

 自分は忌まれた子だ。

 自分自身が、『なにかを変えてしまった英雄』に対して与えられた、揺り戻し(・・・・)そのものだ。


 幸せになれたはずの人たち。幸せになってよかったはずの人たち。

 少なくとも自分が人間かエルフとして生まれてきたならば、違う運命があったはずだ。けれど、運命はそちらには行かなかった。生まれたのは真白なる種族である自分だった。


 不幸の使者。


 だから。

 実の父を殺してあげる役割を負うのは、自分のはずだった。


 ダリウスが代わりにやってくれたことについては、本当に申し訳なく思っている。

 どう考えても自分が負うべき役割だった。

『生まれた途端にあなたに殺されそうになった、その復讐に来たのです』なんていう、大勢が納得しそうな理由だって、自分なら用意できた。


 自分がやっていれば。

 区画長たちの内乱で、ダリウスが他の区画を得るために仲間を殺したのだとかいう、そんな愚かなストーリーが世間で語られることはなかった。


 そんなわかりやすいことがあるものか。

 そんな明らかな動機であの鋼の男が仲間を殺すものか。


 もっとわかりにくくて、共感されなくて、理解を得られらない動機が絶対にあったに決まっていた。

 大衆が自分たちのために可読性を高めた『わかりやすい物語』なんかじゃない。もっとあの男にしか理解できない、高潔な動機が絶対にあった。触れられも侵されもされてはならないものが、絶対に絶対に、あったに決まっているのだ。


 自分がやったなら、そんな身勝手なことが、大衆からささやかれることはなかった。

 ダリウスの心中に、世間が勝手に踏み入ることはなかった。


 自分がやれたなら。

 あの、支配に疲れ果てた男を、余計に疲れさせるようなまね、絶対に、させなかったのに。


「ねえダリウス、真白なる種族(ぼくら)はどうにも、なにかに依存しないと生きていけない心を持って生まれるようですよ」


 鋼の男は応じない。


 青年は霧から染み出すように、ダリウスの真正面に姿を現した。


「僕らはいつでも、なにかを信じたがっていて、信じるべきものを探している。ずっとなにかに尽くしたい衝動があって、その衝動を叶えるための相手を探して回っている」


「…………」


「ある人にとっては、その人の弟がそうだった。ある人にとっては――僕自身が、そうなのかもしれませんね。あっはっは。……そして。僕が尽くしたい相手は、やはり、あなたなのでしょう」


「……わからんね。己の人生は、己のためにこそあるべきだ」


「誰よりも民に奉仕しているあなたが、それを言いますか」


「……」


「ねぇダリウス、僕はね、仲間たちを、『街に勝利して、その事実を胸に誇って、街から出よう』とたきつけた。でも、僕自身の目的は、そうじゃない」


「……」


「僕は、あなたを楽にしてあげたい」


 ぴくり、とダリウスがわずかに揺れる。


 青年は近寄りながら、手振りを加えて、語る。


「僕は殺すことでしか人を楽にできない。あなたの殺し方は長年、ずっと、わからなかった。でも、そのあなたに、ようやく、一筋の弱点が生まれた。どうか、そこに刃を滑らせさせてください。僕にあなたを殺させてください。あなたは……あなたは、もう、幸せになってもいいはずだ。こんな重責を負い続けて、砕けそうになりながら歩まなくてもいいはずだ」


「……ふむ」


 ダリウスは、剣を下ろさない。

 けれど、対話をする気にはなったようだった。


「君の実の父にも同じことを言われた。『我らはもう幸せになっていい』とな。余計な責務を負わず、楽をして、自分の人生を歩んでいい、とな」


「けれどもう、あなたは、あなたの人生を歩むことがかなわないでしょう。あなたが幸せになるには、死ぬしかないように、僕には思える」


「私は不器用だし、言葉もうまくない」


「……?」


「だから当時は、君の父親に言い返せなかったが……ああ、こんなに後年になって、あの時に言うべきだった言葉を思いつくとはね」


 ダリウスは――笑った。


 それから、青年をまっすぐに見て、


「なにが私の幸福か、勝手に決めつけるな」


「……」


「重責で潰れそうなのは、認めよう。もはや若くないこの心身に、政治の負担がのしかかり、今にも砕けそうなのも、認めよう。六人いた仲間たちがみな死に、君の父親にいたっては、私が殺した。それがつらくないなどと、強がるほどの余裕さえ私にはもうない」


「だったら」


「けれど、私は最高の女を伴侶とした」


「……」


「そして、二人の立派な息子がいる」


「……」


「これを『幸福でない』などと、君たちは少し、幸福というやつに色々ともとめすぎなのではないかね?」


 ダリウスが剣を下げた。


 それは、戦意を失った――というわけでは、なかった。


 肩に乗っていた、余計なものを下ろしたような。

 気がかりだった様々なことを、意識の外に追いやったような。


 ……重しを取り除いて、今までの何倍もの力を体にみなぎらせたかのような。


 対面するのがあまりにも恐ろしい、変化だった。


「君に真っ正面から向き合うことを怠ったのは、認めよう。君は本当に優秀だった。後年、君がその微笑みの中になにを潜ませているのかわからず、まごついたことも白状しよう。息子との付き合い方をよくわかっていなかった。今もなお、わかっていないのかもしれない」


「……」


「けれど、君が成してしまったことは間違っている。家庭の問題で、大勢の人たちを巻き込んでしまうような子に育ったのは、私の放任が原因だろう」


「……ははは」


 青年は、意図せず笑ってしまった。


 これを。

 街中を火の海にして、大勢の人を巻き込んで、軍隊と正面衝突しているこの状態を――


『家庭の問題』と、言ってのけるのか。

 ここまでして、まだ――


 自分のことを、息子と呼ぶのに、ためらいがないのか。


「しばし、すべてを忘れて、君だけに向き合うことにしよう」


「……」

 

「たしかに君の殺意に対し、私から殺意を向けたことはなかった。すまない。君を一人の戦士と、無意識に認めていなかったのだろう。だから、おしおきもかねて――殺すぞ。死んでくれるなよ」


 ダリウスの姿が、霞んだ。


 それは異常な速さだった。まっすぐに、突っ込んでくる。

 ただそれだけの動作から『迷い』『ためらい』が取り除かれただけで、初動を読むことはかなわず、対応も一拍遅れる。

 霧に姿を隠すなどという小細工さえ必要ない。堂々と真正面から、奇襲をかけられた。


 青年は反応が遅れて回避が間に合わない。


 だから、短剣でダリウスの剣を受け――


 ――まずい。


 ダリウスが振りかぶる姿を見ただけで、その一撃は絶対に受け止められないと確信できた。


「お、おおおおおお!」


 青年は生まれて初めて、無意識に叫んでいた。

 叫びながら、体をひねって、無理な体勢でかわす。

 かわしたあとは不細工な動作で、地面を四つ足で進むように、距離をとる。


 それは回避ではなく逃避だった。

 振り返って見れば、ダリウスが剣を振り下ろした姿勢で残心していた。


 足元の石畳には剣の長さよりも深く、長く、そして鋭い裂傷が刻まれている。


「たいていの相手は、初太刀で仕留めてきたのだがね」


 ダリウスは曲刀を両手で握ると、切っ先を天に向けるようにして、顔の右側で構えた。

 いかにも『このまま振り下ろすぞ』という構えだ。

 実際にそうするのだろう。


 軌道がわかりきった剣。

 だというのに、青年の想像力は、己が真っ二つにされる映像しか浮かべなかった。


「気迫が足りなかったか」


 ダリウスが深く息を吸い、長く息を吐く。

 それだけで彼の周囲の空気がきしむような感覚があった。

 ダリウス自身の質量が何十倍にもなったかのような、奇妙な重苦しさが彼の体から発せられている。


「ああ……ああ……! おそろしい! 勝ち筋が浮かばない! 弱点さえ、もう、見えない! だというのに、こんなにも楽しい!」


「これでよかったのか。こんな、殺意でよかったのか」


「なにを今さら。僕たちは、殺し合いで遊んできた仲ではありませんか! ……ああ、そうだ。いいことを教えましょう」


「……?」


「この大騒ぎを起こして、街を燃やしたり、建物を壊したりしましたが――けが人は、一人もいませんよ」


「ありえん」


「正しくは、いたけれど、それはもう、治っているのです。そういう異常能力の持ち主が、僕らの……いえ、アレクサンダーの仲間には、いるのです」


「……」


「どうか、殺意を萎えさせないで」


「……」


「僕が言いたかったのはね、こういうことなんですよ。その『聖女』は、どのような傷でも病気でも、見ただけで治します。瀕死程度の重傷ならば、またたきのあいだに、全快するのです。だから――本気で殺してしまいそうになっても、僕は生き延びると思いますよ」


「……」


「さて、計画はまだ半ばといったところで、このあとにも僕のなすべきことはたくさんあるのですが……今は、忘れて、殺し合いましょう。誰にも理解できない動機で、僕たち以外には決してわからない語らいを。お互いに誤解と不理解があったでしょう? 埋めていきましょう。(はな)し合いで」


 青年が、微笑み、だらりと腕を下げた。

 その自然体こそが青年のとった『構え』だった。

 理屈ではない。あのおそろしいダリウスを目の前にして、その威にくじけず、一瞬先におとずれるであろう死の予感におびえ、すくまないように、自然と体がとった構えが、それだった。


 計画はまだ半ば。

 青年にはこのあともやることがたくさんある。

 支障がないよう、時間を管理し、状態を管理し、己を律しなければならない立場にある。


 でも、今だけは。


 一つ間違えれば死ぬような渦中に身を投じてもいいだろう。


 青年にとって、たいていのことはつまらなかったけれど――


 こうして父親と語らう時間だけは、本当の本当に、楽しかったのだから。 

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