81話 開戦
「私は、君にこんなことをされるほどのことをした覚えはないのだがね」
一言発せられるたびに、プレッシャーで体が後退しそうだった。
今のダリウスの感情は、青年ならずともわかるだろう。
あくまでも静かに、決して荒らげず、隙などみじんも生じさせないまま……
怒っている。
激怒、している。
ダリウスの発言に、真白なる夜の構成員の一人が反応した。
「これだけオレたちを差別し、虐げておいて、『覚えがない』だと!?」
それは、なにも知らない真白なる夜構成員からすれば、至極まっとうな反論だった。
けれど、ダリウスの言葉には、頭たる青年にだけわかる、裏の意味があった。
大恩ある義父。
命を救ってくれた男。
目をかけてくれた彼。
青年の思うところの『殺し合いめいたたわむれ』は数多くあった。
それは決して、互いの命に切っ先がとどかないものだった。ダリウス視点ではとどきうるものだったかもしれないが、それを、ダリウスは許したのだ。
ただし、条件をつけた。
「私への恨みならば、私一人を殺しに来ればいい。だというのに、君たちは、街をこんなありさまにし、多くの民を傷つけた。そんなことをする必要はあったのかと、たずねているのだ」
――お前が何度私を殺そうとしても、その殺意が私にだけ向けられている限り、私は見逃そう。
――けれど、もし、お前の殺意が、私以外に向けられ、私以外を傷つけた場合、すぐさま私は、お前を殺すだろう。
――それだけ、理解してほしい。
……幼い日に彼から持ちかけられた協定があった。
それを忘れたことはなく、破ったことはない。
だって、ダリウス以外を殺すのは、あくびが出るほど簡単なのだ。
そんなものには興味もわかない。目標は困難だからこそ努力のかいがあり、楽しい。
……ここが、青年がアレクサンダーの人格を最悪だと判断しつつ、嫌いつつ、好意的な理由でもある。
何事も楽しみ、ゲーム化してしまうアレクサンダーの当事者意識の薄さと、はた迷惑さは、本当に看過できないほどひどいものだが……
青年も、同じなのだった。
この感覚を理解できそうな得難い同志こそ、アレクサンダーという少年なのだった。
素直に最悪な人格。
けれど、それだけで、人格だけが理由でダリウスとの協定を破ったわけではない。
青年は、自分の心に起こったことを観察し、答えを出していた。
「だって、ここまでしないと、あなたは、僕を本気で殺しに来てはくれないでしょう?」
「……」
「僕はねダリウス、あなたにもっと、かまってほしかったんですよ。僕ばっかりが殺すのではなく、あなたにも、僕を殺そうとしてほしかった。僕らのコミュニケーションは常に僕から始めるばかりで、あなたは黙って、それを受け取るだけ。しかも、なにを考えているのか、わかったもんじゃない。なんてやりがいのない対話なのでしょう」
「……本当に、そんな程度の理由なのかね?」
「あっはっは。――ああ、あなたにとっては、『そんな程度』ですか」
「大勢を巻き込むほどの理由たりえると、君は、本当に、そう考えているのかね?」
「世界を滅ぼすに足るほどの理由ですよ」
「ならば、世界のために、君を斬らねばならん」
「なかなかどうして、面白い発言ですね」
もはや、『端っこ』をつかむまでもない。
夕刻の終わりかけた石の街に、不意に、霧が立ち込め始める。
魔法だ。
「僕らはこの港町に逍遥する、霧そのもの。もはや夜を待つまでもなく、霧を待つまでもない。僕ら自身が港町を覆う白いもや――『真白なる夜』」
青年の姿が、霧に溶けるように、かすんでいく。
奇妙に反響する、位置のわからない声が、響く。
「あなたの剣はたしかに鋭い。けれど、あなたは、霧を断てますか?」
「それしかないというならば、やってみせよう。天井だろうが、霧だろうが。……たとえそれが大事な者の首であっても、斬ると決めたならば斬る。私にはそれしかできんのでね」
――火花が、散った。
青年は霧にまぎれてダリウスを背後から奇襲した。
ダリウスはその奇襲をあらかじめ知っていたかのように受け、さらには青年に反撃する。
それが合図となり、兵士たちも戦端を開いた。
こちらは、ダリウスと青年の戦いに比べると、静かで、それから、重苦しかった。
頭たる青年ほどの奇襲能力が、他の真白なる夜構成員にはないものと踏んでいるのだろう。
包み込むような陣形のまま、押し包むように包囲をせばめてくる。
兵士たちに完全に取り囲まれた真白なる種族たちは、互いに背をあずけるように武器を構える。
けれど大盾と剣で武装し、鎧までまとった兵たちに、このままでは包囲殲滅されることはあきらかだった。
……そもそも、なぜ、こんなにも、あらかじめ予想されていたかのように、包囲陣形が布かれているのか。
予定外なほどに万端の準備で出迎えられ、真白なる夜の構成員たちは、おののき、まごついてしまったのだった。
そこに、
「よお、俺はなにをすればいい?」
アレクサンダーの声が、とどいた。
真白なる夜たちは困惑する。
この状況でなにをするかなどと、そんなのは、どうにかして包囲を抜けるしかない。けれど、その具体的な方策が思いつかないから、みんなして背中合わせになっているのだ。
するとアレクサンダーは、言葉を続けた。
「願いを叶えてやるぜ」
まだ、発言が飲み込めない。
さらに、言葉が続く。
「切り崩してほしい方向を言え。その通りに動く。これはあんたらの戦いだからな。全部俺が決めちゃあ、興醒めだろ」
「じゃあ、後ろの連中を」と誰かが戸惑いがちに言った。
「わかった」
直後、爆発音が響いた。
それは魔法ではなかった。アレクサンダーは魔法を使えない。
背負った大剣を抜いて、地面に叩きつけただけだった。
それだけで石の地面が爆ぜて、彼の前方の霧が吹き飛ばされる。
「あっちは、まかせろ。そっちは、がんばれ」
アレクサンダーの姿が、霞むように消えた。
それは頭の使うような隠形とはまったく性質の違う技術――技術というか、単純に、速いだけだった。
目にも留まらぬほど、速い。
アレクサンダーが駆け抜けたあとには風が起こった。
その風にまかれて兵士たちが吹き飛んでいく。
完全に天災を目にしているかのような光景だった。
今、この石の港町に火炎を振りまいているサロモンのやらかしていることもすさまじいが、アレクサンダーも別方向ですさまじい。
生まれつき魔力がないのだと申告するこの少年は、魔力なんぞなくても魔法じみた現象を起こしてしまう。
あっけにとられる。
だが、呆然としてもいられない。
真白なる夜の構成員たちは思い出す。
これは、自分たちの戦いだ。
頭がダリウスを相手取っている。
アレクサンダーが背後の兵を一手に引き受けている。
自分たちがなにもしないで、満足できる勝利など得られようはずもない。
「やるぞ」
大男が低い声で言った。
仲間たちが口々に続いた。
そうだ、戦術がある。
状況が想定外で修正が必要だが、真白なる種族は優れているのだ。『そう思い込んでいるだけ』か『実際にそう』かは、今、ここで、試される。
アジトで差別されたままくすぶっていたならば、永遠に試される機会がなかったはずの『優秀な自分たち』。
自ら望んで試す機会を得たのに、その結果『優秀だと思っていたのは、ただの驕りで、思い込みでした』となっては、悔しいなんてもんじゃない。
被差別種族たちはようやく動き出した。
一つの場所で、三つの戦いが、こうして始まった。




