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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
九章 真白なる夜に
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80話 舞台裏

 その街は七つの区画に分かれていて、すべてが石でできている。


 区画を遮る壁は石。道も石で舗装され、家も石だし、外からのモンスターをよせつけないための壁さえ、石だった。


 石の街は燃えない。

 だから、火災対策は、さほどでもなかった。少なくとも、大規模火災への備えはあまりなく、人々はそういった事態に備えていなかった。


 だから、空から巨大な炎の塊が降り注いで、人々はパニックになった。


 まさか、この石造りの港町が燃えるなどと誰も思わない。


 混乱した人たちは好き放題に動き回り、けが人が続出して、親とはぐれた子や、その逆がたくさん出た。


 しかし、けがをした人たちは、不可思議な現象を目の当たりにすることになる。


 燃えた体が治っていく。

 折れた骨が継がれていく。


 人々が大規模火災の混乱よりも、この異常現象への困惑を強く感じ始めたタイミングで、女性の声が耳にとどく。

 それはなんとも不思議に耳触りがよく、意識の底からそっと語りかけてくるような、声だった。


「みなさん、落ち着いてください。落ち着いて、誘導に従い、行動してください。大丈夫です。従う限り、誰一人死なず、けがもありません。繰り返します。みなさん、落ち着いて、誘導に従い、避難してください――」


 一定のペースで繰り返されるその呼びかけは、こんな状況でもなければ、耳にしているだけで眠ってしまいそうなほどに心地よかった。


 人々はまた、その声のあるじを探し、それが人間族であることを確認した。


 この街には序列がある。

 そのトップは、人間族だ。


 少女の遠くからでもはっきりわかる桃色の長い髪。

 高台からすべての人に満遍なく視線を配るような、優しさをたたえた桃色の瞳。

 さらに安らぐような声と、人間族であるという事実に、多くの者が避難誘導に従い始めた。


『区画をまたぐな』という法など、もはや、気にする者はいない。

 いたとして、うねり始めた人の流れを止めるほどの勢力にはなりえなかった。


 それはもちろん、緊急時だからということもあるが――


 ――のちに、思い出すたび、震えるほどの、神々しさ。


 火球降り注ぐ業火に包まれた街。

 世界の終わりのようなその光景の中で、その時に避難誘導をしていた少女は、七色の後光を背負って見えた。


 それは神を禁じられた街の者たちに神の存在を感じさせるほど、美しかった。

『アレに逆らってはならない』とおのずから思うほどに、美しかったのだ。



 誘導された先には馬鹿みたい(・・・・・)なもの(・・・)があった。


 それは一言で述べてしまえば『天蓋』だ。


 ドワーフ居住区画に唐突に現れた、鋼の傘。


 その傘はガンガンとけたたましい音を立てながら、空から降り注ぐ火球を完璧に防ぎ切っていた。


 それはまったくおかしな光景だった。こんな巨大なもの、存在していたならば他の区画からでも見える。

 だというのに、誰も、この鋼の傘を見た者がいないのだ。


 この巨大な物体は、今日、突然現れた。


 それは急普請とは思えないほどの安定感でもって火球を受け続ける。


 だが、避難民は多く、すべてが傘の下におさまりきれるわけではない。


 すると、どこからか、ドワーフども特有の、乱暴な言葉遣いが聞こえるのだ。


「ちっと足りねェか。足してくらァ(・・・・・・)


 ドワーフというのは背の低い連中であるから、人混みの中からはその姿を確認しにくい。


 だが、女のドワーフがそう述べたほとんど直後、天蓋が継ぎ足された。


 そのありえない光景は多くの者に最初『見間違いだろう』という感想を抱かせ、二回、三回と見せつけられるうちに、とんでもないことが起こっているのだと、ようやく信じさせた。


 それはドワーフたちが『兄貴』と呼び慕う女の仕事らしい。

 なぜ女なのに兄貴なのか。そして無言で避難誘導をする、鎧をまとった巨人たちはいったいなんなのか。


 なにもわからないが、一つだけ、確実なことがある。

 それは、この天蓋の下にいる限りはまず安全ということで――


 その安全地帯は、どんどん、拡張されていて、きっと街の者すべてをその影に入れるだろうということだった。



 またある者は、空に浮かぶエルフの男を目撃したかもしれない。


 そいつは本当に浮いていた。


 なにもない場所に浮かび、その背後から無数の火球を断続的に街に降り注がせ続けていた。


 この世界の終わりのような光景はどうやら、その男の仕業らしい。


 長すぎる髪に、長すぎる外套をまとった男は、きわめてつまらなさそうな顔をしながら、退屈のあまり苛立っているというように指で(もも)のあたりを叩きながら、どこか一点を、にらみつけていた。


 エルフの区画から兵が現れ、上空にいる男へと矢が射掛けられた。


 その時、はるか上空にいる男は、たしかに鼻を鳴らして、決して大きくない声でつぶやいた。


「弱者め」


 なぜだか妙に耳に残る、冷徹な声音だった。


 矢は男にとどかなかった。

 背後に無数に並べた火球ではなく、左手に持っていた弓矢を用い、男は自分に射掛けられた矢を、すべて射落としたのだ。


 弓使いとしてとんでもない離れ技だった。

 だが、男は不満そうな顔になり、弓を下ろして、しっしっと右手を振った。


 するとエルフの兵たちの立っている大地が爆ぜ、強い風が唐突に吹き、兵たちは吹き飛ばされていく。


 運よく、あるいは悪く、その場に残ってしまった者は、上空に浮かぶ男の、こんな声を聞いたかもしれない。


「群がる雑魚を丁寧にあしらってやるのは、予想をはるかに超えてつまらんぞ。連中の矢を射落とす遊びも、存外面白くない。早く我をダリウスと闘わせろ、アレクサンダー」



 こうして舞台は整った。


 燃え盛る街。人々にけがはなく、避難誘導はうまく進み、安全地帯は住民たちを完全に収容しきるだろう。


 これはダリウスの手勢と、ダリウス自身をオーバーフローさせ、混乱させ、そして身を守るものを少しでも薄くさせるための、陽動だ。


 それは、みんな、わかっている。

 ここまでの、そのままぶつければダリウスごと全兵士を倒せてしまいそうな威力を陽動として運用するのも、ダリウスに刃を突き立てるのが真白なる種族でないと意味がない――満足感がないからだというのも、みな、理解している。


 だが、ここまで慎重に丁寧に街の連中を避難させてやる必要があったのか、『真白なる夜』の中には疑問視する声もあった。

 むしろここまでやるなら、いっそ殺してしまえと言う者もいた。


 すると、アレクサンダーはこう答える。


「殺しはとりうる手段の一つだが、それは今、やる必要がねーよ。だってさあ、簡単すぎるだろ、そんなの。皆殺しでいいなら、俺らが手を貸すまでもない」


 これを『真白なる夜』のメンバーは、『手伝いを続けてほしかったら死者を出すな』という意味だと受け取った。


 一方で(あたま)たる青年は、違った見解を抱き、こらえきれずに笑った。


「君は本当に最悪な男だなあ、アレクサンダー!」


 この男は、革命も、人の生き死にも、どうでもいいのだ。

 彼が街の者に死者が出ないように仲間たちを行動させているのは、その方が(・・・・)ゲームとして(・・・・・・)面白いから(・・・・・)というだけにすぎないのが、青年にはわかってしまった。


 いつでも、出ていける。

 いつでも、退場できる。


 アレクサンダーはあくまでも自由だった。

『真白なる夜』たちの起こす革命に付き合っているのは、義理でも人情でもなく、それどころか、メリットがあるからというわけでもない。


 それが、面白いから。

 ノリで、そうしている。


 なんて悪辣な男なのだろう!


 青年はやはりアレクサンダーという少年の人格を最低だと判断せざるをえなかった。

 そして、彼を理性的に嫌いながら、感情的に非常に好ましく思った。


「僕らは本当に、今からでも、ダリウスと力を合わせてでも、君を殺しておくべきなんじゃないかと思うよ!」


「お、やるか? それでもいいぜ」


 本当にそれでもいいのだろう。

 というかむしろ、それこそ、望むところだというような様子でさえあった。


「いやあ、今の君を殺そうとすると、ただの遊びになってしまう。だって、絶対に殺せない相手を殺しにいくのは、遊戯以外のなにものでもないだろう?」


「そりゃそうだ」


「だから今は、ダリウスにするよ」


 青年は真っ直ぐに前を見据える。


 そこには、石の広場に展開した兵たちがいて――


 その向こう側に、曲刀を片手に持った、黒髪を油で後ろになでつけた、糸目の、肩幅の広い、真白なる種族に劣らず大柄な男がいる。


 ダリウスが、いる。


 すでに方陣を()き、完璧な奇襲をおこなったはずの『真白なる夜』たちを、その五倍はいる軍勢で取り囲んだ、街の支配者が、いる。


 一筋の弱点の生じた鋼の男。

 けれどその立ち姿は未だ完璧で、その威圧感たるやすさまじいものがある。


 大きな恩のある義父。

 自分を救ってくれた男。

 憧れた、愛すべき、青年が唯一認めた父。


「さあ、鋼の男を倒そうか。僕らの自己満足のために、死んでくれよ、ダリウス」

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