77話 ずっとそこにあった願い
あれ以来――
アレクサンダーが冷静に『真白なる夜』のおかれた状況を語り……
武器を用意し……
戦う必要を説いた、あの日以来。
アジトにいる仲間たちの中で、『ダリウスとその軍隊を相手どったら』という話が交わされることが爆発的に増えた。
そりゃあ、腹にすえかねているだろう。
できるなら、この街をひっくり返したいだろう。
でも、それは不可能だった。
真白なる種族はみな、聡い。だから、現状をきちんと理解できる者が大多数だった。
その結果、街の軍隊に自分たちが総力をあげて挑んでも勝てないし、ダリウスを倒してこの街の権力構造を変えるのはもっと無理だろう、という、当たり前のことを語るまでもなく理解できていたのだ。
この理解には、過激派たちが重ねた失敗も役立った。
実際に彼らは試し、そして失敗を続けたのだ。最後の蜂起の時など、若い命を失わせる大失態さえ演じた。
おまけにそのリーダーが切除されたとなれば、自然とみなの意識は『戦って勝ち取ること』から逸れるし、戦いなどと、口にするのもはばかられる空気が醸成される。
その空気を変えたのが、アレクサンダーだった。
魔法。現状の解説。
ダリウスの意図がどうあれ、彼はアレクサンダーに『真白なる夜の撲滅』を指示したことは事実なのだった。
それが『組織が本格的に街に狙われている』という危機感の根拠として全員に受け取られてしまった。
だが、こんな展開、予想できるものか。
この件でダリウスを迂闊だと責められるはずがなかった。
まさか人間族の少年が『真白なる夜』に所属するだなんて思い描けるはずもなく、さらにその中で一定の発言力をもってしまうなどと想像さえできるはずもない。
しかもその少年が、自分に下された指示を根拠に『真白なる夜』の構成員たちの危機感をあおり、魔法などという異能を広め、さらには素晴らしい武器さえ用意してしまうなど、そんなこと、未来を知る権能でもなければ予測しようがない。
そもそも、頭たる青年がアレクサンダーを組織に受け入れた理由からして、『ヘンリエッタがなぜかアレクサンダーを弟として扱い始めて、引き剥がすことがためらわれた』というものだ。
そんな奇跡、対処しきれるわけがない。
……この少年が『真白なる夜』側につかなかった場合、ダリウスの思惑を超えて、本当に『真白なる夜』を撲滅してしまった可能性さえ、今となっては、見える。
なんということだ。
街にアレクサンダーがおとずれたその時点で、どうあがいても状況が詰んでいる。
青年の意思とはまったく関係なしに、組織は『打倒、ダリウス』の波に乗りつつあった。
加速を始めた潮流はとてもじゃないがコントロールしきれるものではない。
今はまだ、みなに抑えがきいている。けれどそのうち、血気にはやった者が武器の切れ味と魔法の威力を試したがる時が来るだろう。
その新たな過激派とも呼べる連中が、手ひどく失敗してくれるなら、放置するだけでいい。
だが、『魔法』というのは、青年の予想さえも困難にさせる不確定要素だった。
新たな過激派が武装蜂起に失敗すればいいが、仮に、ある程度の成功をおさめてしまったら、いよいよこの組織は最後の一人まで軍隊に立ち向かう決死の集団となってしまう。
様々な未来がめまぐるしく脳裏をよぎり、そのすべてがありえるような気がした。
青年は優秀だった。組織をコントロールし、ダリウスの要求に応え続けた。そしてきっと、永遠に自分はダリウスの望む通りの働きができるのだと思っていた。
ところが、現状がこうなってしまった。
コントロールは不能で、どの行き先に向かうにしても、ある程度以上の賭け要素がある。
なんて――
なんて、楽しいのだろう。
青年は己の心に生じた波濤を観察した。
心はあきらかに湧き立っていた。
未来がどうなるかわからない。失敗してすべてを失うかもしれない。成功してダリウスを殺してしまうかもしれない。
組織を被差別種族の牧場としようとしていたことがバレて、みんなから裏切り者扱いされるかもしれない。
どうあがいてもスリリングで、だからこそ、能力の発揮しがいがあるように思えた。
だから、青年が考えるべきは、『どうしたら問題なく過ごしていけるか』ではなかった。
自分は、どうしたいのか?
「ずいぶん厄介なことになっているようだが、君は楽しそうだね」
ダリウスの声。
そうだ、ダリウスの屋敷で、定例報告会の最中だ。
定例報告会で話題にあげたのは、もちろん、アレクサンダーのことだった。
ダリウスはアレクサンダーが『真白なる夜』に所属していると聞いても、やはり鋼のまま、ゆるがないままだ。
いつものようにテーブルに座って、青年はダリウスを見る。
髪を油で後ろになでつけた、肩幅の広い、糸目の男。
……その目尻にはくっきりとシワが刻まれ、テーブルに乗った手の甲にまで、老いがはっきりと見てとれた。
もう、衰えていくしかない、憧れの義父。
街のために生き続け、そのまま死んでいこうとしている、最後の支配者。
「楽しいなどということはありませんよ」青年はいつもの笑顔のままのべた。「困っています。心底厄介です。そして、あいつには、むかつきますね」
「ほう!」
「……どうされました?」
「いや、君がそこまで感情をあらわにするのに、おどろいてしまってね」
「やだなあ。僕はそんなに、自分を偽るのが得意ではありませんよ。あっはっは。……まあ、そんなわけでしてね、どういう理由でみなに武装蜂起を止めさせようか、それもその場しのぎではなく、『やろうと思う気持ち』そのものをくじこうか、そういうことを、悩んでいます」
「ふむ。……そういった時には、一度立ち上がって、そして完膚なきまでに叩き潰されてみる――といった方法も考えられるが」
「いやあ、それは」
……それは。
なかなか、難しいのではないか、と思った。
……そうだ。
青年もまた、このまま街にいどめば、ひょっとしたら勝利できるのではないか、という可能性を感じている。
あの、被差別種族がより集まった互助会には、今、かつてない力が集っている。
強すぎないように、弱すぎないようにというバランスに気遣って運営してきたはずが、いつのまにか、すさまじい出力を発揮できる組織になってしまっている。
魔法がある。
武器がある。
士気も高い。
例の過激派がやっていたような、酒の力とやかましい叫び声で無理にやる気を捻り出すやり方ではない。
全員が健康に考え、健全に過ごし、冷静かつ情熱的に『打倒ダリウス』に対してのやる気を高めていっている。
人数こそ少ないが、もとより真白なる種族は優秀だ。
戦術と個々の判断で、無勢でも、それを優位に働かせる戦い方もできる。
そしてなにより、アレクサンダーがいる。
あの不死身の男が仲間にいる。
サロモンもいる。あの気難しく、しかし、戦いの技術にかけては超一流のエルフの男が。
イーリィがいる。どのような傷でも病でも見ただけで癒してしまうという、アレクサンダーたちの崇める『神』に選ばれた聖女が。
ダヴィッドがいる。その姿を青年はまだ見ていないが、その制作した武器は、素人目にさえ尋常のものではないことがあきらかだった。その武器をまとうことを許されている。
青年は、気づいてしまった。
「……ああ、そうか僕は」
「どうしたね?」
「……いえ。なんでもありませんよ。あっはっは。まあ、すぐに答えが出せるような問題でもないでしょう。焦りはしますが、焦りは禁物。もう少しだけ、様子を見てみましょう」
「ふむ。君がそう述べるならば、そうすべきなのだろうね」
そんな会話をして、わかれた。
霧にまぎれてアジトまで帰るのは難しくなかった。
ダリウスの家を守る軍隊は、鍛え上げてはいるが、誰も彼も霧の中では人形同然だ。彼の視界は『いつでも、どのようにも殺せる』と判断している。
青年は自分がなにを考えているのか、観察するくせがあった。
自分の心根がわからない。
自分のやりたいことがわからない。
ただ、楽しかったのは、ダリウスとの殺し合いだけだ。
あの絶対に殺せない男を殺そうとしている時だけが、生きていてよかったと思える時間だった。
どうやら自分は、困難な目標に挑むのが好きらしい。
そして――
年齢のせいか、アレクサンダーのせいか、弱まっていく義父の姿を、痛々しくて、見ていられない、らしい。
楽にしてあげたいと、そう、考えてしまっているらしい。
だから、アジトに帰るなり、青年は告げた。
そこに集う仲間たち――真白なる夜の手足たちに、
「ダリウスを倒したい」
生まれて初めて、自分の願望をぶつけた。




