76話 整ってしまった条件
それからの日々について、青年は自分がどう感じているのか、注意深く観察を続けた。
アレクサンダーという少年はとにかく空気を読まなかった。
明文化された決まり事とか、暗黙の了解とか、そういうものを守る意思が全然ない――というかむしろ、積極的に破りにいっているようでさえあった。
「法律ってのはな、支配者が統治しやすいように定めるモンなんだぜ。反政府組織の俺らがそんなモンを守ってどうするよ?」
それは法の――禁止事項の多すぎるこの街を批判した言葉のようだった。
しかし、青年にはしっかり裏の意味が伝わった。
アレクサンダーは、この『真白なる夜』という組織を揶揄しているのだ。
真白なる夜は互助会である。
ここに所属する真白なる種族たちは全員が平等だ。
もちろん背負う役割によっては上下関係のようなものが生じることもある。けれどこの組織は平等で、全員で一つの肉体であり、一人一人が欠かすことのできない器官だ。
だから青年は頭と呼ばれる。
意思決定器官であり、思考器官でもある。
重要なパーツだ。
けれど人は片腕を落とされても死ぬことがあるし、場合によっては指を失ってもそれが死につながることもある。だから全員の平等性は損なわれることがない――そう、頭である青年は説いている。
説いて、みんなにルールを守らせている。
組織である以上、決まりは必要だ。みんな納得して守っている。
守らない者もいて、そいつらは過激派と呼ばれたが、それはもういない。あまりに暴走が過ぎて切除された器官だった。
それは仕方ないことだ。だってルールを守れなかったのだから。
頭がいらないと判断したのだから、切除されてしかるべきだ。
「いや、ルールがあって罰があるのは、全然いいと思うぜ。でもな、そのルールが本当に適正なものかどうかを全員で悩むぐらいは、してもいいんじゃねーかな」
街の支配者は、独断で禁止事項を――『法』を増やす。
逆らえば罰がある。この罰の軽重も、支配者が独断で定めている。
誰もこれについて口を挟む権利を持たない。それが当たり前で、それでうまくいっているのだから、誰も、『悩む権利』が知らないあいだに剥奪されていることさえ気づかない、この街。
それと同じ構造になっている、この、組織。
アレクサンダーの言葉にふくまれた二つの意味を、二つとも理解しているのは、青年だけのようだった。
あるいは、アレクサンダーに他意はなく、青年が勝手に言葉の裏を深読みしているのかもと思わないでもなかったが……ないはずがない。
アレクサンダーはそういうやつなのだと、ほんの短い付き合いなのに、強烈に思い知らされる。
この男の発言は皮肉と他意に満ちていて、そのくせ、ある一定の認知力を持つ者以外には、裏の意味を感じとることができない。
アレクサンダーが真白なる夜の構成員たちに言葉をかける時、そこには必ず、青年一人に向けた皮肉があった。
だから青年もまた、構成員たちに告げるかのような体裁で、アレクサンダーにしか伝わらないように、アレクサンダーにしか通じない返事を、言葉の裏に忍ばせる。
それは、楽しい会話だった。
アレクサンダーに対する好感度は上がり、同時になんてむかつくやつなんだろうという気持ちも天井知らずに高まっていっている。
殺意と好意が心の中で同居していた。
青年は自分の中に生じたその不可思議な気持ちを観察し、自分という生き物の心の不思議さを興味深く鑑賞し続けた。
アジトに、アレクサンダーの仲間が集まってくる。
最初に確保されたのは、エルフの男だった。
どうやら『魔法』は彼が使えるようだ。
その男――サロモンは見知らぬ連中への技術提供を渋った。
というか、見知らぬ連中との会話を避けたがっているようだった。
けれど、アレクサンダーにのせられて、けっきょく、魔法を伝道する役割を引き受けたようで、その日からアジトの中で魔法の修行が始まった。
次に来たのは、人間族と獣人族の少女だった。
イーリィとカグヤ。
片方が治癒の力を持っていて、アレクサンダーにぶっ飛ばされてから意識不明だった男は、あっというまに体調を戻した。
アレクサンダーは述べた。
「これが『魔法』の力だ」
イーリィの反応を見るに、それは魔法とはまた違ったもののようだった。
つまり、アレクサンダーは嘘をついたのだ。
けれど、わかりやすかった。
『一月は安静にしていなければならないようなケガが、一瞬で治った』というのは……そして、不可思議な力でその奇跡を成し遂げた者が実在するというのは、なかなか魔法を修得できなかった全員にとって、励みとなったのだ。
魔法の修行にはいっそう熱が入った。
また、このイーリィという少女は、先に来たサロモンという男よりも、人にものを教えるのがうまかった。
というよりも、コミュニケーション能力が高かった。
……サロモンという男は、お世辞にも人との交流が得意ではなく、また、『他者の能力を高めよう』という気概がいっさいなかったのだ。
イーリィは優しく、相手のことを考えて言葉を扱える少女だった。
少しそちら方面の能力が高すぎるきらいもあって、新参の人間族だというのに、組織内にやけにイーリィの肩を持つ者が増えてしまったのは、青年にとって看過しがたい問題だった。
カグヤは、これといって見るべきところのない少女だった。
ただ、アレクサンダーとイーリィにやけにかわいがられていた。
旅暮らしの中で、ある意味精神的支柱となっていた少女なのだろう。なにもできないし、なにもしない。ただ、アレクサンダーをじっと見ていることの多い、不思議な女の子。
そして……
ドワーフの少女は、見つかったが、アジトには来なかった。
なにか夢中でやっている作業があるようで、「うるせェ、今がいいところなんだ」とか言われて追い払われたのだとか。
アレクサンダーは彼女を好きにさせることにしたようだ。
そして、彼女のやっている作業が終わったあと、この街を発つらしい。
「まあ、ダヴィッドの野郎、イーリィに負けずおとらず引きこもり気質だからな。いや、この場合は職人気質か? なんにせよ、俺らのパーティ、引きこもり多くねえ?」
その発言にイーリィが色々言って、そのやりとりを見ていた者たちの中から、自然と笑い声があがった。
おどろくべきことに、彼らは『真白なる夜』に受け入れられていた。
本当にいつのまにか、気付くことも難しいほどあっというまに、なじんでいた。アレクサンダーたちと一緒にいることによって、あのサロモンさえ、組織の一員であるかのように扱われていたのだ。
組織内の雰囲気が、あからさまに明るくなっていった。
あの大男とアレクサンダーはいつのまにか雑談をして笑い合い、力比べなんかをしあう関係になっていた。
そうして組織の者の中に、魔法を扱えるようになる者がぽつぽつ現れ始めたころ――
アレクサンダーが、なにげなく、問いかけてきた。
「なあ、どうする?」
この男の発言はだいたいが奇襲のようで、なにか話を切り出す時にはまず相手を混乱させてから主導権を握るというような意図が常にあるようだった。
だからアレクサンダーに主導権を握らせないために、こうして唐突に話しかけられてもなんの話題か想定しておく必要があるのだが……
笑い声の響くアジト。
魔法の訓練をしたり、食事をしたりする構成員たち。
アジトの壁に背をあずけて腕組みしているサロモン。
そのまわりにはより強力な魔法を使いたいと望む者たちが集まっている。サロモンの性格は決して人当たりがいいものではなかったが、彼の魔法の強大さや制御の精密さなどは、みなの憧れを集めるほどのもので、一定の人気があった。
イーリィの周囲にはいつも人だかりがある。
みな、彼女が人間族であることは、もう、気にもならないようだ。男女問わず彼女に近づき、彼女と言葉を交わすだけでたまらなく嬉しいという様子を見せていた。
末恐ろしい。
おそらくなんの計算もせずにああなっているのだ。
この組織をもしも壊す者があるとすれば、それはアレクサンダーの詐術でもなく、サロモンの魔術でもなく、イーリィの、あの、天然の魅力だろうなと思えた。
カグヤは、そんなイーリィのそばにいて、やっぱり、アレクサンダーのほうをじっと見ている。
あの獣人が能動的に動く姿を見たことは、これまでの日々で一度もなかった。
ああいった極度に受動的な性格の持ち主もいるにはいるのだが、なんだろう、あれには通りいっぺんの受動的性格ではない、もっと別ななにかが感じられるような気がした。
……と、ここまで観察しても、アレクサンダーの問わんとするところがわからない。
青年は肩をすくめ、ほほえんだまま、たずねた。
「君はいつだって唐突だなあ。いきなり『どうする』と問われてもね。僕には、なにがなんだか」
「ん? そうか。悪いな。ダリウスを倒して街をのっとるかどうかって質問だよ」
あんまりにも当たり前のようにそう言われて、青年は瞬きのあいだだけ、固まった。
そのわずかな間隙を、アレクサンダーは見逃さなかった。
「意外か? この組織はもともとそういうモンだろ? 不遇なあんたらが集まって、苦しい生活の中でどうにか支え合う互助会だって聞いたけどな」
「そうだね。だから僕らは、街の支配者に武器を持って立ち向かうほどのモチベーションはないのさ。というか、そういうことをした連中がかつていて、その華々しいやられっぷりと、やられるたびに強いられた引っ越しと、あとは、出てしまった死者とに、僕らはもう、うんざりしてるんだ」
「なるほど、そっち方向の方針なのね。了解。……で、死者ってのは、姉さんの弟?」
「そうそう。一時期はヘンリエッタもだいぶ沈んでいて、大変だったんだよ。君のおかげで持ち直したようだけれど」
ここで、青年はアジトの中にヘンリエッタがいないことに気づいた。
珍しい。常にアレクサンダーにべったりの彼女が、アレクサンダーと別行動をとるだなんて。
……珍しい、というか。それは、
「アレクサンダー、ヘンリエッタになにを指示した?」
「お、わかるか。まあ、あの姉さんが俺から離れてるんだったら、それは俺のお願いを聞いてる時ぐらいだよな。安心しろって。ダヴィッドのところにお使いさ」
などと会話をしているうちに、ヘンリエッタが帰ってくる。
彼女は――彼女と、他数人の同胞たちは、なにか、重そうなものを持っていた。
「アレクサンダー! 受け取ってきたよ」
それは木箱だった。
人がしゃがみこんで一人か二人入れそうな、港でよく見る、貨物を入れるための箱だ。
それはこの街で大量の荷物を運ぶ時には必ず使われる規格のもので、箱の外観から中身を判別するのは難しい。
いちおう中身の種類ごとにある程度の色分けがなされているが、今、運ばれてきたものは、色分け処理前の、どこからかこっそり運び出したと思しき、箱だった。
「おし、ちょうどいいな。頭が箱の中身を知りたいらしい。そこのバールのようなもので開けちまってくれ」
指示通りにされる。
留め金がひっぺがされてフタが開けられ、さらされた箱の中身は……
「……武器?」
「おう。比類なき職人の『ダヴィッド』が作り上げた武器だ。全員分あるはずだぜ」
「……」
「妙な顔すんなって。これはアジトで色々世話んなった礼だよ。よかったな。武器がそろって、魔法も覚えて、全員が強くなったぞ。どの方針でいくにせよ、力はあっても損しないだろ?」
断じて、これだけで、なにかが起こるわけではない。
けれど、青年は気づいた。
なにか、あと少し、きっかけさえあれば――街に対して全員で反旗をひるがえすだけの、そういう準備が、整ってしまった。
アレクサンダーにより、整えられてしまった。
新品の、美しく強くたくさんの武器を見てはしゃぐ構成員たち。
その輪にまじらず、青年はアレクサンダーに問いかけた。
「君は、なにが目的なのかな?」
「目的? 俺に、目的?」
よほど意外だというように彼は目を丸くして、
「おいおい、俺に目的なんかねーよ。むしろ目的があるのはあんたらだろ」
「僕らに目的なんかない。僕らは助け合って生きてるだけだ」
「ダリウスのおっさんは、俺に、この組織の撲滅を指示したんだぜ。つまりあんたらは、目下、街の支配者から滅ぼされる可能性の前にいる」
それは、ない。
ダリウスと青年は秘密の協力関係だ。
青年はダリウスの命令により、この組織を運営している。
最底辺の被差別種族である『真白なる種族』が、減りすぎず、増えすぎないように、その数を維持するのが目的だ。だから組織がダリウスの指示通りの運用をされている現在、ダリウスが組織を本気で滅ぼそうとするはずがない。
でも。
その真実を、みんなのいる前で、明かすわけにはいかない。
『お前たちは差別されるためにエサと場所を与えられている家畜なんだよ』と、みなに明かすわけには、いかないのだ。
なにも言えないでいると、アレクサンダーが言葉を続けた。
「だから、滅びないために、街の軍隊に対抗する武力は必要だろ? 俺は、世話になったお礼に、それを提供しただけだぜ。ああ、材料費は心配するな。ダヴィッドがな、でかい鉱脈を見つけたってんで、いい鉱石が大量に入ったらしいんだ。そこの武器は、それで俺の剣を作ってる、ついでだからさ」
……この男は、どこまでわかって、こんなことをしているのか。
他意が絶対にある。裏が絶対にある。だって、これまでの会話はすべてそうだった。
しかし、ダリウスと自分の関係も、そこで交わされた密約も、知りうるはずがないのだ。それは、自分とダリウス以外には誰も知らないことなのだ。
しかし――
気付かれているとしたら?
何事であろうが、行動には絶対に痕跡が出る。
それは慎重に少なくし、丁寧に消し去るよう努力はできる。けれど完全に消えることはない。そのわずかな痕跡をアレクサンダーが発見して、この組織を発足した真の理由にたどりついたとしたら……
この組織は最底辺種族を飼育する牧場でしかないのだと、知られたら……
アレクサンダーは、どうするだろう?
……なんてことだ。
この男は、構成員たちを扇動して、革命を起こさせそうな気がする。
理由は――ああ、本当に最悪なことに――『楽しそうだから』という理由で、この男なら、革命を煽りかねない!
「……アレクサンダー、君は、」
「ああ、こっちから提供したお礼に、お礼を返すだなんて面倒くせえまねはしないでくれよ。俺たちはただ、後腐れなく旅に戻りたいだけさ。んでもって、俺はけっこう、恩義を大事にする方なんだ。返さないのは腹のすわりが悪い。まあ、俺の目的の邪魔にならない範囲でやりとりする程度だけどな」
「……」
「そういうわけだから、武器と魔法は受け取ってくれよ。それとも迷惑だったか?」
「……いや」
アレクサンダーの真意はわからない。
けれど、ここは、ありがたく受け取る以外のことができる場面ではない。
だから、青年はいつものように、ほほえんだまま、
「お礼にお礼を返すなと君は言うけれど、『ありがとう』ぐらいは言ってもいいだろう?」
「ああ、言葉だけのお礼なら断る理由はねーな」
「だけれど、武器は使わないと思うよ」
「まあそれは、あんたらの選択だから好きにしろよ。けどな、軍隊をようする街の支配者が、あんたらの撲滅を指示したのはたしかだぜ。俺みたいなぽっと出の旅人に言うぐらいだ。連中、けっこう焦ってんじゃねーのか?」
それは、アレクサンダーを街から出さないための方便だ。
絶対に達成させない目的を言い渡して、足止めをはかっただけだ。
そうハッキリ言えたらどれほど楽か!
アレクサンダーは、大きくもなく、小さくもない、アジトという石壁に囲まれた地下空間で人と話すのに最適な――全員の耳に普通にとどくぐらいの声量で、述べる。
「あんたらが生き残るなら、武器と魔法でダリウスとその軍隊に先制攻撃をするのが、一番安全で一番確実だと思うけどな。なんせ、相手はこれほどの武器がこっちにあることも、魔法なんていう異能をこっちが身につけたことも、知るはずがないんだから」
「……」
「まあ、詳しい事情をよく知らない新参者の意見だ。あんたらには、あんたらの歴史があるんだろう。ただ、このままぼんやり滅びるのはしのびねーなと思っただけだ。ま、蜂起するなら早めに教えてくれよ。手伝うから。ただ、あんまり時間はねーぞ。ダヴィッドが目的を達成するのは、明日かもしれないし、今この瞬間かもしれない。ダヴィッドの用事が終わったら、俺らは街を出るぜ」




