74話 むかつくやつ
九章 真白なる夜に
アレクサンダーは、けっきょく、ついてきてしまった。
兵たちから、ヘンリエッタを救ったあと――
アレクサンダーを振り切るぐらいのつもりでアジトへと駆けた。
肩にかついだヘンリエッタに不満を叫ばれながらも、置いていくつもりで駆け抜けた。
けれど、青年の足をもってしても、振り切ることはかなわなかったわけだ。
そのことについて、ヘンリエッタはたいへん喜んだ。
『弟とまた離れ離れにならなくて済んだ』などと、わけのわからないことを言って、涙を流して喜んだのだ。
たしかにアレクサンダーは十歳かそこら……ダリウスの弁によるならば十一歳か十二歳ぐらいだということなので、ヘンリエッタの弟と同じぐらいではあった。
しかし見た目はにてもにつかない。
黒髪黒目のこの少年は、背負った肉厚な剣と合わせて、むしろダリウスに似たところがあるように思われた。
ダリウスに『人間』の孫がいれば、こんな少年だろうな、とそういう印象を青年は抱いた。
「『見所のある若者』、か」
青年はつぶやく。
それを耳ざとく聞きつけたのは、アレクサンダーだった。
「なに? 俺のこと?」
「……あっはっは。君はなかなか、あつかましいやつだなあ。まあ、君のことなんだけれどね」
もうアジトがすぐそこに迫っていた。
追いかけっこはとっくに終わって、あとは下水道につながるこの水路を、ばしゃばしゃと浅く流れる水を踏みながら、三人で並んで歩いているだけなのだった。
手首の縄を解かれたヘンリエッタはアレクサンダーにべったりだ。
その様子は青年には、『仲のいい姉弟』というより、『親に依存しなければ生きていけない幼い少女とその父親』のように映った。
あまりにも暗い夜だった。
このあたりに来ると霧は多少マシになったが、視界はよくない。
青年は魔法で指先に火を灯して、それを明かりに進んでいく。
ヘンリエッタも同じようにしたが、アレクサンダーはそうしなかった。
そうしなかったうえに、聞いてきた。
「あんたらにとっても、それが『魔法』か?」
「……君の言い回しはユニークだね」
「ああ、うーん、そうか。えっと……あんたらにとって『魔法』っていうのは、そうやって小指の先っぽにも劣る火をつけたり、『うちわ』のがマシなそよ風を起こしたり、そういうモンか? この大きな港町でも、その程度なのか?」
「まあ、その程度と君が言うなら、その程度なのだけれど。……なんだい? 君にとって魔法ってのは、そうじゃないのかな?」
「もったいねぇなあ! あんたら、気付いてないだろ! あんたらはな、魔法が得意なんだぜ! そういうステータスをしてる!」
「……あっはっは」
青年はよく無意味に笑い声のような音を立てるクセがある。
けれどこれはもう、『笑うしかない』という感じのことだった――言っていることの意味が本格的にわからない。言葉は通じるのに、前提が異質すぎて、結果として言葉の意味がまったく変わってしまっているのだ。
「まあそんな話はいいか。それより、アレクサンダー、いいのかい?」
「よかねぇよ。俺はな、魔法ってのをもっと広める使命があるんだ。本当の魔法をな」
「……君、ダリウスの協力者なんだろう? このままついてくると、街をにぎわす『真白なる夜』のアジトなんだけれど。そうなると僕らは、君を監禁するか、君に仲間になってもらうかしていただかない限り、表にはもう出せないよ」
「ああ、俺、あんたらの仲間になるわ」
あまりにあっけらかんと言われて、さすがの青年もしばし無言になった。
アレクサンダーは続ける。
「ダリウスのおっさんにさー。『区画をまたぎたければ、真白なる夜を撲滅しろ』って言われてるんだけどさ。そいつはどうやら、思ったより簡単で、想像してたより、やりたくない。それよりも、あんたらの仲間になって違法に区画をまたぐほうがよさそうだなと思ったわけよ」
ダリウスがそんな指示をしたとすれば、それは『区画をまたぐのはあきらめろ』という意味の言葉だろう。
なにせ、『真白なる夜』とダリウスは秘密の協力関係なのだ。
頭である青年はダリウスの命を受けて、真白なる種族たちの個体数維持につとめ、その目的のために『真白なる夜』を運営しているわけである。滅ぼされる理由がない。
ダリウスの目的は不透明だが、前後のやりとりを加味すれば、『達成不可能な目的を与えて、この優秀な若者を街にとどめおく』というあたりが狙いだろう。
つまりダリウスは、アレクサンダーを後継者として街に置いておく意思があって、それはなかなか、本気らしい、ということだ。
「……なるほどね。まあしかし、解せないね。思ったより簡単っていうのは? 僕らはこう見えて、もう何年も活動している組織なのだけれど?」
「あんたが『頭』なんだろ?」
「うん」
「ここで、あんたを仕留めればいい。そしてそれは不可能じゃない」
「……へぇ」
「ああ、うん、勘違いが起こってるな! あんたが弱いって意味じゃあないんだよ。俺にとって、向き合った状態から誰かを殺すっていうのは、たいてい、難しくないんだ。種明かしをするとな、俺は体中に獣の牙を食いつかせても、矢でズタボロにされても、とんでもなくデケェ化け物の尻尾で地面に叩きつけられても、死にはしない。いわゆる不死身なんだよ。こと殴り合いにおいて最強クラスのチート野郎なんだ」
「まあ、君が殺せないのはわかるよ」
「で、あんたはたぶん、殺し合いになったらうまく逃げるだろ? でも、俺はもう、アジトがどこにあって、あんたが今、アジトに入るなら本来通らなきゃいけない道を避けて歩いてることもわかってる」
「……」
「悪いな、これもまあ、チートっていやあそうなんだけど、俺にはある程度の距離にいる相手のステータスが見えるんだわ。霧にまぎれたあんたに対応できたのも、あんたが見えたんじゃなく、あんたのステータスを見てただけなんだ。その力で、複数人のステータスが見える場所も、もう見えてる」
「それで?」
「うん、だからさ、手段を選ばずあんたらを撲滅させたいなら、頭を切り落とすか、体を壊死させるかって手段がとれるだろ? あんたと殺し合いをしたなら、どんなに不細工でも最終的に死なない俺が勝つし、あんたが逃げるなら、このまま、あんたの仲間を皆殺しにすりゃいい」
そう述べるアレクサンダーはしかし、今述べた手段をとる気が全然なさそうだった。
青年は言葉の続きを待った。
アレクサンダーは、述べた。
「でも、それは、つまらねーんだよな。だから、やりたくない」
――心が、ざわめく。
青年は己の内側に発生したさざなみを観察した。
青年にとってもっとも不可解なのは、己自身だった。自分がなにを考え、なにを思うのか。自分がなにをしたいのかを常に知りたいと思っていた。
そして、青年は発見した。
「アレクサンダー、君はむかつくやつだなあ」
「お、いいね、いいね! この世界に来てから比較的好意的な連中ばっかで不安だったんだよ! ほら、あんまり恵まれすぎてるとあとで揺り戻しが来そうな気がして不安にならねえ? 俺はそういうのをワクワクドキドキしながら待ってたんだけど、それがあんたかも?」
「悪いけど、僕は君の期待には応えないと思うよ? 期待に応えるのが大嫌いなんだ。君が僕を不幸の使者として期待するなら、僕はなにがなんでもそれに応えてはあげない」
「いい感じで歪んでるなアンタ! そういや名前は?」
「僕に名前はないよ。頭とか、僕が発足した組織名そのままに『真白なる夜』とか呼ばれることが多いかな」
「んじゃあ『シロ』だな!」
青年は思わず凍りついた。
ヘンリエッタもまた、びくりと体をすくませた。
それはすぐに、無知からうっかり口にしてしまったことだと理解できたけれど――
シロ、という呼び名は。
旧支配者という呼び名は、特にこの街の『前のかたち』を知っている者が、真白なる種族への憎悪と軽蔑を込めて呼ぶ、そういう呼び方だった。
「……あっはっは。これは君を思っての忠告なのだけれど、その呼び方だけは、やめたほうがいい。特にアジトに入ってからはね」
「なんで?」
「まあ、実際にやってみればわかるさ。人間族の君が僕らの仲間として受け入れられたいんだったら、気をつけるべきことはたくさんあるし、やってはならないこともたくさんあるけれど、その呼び方は、第一級の『やってはならないこと』だよ」
「ああ、察した。タブーをうっかり口にしちまった時のピリつきだな。でもさあ、俺は思うんだよな。言葉そのものを狩るよりも、その内側にあるモンを変えていく方が大事なんじゃねーかってさ。ま、了解だ。俺は問題を起こしたくて起こしたことは一回もねーからな。『和をもって尊しとなす』の精神の持ち主なんだぜ」
「いやあ、君はすごいよアレクサンダー。君ほど小憎たらしくて、憎たらしくて、むかついて、いらつく人は、そうそうお目にかかれない。僕はどうにも、君のことを大嫌いなようだ」
「嬉しいねえ。無関心よりよっぽどいいや」
「すごいなあ。僕は自分がこんなに感情的になることがあるんだって、感動してる。……さ、アジトに案内しようか。君、たしかに大まかな位置はわかるようだけれど、そこまでの経路を見抜く力はないようだ。僕たちが進んでいた道が順路なんだよ。ここからでないと、入れないんだ。一見近道に見えるルートの先には、分厚い壁があるんだよ」
下り階段を指し示す。
するとアレクサンダーは、予測が外れた負け惜しみ……という感じではまったくなく、不思議そうな顔をしながら、言い放った。
「壁があるなら壊せばよくね? ほら、壁はぶっ壊すためにあるようなモンじゃん?」