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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
八章 ダリウスと六人の仲間たち
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72話 鋼になった男/毒を抱いた男

 一人、また一人と壊れ始めた。


 多忙さは減じることはなく、心労は積み上がり続けたままだった。


 街の区画をそれぞれ治めるのは、真白なる種族に支配されていた時代、最下層の立場たる『迷宮夫(めいきゅうふ)』に落とされた者たちだ。

 力と、知恵と、そしてなによりも不屈の精神であの穴蔵の天井を斬り裂き、新しい世界をつかんだ英雄たちだ。


 肉体の頑健さ、知能の優秀さ。

 なにより、苦境にも耐え抜く心の強さがあった。


 ……だけれどそれは、打ち倒すべき敵がいて。

 なにより、無条件に信頼しあえる仲間がいたからだった。


 増え続ける問題。かさみ続ける人口。

 宗教を禁じた。思想を禁じた。罰則を設けた。

 仕事が減った箇所にまた仕事が入り込む。しかも、そうやって増えた仕事はみな、人の愚かさをまじまじと見せつけられるような、どうでもいい、当人同士がもう少しうまくやれば起こることさえなかったようなトラブルばかりだった。


 区画長たちはいつしか、愚かな民たちを恨み、敵視するようになっていった。


 自分たちの仕事を増やす馬鹿な者ども。努力もせず、才覚もなく、だというのに過分な権利をほしがる者ども。

 為政者の苦労も知らずにしたり顔(・・・・)で政治を語り、百人いれば九十人が思いつきそうな解決策を自分が一番最初に発見したかのように思い込み、もちろんしないだけの理由があるなどと想像もせぬまま、『なぜ、こんな単純な解決法があるのに、しないんだ』と騒ぐ馬鹿ども。


 こんな者たちのために、命懸けで革命を成し遂げたわけではなかった。


 区画長たちは自由がほしかっただけだ。

 革命を成し遂げてしまった責任から、民を導くようなポストにおさまった。けれど、そんな役割なんか求めていなかった。


 ただ、自分が抜ければ、他の区画長にしわ寄せがいくのがわかっていた。

 仲間を想い、責任を感じ、だからこそ、彼らは耐え続けて――


 ゴールのない、為政という道を歩むことに、ついに、疲れ果てた者が出てしまった。


 区画長の一人が、自殺した。


 そこに残っていた書き置きに、自分の区画はエルフの男にたくすという旨が書かれていた。

 もう疲れた。目を閉じればあの穴蔵で過ごした不自由な日々ばかりが浮かぶ。今は光のある地上に出ることができたけれど、今の生活はあのころよりずっとずっと不自由だ。

 もう休みたい。

 投げ出すことをどうか、許してくれ。


 それを皮切りに、区画長たちの唐突な引退(・・・・・)が相次いだ。


 中にはもちろん後進に立場を引き継ぐ者もあったけれど、区画長のそばで働いていた有能な者たちは、区画長という地位が負うことになる過剰なる責任と、あまりにも旨味のない人生に気づいていたから、誰もやりたがらなかった。

 やりたがるのは区画長というポストになにか特権があるのだと妄想する愚か者だけで、そういった者が区画長となった場所は、あっという間に暴動が起き、廃れ、悲惨な末路をたどった。


 気づけば、もう。

 ダリウスと、あの、エルフの男しか、残らなかった。


 ……ある日のことだ。


 ダリウスはエルフの男の自宅に呼ばれた。


 珍しいことだった。というよりも、例の出産の時を除けば、初めてだった。


 互いに忙しかったというのはもちろんあるが、あの真っ白い子供の命をダリウスが拾って育ててからというもの、お互いにみょうに距離感ができてしまい、それは縮まることがなかったのだ。


「お前と話がしたかった」


 テーブルの対面をすすめ、手ずから酒を振舞うエルフの男は、妙ににこやかだった。

 それはもちろん、普段の怜悧な表情で、怜悧な声音ではあったのだけれど、つきあいの長いダリウスには、妙な上機嫌さというか、浮かれた感じがわかった。


 まるで、革命前夜のような。


 迷宮と外とを隔てる丈夫な格子の中から、夜空を見上げたことがある。

 藍色に染まった空に散らされた真っ白いきらめきは今にも降ってきそうで、仲間たちの全員が寝静まったあと、ダリウスとエルフの男は二人で語り合っていた。


 たぶん、他愛のないことを、語り合った気がする。


 それは本当に、記憶に残るほど印象的な話題のない会話だったのだ。

 翌日に決戦を控えていて、それは失敗に終わるかもしれないという恐怖が常にあったけれど、そんなことなんか忘れてしまったように、くだらない雑談をしたのだ。


 なぜだか、急に、その時の記憶がよみがえる。


 それはきっと、エルフの男が、彼にしては珍しく、ぺらぺらと、どうでもいいような話ばかり、振ってくるからだろう。


「飲まないのか?」


 エルフの男は酒を注いだ(さかずき)を示した。


 先ほどからダリウスが杯に触れようともしないことを、不満に思っているようだった。


 だからダリウスは。

 この、他愛ない会話が終わるのを、ひどくおしみながら――


 自分が杯をとらない理由を、述べる。


「毒が入っているな」


「……」


「私の区画がほしいなら、くれてやる。お前なら、きっと、私より……俺よりも、うまく治めるだろう。きっと、民もそのほうが幸せだ。だから、くれてやる。ただし、死ぬわけにはいかない。息子を育ててからでないと、死ぬわけにはいかんのだ」


「ははは……」


 エルフの男は笑い、椅子の背もたれに体重をあずけた。


「ダリウス、どうしてお前は、なまくら(・・・・)にならない? 我らの中で、お前だけが、あのころの鋭さを保ったままだ」


「息子のおかげだろう。上の、息子だ」


「それは、お前の息子ではないだろう! 私の伴侶が産んだ! 私の子だ!」


「お前が殺そうとした子だ。俺がもうけたということになった子だ」


「……ダリウス。ああ、ダリウス! ……お前は、お前は、昔からそうだった。昔から、ずっと、そうだった。愚かなくせに。弱いくせに。物覚えだって悪い。機転も利かない。器用でもない。我ら七人の中で、もっとも、無能だった」


「そうだな」


「そのお前が、今や、もっとも強い」


「……」


「もはや我らに打ち倒すべき敵などいないというのに、いったいなにが、お前に、そこまでさせる? 教えてくれ。お前はなぜ、投げ出さない?」


「……俺は不器用で、目の前のことを懸命にやるしかできない。他のことを考えている余裕はなかった。そうしているうちに、いつの間にか、今になっていた。……慌ただしい日々の先に、気付いたら、『今日』があった。それだけだ」


 エルフの男は、喉を鳴らして笑う。


 長く長く、笑い、そして――


「これを渡す」


 ふところに入れていた、分厚い紙の束を、テーブルに載せた。


「それは?」


「現在起きている問題と、それに対する解決法をまとめたものだ。根気があり、あの愚かな民どもに親身になることができ、そして愚直にあいつらに向き合い続ける気概があるならば、きっと、役立つだろう」


「……そうか。お前も、降りるのか」


「ああ、降りる。もう、やっていられない。……なあ、ダリウス、目を閉じるとな、思い出すんだよ。あの、迷宮夫(めいきゅうふ)だったころの、暗い穴蔵での記憶」


「……」


「危険な虫などしょっちゅう出たな。そしてなにより、魔物どもだ。乏しい食料、少ない情報。常に全力でものを考えなければならないあの環境は、今と少し似ているか」


「そうかもしれない」


「でも、あのころは楽しかったな」


「……」


「あのころよりも、ずっとずっと、いい暮らしをしている。いいものを食べている。でも、返す返す、あのころが楽しかった。私の背はお前が守り、愛する人がいて、仲間たちで手をとりあって、『打倒、真白なる種族』を誓い合って……」


「そうして、俺たちは成し遂げた」


「ああ」


 エルフの男は目を閉じて――

 こらえきれないというように、血を吐いた。


 ダリウスは目を丸くする。


「!? お前、まさか……」


「落ち着け。すぐ熱くなるのがお前の悪いところだ」


「落ち着いてなどいられるものか! おい、解毒薬はあるんだろうな!? 俺の杯に入れていた毒だろう? 俺が毒をあおったなら、自分は解毒薬を飲むつもりだったのだろう!?」


「はは。すごいな。的確な状況分析ができるようになったじゃないか」


「笑っている場合か!」


「落ち着けよダリウス。座れ。座って、私の話を聞け」


「だが……!」


「頼む」


 それは。

 これ以上、食い下がれるような、声音ではなかった。


 静かな声だった。静かな目だった。

 なにより、救われたような、表情だった。


「ダリウスよ。お前はきっと、私が区画をゆずり、どこぞに隠居すればすむと思っているのだろう。なにも毒をあおって死ぬ必要はないと、そう思っているのだろう」


「そうだ」


「だがな、そうはいかない。私の寿命はな、お前たちより長いのだ。我ら長耳(エルフ)は、百年も二百年も生きるのだ」


「それが、なぜ……」


「もう、勘弁してくれ」


 泣きそうな声だった。

 くしゃりとゆがんだその表情は、親友のダリウスでさえも見たことのない、情けない、弱々しいものだった。


 言葉も出ないほど――友は、弱り切っていた。


「もう勘弁してくれ。これ以上はもう無理だ。ここは、我ら七人が勝ち取った街だ。我らが育てた街だ。我らがあの、傲慢(ごうまん)旧支配者(シロ)どもから奪い取った場所だ。我らの勝利の記念碑であり、七人の大事な大事な、思い出だ」


「そうだ。だから、俺たちが守らねばならん」


「これ以上、腐り落ちていくのを見ていられない」


「……」


「なあ、ダリウス。……私はな、あの迷宮で『文字』と『文明』を見つけた時、きっと、うまくやっていけると思ったんだ。革命成功のあとこそ、私の腕の見せ所だと、そう思ったんだよ。豊かに幸せにするために、私の知恵は役立つと、そう確信していた」


「役立ったじゃないか!」


「ああ、そうして、たくさんの『人』が、文明という甘い蜜を吸うために、むらがってきた」


 エルフの男は、頭を抱える。


「あいつらは、私たちの街を食い荒らした。私たちが大事に育てた街に問題をあふれさせ、私たちを追い詰め、殺していった。戦う気概もなく蜜だけ求め、自分より甘い蜜を吸っている者がいると見るや騒ぎ立て、問題を起こす! この街は、私たちは、あいつらに奉仕するためのものではない!」


 ――ならば、やめればよかった。


 ダリウスは己の頭に瞬間的によぎった言葉を飲み込み、一度、思案した。


『やめればよかった』

 やめられるはずがなかった。人口の流入はいつの間にか手を離れていて、もうどうしようもなかった。コントロールしようと精一杯ふんばった。けれど、それは本当に、どうにもならなかった。


『七人で共謀してこの街を捨てればよかった』

 そんなこと、できるはずがない。

 例の会議で顔を合わせる全員は、忙しさのあまり思考力を失っていた。

 それでも為政者の立場でいるほどこの街を、この場所を愛していたし――そもそも、『為政者をやめる』だなんて判断ができるほどの余裕など、とっくになかった。


『誰か心の余裕のある、賢いものにあとを託せばよかった』

 頭によぎらなかったはずがない。

 実際にやった者もいた。けれど、その結果はどうだった?

 おそらく百年二百年という単位で見ればまだまだ黎明期(れいめいき)にあるこの街は、今が一番、手探りのことが多く、忙しく、危険な時期だ。

 区画長など、見所と能力のある者はやりたがらず、なにかの特権を幻視するような後継者ではつとまらない。

 能力、熱意、それから滅私奉公の精神がないとこの区画長などつとまらず、その三つを兼ね備えた者は見当たらなかった。


『もっと人力ではなく、システムの面から誰にでも統治が適うよう政治を作り上げるべきだった』

 それはそうだ。

 可能なら、みな、やりたかっただろう。

 それらシステムを腰を据えて考える時間があれば、どれほど幸福だっただろう。

 実態は、毎日舞い込み続ける仕事を片付けるだけで手一杯で、最近になってだんだんとそういったシステム面を考慮できる余裕が出てきたけれど、少しばかり仲間の心が折れる方が早かった。


「ああ……俺たちは、どうにも(・・・・)ならなかった(・・・・・・)んだな」


「……苦しむとわかっていながら、今、この状況を続けるしかなかった。食い荒らされるこの街をながめているしかなかった。そして、私は生きている限り、そうするしかない」


「離れて、すべてを忘れて生きる道は……」


「私がこの街のことを完全に忘れられると?」


「……ない、のだな。すべて、手詰まりなのだな」


「……私の心はもう、この街から離れられんよ。離れても、気になって仕方がない。気になって、きっとまだこの街が……私たちの美しい思い出が、なにも知らない馬鹿どもに食い荒らされていると思うだろう。実際に確認しても、きっと、そうなのだろう。……もう、無理だ。この先の人生に、心が安らぐ瞬間があるとは思えない。もう、私は……」


 エルフの男は咳き込む。

 テーブルに、赤いしぶきが飛ぶ。


 ダリウスは立ち上がりかけたが――

 エルフの男が、片手で、それを制した。


「私は『人』を信じられない。連中が、この街をよくしていくとは、思えない。好き放題食いつぶしていく未来しか、見えない。……もう無理なんだよ、ダリウス。私は、ここで、終わりたい」


「……そうか」


「……思えば、あのころが一番楽しかったな。今の方が、食うものは多く、住む場所も広く、綺麗だ。でも、あのころが……ああ、ああ、そうか、そうなのか」


「どうした?」


「なあダリウス、私たちはさ『自分が生まれた時にはもう、優れているとされていたもの』を殺したいほど憎んだな」


「……ああ、『真白なる種族』か」


「うん。旧支配者(シロ)どもを憎んだ。そいつらの治世で不遇を強いられることが許せなかった。連中よりも、自分の方が優れているのだと思っていたし、連中のなすことはなにもかも間違っていると思って、否定し、革命をした。その力が私たちにあったから、革命は成った」


「そうだな」


「きっと、私たちも、そうなのだろう」


「……?」


「街に入ってきた多くの者にとって、私たちは、『私たちにとっての旧支配者』なんだ」


「……」


「そして、私たちの虐げられていた時代に、旧支配者どもに不満を持っていたのは、私たちだけではないだろう。私たちほどの――革命を成すほどの力がなくって、文句を言うしかできない者こそ、大多数だったはずだ」


「…………」


「はははは……! ひっくり返っただけで、同じことが起きているではないか! 私たちは今、私たちが殺したいほど嫌った、あいつらと同じっ……!」


「……もう、苦しむな。せめて、穏やかに逝け」


「ならば、お前が私を殺してくれ」


「……」


「私はあいつらに殺されてやるわけにはいかない。あいつらの愚かさに殺されるなどと、あってはならない。殺されるなら、お前だ。私の区画を、お前に奪われたい。私の命を、お前に奪われたい」


「俺に、お前を殺せというのか。毒をあおって、今まさに死にいくお前を」


「やってくれるな? ダリウス」


 ――説得もなにも、あったもんじゃない。


 ひどく懐かしい問い方だった。

 それは革命を志していたあのころ、エルフの男が自分に無茶振りをする時にした、問い方だった。


 親友として、無邪気に笑い合えたあのころの、問い方だった。


 そう問われれば、ダリウスは、決まって、こう答えた。


「ああ。やってやるよ。まかせろ」


 愛用の迷宮産の曲刀は、いつでも、身につけていた。

 暗殺などの危険もあったし、なにより、それがないともう落ち着かないほど、その刀剣はダリウスの一部になっていた。


 立ち上がり、抜き放つ。

 そのきらめきを見て、エルフの男が微笑んだ。


「ありがとうダリウス。私たちの、最強の、切り込み隊長」


 すぐさま、首は胴から離れた。


 エルフの男の体から、完全に力が抜けた。


 ダリウスは、その亡骸(なきがら)をながめてから、うつむく。


 ――自分は、鋼のような男と呼ばれた。


 それは必死に努力した結果だった。

 力をつけ、知識をつけ、勉強をし、感情の制御方法を学んだ。そうして鍛錬された、人型の鋼だった。


 欠けることのない、硬い硬い、かたまりだった。


 でも、今だけは、少しだけ地金をさらしてもいいだろう。


 ダリウスはうつむき、深い呼吸二回分だけ、感情を解放した。


 そうして、乱暴に目もとをぬぐった。


 顔を上げるころには、鋼のような男は、より強固な生き物となっていた。


「あとは、まかせろ。……俺が、お前たちのぶんまで斬り進むさ」


 才覚のない、普通の男は、誓うように告げた。

 ――とうに、限界だというのに。


 不器用だから人に弱みを見せられないだけで、能力がないから必死にあがくことに慣れているだけで、機転がきかないから総当たりするしかないだけで、体力があるからそれができてしまうだけの男は、また、重いものを背負った。


 足取りは重苦しい。


 その鋼の人型には、もうとっくに載せきれないほどの重さがのしかかっていた。


 それでも、鋼の人型は、歩めてしまうのだ。


 軋みながら、痛みに耐えながら、歩めてしまうのだ。


 それは、『心の強さ』という才能だった。

 血反吐を吐きながら許容量以上を背負えてしまう能力だった。

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