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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
八章 ダリウスと六人の仲間たち
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71話 慌ただしい日々

 引き取った真っ白い子供はすくすくと成長した。


 もちろんダリウスには子育てにかかりっきりになるような時間がなかった。


 考えなしと言われればそれまでだろう。

 けれど、『今まさに殺されそうな赤子』を救うという時に、一瞬で未来のことにまで思考を巡らせられるほど、ダリウスは機転のきく男ではない。


 赤ん坊の成長の陰には、女がいた。


 不器用なダリウスにも伴侶と呼ぶべき女はいたのだ。

 それはダリウスより五つ歳下の女だった。

 革命の主導者とはとても呼べないけれど、真白なる種族の支配に抗ったうちの一人であり、ダリウスたち全員にとって、あの『穴蔵』での後輩にあたる女だ。


 同じ人間族であるダリウスを兄のように慕っていた女は、革命が終わるとダリウスの区画に住まい、彼をよく補佐した。

 そうしているうちにいつしか伴侶と目されるようになり、結果として、それは事実になったのだった。


 ダリウスが真っ白い子供を引き取って最初にしたことは、伴侶に謝罪することだった。


「すまない。見限ってくれてもかまわない」


 この子供は秘して育てねばならなかった。


 なにせ真白なる種族である。

 これは違った二つの種族のあいだにまれに生まれるものであり、人間と人間のあいだにはまず生まれない。


 ダリウスはこの真っ白い赤ん坊が誰の子かを明かさなかった。

 それどころか、たいした説明もなく『自分の子だ』と述べた。


 それはダリウスなりの、エルフの男との約束の守り方だった。


 不器用で実直なダリウスが伴侶の他に女性と関係をもつはずもなかったが、『自分の胤で、自分の女に産ませた子ということにする』と述べた都合上、架空の『浮気相手』がいることにせねばならなかったのである。


 この赤ん坊を受け取った伴侶の対応は、実に冷静だった。


「事情はわかりました」それは、語っていない事情まですべてを察した、というような声音だった。「この子は、私たちの子として育てましょう」


 秘して育てねばならない都合上、手伝いを頼めないこと。

 また、赤ん坊を育てるせいで、不自由を強いること。

 いまだ実子のいない我らでは、乳の用意さえ困難であるから、そこをうまくごまかして、人にゆずってもらわねばならないこと――


 想定しうるだけの苦労を述べた。

 想定できない苦労がこの十倍も二十倍もあるだろうと述べた。

 最後に、真白なる種族のおかれている状況を述べた。とっくにわかっているだろうけれど、重ね重ね、述べた。


 伴侶はため息をついた。


「それで、私がいなかったらどうするおつもりで?」


「……それは」


「ほら見なさい。あなたはね、考えなしなんですよ。そんな様子だからいらない苦労を背負い込んで、家庭の時間も持てないのです」


「それは、その……面目ない」


「私でなければ、見捨てていますよ」


 微笑みとともに放たれた、その言葉が答えだった。

 ダリウスは深く感謝し、伴侶も赤ん坊をかわいがった。


 真白なる種族について思うところがないはずがない。

 けれど、生まれてくる赤ん坊と、かつて自分たちを虐げた白い老人たちとを分けて考えられる分別が彼女にはあった。


 こうして親の愛情を受けて育てられた赤ん坊は、最初、素直な様子を見せた。


 しかし言葉を覚えてくると、だんだんと見えない壁のようなものを作るようになった。


 そうして、実に静かに、ダリウスに対する殺意を芽生えさせ始めた。


 最初の襲撃があったのは、我が子が三歳のころだ。


 それは稚拙ではあったけれど、きちんとした殺意のある襲撃だった。

 子供のたわむれで済ませられることではなく、また、まだ『殺意があることを隠す必要』を学習していなかったその子は、ダリウスへの殺意が有ると明言し、その動機についても語った。


「いつか、ぼくを、ころすんでしょう?」


 その子がすべてを覚えているのだとダリウスはこの時に初めて知った。


 そんなつもりはないと述べるのは簡単だったが、それで説得できるほど柔軟には思えなかったし、口先で丸め込めるほど愚かにも見えなかった。


 困り果てたダリウスは否定も肯定もできず、ただ、条件をつけた。


「お前が何度私を殺そうとしても、その殺意が私にだけ向けられている限り、私は見逃そう。けれど、もし、お前の殺意が、私以外に向けられ、私以外を傷つけた場合、すぐさま私は、お前を殺すだろう。それだけ、理解してほしい」


 幼い子供は、この言い回しの意味を適切に理解した。


 賢い子だった。

 ダリウスは命を狙われているというのに、嬉しさを感じていた。


 それから数年、襲撃は断続的に続く。


 我が子が望めばあらゆる知識を与えたし、剣術なども教えた。

 もっとも、ダリウスの剣術は迷宮夫(めいきゅうふ)時代に身につけたモンスター用のもので、しかも我流だ。

 自分より大きな相手に一撃で致命傷を与えるそのスタイルは、対人用とは言えず、すぐさま我が子は自分で対人用の剣術を編み出してしまった。


 まぎれもなく、天才だった。


 いつしか本気の殺意の行き交うこの儀式は、もちろん一歩間違えば死ぬという事実は厳然として変わらないまま、親子の語らいのようになっていった。


 その歪な緊張感は、ダリウスに迷宮夫であったころを思い起こさせ、実に不思議なことに、日々に充実感を与えていった。


 伴侶も最初は我が子を止めよう、説得しようと動いていたようだが、数年であきらめた。

 むしろ、ダリウスを殺そうとする『もらってきた子』を、それでも母親のように育て続けた胆力と思考の柔軟性たるや、すさまじいものがあった。


「だって、あなたたちの親子関係は、殺し合いでしか深まらないんですもの」


 理解したって受け入れられるものでもなかろうに、伴侶は理解し、受け入れた。

 いい女だった。いい女すぎた。きっとこれ以上の女性には巡り合えないだろうという実感は、歳を経るごとに強くなっていった。


 そうして数年間は何事もなくすぎていった。


 ……人口流入とそれに伴う問題は尽きることがなく、禁止事項は会議のたびに増え、為政者が集まるたびにみなが、特にエルフの男は目に見えるほどやつれていったけれど……


 それはもう、『なにもない、いつもの日常』だった。


 ダリウスは相変わらず忙しかった。伴侶の抱えていた仕事も自分でこなすようになったのだから、忙しさが減るわけもない。

 けれど不思議なことに心に余裕ができたダリウスは家で伴侶や子と語らう時間を増やし、伴侶はダリウスとの子を身篭った。


 子は無事に生まれ、他の区画長からの祝辞もとどいた。

 子が生まれる場面に集まって祝いあえるほどの時間はみな捻出できず、できたとして、真っ白い子供が生まれたあの日が心的外傷になっていたのだろう、誰も出向くとは言わなかった。


 真っ白い我が子も弟ができたことを喜んでいるようだった。

 赤ん坊の小さな手を握る姿だけは、年相応の、少年らしさがあった。


 きっと、これを契機に、物事がよい方へと進んでいくのだろう。


 ダリウスはそんな夢を見ていた。


 その夢は、叶わなかった。

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