64話 /幸せ
討伐隊が組織された。
ヘンリエッタが案内として房から出され、夜の街を進んでいくことになった。
房に残された二人の仲間は、ヘンリエッタがよからぬことを考えていた場合、処刑されるらしい。
どうでもよかった。
……いや、どうでもよくはない。
仲間だと思っている。弟の仇討ちをともにしようという志のあった人たちだ。
どうでもいい、はずがない。
どうでもよいなんて思っていい、はずがない。
でも、どれほど考えても、どれほど理由を捻り出そうとしても、どうでもいいという結論にしかたどり着けなかった。
あの二人が死ぬことを、死んだあとの状況をなるべく克明に思い浮かべてみたりなどした。
だけれど、そのことで心が揺さぶられることもなく、みんなが重苦しい顔をするから合わせて黙ってはみるが、『早くこのいやな空気が消えてしまわないかなあ』なんて思うだけの自分がありありと描けるだけだった。
でも、悲しんでいる自分を弟がなぐさめてくれるなら、それは、嬉しいことだと思った。
そういう意味では、ともにダリウス襲撃をした彼らの死を望んでいるのかもしれない。
かもしれないというか、考えれば考えるほど、望んでいた。別にあの二人が死ななくても、なにか悲しいことがあって、弟が自分をなぐさめたり、励ましたりしてくれるなら、なんでもよかった。
まあ、残念なことに、囚われた二人の仲間が処刑されることはないだろう。
なにせヘンリエッタは弟に嘘をつく気はない。『真白なる夜』のアジトに案内するのは本当のことだ。
けれど頭はなんでも知っているような人なので、今、こうしてヘンリエッタが裏切ってアジトの場所をばらしたことも知っているかもしれない。
そうしたらアジトはどこかに移動され、裏切り者のヘンリエッタは粛清されるのかもしれない。
自分が殺されたら、弟は悲しんでくれるだろうか?
そのぐらいのショックがあれば、弟の記憶は戻るだろうか?
「……なんだよ姉さん、俺をじっと見ても、そんなにおもしろい顔はしてねーぞ」
ヘンリエッタは手首を縄で縛られて歩かされていて、その縄の先端は弟が持っている。
後ろには街の軍隊がいかめしい革と木の靴音を響かせてついてきているのだけれど、真夜中の港町を海に向けてこうして弟と歩いているのは、なんだかとても、穏やかで素敵な時間に思えた。
ヘンリエッタは微笑む。
弟は困ったような顔をした。
「あの、ほんと、なんなんだ? すまないけどマジであんたの考えがわからねーんだよ。こんなに俺を困惑させる人物がいるだなんて知ったら、イーリィのやつ喜びそうだな」
「いーりぃ」
「ああ、妹、のような、嫁、になりかけたような、姉、のような……とにかくまあ、同郷の出身だよ。俺の旅路は基本的に、聖女のあいつと神の代行者の俺で、俺たちの村の宗教を世界に広めようっていう大義名分があってさ」
「妹。アレクサンダーの妹なら、私にとっても、妹みたいなものかな」
妹ができたというのは嬉しいことだった。
一方でちょっと複雑なもやもやもあって、それはなんだろうなとヘンリエッタは首をかしげる。
「うーん、まあ、あんたの基準だとそうなるのかな。すまないけど、あんたの」
「姉さん」
「……姉さんの思考は、俺にはちょっとトレースできない」
「そのうちわかるよ。きっと、思い出せる」
「……いやーその、うん、まあ、それでいい。で、アジトってのは近いのか? 街の中心からはもうだいぶ離れてるけど、でかい街でもそろそろ南端にたどりつくだろ?」
「うん、そろそろ…………あ」
夜の闇に、白いもやの端っこを見つけた。
霧が出る。
それはゆったりと、しかし注意していない者にとってはあっというまに、行進する軍隊とアレクサンダー、そしてヘンリエッタを包み込んだ。
軍隊たちはただ霧に囲まれただけなのに、おののくような声をあげた。
「『真白なる夜』に気をつけろ! あいつらは霧にまぎれるぞ!」
あっというまに全員が背中合わせになり、大きな盾を構える陣形になった。
その陣形の中心にはアレクサンダーとヘンリエッタが入れられる。
どこから奇襲されても対応できる、その陣形。
しかし。
霧に紛れて近づく者に、軍隊の誰も、気づけなかった。
気づいたのは、ただ一人。
アレクサンダーだけだった。
「おい、危ねーぞ!」
叫ぶやいなやヘンリエッタの手首に巻き付いた縄の端を放して、背中の大剣を抜きざまに飛び上がる。
次の瞬間、真っ白くけぶる景色の中に、金属同士のぶつかる音と、火花が散った。
「おや、僕の奇襲が見えた?」
霧の中から、声がする。
それはヘンリエッタには耳慣れた声――
『真白なる夜』と組織名そのままに呼ばれる、名前のない、我らが頭だった。
声はすれども、姿が見えない。
アレクサンダーは霧の中にいる何者かと鍔迫り合いをしている。
黄色い衣をまとっていたはずで、赤い帯を巻いていたはずの、夜でも目立つ、仄暗い輝きを宿した赤と青の目を持つ青年は、けれど、その姿が、ぜんぜん見えない。
「君は見ない顔だね」霧の中に一瞬だけ、赤と青の瞳が見えた気がした。「すごい、ダリウス以外では君が初めてだよ。鋼のような色をしている」
「ああ!? ……お前もチートスキル持ちみてーだな」
「うん? 僕の視界をでたらめだと決めつけないのかな? 君は理解のあるやつのようだし、なにより、鋼一色だ。殺しかたがわからない。君の相手は面倒くさそうだなあ。やーめたっと」
アレクサンダーが前のめりに倒れ込む。
「くそ! 動きにとらえどころがねーな!」
「あっはっは。――こっちだよ、兵士さんたち」
そう言って。
いつの間にか位置を変えていた頭が、アレクサンダーではなく、兵隊に、剣を叩きつけた。
ただの短剣で、大盾を持った重武装の、しかも方陣を組んだ兵隊を殴りつける。
それだけで重武装の連中は束で吹き飛ばされ、ヘンリエッタの前に道が開いた。
「さ、帰ろうか」
頭は優しくそう言って、ヘンリエッタを肩にかつぐ。
あたりはとっくに白くけぶっている。――真白なる夜。ヘンリエッタさえ視界のきかないこの白い暗闇を、頭はすいすいと進み、兵たちを引き剥がしていく。
ヘンリエッタは、慌てて口を開いた。
「あ、あの! 弟が!」
「……?」
「アレクサンダーが、アレクサンダーを、連れて帰らないと」
頭は、しばし、黙った。
考え込んでいるようだった。けれど、考えているあいだにも、ぐんぐん進んでいる。
このままではせっかく再会できた弟とまた離れ離れになってしまう――
ヘンリエッタは暴れ、もがいて、どうにか頭の肩からおろしてもらおうとした。
けれど、
「なんだかよくわからないが、心配はいらないよ。どうやら、君の心配している彼は、ついてきているようだ」
かつがれたまま、白い霧の向こうを見る。
よおく目をこらせば、たしかにうすぼんやりと、自分たちを追ってくる影と……
「おい、待てよ!」
耳慣れた弟の声がした。
「……よかった」
ヘンリエッタは安堵する。
「なるほどなるほど。はっはっは。あれが、噂のアレクサンダーくんか。面白いねえ。愉快だねえ。この土地勘もない場所で、この霧の夜に、一人抱えているとはいえ、僕の足についてくるのか。素敵だね」
――気に入らないね。
最後の一言は、あまりにも頭の発言らしくなくって、聞き間違いかと思った。
実際、どうだったか、わからない。頭から一瞬感じた激しい感情は、すぐに消え失せて、いつもの好青年めいた声が、ヘンリエッタにはかけられた。
「まあ、君が欲する彼は、きっと僕らのアジトまでついてくると思うよ。……あっはっは。なんだかわからないが、僕らは互助会だ。君の望みなら、彼をアジトまで案内しようか」
「ありがとうございます……!」
「ただし、彼がついてこられたらね」
頭はあくまでもイタズラっぽく言って、速度を上げる。
でも、アレクサンダーはついてきた。
ずっとずっと、ついてきて、ついに、アジトまで、ついてきた。
だからよりいっそう、ヘンリエッタは運命を感じたのだ。
頭の足についてくるなんて、普通じゃない。
きっと、自分たちには、普通じゃない縁がある。
ああ――幸せを、ありがとう。
不幸なことはたくさんあったし、つらいばかりの人生だったけれど、願いが叶って、幸せです。
どうか、この幸せが続きますように。
今度こそ、弟と、ずっと一緒に、過ごせますように。
ヘンリエッタは神を知らない。
けれど、祈るという行為を無意識に行った。
七章 ヘンリエッタと弟 終