62話 /幸運のきざし
ダリウス暗殺計画――
ダリウスが一人で出歩く時間帯――発見した。
ダリウス襲撃計画――立案された。
襲撃のための武器――用意完了。
全員にモチベーションはきちんとあったし、全員に『三人がかりでたった一人を奇襲するならば、おおよその相手を殺せるだけの能力』もあった。
ヘンリエッタだけが能力的に一歩遅れていたけれど、今回は『弟の仇討ち』という名分がある。
ヘンリエッタ自身はそういった理由付けができるなら自分は熱意をもって物事に取り組み、普段からは想像がつかないぐらいの能力を発揮できると思っていた。
実際に暗殺計画実行の日になれば、指先の末端まで力が行き渡っているかのような、体と心がただただ重苦しかった日々が嘘みたいな感覚があるのを実感できた。
いける。
ダリウスを殺して。
弟の仇を討って。
そうして――お世話になったぶんを返せたならば、死ぬことができる。
『死ねば弟と同じ場所に行けるのだ』などという宗教観はこの街の者にはなかった。
宗教は徹底的に禁じられた。なにかを神格化することは街が決して許さなかった。
ただ、漠然と『死んだ先』がきっとあるのだろうなとは思っていた。死して無になるなら、説明がつかないことが多すぎる。
生者は死者の影響を強く強く受けている。
復讐を達成したのに、殺した相手にいまだに縛られている仲間がいた。
打ち据えられ死んだ我が子のことをいつまでも嘆く仲間がいた。
死者は生者の心をひっぱったり、押したりする。
だからきっと、死者はどこかにいる。見えないだけで、きっと、いる。
この復讐を弟が望んでいるならば、自分の背中を強く押してくれるはずだとヘンリエッタは思っていた。
実際、襲撃はこの上ないタイミングで決まった。
ただし。
ダリウスの異常な強さは、三人同時に迫った襲撃者のうち二人を一瞬で叩き伏せたし――
ダリウスのそばに偶然いた少年が、最後の一人を簡単に打ち据えた。
ヘンリエッタと二人の仲間たちはあっけなく囚われた。
仲間とは同じ房に入れられた。
仲間たちは唸るばかりで目覚めない。
死にはしていないし、命が失われるほどに痛めつけられているようにも見えなかったが、痛みとショックからだろう、寝込んでいるのだ。
ヘンリエッタは比較的ケガも軽かった。
自分を打ち据えた少年のことを思い出す。
真っ黒な髪に真っ黒い目の少年だ。
種族はダリウスと同じ『人間』で、身の丈ほどの大きな剣を背負っていた。
その少年は死んだ弟と同じぐらいの年齢に見えた。
もちろん見た目は似ていない。種族が違う。肌の色も髪の色も違う。なにより目が、『真白なる種族』特有のものとは全然違う。
ただ、妙に自信に満ちた顔とか、どこかやんちゃで、危険をかえりみないような危うさを感じさせる雰囲気とかが、なぜだか強烈に弟を思い出させた。
そのようなことを考えていると、房の重苦しい石扉が開かれて――
今、頭に浮かんでいた少年が、現れた。
「しゃべれそうなの、あんただけみたいだな」
少年はニカっと笑った。
ヘンリエッタは黙ったまま、少年をじっと見ている。
「ダリウスのおっさん知ってるだろ? なんか俺『一等市民』とかいうのに選ばれて……あ、俺、冒険者なんだけど、それで色々話してるうちに、なんだか『真白なる夜』って犯罪集団の撲滅に手を貸すことになったんだよ。だからアジトの場所とか尋問しに来たんだ」
少年は、まくしたてるようなしゃべり方がクセのようだった。
荒れ海の波濤を思わせる言葉の波を浴びせかけられて、ヘンリエッタはまごまごする。
少年は語った。
その無軌道な語り方は、弟のようで、だからヘンリエッタは弟にするように、少年の発言を自分にもわかるよう噛み砕いていく。
少年は仲間たちと旅をしている途中で、この街に入った。
ところが仲間の種族が多種多様で、この街には『区画』ごとに入れる種族が決まっている。
仲間たちはバラバラになってしまった。
街を出るタイミングについての相談を忘れた少年は、仲間たちを集めるために、区画に関係なく移動する資格がほしいらしい。
そして、その資格を得るためにダリウスから言い渡されたのが、『真白なる夜』の撲滅だったようだ。
……おかしい。
一等市民というのはそもそも、『種族が人間で、将来に期待が持てる若者である』という身分だ。
しかもダリウスが直接話そうと考えるぐらいの有望な少年なのだ。街に残れば政治の中枢に組み入れられるような特権階級なのだ。
ちょっとお願いすれば『仲間探しのための区画の越境』など、簡単に認められるはずだが……
しかも、街が長年手を焼いている『真白なる夜』の撲滅など、いくらなんでも条件が厳しすぎる。少なくとも、数年、あるいは十数年がかりの大仕事になるはずだ。
ダリウスがなにかしらの考えがあって、この少年を街にとどめようとしているとしか思えなかった。
でも。
自分の知らないなにかが、あるのかもしれない。
ヘンリエッタはいつものように考えた。
自分の知識上は違和感があるけれど、世間はたいてい自分より正しいのだから、そういう場合、きっと、自分が間違っているのだろう。
だからヘンリエッタは黙って少年の話を聞いていた。
それに、こうして、目を輝かせながらいろんなことを話す少年をただ見ているのが好きだった。
弟が帰ってきたような、そんな気がして、幸せな気持ちになるのだった。
「……ってなわけで、俺はさっさと『真白なる夜』を撲滅して旅を再開したいわけですよ。世界の果てが俺を待ってるからね。まあこの街の文明には満足もしてるんだけど、なんか雰囲気悪いんだよな。あとほっとけねーのが二人ぐらいいるし、さっさと合流したいってのはわりかし強い願望なわけですよ」
「…………」
「ああ、悪い。わからない単語とかあったか? 俺、異世界転生者なもんで、たまに話通じないことが……たまにじゃねーな。わりと、しょっちゅう、あるんだわ」
「異世界転生者?」
「異世界から、転生……そうか、『転生』っていう概念がないのか。あーっと……魂、わかる? 人間の肉体の中にあるとされてる、目に見えないものでさ。死ぬと魂は体を離れて、どこかに行くわけよ」
「心のこと?」
「だいたい同じかな。で、それはまあ、たまに、時間とか、空間とかを無視して、まったく違う世界に行ったりして、新しい肉体で、新しい人生を始める場合がある。その時に、普通は『前の人生の記憶』なんてものが残らないっぽいんだけど、残る場合がある。その『記憶が残ったまま異世界に転生した魂』が、今の、俺の、この体には入ってるわけですよ」
「……」
「悪いが俺は宗教について詳しくないんで、これ以上わかりやすい説明は無理だぜ。あ、いや、今は宗教家だったな。布教の旅の最中だわ」
ヘンリエッタは頭の働きが他の『真白なる種族』よりも弱いとされていたし、本人もまた、そう認めていた。
だけれど、今のアレクサンダーの、まくしたてるような、わけのわからない話は、すっと染み入るように理解できた。
あるいは。
最初から求めていた概念だったから、理解できたかのように思っただけかもしれないが――
「私と」
「あん?」
「私と、あなたが、出会ったのは、ものすごく、可能性の低いことだったと、思う」
「そうだな。世界をまたいでるし、なかなかないことだと思う」
「どうして、出会えたと思う?」
「ああ? 運命論か? それとも確率論? 哲学か数学か……まあ俺のいた世界には『袖すり合うも他生の縁』っつー言葉があってだな。無理やり説明をつけるとしたら、あんたと俺とのあいだに縁があったんだろうよ。で、それが?」
ヘンリエッタは、一つの結論にたどりついた。
弟だ。
ダリウスの襲撃失敗の一番の要因は、目の前の少年が偶然にもダリウスのそばにいたことだ。
一緒に襲撃に参加した二人ではなく、この少年が自分を止めたのは、すさまじく低い確率のすえに起こったことだ。
そして、死者は生者に影響を与える。
存在しないはずの死者が、生きている者の心を押したり引いたりすることを、ヘンリエッタは人の話から知っている。
弟だ。
弟が『転生』して、自分を止めたのだ。
だって、時間も空間も関係がないというではないか。
この、ようやく死ねると思ってダリウス襲撃に参加した自分を止めるものがあるとするならば、それは、弟以外にありえない。
長い長い、長いあいだ、『幸せ』というものを、実感できなかった。
人生にはいいこともあるのかもしれないと思えそうだったけれど、その矢先に、生きる意味そのものであった弟は死んでしまった。
でも。
救いは、あった。
目の前に、あった。
幸せになってもいいのだと、運命にささやかれた気がした。
ヘンリエッタは涙をこぼした。
「お、おい、どうしたんだよあんた」
「…………ううん」
なんとなく、自分が気づいたことを、少年に言うべきではないなと思った。
だって普通の転生は『前世の記憶が残らない』と言う。
彼を弟だと知っているのは自分だけなのだ。
ヘンリエッタはだから、まるで初対面であるかのように、少年にこうたずねた。
「私……私は、ヘンリエッタ。あなたの、名前は?」
「俺か? 俺は」
少年は戸惑った様子で、こう答えた。
――冒険者のアレクサンダーだ、と。