幕間 魔法のはじまり
幕間 魔法のはじまり
「サロモン先生よお、魔法開発しようぜ、魔法」
旅の途中にアレクサンダーがよくわからないことを言い出すのは、いつものことだった。
カグヤもだんだんわかってきた。
アレクサンダーはおかしい。
なにがまともで、なにがまともではないのか、カグヤにはそれを判断する知識も経験もない。
けれど、人は食べなくてはならないし、眠らなくてはならない。
この旅に同行する全員がそうだ。
でも、アレクサンダーは違う。だから、アレクサンダーはおかしい。
人は疲れれば無口にもなるし、不機嫌にもなる。
旅暮らしではよく『疲れる』状態になって、そういう時には、こわいというか、息苦しいというか、そういう雰囲気が立ち込める。
でも、アレクサンダーだけは、いつだって楽しそうで、なんだって嬉しそうだ。
だから、アレクサンダーはおかしい。
カグヤはだんだんわかってきた。
おかしいというのは、少数派であるという意味だ。
多数派の自分たちとは違う、という意味だ。
だから、ここにいる五人――アレクサンダー、イーリィ、サロモン、ダヴィッド、そして自分は、みんな『おかしい』。
この中にあって、アレクサンダーは、それでも、『おかしい』。
深い森の中を分け入って進んでいる。
あたりは妙に蒸し暑い。
時期柄なのか、土地柄なのか、食べるものも少なかった。
あるのは虫か、たまに鳥ぐらいなものだ。
人がいないあたりだからか、モンスターだって出やしない。
退屈だった。不安だった。
サロモンはずっと機嫌が悪いし、ダヴィッドもだいたい怒っているけれど、常に人の顔色をうかがうところがあって、雰囲気が悪いと笑って話を始めるイーリィだって、今は無口になっている。
でも、アレクサンダーだけは、違った。
うっとおしそうにするサロモンの脇腹を小突きながら、いつもみたいに、まくしたてる。
「種火おこしとかさ、食べ物のちょっとした冷却とかさ、魔法っていうのがそんな程度なのは、あんまりにもつまらなくねぇか?」
「……」
サロモンは黙ってアレクサンダーをにらんでいた。
背が高くて顔つきの険しいサロモンがそういう顔をすると、自分がにらまれていなくてもこわい。
でも、アレクサンダーは気にしない。雰囲気や相手の機嫌を読まない。読めないのではなく、読まない。
「お前は今、この森がウゼェと思っている」
サロモンが目を細めた。
その通りだ、だから余計にうざい話をして苛立たせるな――というメッセージが込められているに違いなかった。
でも、目で訴えたところで、アレクサンダーは止まらない。
「水場がなかなか見当たらない。食うものも全然ない。『ああ、ひょっとして、自分たちの旅は、こんなつまらないところで、飢え渇いて死ぬだなんて、つまらない理由で、終わってしまうのか?』『せめて水ぐらいないと、この小うるさいアレクサンダーに黙れと言うことさえかなわない』――そう思ってるんじゃないか?」
「……」
そろそろサロモンの眉根に寄ったシワの深さがまずい。
葉っぱぐらいなら挟めそうになってきた。
そのサロモンに、アレクサンダーが、ささやきかけるように告げる。
「もし、なにもないところから水を生み出す方法があると言ったら?」
「……馬鹿話も大概にしろ」
「おいおいサロモン先生! あんたも存外頭が固い男だな! 馬鹿みてーなことして馬鹿みてーな事件ばっかり起こしてきたのが俺らだろうが!」
「それでも、常識というものがある。なにもないところから水を生み出す? 不可能だ。アレクサンダー、貴様の話は愉快だが、それも時と場合による。そういう冗談は水場の近くでやれ。だいたい――そんなことができるならば、なぜ、最初からそう言わん」
「そりゃあ、お前が、俺の話を信じないからだよ。今みたいに」
「……」
「いいかサロモン、お前はすでに知ってるだろ? 人は、必要がないと真剣にならねーんだよ。水のある状況で、水を生み出すだなんて与太話、耳を傾けようと思うか? 『いつかきっと必要になる』で人は奇跡を信じない。奇跡を信じる時っていうのは、奇跡を待ち望んでるか、それを奇跡だと思ってないかどっちかだ」
「与太話と自分で言っているではないか!」
「そうだよ。水を生み出す? 無理無理! できっこない! たぶん、史上誰もそんな奇跡を起こしたことはないだろうぜ」
「アレクサンダー、貴様は……!」
「だから、お前がやるんだよ」
「……なに?」
「世界で初めて、お前がやるんだ。――世界初の魔法をお前が、使うんだよ」
サロモンが立ち止まる。
全員が、自然と立ち止まった。
みんなの視線がアレクサンダーに向いている。
それを待っていたかのように、アレクサンダーは、全員をぐるりと視線で一周してから、話を続けた。
「そもそも、『魔法』がなにか、わかるか?」
わかる。
けれど、アレクサンダーの言おうとしていることは、わからない。
だから誰も口を挟まなかった。
「『種火をおこすぐらいなら、まあ、できるだろう』『ちょっとした食物の冷却ぐらいなら、充分に可能だろう』『なにせ、親も、父祖もやっていた』『みんなやってる』『だから、自分にもできる』――それが魔法の正体だ」
「それではただの思い込みではないか」
サロモンが不機嫌そうに述べる。
アレクサンダーがニカっと笑う。
「そう、思い込みだ」
「……」
「いいか、俺はな、魔法がない世界から来た。俺のいた世界では、魔法の代わりに科学があった。火がつくのは燃焼が起きているからだ。ものが冷えるのは熱量交換が起きているからだ。でも、この世界はそんなに不自由じゃない。お前らが冷えろと思ったものを冷やせるのは、俺からすれば奇跡なんだよ」
だからこそ、この魔法を使えない体は俺の依代たりえたのかもな――
アレクサンダーはなんとなく思いついたから、という様子でつぶやいて、
「お前たちは自覚がないだけで、すでに奇跡を起こしてる。自覚的な連中もいるだろう。イーリィの治癒も、ダヴィッドの錬金術も、カグヤの予言も……みんな、説明のつかない力だ」
そこで、サロモンを見て、
「お前にもある。『魔力無限』っていう、他の連中と違って自覚の難しい力がな。それをもってすれば、俺らの誰より、ずっとずっと、奇跡を起こしやすい」
「……」
「あとさあ、俺の思う『魔法』だけど、別に、水を生み出すとか、そういう、暮らしを便利にするのがメイン用途じゃないんだぜ」
魔法というのは、生活を便利にするための力のはずだ。
でも、アレクサンダーは言う。
「でっかい火の玉を生み出して敵にぶつける! 氷を固めた槍を作り出してモンスターを串刺しにする! アースクエイク! お前たちは知ってるか? 大地さえも揺らしてしまう、すさまじい力が世界にはあるんだぜ。それを、サロモンなら、やれるはずだ。世界で、初めて」
「……」
サロモンがだんだん乗り気になってきているのがわかった。
あの髪も外套も長い、耳のとがった男は、気分が盛り上がってきた時にちょっとだけ体が前にかたむくクセがある。
「水を生み出すなんてのはな、その初歩の初歩なんだよ。『より、ありえない現象』をこの世界に実現させるための、入門編にしかすぎない。なにせ、ここは蒸し暑い。わかるか? 湿度が高いんだ。大気中に大量の水分があるんだよ。無から生み出せるわけがないとお前は思っているだろうけど、無からじゃねーんだ。大気中の水分を一か所にまとめる、それだけでいい。簡単だろ?」
そういうふうに言われると、ぐっと簡単そうに思えるから不思議だ。
サロモンも同じように感じたらしい。
「ふん。まあ、よかろう。戯れに、挑んでやる」
……アレクサンダーは、人をのせるのがうまい。
カグヤでは、それでもまだ『無理だ』と思ってしまう。
たぶん、イーリィも同じく、できるわけがないと考えるだろう。
ダヴィッドはまだよくわからない。でも、あまのじゃくなところがあるから、のせられてると感じたら、のせられた通りにはしたくないと思うかもしれない。
今のアレクサンダーの言葉で説得されるのは、この中で、サロモンだけだ。
サロモンだけが、のせられて、奇跡に挑む気概を見せる――そういう、一人を狙い撃ちにした、説得だった。
アレクサンダーは笑う。
「ここが魔法の始まりだ。そうしてお前が魔法使いの始祖だ。なぁに、自転車といっしょさ。コツをつかむまではかかるかも知れねーが、コツさえつかんだら一瞬だ。そしてお前が実際にやってのけたなら、あとから何百人、何千人、何万人が続いていくんだ。未来の連中に格好いい背中を見せてやろうぜ。摸倣したくなるオリジナルをお前が生み出すんだ。はじまりの魔法使い、その名はサロモンだ」
そうして、魔法の練習が始まった。
蒸し暑い森の中を進む旅はしばらく続いて、サロモンはなかなか魔法を使えなかった。
でも、二人が一日中わいわいやっていると、みんなそこに混じって、ああでもない、こうでもないと知恵やアイデアを持ち寄るようになって、旅の雰囲気はよくなった。
サロモンが初めて水を生み出すことに成功した時はみんなで喜びあったし、それより少し前にイーリィができてしまってるのをカグヤは見つけてしまったから、サロモンの初成功の時には喜ぶ一方、二人で目配せをして、『黙っておこう』とうなずいたりもした。
たぶんこれは、天井から投げ入れられた『もらってもいいもの』のうち一つなのだろう。
あの日、空から降ってきたアレクサンダーが自分にくれた、数ある大事なことのうち、一つ。
世界に初めて『魔法』が生まれた、その日の感動と興奮を、アレクサンダーから与えられた時の話。
幕間 魔法のはじまり 終