49話 その職人の名は
親の意志を継ぐ。
人命を守りたいという想いがある。
集落の未来を考えている。
運命という大きなうねりの中で、自分がそういう役割を背負ったのだという確信がある。
ある日、犠牲になる無辜の者を見て、正義の怒りが湧き上がった。あのドラゴンを倒さねばならないと、そういう気持ちが、燃えたぎった。
――だなんて。
そんな立派なものがあったら、どんなによかったか。
「アタシは、ただ、あのクソトカゲが許せねェんだ」
それは怒りでさえなかった。
あれを許してしまうことができないだけなのだ。
許してしまったら、自分の人生が無意味なものになってしまうから、それがおそろしくて許すことができないという、そんな程度の理由なのだった。
あるのは正義ではなく、使命感でもなく、思考でもなく、大義でもなく、意思でさえない。
虚無をおそれる心。
恐怖に突き動かされて、ダヴィッドはドラゴンを倒そうという気持ちを捨て去れない。
「あのトカゲを許せねェ気持ちを捨てたら、アタシはアタシじゃいられなくなる。だから、これは全部アタシのわがままだ」
言葉にすればするほど、村人たちを説得できそうな感触が遠のいていった。
これなら部外者のアレクサンダーが、理でさとしてくれたほうが、まだ勝算がある気がする。
本当に、ここまでするほどのことだったのか?
村の生活を一変させてまで為すべきほどのことなのか?
たえず襲いくる自問へ、答えは返せない。
いや、返したい答えがない。
だって、絶対に、村のみんなを巻き込んでまですることではないのだから。
そうやって納得して、みんな、大人になっていったのだろう。
かつて飛び道具を作ろうとした者がいなかったはずがない。
あのドラゴンに大事なものを奪われて、復讐の念に駆られた者も、いなかったはずがない。
でも、みんな、大人になったか、大人にされてしまったのだ。
挑戦より安寧を。変化より安定を。願望より大多数の幸福を。そういう大人に、されてしまったのだろう。
あるいは子供のまま、死んだのだろう。
無謀な挑戦をして、火炎にまかれて死んだ者も、いたのだろう。
覚悟。技術。タイミング。
どれか一つでも足らなければ、ドラゴンを倒すことはできない。
そして今、そのうち二つがそろっている。
アレクサンダーの発想を具現化する、ダヴィッド自身の能力。
力のある来訪者たちにより、村の天蓋をまるまる使用できるかもしれないチャンス。
だからあとは覚悟だけで、ダヴィッドは、話しながら、自分の中にそれを探している。
「アタシのわがままに快く付き合ってくれだなんて、そんなのが通らねェことは、わかってんだよ。村の誇りであり歴史である天蓋をぶっ壊して、馬鹿な夢に懸けてくれだなんて、そんなモンが認められねェことぐらいは、知ってんだ」
ダヴィッドは、己の分を知っていた。
名前さえつけられなかった生誕。
会話もなかった父。
村の中に居場所がなかった。
……作ってくれようとした人たちがいたのは知っている。でも、なじめる気がせず、自分から逃げ出してしまった。
自分で自分を認められない人生を送ってきた。
これからもきっと、永遠に自分を認めずに生きていくのだろう。
だから、自分なんかのために、人に大事なものを賭けろとは言えない。
話せば話すほど、考えれば考えるほど沈んでいく心。
それでも。
……ああ、自分の価値を認められなくっても、相手の価値を認めていても、村の歴史を重く見ていても、どうしたって、あきらめきれないものを、見つけた。
「アタシは馬鹿なことがしてェ」
思い描いたものを現実に表現すことだけを、ひたすらにやり続けてきた。
作品作り。
ダヴィッドは無意識下で思っていたのだ。
自分に価値がなくっても。
自分の生み出すものの価値だけは、おとしめることができない。
「史上類を見ない作品のアイデアがある。アタシの力なら、それを実現できる。でも、そのためには、莫大な量の素材が必要だ。……あきらめるべきなんだろう。巻き込むべきじゃねェんだろう。でも、描いたモノを作れない人生なんざ、アタシにとっちゃ死んでるのとおんなじだ」
だからきっと、この主張はいつものアレだ。
「アタシは、死にたくねェ」
創造のない人生など、死と同じだ。
ダヴィッドは鋼を打たない。けれど生み出すことは彼女の人生そのものだ。
名前さえ与えられなかった彼女が、唯一、言葉ではなく背中で、親から教えられたことだ。
自分の価値を認められない彼女が唯一認める、価値ある行為だ。
「アタシの延命に協力してくれ。あのクソトカゲを殺す、とっておきの作品がある。それを実現するために、村の歴史をゆずってくれ。……頼む」
それはまったく非論理的で、なんら利益を示すものではなかった。
やっていることは強盗であり略奪だ。『お前らの生活をぶっ壊すから、そのための投資をしてくれ』という話なのだった。
けれどそれはどうやら、利益でも理屈でもない部分を刺激したらしい。
「あの『ダヴィッド』が、史上類を見ないとまで言う作品を作るんなら、しょうがねェな」
その信頼は、彼女の作り上げたものではなかった。
高い技術で革新的なものを作り続けた、彼女の父親と……
そして、方法こそ鍛冶ではなかったが、その名に恥じない作品を生み出し続けた彼女と、二人で作り上げた、二世代ぶんの、信頼だった。




