36話 /かくも明るい不毛の荒野
サロモンの敗北はジルベールにとってどうでもいいことだった。
重要なのは自分たちではない。二者の納得だ。そこに他人の介在する余地はない。
まあしかし食料を差し出す約束を勝手に取り付けられたので、その点については怒らねばならないだろうけれど、それだって旅立つ弟への餞別と思えば、大して気になるものでもない。
だが、しかし。
村を守る壁をぶちこわしたのは、さすがにダメだった。
「ゆずるとかゆずらないとかじゃなくてね!? サロモンお前! なに勝手に食糧をやるとか約束してんだよ!? あと壁ェ! どうすんだコレ!? モンスター来たらどうすんだよコレェ!!」
自分がこんなに怒りにまかせて叫ぶことができるというのは本当に意外で、ジルベールは叫びながらおどろいていた。
けれどサロモンは涼しい顔をして、聞いているんだか聞いていないんだか、たまに意味のわからない相づちを打つばかりだ。
そうなると怒りにまかせた文句はだんだんヒートアップしてきて、もはや天井などないかのように早口になり、声は高くなり、大きくなる。
村を守る壁は物見やぐらも兼ねていたもので、これにより、モンスターの襲来を防ぐ大事な役割を持つものだった。
それが『そうはならんだろ』という不自然な壊れ方をした――まあ壊したのはアレクサンダーの剣なのだけれど、やっぱりジルベールの怒りは真っ先に弟へと向いてしまうのだった。
「……ふっ。ちょうど良い。この村は我には狭すぎると思っていた」
「ちょうどよくねェんだよォ! 防衛設備なの! わかる!? モンスターに攻め入られないためにこの壁必要なの! ねえ、わかる!?」
弟は怒られなれていた。
なにを言っても本当に言葉がとどいている感触がない。
空転を繰り返す言葉を重ねているうちに、だんだんと体力のほうが尽きてきて、ジルベールは周囲の『えっ、ジルベールさん、あんな怒鳴るんだ』という顔をようやく認識しつつ、ぜえはあと息をついて、いったん怒るのをやめざるを得なかった。
そのタイミングを見計らったかのように、アレクサンダーが近づいてくる。
「よお、そこのあんた。名前は?」
「…………ジルベール…………」
「ジルベールか。村の壁壊してごめんね」
体力切れで尽きかけていた怒りが再燃した。
謝罪が軽すぎる。
いや、重く謝られたところでやったことは変わらないのだが、この軽い謝罪の裏に『もうちょっと挑発しておこう』という意図が透けて見えて、それに対してムカっときたのだ。
けれどこの男のことを全然知らないジルベールは、上手に怒ることができない。
しまいには自分たちの民族の歴史など持ちだしてどうにか相手をやりこめようとまでしたのだけれど(そんなの今までやったことない)、アレクサンダーはのらりくらりと、こちらの怒りを封じ込めてしまう。
口で勝つのは絶対に不可能だ。
そう悟り、力をなくしたところで、アレクサンダーは本題に入ったようだった。
「なあ、壁を壊したお詫びになるかわかんないけど、俺はこのあたり一帯のモンスターを全部倒してから、西へ向かう」
「西? そこに、なにがあるのだ?」
「世界の果てがある! ……かもしれない」
「……なんだそれは」
「よくわかんないけどさ。この世界が丸いのか、平たいのか、あるいは世界でさえないのか、それを俺は確かめたい」
「なんのために?」
「ワクワクするから」
絶句したのは、やはり、その思考に理解が及ばなかったからだ。
それともう一つ。……ああ、この男はきっと、サロモンと同じ価値観を共有できるなと、今まで予感していたことが、確信に変わったからだった。
そして、こいつらにとって価値ある場所にならないと、サロモンの戻る村にすることはできない。
目的なく、ただ進むことのできる連中が、価値を感じる、村。
想像もつかない。
というかそれはもはや『村』ではない気がする。
ジルベールは――したくないと思っても――先々のことを考えてしまうクセがあった。
そのクセによって、今の長老から村をもぎとることはできるか? と考える。
それはきっと不可能だろう。
少なくとも穏便な手段を用いては、絶対に無理だ。
今は混乱しているから、長老への宣戦布告もなあなあですんでいる。
けれど遠からず長老への宣戦布告が問題視されて、自分は村を追い出される。混乱に乗じてサロモンたちに勝手に食料を分けたことなど、反感をかうだろう。
ならば、自分も村を出ようと思った。
一人で出ても意味はない。それでは『場所』を作ることがかなわない。
やはり自分の目的は『場所』作りなのだ。
弟のような、価値観の異なる者が『まあいてもいいかな』と思えるような居場所を、作りたいのだ。
ではどのような方策が現実的なのか?
村を割る。
サロモンの闘いぶりを見て、胸に沸き立つものを感じた者もいるはずだ。
あのはぐれ者のサロモンが旅に出られるなら、俺だって――そう思う若者もいるだろう。その無根拠で自信過剰な、若者らしい向こう見ずさを、大事にしたい。
そういった若者を引き連れて村を出るのだ。そういった若者たちで、村を作るのだ。
夢を見ることを思い出した者たちの村。
その野望は自分らしくないな、と思った。
でも、野望を持つのは悪くないな、と思った。
周囲をうかがって生きてきただけの自分が、目的を持って行動を始めようとする。
と、『できる』気がするのだ。……わかっている。それは幻想だろう。現実はそううまくいかないだろう。困難に心折れるだろう。
壁を壊した先に広がっている景色は、不毛の荒野かもしれない。
今までのジルベールは、不毛の荒野である可能性をおそれて、なにも行動できなかった。
でも、今は不思議な気持ちだ。たとえ不毛の荒野であろうとも、自分が開拓するのだ、という、根拠のない自信が――自信でさえない、夢が、あふれて止まらない。
だから、熱心に旅を語るアレクサンダーに、言う。
「新しい獲物はきっと、西にいるのだろう?」
ジルベールは笑った。
アレクサンダーも笑った。
「じゃあなジルベール。西で」
「ああ、西で、また会おう」
アレクサンダーは去って行く。
弟とともに、去って行く。
……ジルベールの闘いは、これからだ。
長老衆を説得するような動きをしつつ、若い者を勧誘して派閥を作り、それらを連れて旅立って、新たなる村を作る。
熱意が続くのはどのぐらいだろうか。集団を動かすにはどうすればいいだろうか。長老衆はなにをしかけてくるだろうか。
考えれば考えるほど問題は山積みで、けれどそのすべてに自分は対応できるだろうという確信があった。
夢が自分を動かしている。
あれほど不安だった『今、ここ』ではない景色には、明るい未来が待っているような、そんな気がした。
四章 狩人たちと不毛の荒野 終
次回更新 8月15日(来週土曜)朝10時