34話 本気を出すに能うもの/頭の痛い出会い
最後だから、お前も一度ぐらい、私の指揮のもとで戦ってくれ。
弟にそう頼んで、弟が珍しく承諾したのを、ジルベールはこのあと二百年ほど後悔し続けることになる。
その日の出会いは弟の人生をまったく変えてしまった。
下手すると、世界の命運ぐらいは変えてしまったのかもしれない、出会ってはいけない二名を出会わせてしまう行為だったのだ。
二人は目を合わせた瞬間に通じ合ったようだ。
サロモン。
それから、接近者のうち一人。幼い少年にしか見えない、しかし、サロモンより年上だったことがのちにわかる、黒髪の人間。
アレクサンダー。
……全員が、アレクサンダーを見て、それから、サロモンを見た。
それほどまでに、二人の印象は似ていた。人種が違うし、顔立ちがまったく違うし、体格も全然違うのに、サロモンの血縁かと思うほど、似ていた。
『外れている』感じがする、というのか。
これがまったくひどい言いぐさになってしまうのだけれど、二人の共通点は『協調性がなさそうなところ』だった。
しかもひどく、協調性がなさそうなのだ。
実際、アレクサンダーのほうも同行している女性に色々注意されつつ無視して近寄ってきたし、そこに浮かべる表情は、こちらを見ているのに、こちらを全然見ていなかった。
この『声のとどかない感じ』は実際に協調性のない者と接したことがないとわかりにくいのだけれど、ジルベールにはよくわかった。
顔だけで『あいつは自分の世界でしか生きていない』とわからせる雰囲気を醸し出していたのだ。
サロモンにこれ以上近づかせてはならない。
ジルベールがとっさに叫んだのは、そういった危機感からだった。
「止まれ! それ以上近付くと、害意ありと見なすぞ!」
かなりの敵意を秘めて黒髪の少年に告げるのだけれど、その少年は全然聞いている様子がなかった。
ニヤニヤとしながら値踏みするようにこちらを見て、意味のわからないことをつぶやくだけだ。
「警告はした! 言葉が通じない者、モンスターとみなす!」
とはいえ、殺す気はなかった。
斉射を命じるが、手の合図で全員に『威嚇』だと伝えた。
回避動作をとられれば命中するかもしれないが、通常の人類はこの距離で射られた矢に対し回避動作をとることさえできないはずだ。村の者の矢は、それほどの速度で飛ぶ。
ところがこの合図が通じていない者が一人いて、それはサロモンだった。
涼しい顔をしたまま、サロモンの矢だけがまっすぐに接近者の胸を射貫こうとうなりをあげる。
ジルベールはといえば、思わず『サロモン!』と叫びかけた。だから合同での訓練に参加しろとあれほど……!
その必殺の矢を、アレクサンダーは、弾いてしまった。
背負った大きな金属塊……おそらく剣……を一振りして、その風圧で威嚇の矢を、剣自体でサロモンの矢を弾き落とす。
横目に見たサロモンの雰囲気があからさまに変わっている。
目が輝いているというか、うずうずしているというか。今は『おどろき』が強そうだけれど、もう一つぐらい、なにかきっかけがあれば、きっとすぐ飛び出していくだろう危うさを感じさせた。
この状況でたった一人飛び出せば、人質とされかねない。
アレクサンダーの叫びによれば、彼らは食料を求めて来たのだという。
渡すほどの食料はないが、村人は村人を見捨てない。それゆえに人質というのは有効な手段で、そうなる危険性を冒してまで相手に接近する者など誰もいないのは常識だった。
だからこれ以上サロモンを刺激してくれるな――ジルベールの抱いた願いは、しかし、全然誰にもとどかなかった。
「でもさ、あんたらも、そんなとこに閉じこもってて、もったいないと思わないのか? あんたらぐらいの弓の腕があれば、もうちょっと活動圏を広げられるだろうに。特に、そこの髪の長いあんた」
アレクサンダーはサロモンを見ていた。
サロモンが、アレクサンダーをまっすぐに見た。
まずい。
アレクサンダーから言葉がかけられる。
彼はサロモンの弓の腕を褒めて鬱屈していた自尊心を刺激し、村暮らしの退屈さを見てきたように言い当てて飛びだそうと言う。
さらに重ねてサロモンの実力を褒めて(一矢でそこまでわかるものでもなかろうに)、こんな場所でくすぶっているのはもったいない、もったいないと連呼する。
まずい。
どうやらアレクサンダーは人の心を刺激する方法を知っているようだった。
サロモンを狙い撃って放たれた言葉は、的確に弟の刺激してはならない部分を刺激している。
けれどサロモンは耐えている。
彼の中でどのような感情がせめぎ合っているのだろうか。たぶんあのプライドの高い男のことだから、『飛び出したい』と『相手に誘導された感じになるのが嫌だ』が拮抗しているのだろうか。
それとも他の――
ジルベールが考えている。
サロモンがすっと重心を前にかたむけた。
やる気だ。
そう確信して、つい、叫んでしまった。
「耳を貸すなサロモン!」
――その注意は、弟にとって逆効果になることを、充分に知っていたのに。
耐えられなかった。
サロモンは一瞬だけこちらを見て、笑う。
それはここ数年見ることのなかった、晴れやかで、凶悪な笑顔だった。
サロモンがみはりやぐらから飛び降りて、アレクサンダーと同じ地平に立った。
「ああああああ……! この……この……! どうしてだ、どうしてお前は……!」
弟の協調性のなさは知っていたが、集団行動をとらせるとここまで際立つものだとは!
恥ずかしいやら困惑するやらで、どうしていいかわからない。
どうしてあそこまで『集団』というものをかえりみずに行動できるのだろう?
ジルベールには絶対無理だった。『ここでこういう行動をとったら周囲はどう思うだろう?』というのはジルベールの頭につねにうずまいていることで、いつもその、無言の要請というか、想像の中の集団の心理というか、そういったものを念頭において行動していた。
ところがサロモンは、そんなもの、気にも留めないのだ。
――自分が大事にしていた『何か』が、ガラガラと崩れていく感覚があった。
ああ、それは、きっと、自分以外の多くも大事にしていた『何か』なのに、サロモンにとっては一顧だにする価値さえない、ゴミ同然のものなのだ。
サロモンはアレクサンダーに弓を向ける。
「……面白いものならば、目の前に、ある」
どうやら戦う気らしい。
どうしてそうなるのかはわからないが、サロモンが飛び降りる前にしていた沈黙は、『どうやって闘いに運ぼうか』を思案する時間だったようだ。
頭が痛い。
弟の思考が一切理解できない。
しかし、アレクサンダーにはわかるものがあったようで、彼は楽しげに笑って、大剣を構える。
「高所の優位を捨て、遠距離の優位を捨て、壁の優位を捨て、俺とおんなじ地平に立ってもらったところで申し訳ないんだが――俺にはあんたと戦う理由がないんだけど?」
「……我に勝てたら食糧をやろう」
「サロモン!? おい!」
呼びかけはとどくはずがなかった。
二人はもう、二人だけの世界にいる。
見ればアレクサンダーの背後にいる女性も頭を抱えて嘆いていて、妙なシンパシーを感じる。
「……さあ、面白いことを、やろう。――闘争だ、強敵よ!」
周囲の者の困惑と嘆きを意にも介さず、サロモンが、攻撃を開始した。




