33話 /最後の機会
警備隊長として羽根飾りを長老から賜ったその日、村は歓声に包まれた。
あまりにも若い抜擢だった。
村の人口が減ってきたことは無関係ではなかっただろうが、ジルベールは同世代、上の世代、そして下の世代までふくめて、その誰よりも優秀で、村の警備を任せるに足るという評価を、全員から受けたのだ。
ただ一人――弟を除いた、全員から。
本来、この役割を賜るべきは弟だった。
なぜなら警備隊長の第一の資質は『強さ』なのだ。
強さにおいて、この村でサロモンに並ぶ者はいない。
けれどいつからか、弟は『いないもの』となってしまった。
村のみなが、彼を無視している。彼を扱わないでいる。
そんなものを身内に抱えていることが、なぜだかよい方に作用し、ジルベールには同情的な評価が集まったのだった。
それはまぎれもなく、彼のまじめで分け隔てなく、和をたっとぶ気質に起因しただろう。
決まり事をゆるがせにしない杓子定規なところも散見されたが、そのあたりが特に、長老衆からの受けがよかった。
サロモンは意外にも約束を守った。
長すぎる髪はけっきょく切らなかった。
長すぎる外套もそのままだった。
けれど、この日まで、村にいて、今、みながわく広場の中で、一人だけ、眉間に深いシワを刻みながらも、そこに、いてくれる。
単独行動癖もなおらなかった。
協調性もなかった。
なにより、そんなサロモンに、もう、誰も、なにも、言わなかった。
彼が出て行くのはしょうがないことだったのかもしれない。
このままでは、いくらジルベールが警備隊長として慕われていても、その権利をもってサロモンを人の輪に戻すことは難しかっただろう。
時代が悪くて、それはジルベールにはどうしようもなかった。
だって、時代なんていう大きなものをどうにかできるほど、ジルベールは強くない。
ジルベールは優秀だった。けれど、普通に優秀だっただけだ。サロモンほどの、ともすれば異常性とも呼べるほどの優秀さはなかった。人の輪にあって、人に理解される程度の才覚しかなかったのだった。
弟がいなくなれば、きっと、村は今まで以上に平穏となるだろう。
平穏をそのまま守り続けるのは、ジルベールの得意とするところだった。
警備隊長はゆくゆく長老衆に入り、大きな発言力で村を指導していく立場になる。ジルベール自身そうやって現在の治世を維持していくのに向いていると思っていたし、きっと、村のみながそう思って、ジルベールをたたえているのだろう。
それはそれで得がたい才能ではあると、自負しているけれど――
――古い因習は窮屈で、それを破った時に、新しい景色が見える気はする。
自分の言葉が、胸を刺す。
その先の荒野をおそれていた。その先にあるのは荒野だとは限らないのに、荒野である可能性を消し去れないから、おそれていた。
……ようするに、力不足で、勇気不足なのだ。
弟の異常なる強さを活かす場所を作るほどの勇気がなかった。気概が、なかった。
だからこの場所の窮屈さに耐えかねて、弟は去って行く。
サロモンがじっとこちらを見ている。
彼のそばには、小さな荷物がある。
もう行くぞ、と弟の鋭い視線が告げていた。
ジルベールはもはや、彼を引き留める手段を持たない。
それでもなにか、なにかあるのではないか。サロモン、声に出さず口に出す。弟がピクリととがった耳を揺らして言葉を待っている。だが、そう長くは待ってくれまい。
どうしよう、なにをしたらいいのだろうか。そもそも、自分はここまで弟を引き留めて、なにがしたかったのか。
――安寧という柵に囲まれた世界を打ち崩すほどの勇気がない。
ああ、ようやくわかった。サロモンは勇気だった。サロモンにないものは、自分が持っている。自分にないものは、サロモンが持っている。
この先きっと、自分は順調に生きていく気がする。因習を守り、長老衆の覚えめでたく、将来、権力の座につくことを約束され、生きていく気がする。
その道しか、ない、気がする。
それは誰もがうらやむ安寧だった。けれど、ジルベールは望んでいなかった。本音を言えば、安寧をぶちこわして新しい風を取り入れたい。けれどそんな勇気がない。
サロモンという不確定要素が村から排除されてしまえば、永遠に、そんな機会もない。
「待っ――」
ジルベールは考えなしに弟を止める言葉を口にしようとした。
それは彼が人生で初めて発揮した、『勝算のない可能性に賭ける勇気』だったのかもしれない。
けれど、その言葉が最後までつむがれることはなかった。
「敵襲!」
物見から声がする。
「耳の短い者、獣のような耳を生やした者、合計三名が村へ接近!」
よく通る声。
警鐘。
……のちに思えば、それはあまりに過敏な反応だったように思う。
『歩き』の子が帰ってきただけかもしれないのに。そこまで過剰に反応する必要があったのかと、疑問に思う。
けれど、見た瞬間に直感する。
この物見の過剰反応は、正しかった。
人種ではない。髪や肌の色でもない。
見ただけで危機感を覚えるような――その雰囲気を、村の者たちは知っていた。
接近者は、サロモンに似ていたのだ。
見た目ではなくって、中身、というか、雰囲気、というか。
サロモンと長く接し、それを腫れ物のように扱ってきた村人たちだからこそわかる、『やらかしそうな雰囲気』を持って、そいつは村に、近寄ってきたのだった。