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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
四章 狩人たちと不毛の荒野
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32話 もはや語る価値もないもの/せめて、あと少しだけは

 その日『歩き』に出されたのは五名の女で、そのどれもが仕事の精度において同年代で下から数えたほうが早い者ども――というよりも、下から五名だった。


 旅立つ女たちの表情は様々だが、最近はそれもほぼ『恐怖』『絶望』で染まっているように思える。


 それはそうだろう。かつては帰ってくる者の多かった『歩き』は、近年、戻ってくる者のほうが少数になってしまったようなのだ。

 サロモンが産まれてからは一人しか戻ってきていない。それも、百年前に『歩き』に出た者が、一人きり。

 通例、十年か二十年ほどで戻ってくる『歩き』がそこまで戻っていないのだから、今の『歩き』は『死ね』と言われているのと同義だった。


「……弱いから、こうなる」


 昼日中の広場。

 そこから少し離れた高い場所で、送り出される女どもと、わかれを惜しむ村人どもを見て、サロモンは胸中に苦々しいものを感じていた。


 幼いころは女とて弓をやる。

 しかし村仕事を覚える年齢になると、弓をやめて、村仕事のほうに専念するようになってしまう。


 サロモンは人の才覚に性別など関係がないものと考えていた。

 実際、幼いころには、自分より弓の扱いがうまい女もいたように記憶している。


 だけれど、女は女というだけの理由で訓練から離れ、結果として、劣化していく。

 サロモンはそれが惜しいと思っていたし、女というだけの理由で強さの劣化を強いられる苦々しさを感じるのが嫌いで、結果として、『女』から距離をとるようになってしまっていた。


 ジルベールからは毎日『伴侶とする者を見つけろ』と言われているが、言われれば言われるほど気分が悪くなるばかりで、結果として、今ではもう、女そのものを毛嫌いしていると言ってもよかった。

 生殖にまつわる話などもされるようになったのだが、サロモンはそういった話を耳にするのもイヤで、妙に不潔に感じて、徹底的に距離をとるようにしている。


 だいたい、この村の制度はおかしい。


『歩き』が戻らないならば、もう『歩き』など出さなければよいではないか。

 そもそも『歩き』が他の村から女を連れ帰る役割ならば、それは女がこなさなくてもよいはずだ。

 第一、『歩き』が女から出るならば、女に護身の訓練をもっと積ませるべきだ。


 なにもかもがおかしく、考えれば考えるほど違和感まみれだ。


 この村は――気持ちが悪い。


 気づいてしまったらもうダメだ。この村が気持ち悪い。そこで違和感なんか覚えずに暮らしている村人たちも気持ち悪い。親も気持ち悪いし、長老衆も気持ち悪い。


 ただ、もしも、この村の中で『まともなやつ』を探すとすれば、それは――


「サロモン」


「……ジルベールか」


 村を覆う木の柵の、物見台のない場所に座っていた。


 ここなら誰も来るまいと思ったが――どうにも兄弟の直感でもあるのか、ジルベールは、独りでいるサロモンのそばに、当たり前のようにたどり着く。


「よくのぼったな、お前」


 そう言いながらジルベールが隣に腰掛ける。


 足場もなにもない、丸太を組んだ木の柵の上で、そこはうっかりバランスを崩せば落ちて小さくはないケガをするであろう高さだった。


 サロモンはその不安定な場所でスッと立ち上がると、来たばかりのジルベールに背を向ける。

 ジルベールは慌てたように言う。


「待て、待ってくれ、サロモン! こんな場所までのぼらされて、一言も交わさぬまま取り残されるのは、いくらなんでも、あんまりだ」


「……」


 勝手にのぼってきただけだろうに。


 それは全然筋の通らない主張だったけれど、サロモンはなんとなく逆らうのが面倒になって、再び座り直した。

 ジルベールは安堵したように胸に手を当てると、やかましいことを言い始める。


「『歩き』に出る女の中には、幼いころ、私たちと遊んだ者もあっただろう。わかれを惜しむなら、今しかないぞ」


「……」


「最近は『歩き』に出た者が戻らない。……今しかないんだ。あるいは、『歩き』に出る者だって、この村で『これ』と決まった伴侶がいたならば、その役割を免除されるかも――」


「なぜ、『歩き』になど出す?」


「……それは、そういう制度だからだ。村の血を薄めるために、外の血を取り入れる、大事な大事な役割だ」


「ここ数年、外の血は入ってきたか?」


「……どうしたサロモン? お前がそれほど語気を荒げるなど珍しいな」


「ジルベール、貴様はこの違和感に気づかないのか? そんなわけはあるまい。お前は我よりも頭がいい。我よりものを考える。であれば、気づいているはずだ。こんなことをしても、意味などないと」


「意味はある。今言ったように、外の血を――」


「意味があった時代はあっただろう。だが、今は、いたずらに、『歩き』に出した女どもを死なせているだけだ」


「……」


「ジルベール。我は貴様を低く評価していない。貴様ならば、この村の気持ち悪さがわかると思う。古いものにとらわれ、制度制度ではみ出す者を許さぬ、この村の、気持ち悪さだ。貴様ならば、我と同じ感覚でこの気持ち悪さをとらえられると、我は考える」


「……お前がそれほどしゃべるのは、何年ぶりかな」


「はぐらかすな」


「……今から私が言うことは、誰にも言わないでほしい」


「我が誰かと話すわけがなかろう。話し相手は貴様だけだ、ジルベール」


 ――「それさえ、いらんお世話だがな」と付け加える。


 ジルベールはかすかに笑い、目を閉じ、息を吐いた。


「この村はきっと、古いのだろう。長老ももう、二百五十歳だ。時代というのは、我らが死ぬよりずっとずっと早く変わる。新たな情報から耳目を閉ざし、過去の思い出の中に生きる指導者のもとで暮らすのは、今の時代を生きる私たちには、窮屈にすぎる」


「……であれば」


「だがなサロモン、それでも脈々と受け継いできたものを手放すのを、私はおそれている」


「……なぜだジルベール」


「古い因習は窮屈で、それを破った時に、新しい景色が見える気はする」


「であろう」


「だが、その『新しい景色』が、今よりいいものになるかどうか、保証ができない」


「……」


「サロモン、私たちは弱いんだ。一人では生きていけないんだ。もしも『新しい景色』が不毛の荒野だった場合、私たちは生きていけない。全員がお前ほど強ければわからないが、そうでないことは、お前がよく知っているだろう」


「訓練をしないからだ。今の自分に満足して、進歩をしないからだ。己を高めるための闘争をしようという気概がないからだ。すべて、己のせいだ。弱者が弱者のまま満足し足を止めるからそうなる。その弱さを、我は憎む」


「それだ、サロモン」


「……はぐらかしているのか?」


「いいや。その気概こそ――『現状ですでに満たされているのに、その現状を変えよう』という気概こそが強さなんだよ。得がたい、強さなんだ。新しい景色が不毛の荒野だった時、生きるのに必要になる、強さなんだ」


「……」


「こんなことを言うと、お前はがっかりするのだろうな。……けれど、真実だ。進歩しないで済むなら進歩などしたくない。今いる安住の地にずっといたい。なんの努力もせずにこのままいたい――それが普通の、人なのだよ」


「醜悪だ」


 サロモンは立ち上がる。


 顔には隠しようがない苦々しさが浮かんでいる。


「あまりにも醜悪だ。あまりにも気持ちが悪い。我はそのようなものを、人とは思えぬ。……ああ、そうか、そうか、わかったぞ。この村の気持ち悪さ。我と同じような見た目の、人に見える者どもが、人未満の気概しか持たずに、なれ合っていたから、これほどまでに、気持ちが悪かったのだな」


「……サロモン」


「貴様だけは違うと思っていたぞ、ジルベール」


「……」


「だから貴様を、兄だと思っていた。この人未満の村で、ただ一人、人だと思っていた」


「……サロモン、それは、お前が真実そう思っても、決して私以外の前では口にしないほうがいい」


「言ってやる気も起きぬ。……人の言葉の通じぬ者どもめ。すでに失望しきっていたと思ったが、まさかさらにその下があるとはな」


「……ついに、出て行くか?」


「言った覚えはないが、知っていたか。そうだ。貴様への遠慮があった。それももはや、ない。貴様は人になれるのに人未満にとどまろうと言う。ならば、そんなモノに遠慮はいらぬ。こうして言葉を交わしてやるのもこれが最後であろうな」


「……少しだけ、待ってくれないか?」


「…………」


「そう不機嫌そうな顔をしないでくれ。村の警備隊の隊長に抜擢されるのだ。その時まで、お前に弟でいてほしい。その晴れ舞台をお前に祝ってほしいのだ」


「そんなものに祝う価値があるとは思えん。……ふん。やはり貴様とは、もはや相容れぬ」


「……」


「だが、それが最後の願いとあらば、聞いてやる。その日だ。その日に、我は旅に出るぞ。この村を出て、二度と戻らん」


 サロモンはそう言うと、ためらいなく、高い壁の上から地上に飛び降りた。


 とりのこされたジルベールは片手で目のあたりを押さえて、悲しげな息をつく。


「……私とて、お前ほどの強さがあればな。だが、サロモン……私はこわいのだ。自らこの安寧という柵に囲まれた世界を打ち崩すほどの勇気がないのだ。たとえ『歩き』が口減らしだとわかっていても、止める勇気すら、ないのだ。……許してくれサロモン」


 風にさえ運ばれぬその声は、誰にとどくこともなく、消えた。

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