29話 わたしの
全体的に、どうでもよかった。
カグヤは疑問を抱かない。なぜならそれを禁止されているから。カグヤは違和感を覚えない。なぜならそれを禁止されているから。カグヤはすべてを受け入れる。なぜなら、それ以外を禁止されているから。
いるから、なのか、いたから、なのかはわからない。
アレクサンダーはカグヤに『人』みたいな感じを求めているようだった。
ちっこいくせに腕力の強い彼は、さらにちっこいカグヤを引きずり回して、川だとか、山だとか、岩だとか、花だとか、虫だとか、とにかく色々を体験させたがる。
カグヤはそれに逆らわなかったし、あらゆることに嫌悪はなかった。
ただ、受け入れるだけ。
おどろきはあったが拒絶はない。拒絶なんていう機能は禁止されていた。
「このご時世に二人旅なんて、珍しいと思ったでしょう?」
ある日、川べりの花に鼻を近づけてそのニオイをかいでいたところ、イーリィにそんなことを言われた。
イーリィというのは桃色髪の女だ。
アレクサンダーのことを『兄さん』と呼ぶのだが、どう見たって彼女のほうが年上で、そこには複雑な事情か、複雑な性癖があるのかもしれなかった。
カグヤは受け入れている。そもそも、それが不自然なのか自然なのか、判断する材料にとぼしい。
村では年下が年上を兄さん、姉さんと呼ぶような雰囲気があったが、それは村人たちの声から推測しただけのこと。自分が間違っている可能性は低くないものと思っていた。
そんな具合に世間を知らないものだから、このご時世に二人旅というのが珍しいと言われれば、『そうなのか』と思うだけで、他にどう反応したらいいかわからない。
しかし木漏れ日降り注ぐ川べりで休憩するこの時間を、イーリィはカグヤとの会話に使いたいらしい。
カグヤが視線を向けたまま固まっているのを見て、困惑したような表情を浮かべた。
「えっと、ほら、兄さんの性格とか、私たちの様子とか……少し変わっていると思いません?」
「……変わっているという扱いがいいのならば、わらわは、そう扱うぞえ」
「いえ、そうではなく……ええと、カグヤちゃんは私たちについてくるって決めましたけど、それは、どうして? 村の人たちは気がかりだったりしませんか?」
「……ついてくると、決めた? わらわが?」
「……あー……」
イーリィはカグヤが同行する経緯を思い出したらしい。
小さく「なんで私の時はあれだけ止めたのに……いえまあ、この子の場合他にやりようも……」とかぶつぶつ言ってから、また、カグヤを見て、それから、笑みを浮かべた。
「……その、いきなり引きずり回すことになって、迷惑していたりはしませんか?」
「……迷惑と思えばいいのなら、そう思うぞえ」
「そうではなくって……うーん……兄さん! 兄さーん!」
イーリィが叫ぶと、遠くのほうで川面に向けて石を投げていたアレクサンダーが反応した。
「あと一投!」
「なにしてるんですか!」
「水切りって知らない? こう、平らな石でさ、水面をパッパッパッ! と跳ねさせるやつなんだけど。川みたいな流動的な水が相手だとクソやりにくいな! コレ湖とかでやるもんだわ!」
「そんなことより、私とカグヤちゃんとの仲をとりもっていただけませんか!?」
「なんで俺が?」
「会話が、うまく続かないんですよ!」
知らんがな、というつぶやきが、カグヤの耳にはとどいた。
どうにもカグヤは、二人よりも耳がいいらしい。
聴覚が優れているというか――肉体構造的に、よく音が聞こえる、らしい。
アレクサンダーとイーリィは、カグヤと人種が違うのだった。
二人の耳は顔の横にある丸いものだし、しっぽはない。
ところがカグヤの耳は頭上にある三角のものだし、しっぽも一本、ふさふさして太い、立派なものが生えている。
だからカグヤは『獣人』ということになった。
アレクサンダーが名付けたのだった。
彼はいろんなものに名付けるクセがある。
名付けるというか、当たり前みたいに、呼ぶのだ。初めて出会ったものに対したって、最初から決まってたみたいに、名前を呼ぶのだ。
だからカグヤも「おー、獣人だな」と当たり前みたいに言われて、そうか、自分は獣人だったのか、といつものように抵抗も拒絶もなく受け入れた。
考えているあいだにイーリィによってアレクサンダーが引っ立てられて、彼はカグヤの横にあおむけに寝転んだ。
彼は何気ない調子で口を開く。
「元気?」
「うむ」
「イーリィ聞いたか? 元気だってさ」
「それはいいことですけど! そうじゃなくってもっと……私は、カグヤちゃんの好みとか、考えとかをですね……」
「知るかよ。とりあえず元気ならいいじゃねーか。好みとか考えなんか『元気?』『元気』みたいなやりとりしてたらそのうち聞く機会あるって。機会さえないなら、それは相性が悪いってことだ」
「……兄さん、私とカグヤちゃんに対する態度というか、やり方というか、そういうの、全然違いませんか?」
「そりゃあ相手に合わせますよ。お前の場合は言いたいことありそうだから色々聞いたし表現方法教えたじゃん。カグヤはなんもなさそうだからなんも聞かない」
「……そういうもの、ですか」
「まあお前もコミュ力高くねーから焦るのはわかるけどさ、人間関係なんか焦ってもしょうがねーだろ」
「兄さんのそういう力はどこで身につけてたんですか?」
「顔が見えない状態の会話で、相手のわずかな反応から家族構成を聞き出さなきゃいけない仕事をしてたことがあってな」
「そんな仕事をする機会なんかあったんですかね」
「前世の話」
「ああ、ええと――転生前の」
イーリィは『転生』という言葉を使う時に、困惑しているというか、受け止めきれないというか、そういう複雑な顔をする。
アレクサンダーはどんな会話でもだいたいあっけらかんとしているので、いちいち過剰に反応するイーリィと、それを受け流すアレクサンダーという感じでだいたいの会話は進んでいくのだった。
たしかに、この関係は、アレクサンダーが兄で、イーリィが妹っぽい。
カグヤの中での『兄妹像』から二人の関係がそう違わないことがわかって、修正を修正する。
兄妹とはこういうものだ。うまく簡潔にまとめるのは難しいけれど、こういうもので、よかったのだ。
一つ理解して、カグヤはちょっとだけ笑った。
この、今までぼんやりしていたものが、キュッと胸の穴にぴったりはまるような、そういう感覚は面白い。
「楽しいことでも見つかったか?」
イーリィと会話していたはずのアレクサンダーが、唐突にそんなことを言った。
楽しいこと。
言われてみればこれはたしかに、そういう感情のような気がした。
いや、アレクサンダーが言うならば、きっと、そういうものなのだ。カグヤはいつものように反感も拒絶もなく彼の言葉を受け入れる。
それは半ば習慣と化した無抵抗だったけれど――
なぜだろう。
村の地下にいた時に受け入れていたものよりも、もっとずっと、すっと、アレクサンダーの言葉は自分の中にしみいってくるような、そんな心地よさを覚えてもいたのだった。
幕間 その少女 終




