2話 信仰/最後のよりどころ
雪が降り始めたせいで森の中は見た目が全然変わっていて、うっすらと白いものをまとった木々が並ぶ光景は違った世界に迷い込んでしまったかのような、幻想的で、おそろしいものだった。
足の裏は刺すような冷たさがあって、風が吹くたび身が凍るようだった。
彼らには靴も外套もないのだった。ひとふりの粗末な剣と、あたたかい時期に着る、薄汚れたシャツとズボンだけが、彼らの身を守るものだった。
選ばれた英雄たちは、ばらばらに行軍を続ける。
森の奥まで行かないことにはどうしようもないのだった。
ある者はそれが不可能だとわかっていても、村に帰ったらよりひどい扱いをされることまで想像してしまえたから、進むしかなかった。
ある者は本気で英雄になる気でいて、初めて持つことを許された剣の心強さに酔っているのか、無意味にぶんぶんと剣を振り、雪の積もった枝をはらい、奥へ奥へと進んでいく。
アレクサンダーはといえば、神様のことを考えていた。
村が細々とでも永らえていられるのはぜんぶ神様のお陰なのだった。
神様がお告げをしてくれて、その通りに行動すればぜんぶうまくいくのだ。
神様が定めたというルールを守っていれば、村人たちは親のないアレクサンダーのような者にも優しく、仕事さえしていれば家族のように接してくれる。
なによりすごいのが『聖女』の存在だ。
それは神様の意思を代行する『代行者』さまの娘なのだけれど、これがまさに神がかり的な、どんなケガでも一瞬で治してしまうという、すさまじい力を持っている。
アレクサンダーより一つ歳下の女の子なのだけれど、いつでも花の香りがする温かい部屋にいて、扉の小窓越しに見ただけで、あらゆるケガも病気も、一瞬で治してしまうのだった。
魔法、というものがある。
それは種火をおこしたり、あつい時期に腐りやすいものをほんの少し冷やしたり、そういう役割を持つ技術だ。
聖女の力にあこがれた何人かが『自分たちも魔法でケガの治療ができないか』と試したけれど、いっぱいがんばればちょっと痛みがやわらぐぐらいで、一瞬でケガや病気を完璧に治してしまうなんていうことは、できなかった。
村の子供たちはみんな代行者さまの話を聞いて育つから、神様のなさりように深く感謝しているし、その慈悲で自分たちが生かされているのをよく知っている。
だから多かれ少なかれ、みんな神様のことをこわがったり、うやまったりしているのだけれど、アレクサンダーほど熱心な信仰心を持つ子供はいないだろう。
礼拝は義務で定められた以上にやっていたし、神殿の掃除だって率先してやる。
神様は聖女にすごい力を与えてくれたのだ。
アレクサンダーも、そういう奇跡がほしかった。
聖女ほどじゃなくたっていい。
アレクサンダーは、みんなが当たり前にやっているように、『魔法』を使いたかった。
種火おこしや生もののちょっとした冷却は、村で狩りをするならば必須技能だ。
大人ならばみんな当たり前にできる。
でも、アレクサンダーにはできない。
つい先日、十二歳の成人式で魔法を使う許可が出た時、同世代のみんなが魔法を使った。種火をおこした。あつい時期だったから、そよ風をおこした者もいた。
アレクサンダーはなにもできなかった。
たまに、魔法の使えない子供がいるらしい。
神様のお恵みが足りないのだ。信仰が足りないのだ。遠いとおい昔、神様にそむいたなにかが、アレクサンダーにかかわっているのだ。
だからアレクサンダーは熱心に神様にお願いした。『僕も魔法を使えるようになりますように』と奉仕をした。
彼はみんなのように、村の役に立ちたかった。
魔法を使えないことがわかっても、馬鹿にされることはなかった。
同じ村の人をあしざまに言うのは神様が禁じているからだ。アレクサンダーはまじめに仕事をこなす子だったし、ルールに背いたこともない。
そんなまじめさは村人たちの心を打った。
みんな、アレクサンダーも魔法を使えるようになるといいね、と口々に言ってくれた。
今回、英雄候補に選ばれたのは――神様によって、その意思を代弁する代行者さまによって英雄候補に選んでいただけたのは、チャンスだと思っている。
この試練を超えて、森の奥から食料を持ち帰ることができたならば、きっと、神様はそのはたらきを認めて、アレクサンダーにも魔法の力をくれるだろう。
神様は努力を見ている。神様はがんばる子が好きだ。神様は村のためになろうとする子を見捨てない。神様はきちんと報いをくれる。神様は優しくて、かしこくて、とても偉い。
だからアレクサンダーが雪をかぶった地面を踏む足取りには、迷いがなかった。
チビで気弱だけれど、彼には信仰があった。
だから大丈夫なのだと、信じていた。
あまりにも無邪気に森の奥へと進んでいく。
曇天のすきまからかろうじて漏れていた明かりはかげり、時間はもうすぐ、夜にさしかかろうとしていた。