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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
幕間 その少女
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28話 降り立つもの

 天井を見上げるクセがある。


 彼女へのほどこしは、すべてそこから投げ入れられるからだ。


 そこから乱暴に投げ入れられたものだけ、彼女が受け取ってよいのだった。その穴から落ちてくるものだけが、彼女が所有を許されるものだった。


 銀色の瞳をぱっちりと開いて、天井を見上げ続ける。


 いつまで経っても食事は落ちてこなかった。天井をふさぐものも、どかされる気配がない。


 彼女の体は空腹をうったえていたけれど、だからといって、どうしようもない。

 彼女は落ちてきたものを受け取るだけの存在だ。それ以外の行動を許されてはいない。


 だからその日、人が落ちてきたのには、たいそう、困惑した。


「おっ、生きてんじゃん」


 食べ物ではなさそうだった。


 黒い髪の幼い男の子だ。だが、耳がない。頭の上側にあるべきはずの耳がなくって、その頭部はつるりとした丸いものだった。


 よくよく見ればしっぽもないように思える。


 なにかがあって切り落とされでもしたのだろうか。あまりにも不自然なそのシルエットにますます困惑して首をかしげる。


 すると、その少年は手を伸ばしてきた。


「ほれ、出るぞ、チビ狐」


 ……わけがわからない。


 出てどうするのか。この男はなにを言っているのか。


 黙っていると、男は次々にわけのわからないことを言い始めた。すべてが初めて聞く言葉にも思えたし、そのうちいくつかを知っているような気もした。


 そうして男がひとしきりしゃべるのを黙って聞いていると、男は舌打ちをする。


 彼女はおびえた。


 なにか、『神の言葉を降ろす者』らしからぬことをしてしまった時、大人が舌打ちをするのを聞いていたからだ。

 逆らったらひどい目に遭わされる。


「チビ狐、さっきから黙ってるけど、生きてるか?」


 不自然、不自然、不自然。


 生きているのは見てわかるだろう。黙っているのは、黙っているのは――


 ――ひょっとして、村のルールを知らないのだろうか?


「……わらわと話すと、呪われるぞえ」


 予言ではない言葉は久々で、ずいぶんとひっかかりながら出てきた。


 それからまた、男はわけのわからない言葉をたくさんまくしたてた。


 彼女には聞き取りにくい程度に早口だった。言葉を差し挟むヒマもない。


 だから、彼女が言葉を差し挟めるほど時間をもらえたのは、この発言のあとだった。


「世界の果てを見たくねーか?」


 男はそれきり、ちょっとだけ黙った。


 だから聞き返さずにはいられなかった。ようやく発言できるスキをもらったのに、男の言う言葉の意味がさっぱりわからなかったからだ。


「……世界の、果て?」


 そこから、また、まくしたてられる。


 そうして男の発言を聞いているうちに、ようやく、気づいた。


 会話を試みられている。


 それは間違いなく会話なのだった。男はあきらかに、自分と話をしたがっていた。

 一方的にまくしたてる癖があるのは困るのだけれど、男は自分の目を見ているし、自分の様子をうかがっている。


 自分に向けて、語りかけている。


 やっぱり、村のルールを知らないのだ。


「……しかし、わらわと話すと、不幸にならんかの?」


「不幸?」


 男がきょとんとした顔でこちらを見てくるので、彼女は『不幸』の理由を説明せねばならなかった。

 誰かに向けて自分の言葉をまとめるというのは存外難しかった。そもそも、村人たちが言う呪いやら不幸やらも、まとまっていたようには思えなかった。

 けれど彼女は、彼女なりの真摯さをもって、自分とかかわることの危うさを語る。


 男は、聞いているんだか、いないんだか。


「まあいいよ。別に、呪いがあったって。不幸すら楽しめなくてなんのための冒険だ」


 もはや絶句するしかない。


 本当の本当に、この男は、呪いだとか、不幸だとかいう話が、どうでもいいのだった。そんなものをちっとも気に懸けていないのだった。


 彼女は、気に懸けているのに。


 ずっとそう言われ続けてきたから、そういう気がしている。

 きっとそういうものなのだろうと、思っている。


 けれど男は、言うのだ。


「お前の言葉で、俺を不幸にしてくれ。――俺の力で、不幸をいい思い出に変えてやるから」


 なにがなんでも、話をしようとしてくる。


 どうあっても、手をとらせようとしてくる。


 だから彼女はようやく理解した。


 ――この男は、『受け取ってよいもの』だ。


 空腹で、なにもなくて、着替えも投げ入れられなくなった穴から降ってきた、『自分へと捧げられたもの』だ。


 差し込んでくる夜の光。


 暗闇に慣れた目にも優しいこの光の中で、男を見上げる。


 男もまた天井の外を見ていた。


 そうして唐突にこちらを見て、こんなことを言う。


「俺の名前はアレクサンダーだ。お前は?」


 名乗る名は、ない。


 そんな彼女に、彼は『カグヤ』という名前をつけた。


 その、おおよそ名前とは思えぬ不可思議な音の連なりを、彼女は受け入れる。


 あの穴から落とされたものを受け入れるのは当然のことだ。


 ならばこの男を受け入れるのは当然で、この男の与えるあらゆることを受け入れるのは、カグヤにとっての役割であり――それこそ、声なき予言なのだろうと思った。

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