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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
三章 イーリィと花香る聖域
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24話 神意/神威

 今は暑い時期だけれど、日が昇ったばかりのこの時間は、少々だけ肌寒い。


 第二成人式はつつがなく進んで、イーリィが神についてのありがたいお話を終え、木彫りのご神体にみなで祈りを捧げた。


 代行者は静かな表情で十五歳になった者たちを見回し、一瞬だけアレクサンダーで視線を止めたが、彼が他の村人同様に敬虔そうに祈りを捧げているのを見ると、わずかに首をかしげつつも、視線を通過させた。


「……さて、では、十五になる諸君に神は役割を仰せつけられた。一人一人発表していこうと思う。通例ならば家が神殿から近い者から順に行うのだが、本年、神は特別な役割を持つ者を選ばれたので、例から外れるが、その者から発表といこう」


 代行者は少しだけ高い台に置いたご神体――それはよく見れば、髪の長い女性のように見える――に祈るように目を伏せて礼をしたあと、開いた目をアレクサンダーに向けた。


「アレクサンダー。君は、神より次の代行者に選ばれた」


 ざわっ、と第二成人式の参加者も、儀式を遠巻きに見守る村の人たちも、声をあげる。


 その中でただ一人、アレクサンダーだけが粛々と目を閉じ、片膝をつき、両手をこまねき、静かな表情のままでいた。


 最初からわかっていたかのような落ち着きようだ――まあ、昨夜教えちゃったんですけど、とイーリィは思う。


「アレクサンダー、神から授かった役割に対し、なにかあるかね?」


 代行者があからさまに間合いを詰めていく。


 彼が桃色の瞳でチラリとイーリィを見る。

 イーリィはどんな顔をしていいのかわからなくて、ただただ固まったまま、代行者を見つめ返すだけだった。


 代行者はその反応に違和感を覚えたようだったが、問いただす前に、アレクサンダーが口を開いた。


「ありがたく拝命いたします」


「……なに?」


「この光栄なる役割を拝命いたします。神のご意志は、なによりも尊重されるべきものです。それに否やなどありようはずもありません。そうでしょう、代行者さま」


 実年齢は十五歳。けれど容姿だけなら十二歳そこそこの少年に見える彼がこうして従順な様子を見せると、見た目だけはかわいらしく、しおらしい。

 目を開き代行者を見上げるその様子はまさしく敬虔なる信徒といった様子で、神から授かった役割を心から喜んでいる無垢な少年にしか見えなかった。


 ただし、代行者は、『アレクサンダー』がどんなヤツか、よく知っている。


 そんな無垢で敬虔な様子を見せられても不気味なだけなのだった。

 今までさんざん『神』に懐疑的な様子を見せていた――というかおおっぴらに否定していた――彼がそんな姿を見せても、頭がおかしくなったかと思うばかりなのだった。


 違和感というか、それはもはやハッキリと『気持ち悪さ』だった。


 なにかが起きているが、なにが起きているのかわからない。

 しかも起こっていることは自分にとって絶対に都合が悪いことなのだ、という確信が代行者の横顔からはありありと見てとれた。


「なにがあった、アレクサンダー?」


 その問いかけは『代行者』としてのものではなく、『素』だった。


 アレクサンダーはこわいぐらい目をキラキラさせたまま、嬉しげな声音で語る。


「はい、代行者様……実は、今回、わたくしが次の代行者を拝命することを、事前に知っておりました」


「……」


 代行者は無言でイーリィに視線を向けた。


 イーリィはビクリとするが、アレクサンダーが「イーリィ様は関係ございません」と言う。


「わたくしも、代行者さまが耳にしていらっしゃる神の声を、聞くことができていたのです」


「……」


「ある日です。わたくしの耳に、聞き覚えのない者の声がとどいたのです。誰かが声をかけてきているのかと思いましたが、どう聞いても、聞き覚えのない声でございました」


「……それは」


「耳にするだけで心安らぐような、声の奥にある深い慈愛が伝わるような、幸福そのものを音に封じ込めたかのような、それはそれは素敵な声でございました」


 アレクサンダーの語り口には不可思議なところがあって、村の者たちがだんだんと彼の話に聞き入っていくのがわかった。


 中性的で耳障りのいい声のお陰なのか、話の組み立てがそうなっているのかはわからない。


 彼の発言には力があった。


 村人がついつい聞き入ってしまう、力が。


「その声はわたくしに『次の代行者となりなさい』と命じ、次の代行者がすべきいくつかの決まりを教えてくださったのです」


「……馬鹿な、私はそのようなことは知らされていない」


 代行者が軌道修正を図る。


 アレクサンダーはにこりとほほえんだまま、陶酔したような表情を作り、言う。


「であればそれは、新時代の代行者を拝命する、わたくしがこなすべき神意なのでございましょう」


「いや、しかし……」


「神はおっしゃいました。『今ある戒律を守り、前任の代行者を敬え』」


「……」


「『聖女によく尽くし、その者の意思や命を守り抜け』」


「……う、む。それは、神はたしかに、そうおっしゃるだろう」


「そして最後にこうおっしゃいました。『信仰を広げよ』と」


「……なんだと?」


布教(・・)でございます、代行者さま。神はおっしゃられました。『この幸福を、この教えを、世界に広めよ。世界中をこの幸福で満たせ』と」


 代行者がぽかんとしていたのは、数秒だろうか。

 たぶんアレクサンダーの言っていることの意味を理解するのは、この村の、他の誰より早かった。


 しかし、アレクサンダーが立ち上がり、代行者ではなく、村人たちに語りかけるほうが、代行者の行動より早かった。


「さて! 布教のためになにをすべきか? この村はすでに信仰で満ちている。そのうえ信仰を広げよと神が仰せならば、それはもう(・・・・・)旅をする(・・・・)しかない(・・・・)! 神は仰せです! 『旅をせよ』と!」


「アレクサンダー! それはっ……その言葉は、違う!」


「そもそも! 我々はそのお力で我らを照らしてくださる神のために、なにをしてきたでしょう!? なにも、してはいないのです! 願うだけ、祈るだけ。それだけで神の恩寵を受けてきた!」


「アレクサンダー! やめろ! それは間違っている!」


「神は待ってくださいました! 我らの村が蓄えを得て、安定し、冬を不安なく過ごせるようになるまで、待ってくださった! なんという深い慈悲なのでしょう!」


「アレクサンダー!」


「わたくしが十二歳の時、ともに森にいた者たちは知っています」


「……ッ!?」


「その日以来、わたくしが変わったことを。……オオカミもどきに食いつかれようとも平気そうにしているわたくしの姿を、見ています。その日より、わたくしが知るはずのない知識を知り、ありえぬ力をふるうのを、見ているはずです」


「それは、それは……」


「村の者たちは知っています。こういった、強大で、他に類がなく、そして村に利をもたらす力が、誰から授かるものなのか」


「それは……!」


「わたくしの力は神より授かりました。神の声をようやく耳にすることができて、わかりました。十二歳のあの日、森の中で死にかけていたわたくしに力を与えてくださったのは、神だったのです。この神の力を代行者様は否定なさいますか?」


「それ、は……!」


 できるはずがなかった。


 村人たちは「なるほど」とうなずいている。

 今までまったく仕掛けがわからなかった『アレクサンダーの変貌』に説明がついたからだ。イーリィと系譜を同じくする理由でアレクサンダーがおかしくなったのだと、納得したのだ。


 神、神、神。すべて神。


 村人は無垢で敬虔で優しい。

 そうあるように、代行者が教育してきた。


 アレクサンダーは変わったことをしたが――

『変わったこと』の中には役立つものも多く、村の衛生面などを向上させたし――

 彼の強さは多くの男たちを救った。


 なるほど、どう考えても神の御業による奇跡だ。


 なにも考えなくていい。

 神がすべて、教えてくれる。


 なにもこわがらなくていい。

 信じるだけで、救ってくれる。


 判断なんか、しなくていい。

 神に従うだけで、ほら、すべてうまくいくだろう?


 代行者からの教育を受けた彼らは、納得する。


 村の役に立つ奇跡は神の手によるものなのだ。


 イーリィとアレクサンダーは同じなのだ。


 アレクサンダーは村人たちの様子を見回してから、代行者に抱きつく。

 背の小さい彼に首の後ろをつかまれ、身をかがめさせられた代行者の耳元で、アレクサンダーは言う。


「どうする? 予定通り殴り合う?」


「……貴様、やはり、知っていたのか……!」


「おっさんはさあ、頭がいいんだろうけど、経験が足りないよな」


「……なに?」


「完璧なシステムなんかないんだよ。どんなルールにも穴はある。あと、どんな頭がいいヤツでもポンコツにするやり方がある。実際、この雰囲気じゃなきゃ村人を説得する方法、いくらでもあるだろ?」


「……アレクサンダー、貴様……!」


「ありがとうございます! 代行者様!」


「なっ!?」


 アレクサンダーが、代行者からするりと腕を放す。


 そうして村人のほうへ再び向き合ったアレクサンダーは、言うのだ。


「今、代行者の継承をしていただきました。これから、この村では、わたくしが代行者です。みなですばらしき信仰を世界に広げていきましょう!」


「!? い、いや、アレクサンダー!」


 代行者が手を伸ばす。


 アレクサンダーは凶悪に笑って、代行者へと再び向き直った。


 そうして、代行者と、その後ろにいるイーリィにだけ聞こえるような声で言う。


「ほらな、こうやって次から次へと頭を使わせてやると対応をまごつくだろ? 誰でもこうなるんだよ。特に――」


「……」


「『考えたらなんだってわかる』と思ってそうな、自分を頭いいと思いやすいタイプは、よく引っかかる。考える必要のないことまで考えて答えを出そうとするからな」


「……アレクサンダー、お前は、お前は……! なにが目的で……!」


「いや、俺だってこんなあくどい(・・・・)ことするつもりなかったんだよ。でも、しょうがねーじゃん。だって、あんたの娘が、すげー悲しそうな顔するんだもん」


「……なに?」


「俺は旅に出たい。イーリィは世界を見たいけど、あんたらと決別したくない。じゃあ、村ごと旅に出すしかねーじゃん」


「……」


「俺、あいつの悲しそうな顔に弱いんだよな……だから、ほんと悪いとは思ってるんだよ。おっさんのこと嫌いじゃねーし。みんな悲しまないやり方がこれしか思いつかなかった。ほんとごめんな」


 代行者の背中にみなぎっていた怒気が、なえていくのがわかった。


 大柄で禿頭で力強い手足を持つその人は、なんだか急に、十も二十も歳を重ねたような、そんな背中になった。


「……そうか。こうやるのか。何も奪わず、怒りも恨みも感じさせず、全員の希望を少しずつ叶えて、結局、自分の我欲を通すのか。こういうやり方が、あったのか」


「勉強になっただろ?」


「…………なるほど」


 代行者は大きく息をつく。


 そして、アレクサンダーの肩を抱き、村の者たちに向けて、宣言する。


「代行者の継承は終わった。みなの者、これからはアレクサンダーの言葉を信じ、やっていくように」


 村人たちがわいた。


 今まで妙な雰囲気でこそこそ二人が会話していたから、どうしていいかわからなかったのだった。


 二人がもめている声が聞こえていたかどうかはわからないが、雰囲気だけは伝わる。


 なにか伝達ミスか、あるいはそもそも認識の違いがあって、代行者継承がうまくいってないんじゃないか――そういう不安を感じていた村人たちが、ようやく安心して、新たな代行者の誕生に歓喜したのだった。

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