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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
三章 イーリィと花香る聖域
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23話 決意

「昔っからそうだ。お前は目でうったえてくる。目でこっちを押し切る。願望がすぐ顔に表れる。……あのね、お前は自分では澄ましたツラしてるつもりかもしれねーけど、びっくりするぐらい顔に出るから。特に目がひどい。通したい要求があると、その目でこっちをジッと見てくる。俺はそういうのがたまらなく苦手だった」


 窓越しにそう言われて、イーリィは悲しく思った。


 苦手だったなんて、そんなハッキリ言わないでほしい。


 するとアレクサンダーはニヤリと笑って、こう言うのだ。


「ほら、今も妙な表情になった」


「……なってません」


「なってるんだよ。そんでさあ、俺は、その顔に、めちゃくちゃ弱いんだ」


 アレクサンダーは心底悔やむように両手で顔を覆った。


 数秒してから、手をどかす。

 なぜか顔の左右にどかした手を残したまま、まじめくさった顔で言う。


「明日……っつーか、今日の第二成人式の流れはわかるか?」


「流れ……ええと、村人たちに成長の祝辞を与えて、神の尊さを説いて、それから……」


「カットカットカット。そういう面倒そうなの巻いてこーぜ。あんだろ、おっさんが俺に仕掛けるタイミングが。どこだ。儀式の半ばぐらいか? 最初だと勝負受けさせる雰囲気作りにくいし、最後だと俺が飽きて途中で式を抜けそうだと思われてそうだしな」


「ええ、まあ、はい。そこで、兄さんを次の代行者候補として教育する旨と、私のケッコン相手として紹介する手はずです。そのあと代行者継承の儀式という名目で殴り合いを」


「よし、じゃあ、お前とケッコンしたら、お前を連れて逃げるから」


「……えええ!?」


「お前の助けを得て無限リジェネするおっさんと殴り合いなんてやってられっかよ。面倒くせえ。だいたいさあ、ここって結婚はほぼイコールで子作りじゃん。やっぱお前とは無理だって。妹じゃんお前。いや、見てくれだけならもうなんていうかすごくいいんだよ? いいんだけどさ、お前に兄扱いされて積み上げた思い出が多すぎる。無理無理」


「……私が兄さんを兄さん扱いするから、ケッコンがイヤだと?」


「端的に言えばそう。俺にはね、お前たちとはちょっと違う倫理観があるんだよ。お前らは『若者の数が少ないなら近親婚もあり』みたいな価値観だけど、俺にとっては『絶対ナシ』なわけ。わかる? 妹を嫁に、っていう言葉に抱く忌避感がお前らと違うんだ」


「兄さんは意地でもこの村に合わせようとしませんよね」


「合わせられるところは合わせましたよ? でもまあ無理なモンは無理だな! 衛生面とかさあ、性的価値観とかさあ。いいじゃねーかよ、特に衛生面は俺をまねてだいぶよくなったろ。合わせるだけが世渡りじゃねーんだよ」


「誘拐は兄さんの価値観だとありなんですか?」


「してほしいんじゃねーのかよ」


「……まあ、それは、その、そうですけど」


「それがお前の『意思』だよ」


 アレクサンダーは、笑っている。


 その笑顔はさわやかとは言えなかった。イヤらしいわけでもない。


 強いて言うなら――凶悪な。

 幼い少年にしか見えない彼が浮かべるには、あまりにもあくどい、笑みだった。


「意思がない? 嘘言うなよ。そんだけ表情で雄弁にしゃべるやつが、意思がないわけねーだろ。お前には欲望がある。欲望とはすなわち意思だ。言われるがままにふるまうだけしか能のないお人形は、お前みてーなツラはしねーんだよ」


「……でも」


「お前は意思がないんじゃない。お前は責任を負うのがこわいだけだ」


「……」


「お前をさらってやる。でも、俺は、お前を無理矢理誘拐したようにはふるまわない。ようするに『いつものヤツ』だ。俺がお前を連れ出して、お前はニヤニヤしながらついてくる。嬉しそうについてくる。それだ」


「……いつも、そんなにニヤニヤしてますか?」


「ほっぺたピクピクさせて、がんばってこらえてる、って顔してる」


「……嘘」


「本当。……まあ、お前のニヤつきなんざどうだっていいんだよ。理解すべきは、その様子がとても『誘拐』には見えないってことだ。お前の意思による行動に見えるってことだ」


「……ええと」


「今日、俺はお前を連れ出す。手をとって、ゆっくり歩いて、村から出る。第二成人式の中、衆人環視の中を、出て行く。手を引くのは俺だ。でも、お前は抵抗のそぶりも見せない。村人からは、どう見える?」


「……私が、私の意思で、村を出たように見えます。見えます、というか……」


「実際その通りだからな。お前がお前の意思で村を捨てたようには、絶対に見える。お前が少しでもいやがるそぶりを見せたら、俺はお前をこの村に残す」


「……」


「わかるか? 俺はお前をさらうけど、『さらう』ってのは『いつもの』範囲だ。本気でいやがるお前をさらったりはしない。俺一人を悪者にはできねーんだよ。俺に責任をおっかぶせて自分はいつでも村に戻れるようになんていうこざかしいことは、できねーんだ」


「そんなこと、考えてもいません」


「そうだろう。だが、お前の行動はそういうことなんだ。さらってくれる誰かを待ってるお前は、責任をおっかぶせる誰かを待ってたってことなんだよ」


「……」


「旅はつらいぞ。俺は食わず眠らずでもどうにかなるけど、お前はそうはいかない。食料の確保は簡単じゃない。水場の確保はもっと難しい。飢えて渇いて死ぬかもしれない。もちろん、屋根のある場所じゃ眠れない。そういう極限状態の時に、『誘拐されて連れてこられた』とか騒ぎ出されると、クソ迷惑だ」


「……それは……」


「『そんなことにはならない』と即答するほど思慮が浅くなくて助かる。きつい旅の中で、旅の原因になった相手を責めないでいられるのは、よっぽど気高いか、どこか狂ってるかのどっちかだ」


 ……ならば、先ほど思い出した、ぼんやりとした記憶の中にある父母は、気高かったのだろう。

 母の姿を思い返すたびに、枯れ木のように細い女の姿が脳裏に浮かぶ。

 その人の細かい姿は影になっていて、思い出せない。……けれど、その人が枯れ木のようになっているのは、とぼしい食料を、自分と父に与え続けていたからだというのはわかった。


 その人のように、なれるだろうか。


 その人たちの願いのすえに生まれたこの楽園を、わがままで出て行こうとしている自分が、そんなに気高くあれるのだろうか?


 ……自信はない。

 きっと自分は、あの人たちに比べて、とてもとても卑しくて、小さいのだろうなと思う。


「そもそもだよ、イーリィ。お前には、そこまでするほどの理由、ないだろ?」


 どうやら自分は、『あきらめろ』と言われているらしい。


 さらってくれると言ったのに。……ああ、そうか。さらうと言ってもらえたからこそ、その先の、『旅をしたら』にようやく想いをはせられるようになったのだった。

 アレクサンダーは、イーリィの思考がそこにたどりつくよう、誘導したのだろう。


「兄さんには、あるんですか? 村を出るほどの覚悟が」


「お前とは必要な覚悟の量が違う。言ったろ? 俺は、飲まず、食わず、眠らずでも、どうにでもなるんだ。普通のやつにとっての極限状態が、俺にはないんだ。だから俺はマジで気軽に旅立てるんだよ。それこそ、手荷物は剣一つでな」


「……ずるい」


「そう、『ずるい(チート)』なんだ。ずるい俺に、ずるくないお前がついてくるのは、相当な覚悟が必要だし、そもそも、覚悟だけで全部カバーできるわけもない。なにもお前に味方してくれない。未来のお前さえ、自分の行動を後悔して今のお前を責めるかもしれない」


「……」


「俺の判断にすべてをゆだねるなら、俺は『やめとけ』と言う。……けどな、お前はそうじゃねーんだよ。従順なフリして頑固なんだ。無口なフリしてうるせーんだ。だから、お前自身が納得しないと、いつまでもだだをこね続ける。そこまで聞いたうえでお前がどう思うかを教えろ」


 自分が、どう思うか。


 ……そう、責任だ。


 未来の自分さえ、今の自分を責めるかもしれない。


 誰も責任を負ってはくれない。自分で責任を負うしかない。


 そして、『そんな事態にはならない』と思えるほど、イーリィは『旅』を甘く見ることができなかった。

 記憶はおぼろげだけれど、旅の苦しさは覚えている。

 今よりずっとずっと小さいころだけれど、その時は父がいたし、母もいた。でも、今、アレクサンダーと一緒に旅立っても、母はいないし、父とは永遠の決別になる。


 あまりの重さに、胸がつぶれそうだった。


 吐き気がする。――ああ、ようやく実感を伴って理解した。今、自分は、人生を決めようとしている。十四歳から先の人生を、この瞬間に決断しようとしている。


 後悔のない選択肢はなかった。

 選び直しができるはずもなかった。

 描いた未来は全部、胸に大きなしこりを残すものばかりだ。アレクサンダーと別れた痛みが生じる。村での生活を捨てた後悔が生じる。

 父と決別するのも、自分という治癒の力を失った村人の気持ちを想像するのも、この村の神を足蹴にするのも、すべてすべて、どうしようもなく、重い。


 イーリィは泣いた。


 どうしてこんなに重苦しい決断をしなければならないのだろうと本気で思った。神がもしいるなら、どうして自分にこんな試練を課すのかと責めたい気持ちだった。


 でも、神はいない。


 知っている。神は、自分を保護するために、父が生み出したものだ。


 イヤだ。選びたくない。選ばないまま生きていたい。このままずっと変わらない毎日を。父がいて、村のみんながいて、アレクサンダーがいる毎日を過ごしたい。


 聖域で朽ちていく人生は仕方なく選び取るものだと思っていた。けれど、今はその聖域がどれほどありがたいものだったのかがよくわかった。

 牧歌的で刺激のない、『変化のない日常』というものを、父がどれほど切望して、どれほど努力して作りあげたかがわかる気がした。


 一生をここで過ごすのは『悪くない選択肢』なんかではない。

『奇跡みたいにありがたいこと』なのだった。

 ……いや、奇跡でさえ、ない。父の築いた生活。父の努力と想いが作りあげた、自分のための聖域。


 本当にありがたい。

 本当の意味で感謝できた気がする。


 決断の重苦しさに吐き気を覚えてえづき(・・・)ながら、どこを向いても後悔だらけの状況に涙しながら、父の成した偉業に感銘を受けながら、イーリィは言う。


「それでも私は、世界を見たい」


「……」


「あなたの話した、世界を見たい」


「村を捨てて、父親を捨てて?」


「……はい」


「うーん、じゃあしょうがねーか。よし、一緒に行こう。荷物だけまとめとけ」


「…………はい」


「ただし」


「……?」


「ただし……あー、くそ。やっぱ無理か? まあ、いけるか。っつーか、いくしかねーか。もうしょうがねーな。よし決めた。さらうぞ」


「……え、はい」


「お前だけじゃなくて、村ごとさらうわ」


「……は?」


「お前一人を連れ出すのはやめだ。村ごと一緒に旅立たせる」


「……えっ、ど、どうやって?」


 イーリィは目を丸くする。


 おどろく、以外のことができなかった。

 まだアレクサンダーの言っていることの意味にまで思考が及んでいなくって、彼がなんだかよくわからないが絶対無理なことをしようとしている、ぐらいのことしかわからない。


 彼は再び顔を覆って、答えた。


「今、考えてる」


「……はあ!?」


「あーもーだからお前はうっせーんだよ! くそ! どうして俺がこんな面倒を抱えこまなきゃならねーんだ! なあ!」


「ええ!? 私のせい!?」


「お前のせい……うん、お前のせいだけど、お前のせいじゃねーよ。お前のせいだけどさ」


 まったく意味がわからない。


 その答えを。


 首をひねるイーリィに――というわけではなかったのだろうが、アレクサンダーはイーリィにギリギリ聞こえる程度の小さな声で、つぶやいた。


「俺、お前のその顔に弱いんだよ」

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