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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
三章 イーリィと花香る聖域
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22話 花香る小部屋/人工聖域

 ついにその日が来てもイーリィは自分の行動方針を決められなくって、このままではきっとお願いされたままに父を回復しながらアレクサンダーとの殴り合いを見守ることになるのだろう。


 第二成人式は暑い日におこなわれる。

 十二歳でいちおうの成人――すなわち『仕事に行く』ようになって、そこから三年間を見習い期間とし、十五歳で一人前、というのがこの村の通例だった。


 一人前になった者はその日のうちに『ケッコン』することになる。


 この『ケッコン』というのは、少し前まで『結びの儀』とかいう名前がついていたやつなのだった。

 アレクサンダーが『ケッコン』『ケッコン』言うものだから、それが浸透して、ついに代行者までそう呼ぶようになってしまった言葉のうち、一つだ。


 アレクサンダーがもたらした言葉は他にも色々ある。

 言葉以外も、色々ある。


 彼はそれらもたらしたものを、一度だってもたらそうとしたことはなかった。


 彼が勝手にやり、勝手に名付け、勝手に呼んだ。

 その利便性を認められたものはそのまま村に浸透したし、認められなかったものは村で昔からやっていた通りのまま、今も続いている。


 アレクサンダーは自分の生活を自分好みに変えようと色々していたけれど、それらを村人たちに強要しようという動きは一度もなかった。


 彼はいつでも、勝手にやるだけ。


 巻き込もうとしないのだった。周囲が勝手に巻き込まれるのだった。

 村人全員で力を合わせたほうが絶対に楽なことだって、村人に声をかけたりせず、全部ぜんぶ独力でやろうとしてしまうのだった。


 彼は間違いなく村の仲間だった。

 でも、彼はずっと、一人きりだった。

 それを好んでいる様子でさえ、あった。


 たぶん、心はすでに村を出ていたのだろう。


 その彼を止めることを、イーリィは不可能だと思っている。


 ……花の香りのする小部屋からのぞく外の世界は真っ暗で、なにも見えない。


 かつてアレクサンダーが侵入のために壊した壁は、小窓つきで再建されていた。

 そこからは色々なものが見える。


 イーリィが今より小さかったころについた小窓だから、ちょっと低い。

 それに、布がかけられて、人が多い時は開けてはならないときつく言われている。


 だから昼の景色をこの小窓から見たことはない。

 それでも、壁の小窓からは世界が見えた。

 ドアの小窓から見えるものとは、全然違う、世界が。


 闇一色だけれど、その闇にはどこまでも続くような広がりがあった。呑まれそうな広い世界が見えて、イーリィはその闇を好ましく思っている。


「起きてるか?」


 ひょっこりと暗闇の中にとつじょ現れた顔に、イーリィは悲鳴をあげそうになる。


 アレクサンダーだ。


 今のイーリィにとって低い小窓は、十二歳のころからぜんぜん大きくなっていない彼にはちょうどいい高さなのだった。

 反対にイーリィは腰をかがめるようにしないと、小窓の向こうをのぞけない。


「今、話、いい?」


 アレクサンダーが問いかけてくる。

 ひそめるような声だ。だからきっとそれは、代行者に聞かれたくない秘密の相談なのだろうと思った。


 イーリィは床に片膝をついて、長い話にそなえる。……片膝をつけば高く、立てば低い。小窓は、そんな、誰かと長話をするには向かない位置にあった。


「なんですか? 夜が明ければ第二成人式ですよ。早めに寝ておかないと」


「俺はいいんだよ。お前こそまだ起きてたのか」


「それは……だって……」


「ああ、そういや今回から、新成人への祝辞をお前がやるんだっけ? そりゃ緊張もするか。冠婚葬祭を司るってのも大変だよなあ。お前にとっちゃ年に一回……えーっと、成人式、第二成人式、あとなんか三つぐらいあったっけ。となると五回? やり続けるけど、やられる側は一生に一度だもんな」


 代行者からイーリィへと村の祭事を司る役割がだんだん移っていくのは周知の事実なのだった。


 なにせイーリィがもう十四歳なのだ。代行者はそろそろ三十歳になる。

 来たるべき寿命に備えて――神に召される日に備えて若者へと役割を引き継いでいくのが、今の代行者の主な仕事であった。


「……でも、私の心配はそんなことじゃなくって……今日は、兄さんがいなくなっちゃう日じゃないですか」


「そうそう、そのことでさ。おっさんが色々動いてるみたいじゃん」


「……え? 知ってるんですか?」


「まあね。考えそうなことはわかるっていうか。お前も手伝うんだろ?」


 アレクサンダーの口調は確信的で、こちらのくわだてはすっかりお見通しのようだった。


 イーリィは観念したように息をつく。


「そうです。私は……どうしたらいいか、わかりません。代行者さまに言われるまま、あの人の味方をしていいのか……それとも、兄さんの味方をするべきか、わからないんです」


「お前に味方を頼む、ねぇ。あのおっさん、けっこう追い詰められてんのな。これほど神聖なイメージ付けをしたお前を、いかにも俗っぽい争いに、かりだそうとするなんざ」


「だって今の兄さんは、代行者さまよりずっとずっと強いのでしょう? だから、嘆いておいででしたよ。『どうやったらあんなのを止められるんだ』って……それで、今回の試みを」


「なるほど強さか。で、お前をかりだす。つまりあのおっさん、俺をぶん殴って言うこと聞かせようとしてる? お前をわざわざ頼るってことは、お前にしかない力が必要ってことだもんな。それはまあ、回復なんだろうな。知識とか見地とかじゃなくって、あのおっさんがお前に頼るなら、それはヒーラーとしての役割だろう」


「……そうですよ? 兄さんは違う話を聞いてたんですか?」


「いや、なんの話も聞いてなかった。今初めて知ったわ。ありがとう」


「……あっ!?」


 初めて、罠にかけられたのだと気づいた。


 なんの情報も持っていないアレクサンダーは、てきとうなことを言って、今、イーリィから情報を引き出したのだ。


「ず、ずるい!」


「ずるいよ。いやでもさ、黙って俺を襲う計画を立ててたお前らもずるくない?」


「それは……それはそうですけど……」


「それにさあ、なんかしてくるだろうってのは思ってた。だってお前、嘘とか苦手すぎだもん。お前に話したことは、言葉にしなくても、たぶんおっさんに伝わってる。今回に限ってはたぶん、言葉にもしたんだろう」


「それは誤解です! 私は言ってません! ……その、直接的には、というか……」


「うっかり、おっさんにヒントを与えちまったわけだろ? まあいいよ。想定内だから。これでもお前とおっさんのあいだに隠し事を増やしてるのは気に病んでたんだぜ。親子仲がいいようでけっこうだ」


「……でも、代行者さまは、兄さんのことをよくわかってますよ。兄さんが出て行くという話は、私の言葉をヒントにしたかもしれませんけど……出て行くタイミングを言い当てたのは、代行者さまです。私は、言葉にしてません」


「で、その俺のことをよくわかっている代行者さまが、俺を殴って止めようって? お前も殴れば止まると思ってる?」


「私は、止まるとは思ってないです。兄さんは出て行くと決定してますから」


「正解だ。俺は出て行く。これだけは決定事項だ。殴られて止まるようなもんじゃない。まあ、殴り合いが起こること自体は理想通りなんだけどな」


 イーリィはアレクサンダーの言葉を思い出した。


『半端な決別じゃ足りない。決定的な、二度とこの村には戻らないぐらいの決裂をしないとならないとは思ってる』――


 殴り合いが理想通りというのは、そういうことなのだろう。


「ただ、おっさんがお前を従えるのはちょっと予想外だ。最悪、殺すしかなくなる。だってお前、瀕死程度の重傷じゃあすぐに治しちまうからな」


「……そこまで、しますか?」


「決裂のかたちとしちゃあ、そこまですべきだ。でも、俺はなるべく『殺し』はしたくない。……あ、いや、待て、違う。殺しっていう選択肢は『とりうる手段』の中にある。でも、俺はあのおっさんを殺したくないんだ。わりと楽しかったんだぜ、おっさんとの追いかけっこ」


「……言い直された意味がわからないんですけど」


「わからないならそれがいい。……で、お前の意思は?」


「……ありません」


「意味がわからないんですけど」


「意思は、ありません。どうしたらいいか、わかりません。だからたぶん、今日、代行者さまを治す役割を負うと思います。そう、命じられたので」


「……えっ、それってさ、今、俺が『俺の味方につけ』って言ったら、つくの?」


「そう言われたならば」


 言われたなら、従う。

 イーリィは自分で考えることができなかった。大事なものが多すぎて、でも、大事なものは対立している。


 大事な父と大事なアレクサンダーが対立している、という程度の意味ではない。

 イーリィの頭がこんがらがるぐらいには、複雑だ。


 アレクサンダーの意思を尊重したいけれど村から出て行ってほしくはないし、父の味方をしてアレクサンダーが村に残るならば父の味方をすべきと思うのに、アレクサンダーとそこまでの決別をしたくない。


 理想の結論は『みんな笑顔で楽しく村でずっと暮らす』だ。


 けれどそれはたどり着けない夢だった。

 無理矢理アレクサンダーを村に残すか、アレクサンダーが無理矢理村を出て行くかの二択しかない。


 誰の味方をするか選ばなければならない――すなわち、敵を選ばなければならない。


「もしも夢が叶うならば、兄さんには私と一緒に、村に残ってほしい」


「その夢は叶わない」


「いっしょにいては、くれないんですか?」


「お前が着いてくるなら、いっしょにいてやれる」


「それは、したくありません。私は……自分の意思では、この部屋から出ることさえできないんです。兄さんにとっては簡単に開ける扉が、私にとっては、あまりにも重いんです」


「それは恐怖か? 『こわい』という感情がそうさせるのか?」


「いいえ」


「ならそれは、なんていう感情だ? お前に教えた中に、あるか?」


 イーリィは、アレクサンダーから教わった『気持ち』を思い出す。


 たくさんの楽しいと、たくさんの嬉しい。

 日常的にそこらで感じる軽い怒りもあったし、悲しいも、苦しいも、あった。


 けれど、今の気持ちをあらわすならば、それは――


「『ずるい(・・・)』」


「……」


「代行者さまは、この村にいます。私は……私は、神様がいなければ、生きていけなかったと教わりました。私のために、父は、神様を創ってくれたんです。すべて、私のために」


「……」


「そうやって私のために用意してくれた村の、私のために用意された小部屋から、私が自分で出るのは……あまりにも、ずるいと、思うんです」


「それがなぜ、『ずるい』?」


「私がこんな力を持って生まれてしまったばっかりに、父はここまでしなければならなかったから。その私がすべて捨てて出て行くのは、あまりにも、ずるいと、思うんです」


 言葉にしていて、だんだんと思い出すことがあった。


 かつてイーリィはここではない村にいて、そこを追い出された。

 かつてイーリィには母がいて、その人は死んでしまった。


 かつて、この村には――神なんか、いなかった。


 そこに神を生み出したのは、父だ。まだ幼い、歩き始めたばかりの自分を連れた、父だ。

 この異常な力を持った自分を愛し、力をもったまま生きていっていいのだと、ずっと肯定し続けてくれた、父だった。


 この村は、花の香りのする小部屋。


 自分のために綺麗に整えられた、善良で敬虔な人たちの住まう、美しい聖域だった。


「……私はこの聖域を出て行くことができません。父の想いを無碍(むげ)にできません。神を信じてしまった村の人たちを放って行くことはできません。私は……聖女なので。そういう役割を負わないと排斥される、異端の力を持った、生き物なので」


 聖域にいない聖女の呼び名を思い出す。


『悪しきもの』。


 神という、『目に見えない、いるかどうかもわからない、けれど人々の心に寄り添うことのできる強大なもの』の後ろ盾なしでは、自分はただの異端者で、ただの悪なのだった。


 親しくしてくれた人にまで石を投げられる、排斥すべき生き物、なのだった。


「気づくのが遅れてしまったけれど、私は最初から、あなたとは行けなかった。私は、父の創った優しい聖域で朽ちていきます。あなたはどうか、」


 どうか。


 その先には旅の安全を願う言葉を続けるつもりでいた。

 世界に発つ人への祝辞。聖女のことほぎ(・・・・)が続くはずだった。


 でも、言葉は、出なかった。


 祝うべきなのに、祝えない。

 祝えるはずがない。


 だって、行ってほしくないから。

 ともにこの聖域で朽ちてほしいから。


 行くなら、連れていってほしいから。

 石を投げられることになったって、まだまだたくさん、楽しい話をしてほしいから。


 パクパクと口ばかりが動いた。声にはならなかった。


 涙があふれてきた。こらえようといかめしい顔になるが、桃色の瞳はあっというまに潤んで、その目尻から一筋、涙がこぼれ落ちた。


 アレクサンダーは、笑う。


「おもしれー顔」


「……うるさいですよ」


「あー、わかったわかった。お前はほんと、小うるさい」


「……なにも、言ってないじゃないですか」


「顔がうるさい。態度がうるさい。沈黙がうるさい」


「そんなの……どうしろっていうんですか」


「いい、いい。どうもしないでいい。お前はそれでいい。それがお前だ。つまんねーことで責任感じて、与えられた役目をクソまじめにこなそうとして、自分を縛って生きていくのがお前だ。ガキのころからずっと、お前はそうだった。どんなに自由でも外に出ないヒキコモリめ」


「……」


「負けたよ。さらってやる」


「え?」


「今日、お前を、誘拐して、旅に出る」

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