20話 その他大勢でしかない私
「よく笑うようになったし、怒るようにもなったよな」
アレクサンダーと過ごす時間はまたたくまに過ぎていく。
その生活がイーリィに与えた変化は多かった。村に与えた変化はもっと多かった。
村人たちは強くなり、遠くにまで行けるようになった。狩りや採集の範囲と期間が飛躍的に伸びて、村は豊かになった。
イーリィは笑ったり怒ったり嘆いたりするようになった。
嘆く比率が非常に多いのが困りもので、なにを嘆くかといえば、もちろんアレクサンダーの行動についてだ。
アレクサンダーにくっついて歩いていると、村の人たちとの交流も増える。
そうなるとアレクサンダーの行動がいかに『常識外れ』かがわかるのだ。アレクサンダーの突飛な行動や思いつきによって、いろんな人が苦笑いしているのが、わかるのだ。
そういう時にしかし、アレクサンダーに向けて注意をする人がいない。
村のみんなはアレクサンダーのおかげで強くなっている。
しかし、アレクサンダーはその比じゃないぐらいに強くなっている。
修練の密度や時間が、異常なのだった。数日寝ずに『モンスター狩り』を続けたことも、たくさんあるのだという。
アレクサンダーはいつ寝ているのかわからなかった。寝ていないかもしれない、と冗談交じりに言われることもあった。
その長い起床時間のほぼすべてを鍛錬に費やすものだから、村人たちとの差はどんどん広くなっている。
なにが彼を、そこまでの鍛錬に駆り立てるのだろう?
「世界に旅立つからな」
……それは、どうやら、彼の中で、決定事項らしかった。
村人たちが『村でどう豊かに暮らしていくか』を考えて行動しているあいだにも、アレクサンダーは『村を出たあとできることを増やそう』と考えて鍛錬している。
目指す場所の違いが、そのまま日常生活の違いになっているのだった。
……ああ、人は、必要のないことはできない。みんな、自分の中で必要性を見つけて、自分の中で納得して、自分の中で受け入れて生きている。
見えない場所を目指すのは才能だ。特別な、才能だ。
アレクサンダーには、その才能があるらしい。才能があって、しまうらしい。
「十五歳の一人前認定を受けるころ旅立つわ」
……二人きりで、『恵みの地』に行くことも増えた。
季節は関係がなかった。寒い時期も、暖かい時期も、暑い時期も、ここに来た。
アレクサンダーに付き合って道中のモンスターを倒したり、恵みを採集して帰ったりもした。
カゴを編めるようになった。狩りができるようになった。
アレクサンダーが全然興味を示さないから、食事の支度だって、できるようになってしまった。
笑うのも、怒るのも、ため息をつくのも、アレクサンダーに教わった。
でも、自分の足で、神殿から出て行く覚悟の仕方は、教わっていない。
彼が手を引いてくれないと、まだ、神殿の外に出ることは、できない。
暖かく、けれど暑すぎない『恵みの地』で、湖をながめながら話している。
この楽園はいつか終わるものらしくって、その『いつか』は、もう、すぐそこまでせまっている。
行かないでほしい、とささやいた。
「ついて来るか?」
それはできない、とつぶやいた。
「じゃあ、しょうがねーな」
それは『お前が残るなら俺も残るよ』という意味ではないことがあきらかだった。
しょうがないから、置いていく。
そういう意味の、『しょうがねーな』なのだった。
「どうして?」
いっぱいの意味を込めて問いかける。
彼は緑の天蓋をながめて言う。
「どうしてかなあ」
「理由がないなら、村で暮らしてもいいじゃないですか。代行者さまだって認めてますよ。私と兄さんで『ケッコン』して、それで村を引っ張って行きましょうよ」
「それ、面白い?」
「……」
「いや、俺もさ、そういうのちょっと想像したんだよ。村でやっていく、ってやつ。みんなとはなんとかうまくやってるし、面倒くせーだろうなと覚悟してた価値観のすりあわせもなかなか上手に運んでる。この村に不満はないよ。みんな善良で、みんな勤勉だ」
「だったら……」
「でも、それだけなんだ」
「……」
「俺の寿命が百年あったら、五十年ぐらいかけてこの村を一大アミューズメントシティに成長させようっていうのもいいのかもしれねーけどさ。人間はそんなに長く生きられねーんだ。時間は有限なんだよな、悲しいぐらい」
「……」
「そうなるとさ、すでに発展してる都市を探して、おいしいとこだけ味わったほうが得じゃね?」
「ないですよ、兄さんの言うような場所なんか」
「どうやって証明する?」
「……それは……兄さんこそ、どうやって『ある』って証明するんですか?」
「実際に見てまわって、発見する。これ以上の証明はない。だから行く」
決意はあまりにもかたくて、イーリィにはそれをくじく手段はなかった。
絶句するイーリィに、アレクサンダーは頬をかいて言う。
「あとさあ、『ケッコン』の話だけど」
「……はい?」
「お前と『ケッコン』っていうのが、うまく想像つかない。だってお前、妹じゃん」
「妹ですけど、妹じゃないです」
「そんなことはわかってんだよ。そうじゃなくって、なんつーの? お前が俺のことを強引に兄さんって呼んだあの日から、お前はどうしようもなく、妹分なんだよな。そういう感じでロックされちまった」
「……」
「あとさあ、お前はガンガンでかくなるけど、俺は十二歳のあの日から成長しないし。なんつーの? 見た目? 沿わなくない? いやまあ、俺と同じぐらいの見た目年齢と『ケッコン』とかになると、こう、倫理的な問題が生じるわけですが」
「兄さんは村の女の子に人気ですよ。一番、狩りができるから」
「そこなんだよなー。そこもなー。俺の価値観と合わないんだよなー。いや、収入で男を見るのはなんも間違ってないよ。子孫を残すのが急務なのもわかるよ。だって村の人間の寿命、長くて四十歳ぐらいだもんな。わかるんだよほんと。でもなー。俺もなー。恋愛してみたいっていうかさー」
「……したければ、すればいいのでは?」
「そう、その対応ね! したいからってできるもんじゃないんだな、これが。概念がないんだよなー。俺の知ってる世界にある概念が、ほんとに、ないものばっかり。家は作れる。施設も作れる。意識改革もまあ、できなくはない。でも、概念は人力じゃなかなか難しい。十五で子供を作るのが半ば義務になってる村で、恋愛という概念をわからせるのは、俺には無理だ」
「やってみましょうよ。案外、できるかもしれません」
「いや、っていうかさ、俺はもともとこの村を育てるつもりは全然なかったし、十二歳のあの日に出て行こうと思ってたぐらいなんだよ」
「……じゃあ、なんで今日までいたんですか?」
「お前との約束を果たすため。お前にいろんな気持ちを教えるってアレを果たすためだよ」
胸を突かれたような、心地があった。
どん、と強く突かれた。重くかたいものに突かれた。
それはただの言葉だったはずなのに、まるで、実際にかたちがあるものでもアレクサンダーの口から放たれたみたいだった。
約束を果たすため。
その言葉を聞いて襲い来た感情は、かなり色々な感情を知った今でさえ、難しかった。
申し訳なく思った。
心苦しく思った。
そして、嬉しかった。
たまらなく嬉しかった。はしゃぎたくなるほど嬉しかった。立ち上がってちょっとどこかへ走って行きたくなるぐらい嬉しかった。
でも、嬉しいことが、後ろめたかった。
「お前は感情豊かになったよな。いや、まあ、もともと無感動じゃなくって、表現方法がわからないって感じだったけど。色々話して、感じたことの名前を教えて、お前はそれを上手に使えるようになった。俺の仕事は、終わったんだよ」
「……でも、私は」
「お前はさ、十五で旦那を選んで、『ケッコン』して、子供産んで、っていう常識の中で生きていくんだろ? そうしてできた子供に神様のこと教えて、十二歳でその子が成人したら狩りに出すか、まあ女の子なら村での仕事さしてさ。そういうルーティンの中で過ごしていくわけだ」
「……村で生きるっていうのは、そういうことでしょう?」
「俺には無理だ。気が狂う」
「……」
「娯楽をな、色々知ってるんだ。この村はほんっっっっと退屈でさあ。マジでモンスター狩りぐらいしかやることねーでやんの。で、そのモンスター狩りも、もうない」
「もう、ない?」
「そう。親玉みたいなの倒したら、すっかりわかなくなっちまった。たぶんあれ、マザー的なやつだったんだ。この『恵みの地』の最奥にいる、狼もどきどもの『マザー』。……あー、そうか。ダンジョンなんだな、ここ。ダンジョンマスターだ」
「……」
「いい、いい。じっと見ても教えねーよ。だって知る必要がねーもん。モンスターの脅威は去ったんだよ。俺の退屈しのぎも消え去ったんだよ。眠れない夜をどう過ごせばいい? そう、冒険だ。俺は冒険者になる」
「……なんですか、それは? なにをする仕事なんですか?」
「仕事じゃねーよ。生き様だ」
「……『イキザマ』?」
「危険を冒すんだよ。そんなことしなくていい! 人には安全に生きる権利がある! 村でずっと過ごせば、ちやほやもされるし、平和な時間が過ぎていく!」
「え、そ、そうですよ」
「でも、やるんだ」
「……なんで?」
「楽しいから」
「……そんなことに、命を懸けるほどの価値が?」
「おう! ……ああ、理解しようとしなくていいぞ。ただ、これだけ覚えておいてくれ。『自分にはわからない原理で行動するヤツも世の中にはいる。理解するんじゃなくて、違うことを尊重するだけでいい』」
「……わかりません」
「だろうな。右向け右の村だからな。理解できない隣人なんかまたたくまに村八分よ。……いや、この村だとどうかな。みんなかなり理解あるからな……でもその理解はきっと、実績に基づいたものなんだろうとは思うんだけどさ」
「でも、『楽しいから』で命を捨てるのは、世界の誰にも理解できませんよ」
「命は捨てねーよ。賭けるんだ。今のお前の発言は、『勝負する』って言った相手に『負けに行くの?』って聞くのに等しい。さすがに失礼だから謝りなさい」
「ご、ごめんなさい」
「よろしい。ってなわけだから。この足で出て行ってもいいんだけど、節目になる儀式を待って出て行くことにした。最後にもう一回ぐらい、あのおっさんとマジのケンカもしたいしな」
「……あなたたちは、親子みたいですよね」
「悪いな。お前のパパなのに。アレクサンダーくんってば親がいないからさあ」
「……私は……私の父は、いません。あの人は、代行者で、私は、聖女です。それ以外の関係だったころのことは、もう記憶にありません。あったのかも、わからないです」
「……やっぱさあ、男親の気持ちは、女の子にはわかんねーよなあ」
「そうやってすぐ、代行者さまとわかりあってる感じのことを言う……」
「いやあ、娘が十五歳にもなってねーのに大人顔負けのナイスバディ美女に育ったら、男親は誰だって心配するって……あのおっさんが俺を見る目、けっこうすごいぜ。まあそれでもなんとなく許されてるのはたぶん、俺とお前で『ケッコン』することが、あのおっさんの中で決定事項だからだろうな」
「そうですよ。代行者さまは、そう言ってます。あなたを次期代行者にするって。あなたしか適任がいないって……」
「うん、だからさ。期待させちまった償いのためにも、十五歳まで待って、十五歳を祝う儀式の中で、出て行く旨を言おうと思ってるんだ」
「……怒り狂いますよ。償いにはなってないと思います」
「いや、狂うぐらい怒ってもらったほうが俺も出て行きやすい。殴り合いに発展すればサイコーだな! なんていうか、半端な決別じゃ足りない。決定的な、二度とこの村には戻らないぐらいの決裂をしないとならないとは思ってる」
「……帰ってこないんですか?」
「中途半端はよくないよ。村のルールを破っても、特例でたまに帰ってきて仲良く過ごすとか、そういうことやっちまうと、お前らの愛した退屈な村が変わっていく。出て行くなりに気はつかうよ。お前らのこと嫌いなわけじゃないからな」
お前ら、と彼は言う。
お前、とは、言わなかった。
「まあだから、ここでこうしてだべるのも、そう何度もない。……せっかくだから楽しくやろうぜ。進む道は違っても、こうしてここで過ごした時間は、永遠に失われない思い出になるだろうからさ」