167話 旅路の果てに
人に願いを束ねることはできない。
願いとは、かたちがないものだから。
人は死者から願いを受け取ることができる。
願いとは、かたちがないものだから。
すべては気分の問題だと月光は思っている。
彼女の人生は必ずしも幸福ではなかっただろう。
けれど、必ずしも不幸ではなかった。
どうやって総括するかは気分の問題で――
ようするに、目的さえ叶ってしまえば、過程にあった不幸もなんだか、納得できてしまういい思い出になるのだろうと、思っている。
あの冒険譚から五百年の時が経った。
カグヤの予言を信じ、アレクサンダーを殺すアレクサンダーを探し続けた。
ウー・フーの教えに従い、たくさんの人と交わり、いくらかの子も残した。
シロの行方はわからなかった。しかし、彼が発足し、王家と縁を切られ放浪していた『はいいろ』を発見し、これをおおいに役立てた。
そして――
ダヴィッドが遺せなかった聖剣を手にし、サロモンが遺した不死者殺しの法を修得した。
イーリィが信頼できる者たちにあてた『アレクサンダー殺しを依頼する手紙』が発見されて、あの夫妻の不仲説につながっているのは笑った。
ダヴィッドが鍛治を司る男神になっているのも面白かったし、エルフの中で晩年のサロモンについてほとんどなにも語られていないのは、いかにもあの男らしいなと感じた。
彼らの旅路を思い出す。
それは、建国の英雄たちの物語だ。
そこにいたのはカグヤであって、自分ではない。
自分の旅路を思い出す。
建国から五百年ほど続いた物語だ。
何度か殺されたが生き延びた。もしも自分が死んだら死ぬような存在であったならば、これほど懸命にアレクサンダー殺しの方法を求めて旅をしていたかどうかは、ちょっとわからない。
死なない、というのは、あらゆるものを狂わせるのだと思う。
死というリスクを取り払われた時、人は全能感にひたることができるのだろう。
不死というのは、いかにも無敵に感じる。けれど、死ぬよりつらいことは山ほどあって、ふと、死なない旅を終えたあとに、その重みに気づくのだ。
……まあ、例外はいるのだろうけれど。
「どうしました、母さん?」
最新の息子はその『例外』にあたるだろう。
その名を、アレクサンダー。
建国の大王アレクサンダーを殺す者となれ、と願いを込めてつけた名だ。
そして、この息子は、予想以上の手腕でこの目的を叶えようとしている。
有能というか――まあ、言わぬが花だろう。
大王アレクサンダーは、いくら殺しても死ぬことがなかった。
自分は、死ぬたびに新しい死体に憑依して、死と寿命を乗り越えた。
最新の息子であるアレクサンダーは、『セーブ&ロード』という異能で、何度でも死ねるし何度でも殺せる。
「いや」
つくづく『死と生』に奇妙な縁がある人生だったな、と振り返る。
この旅路も終わってみれば、人に語れる英雄譚になるのだろうか?
まあ――すべては、気分の問題だろう。
どう総括するかは気分の問題だ。
目的さえ叶ってしまえば、誇れない、情けない話ばかりのこの人生も、誰かの笑いを誘うぐらいの冒険譚にはなるのだろう。
――さあ、エンドマークを記しに行こう。
これは、なにをしても死ななかった男の話だ。
あの男を殺してあげられたなら――
そこから自分の人生を始めようかなと、月光は思った。
十五章 旅路の果てに 終
次回更新11月7日10時 『エピローグ』全2話投稿にて完結