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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十五章 旅路の果てに
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166話 弱者と強者6

 研究資料を残すようになり、実践までのペースは落ちたように思えた。


 それでも一定の有用性を認めたので、資料を残すことは続けた。


 相変わらず、アレクサンダーの死に姿は想像できない。


 ともに旅したサロモンは、あれの不死性を知っている。


 並んで戦ったサロモンは、あれがいかにしぶといかを知っている。


 ……かつて、笑いあったあの男が。

 いかに強いかを、よく、知っている。


 とうに終わった関係だった。

 弱者の重さに負けた者。もはや殺す価値も感じない――そう言い放って別れた。

 それがなんだか、今、あいつを殺すための余生を送っている。


 ……本当は、また、旅をしたかったのだと思う。


 アレクサンダーが、あるいは自分が、旅をしたかったのだと、思う。


 まだ見ぬ強敵がもういなくとも。

 旅路の果てになにもなくとも。

 ただ、旅をしているだけでも、よかったのかもしれない。


「アレクサンダー大王は、どのようなお方だったのです?」


 その質問は若いエルフがみな興味を持っていることらしく、この娘(そういえば名前をたずねていないが、どうせおとずれるのが彼女だけなのでどうでもいい)もまた、たびたび、たずねてきた。


 かつての建国の旅路について、サロモンは他者に語ろうとさえ思わない。

 言葉に出した時点で変質してしまう体験だ。正しく伝わるようには想像できなかったし、正しく伝えるための言葉選びに労力を費やすつもりもなかった。


 ただ、アレクサンダーがどういう男だったかと問われると、口をついて出る言葉があった。


「めちゃくちゃな男だった」


「おじさまより?」


「……ふん。さてな。その闘争においては、当時を知る者の公正な判断が勝敗を決めるべきであろうが……」


「そこでも競うんですね……」


「他とは明らかに違う男ではあった。……そう、あいつは……気持ち悪くはなかったな」


「気持ち悪い?」


「古い考えに凝り固まり、自分の立つ場所こそが最高の地だと思い込み、その中での権威闘争に躍起になり、新しい場所に踏み出す努力を怠る、弱者ども。……それだけならまだしも、自分の認知できぬものを見るとなるや、まとめて否定してかかる。そのうえ、己らで定めた価値基準さえ、その場の気分でゆるがせにする愚か者ども。……そういった者を、我は気持ちが悪く思う」


「お父様ですね」


「ジルベールは、あれで、だいぶマシな方だった。今は知らんが、当時はな。……アレクサンダーは……そうだ。あの男は、『壁に囲まれていない者』だった」


「壁? ……ああ、なんとなくわかります」


 常識。価値観。足場。仲間内での関係。

 空気。生活様式。思想。宗教。

 そして、それらが渾然一体(こんぜんいったい)となった時に生まれる、『自分と同じものをまとっていないヤツは排除するか教化していい』という――


 ――()()


 自分たちの正義に従わないものを悪とみなして許される空気感。

 ……『壁』を言葉にするなら、そういったものだろうか。


「弱者には、あらゆる壁が必要だ」


「……」


「その程度のことなど、最初から気づいているとも。壁の中で安穏とする権利ぐらい、我とて認めている。けれど、弱者は、自分以外をさらなる弱者と思い込み、なにがなんでも壁の中に押し込めようとする性質がある。……我のような強者には、そんなものがいらんのだと理解もせず、しようともせずにな。そういう弱者の押し付けがましさを、我は好まぬ。あの男には、そういうところがなかった」


「ええと、おじさまの価値観で言えば、アレクサンダー大王は『強者』だったのです? それとも『弱者』?」


「強者だと見込んだ。だが、やつは、弱者の重さに負けた」


「よくわからないです」


「ならば、それでいい。……ともかく、アレクサンダーと旅をしているあいだ、我が『壁』について煩わしい思いをすることがなかったのは、事実だ。同行した中には、弱すぎて苛立つ者もあったが――」


 サロモンの脳裏に、銀の輝きがちらついた。

 それを消し去るように目を閉じて、


「――アレクサンダーは、()()()()。そして、弱くなった。だが、我はあいつに勝ってはいない。それゆえに、あいつを弱者と断じる我の判断が誤りでないと示すべく、アレクサンダーという弱者を我の下におかねばならん」


 それは、言語化して初めて気づいた、自分の行動理念だった。


 強者と自負して生きてきた。

 かつての自分は、闘争ですべてが決まる世界を望んでいた。

 なぜならばそこは、弓の腕さえあればどのような小難しいことも、口喧しいことも、言われることがない世界だったからだ。

 きちんと成果をあげてしまえば生活態度だの社会性だのといったもので、ネチネチと言われることのない、シンプルな世界だったからだ。


 そのシンプルな基準に、自分だけは身をおいてきた。


 ならば――自分が誰かを弱者と断じる時、自分よりその弱者が強いことなどあってはならない。

 それは、自分の人生に対する裏切りだ。


「あれを殺すことで、我は、我の生き方の正しさを証明するのだろう」


「はあ、おじさまは独り言みたいにしゃべるので、ちょっと意味をつかみかねるのですが……私がお手伝いしているのは、おじさまの自己満足なのですね?」


「そうだ」


「国家転覆とか人類皆殺しとかが目的じゃなくて安心したです。即死魔法だなんて物騒なもの、半実用化してるおじさまが危険思想持ちではなくよかったです」


「国家だの人類だの、そんな弱者の群れなど、どうでもいい。興味もない」


「でも、おじさま、世界は弱者でできているんですよ」


「だからなんだ?」


「……一人きりになっても生きていける人でしたね、そういえば」


 少女はあきれたような顔をして、それきりこの話は終わった。


 ……年月が過ぎ去っていく。


 外界との接触をほとんど絶っていたサロモンにとって、外の情勢は少女からもたらされる情報だけでしか伝わらなかった。


 研究はあまり進歩していない。


 やはり、アレクサンダーを殺すイメージができない。


 あの不死性をそばで見続けてきたサロモンにとって、あの男の死ぬ姿というのは、本当に想像しにくいものだった。


 ……それに。


 それに、いい加減に、向き合わなければならないだろう。


 殺したくなかった。


 ずいぶん前から気づいていた。自分は、あの男を殺したくはない。


 あの男が若いまままだ生きているというなら、ともに、再び、旅をしたいと思う。


 けれど――


 あの男を殺してやれるのは自分だけだという、自負があった。


 たくさんの弱者にぶらさがられて身動きもとれないあの男の命脈を絶ってやれるのは、自分だけだと思っていた。

 たとえ誰か自分より能力的に優れた者がいたとしても、自分がやるべき、自分がやりたいことだと思っていた。


 ……闘争の、決着を。


 歯を食いしばって、あの男の死にざまをイメージし続ける。


 それは自分の旅路に自分でとどめを刺す行為だ。

 あの男との闘争を決着することで、ようやく、自分の青春は終わる。


 それが、惜しかった。


 心躍る旅路だったのだ。腐って独りきりで死にいくはずだった自分にできた、数少ない仲間だった。

 あの旅こそが、自分の世界を変えた。

 だから、できるなら、ずっと、続いてほしかった。


 でも、旅は終わる。


 ……年月が矢のように過ぎ去っていく。


 ジルベールの訃報がとどけられた。

 アレクサンダーの王都ではもう三代だか四代だかの女王が即位しているとかいう話だ。


 王を継ぐというのは大変なようで、あの少女も――もはや『少女』ではなかろうが――最近は姿を見せない。


 自分も、そろそろ、寿命で命脈が尽きるのだろう。


 エルフの自分がこうなのだから、人間族ならば、とっくに死んでいるだろう。

 それでも、サロモンは、アレクサンダーの生存を確信している。

 たしかめるまでもなかった。あの男が、時間などというものに殺されるわけがない――それはほとんど狂信だった。


「……」


 その日の朝、目覚めるとともに、なんとなく、自分が今日死ぬのだろうという確信みたいなものがよぎった。


 不死殺しはまだ、出来上がっていない。


『あと一歩』を繰り返し続けた人生だった。

 決着をつけたいことほど、あとほんの少しで、手がとどかない。


 だが、それを悔やみ、後悔しながら死んでいくのは、自分らしくないと思った。


 強者とは。

 強者とは、素直に敗北を認める者だ。


 自分は強いのだという勘違いにすがらず、自分は負けていないなどという屈折したプライドにしがみつかない。

 当たり前のように勝利し、当たり前のように敗北する。

 すべてを受け入れ、足りなければ研鑽する――()()()()


 旅を続けることこそが、強者の条件だ。


 ならば、足をこれ以上動かせそうもない自分もまた、弱者になってしまうのだろう。


 研鑽の機会がないのは、残念だけれど。

 ついに負けたのか、と。静かに、平然と、自然体で、納得した。


 サロモンは研究中だった資料に、ただ、一言記すことにした。

 後世になにかを残し、自分以外に夢をたくすことなど興味がなかった彼が、夢を成せなかった末期にできる唯一の『未来の誰かへの働きかけ』が、それだったのだ。


 どんな一言がいいだろうか、考える。

 殺したかった男のことを、考える。


 ――自分は、寿命などというくだらないものに負けてしまったけれど。

 ――いつの日か、まだ生きている貴様を殺す者もあろう。

 ――すべての強者は、いずれ、自分より強いなにかに追いつかれる。

 ――すべての強者は、いつか、弱者になる。


 ――だから、時代が変わっても、世界が変わっても、変わらない意味のある言葉を記そう。


 ――極めて主観的に、自分にとって、あの男がなんだったのかを、記しておこう。

 ――未来においてあの男がどのようなものに成り下がってしまっても、自分だけは、貴様のことを、こう思う。


『我が強敵へ捧ぐ』


 それが、彼の旅路の終わりだった。


 目的を叶えられなかった彼は、満足そうに笑っていた。

 だって、あの男は――生涯を費やしても惜しくない、たった一人の強敵(しんゆう)だったから。

スピンオフ4

弱者と強者 終

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