165話 弱者と強者5
それは、自分と向き合う旅路だった。
洞穴内に一人でじっと座り込んで、アレクサンダーを殺すイメージを固めていく。
けれど、それは、いつでも、あと一歩のところで霧散した。
どうしてだろう、あの男の死体を想像できない。
サロモンは自分を説得し、納得させるための設定を定めなければならなかった。
まずは、即死だ。
生物には等しくおとずれる『死』という現象。それを強制的に引き起こすための術式が必要だ。
一瞬で、生き物を殺す。
それは、なんだろう?
寿命までの時間を無理やり経たせる?
活動に必要な器官を止めてしまう?
あるいはもっと、他のなにか――そうだ、あの、王都となった場所で戦った『影』が最後に見せたような、そこを突かれれば倒されてしまう弱点。それを無理やり生み出して、そこに作用するというような仕掛けも、可能かもしれない。
いくらかの術式を定めては、実践を繰り返す。
修正こそ必要だったが、すべて、可能だった。
ただ――モンスターや野生動物をこの魔法で殺すたび、なぜか、これでアレクサンダーを殺すイメージが遠ざかっていく。
……ともすれば、アレクサンダーで試すべきなのかもしれない。
だけれど、サロモンのプライドがそれを許さなかった。
殺すべき相手に協力をあおいで、手の内をすべてさらして、相談までして、作り上げる――それは、それは、嫌だった。
それでは、自分が殺したのだとは、言えないと、感じた。
……ああ、死ぬのか、あの男が。
アレクサンダー。
彼は、強くはないのだろう。
腕力は強い。足も速い。剣術の技量も実戦で磨かれた。不死の肉体は言うにおよばず、不眠にして疲労を知らないので不意打ちもきかない。
だけれど、強くない。
……そう、彼は特別ではなかった。
才能がなかった、といえばもう少しイメージに近いだろうか。
どこか愚直で、非効率で、なによりも不死身でなければ何度だって死んでいるぐらいに、戦闘的な察しが悪い。
もしも不死身でさえなければ、彼は最初から最後まで、数多いる弱者のうち一人でしかなかっただろう。
――不死身の男に対し、『不死身でなければ』なんていう仮定をしても意味がないのはわかっているが、サロモンにはなぜか、そういう考えがあった。
……あの男を、殺すのか。
即死の魔法を磨き上げていく。
理論構築は思ったよりはかどった。けれど、どれも納得がいかず、もう一歩、アレクサンダーを殺すには足りないように思われた。
アレクサンダーの死に顔が想像できない。
自分たちの闘いの決着が想像できない。
……どれほど月日が流れても、どれほど完璧に思える理屈を練り上げても、あの男を殺すその一歩手前までしか、イメージがわかない。
予想外にかかった時間は、洞穴の外で時代を変化させていったらしい。
来る者もいないと思っていたこの場所に、来客があった。
それは見慣れない若いエルフの女で、洞穴内をずんずん進んでサロモンのいるあたりにまで来た。
そうしていながら衰弱した様子もない。無限とはいかないまでも、かなり、魔力が多いのだろう。
その気の強そうな顔立ちに、サロモンは見覚えがある気がした。
「…………ジルベールの妻か?」
「娘です!」
……なんと、サロモンが引きこもっているあいだに、ジルベールの子が産まれ、こんなにも大きく育っていたらしかった。
思わぬ来客の正体に、さすがのサロモンも言葉を失う。
「というか、おじさま、手紙の返事がないどころか、読んでさえいらっしゃらないですね……」
おじさま、というものが自分に向けられた呼称であることに、妙な動揺があった。
最近ではずっと森に降りずに鉱石を半自動で運搬するような魔法を作り上げて、食料も決まった場所におかせ、それを魔法により運んでいる。
魔法でそんなことは不可能だ、と人は言うだろう。
けれどサロモンとそのほか大勢では、『魔法』という概念の認識が異なるのだ。
サロモンにとっての魔法は『真に万能なもの』であり、他の者にとっては『魔力を消費して遠距離攻撃をしたり、肉体を強化したり、生活を便利にするもの』なのだった。
……さて、サロモンは困り果てた。
いきなり乗り込んできた若い娘への対応方法がまったく浮かばなかったのである。
「おじさま、山中に隠遁して魔法研究をしているエルフとして有名です。というより、それ以外におじさまのなさっていることについて情報がなく、それしか言いようがないという感じですが」
つらつら語られる言葉を聞いているうちに、サロモンはようやく冷静になってきた。
そして、この少女の語り口が、自分の好きではないものだと気づく。
ようするに、目的がないのだ。
用件もないのに無駄なことをべらべらしゃべりかけられるのは、サロモンの嫌うところだった。
だが、血縁のせいなのか、それとも長い孤独な研究生活がこの自分にすら人恋しさを呼び起こしたのか、あるいはこの娘の雰囲気のせいか、邪険に追い払うほどのモチベーションがどうにもわいてこない。
だから、サロモンは久方ぶりに、他者に向けて声を出した。
「用事はなんだ」
「物見遊山です。観光ですね」
「……その程度の覚悟で来るには、少々ばかり、不都合な土地だと思うが」
「私は、『サロモンの血を継ぐ者』と言われているです」
「……?」
「もちろん、あなたの兄であるジルベールお父様の娘なので、血を継いでいるのは当たり前です。だから、この呼び名は、なんというか……ご本人を前に言うのもはばかられるですが、あなたを思わせる才能を持っていると、そういうことで、語られているです。ここまで来るのは、私にとってさほど難しくないのですよ」
だから、興味が出て、来ちゃった――そこからも続いた言葉をまとめるに、そういうのが、訪問動機らしかった。
「おじさまは、こんな山奥でなにを研究されているです?」
「……」
たしかに、この少女は、これだけ長くこの場所にいても、衰弱する気配がない。
今まで見たエルフどもとは比べ物にならない魔力量があるのだろう。
それに、ここに、こんなヒラヒラした軽装で来ているあたりに、『魔法』というものの真の姿を知っている気配も感じられた。
なんでもできる、異能。
多くの者はそのことを信じられないが、魔法というのは本来、なんでもありなのだ。
……来訪者にある程度の『強さ』を認め、サロモンはひとつの思いつきをした。
それは――
「ある、不死身の男を殺そうとしている」
「アレクサンダー大王?」
「そうだ」
「それはなんていうか、非常にバイオレンスです。国家転覆の気配がするです。まあ、アレクサンダー大王はすでに故人だそうですけれど……」
「なんだと?」
「以前。王都から森にアレクサンダー大王の訃報をとどける手紙が来たそうですよ。たしかに最近では表にも出ずに引きこもっていることが多かったようで、長くはないと言われていたですが。晩年に描かれた肖像画も、それは痩せ衰えている老人だったらしく……」
「ふん」
「なにか笑いどころがあったですか?」
「あれが死ぬものか。寿命や病気などという、くだらんものに、あれは殺されぬ。あれを殺すのは、ただ、我のみだ」
その発言に根拠らしきものを求めるならば、肖像画の情報がそうだろう。
アレクサンダーがどれほど老いないか、サロモンはその目で見てきた。
それが老いて痩せた姿の肖像画があるなどと、あの小癪な男がわざと――おそらくは政治的な理由で――そういうものを残したに決まっている。
だが、それさえも『サロモンと別れてから老いたのだ』と言われれば、根拠を伴った反論はできないが……
サロモンは、信じていた。
あれは、なににも負けない。
寿命にも、病気にも、ケガにも負けない。あれこそが、自分が打倒するに足る最強の男だと、根っこの部分で、信じ切っていたのだ。
この娘からの情報を聞いて、なぜか逆に自信が持てた。
……あまのじゃくな性質ゆえかもしれないが、サロモンは強くアレクサンダーの生存を確信したのだった。
ならば、思いつきを試そう。
「生き物を即死させる魔法を開発している。貴様、なにか思いつかないか?」
サロモンは若い思考の持ち主に、アイデアを求めたのである。
少女は目をぱちくりさせて、
「……それは非常に唐突ですね。まさか、お父様から『会話にならんぞ』『石と話した方がまだ建設的だ』『まずは呼びかけて言葉が返ってくると思わない方がいい』とさんざん言われていたおじさまから、相談を持ちかけられるとは」
「ふん」
「否定なさらないんですね……いえまあ、アイデアですか。うーん。とりあえず、おじさまが今までなにをしたかだけ、教えていただいても? 被った提案をしても仕方ないので……ああ、でも、長くなりそうですね。なにかそういうのをまとめた資料とかは……」
あるわけがなかった。
サロモンの研究は多くの者と共有するためのものではない。
あくまでも、自分がアレクサンダー殺しの技法を身につけるためのものだ。資料を残す理由がない。
また、魔法の真の姿を知るサロモンにとって、研究だの開発だのというのは、すべて『自分を納得させ、イメージを明確化するためのもの』であり、多少細部があやふやでも自分がわかればいいので、細々記録する意味もなかった。
しかし……
「ふむ、記録に残すのは一興か」
「いえいえ……研究なんだったら記録に残すべきかと。というか、私がすでに故人だと述べた大王を、それでも殺そうとなさるんですね」
「我は貴様の言葉より、やつの不死性を信じる。くだらんと思うなら、勝手に思え。他者の理解などいらぬ。これは、我とあいつとの、闘いだ」
「聞いてたよりだいぶアグレッシブルな方です……では、とりあえず次回は紙など持参するですよ」
「次回?」
「さすがに帰るぶんを考えると、そろそろ洞穴を出なければまずいので」
「また来るつもりか?」
「アイデアを求めておいて⁉︎」
かろうじて会話ができそうな相手だったから、気まぐれに聞いてみただけだった。
サロモンは失敗したと感じた――今後も二回、三回とこの少女を招き入れる想定などしていなかったのである。
そうだ、会話を振って、なにかをたずねてしまえば、そのあとに交流が発生する。
若き日、まだ生まれ育った集落にいたころ――それが嫌であらゆる人からの言葉を無視し続けた。そのことを、今、ようやく思い出した。
「……」
「今、あからさまに面倒くさそうな顔をしたですね」
「ふん」
「否定しないし! と、とにかく、研究記録を残すためのものを持ってまた来るですよ。あと、たまには手紙にお返事をしてあげてください。お父様も、『あの男が生きているのか死んでいるのかぐらいは知りたい。まあ、鉱石が届けられるので生きてはいるのだろうが……』とおっしゃっていたですから」
「それも、貴様がここに来た理由か」
「いえ、ここにはお父様に黙って来たですよ。おじさまの手伝いをするという名目ができたので、次回からはきちんと言ってから来るです」
「……」
想像より、だいぶしたたかそうだ。
そうやって、わたわたしながら、少女は帰っていった。
サロモンは少女を座ったまま見送り、そして、ふと、天井を見上げて、つぶやいた。
「……我が『おじさん』なのか」
感じたことのない衝撃が、じんわりとした余韻としてまだ残っていた。