156話 愛の英傑ウー・フー物語3
……本当はわかっていた。
自分が特殊性壁寄りの見た目をしていることが。
森を出て旅をした。
色々な人種と出会って、褐色なのも、五百年以上生きるのも、髪がざわざわ動くのも、いつまでも子供を産めるのも、ドライアドぐらいだというのはさすがに理解できた。
そして背が低いのも、いつまでも子供みたいなのも、自分たちぐらいなのだというのも、思い知らされた。
ドワーフなんかは小さい種族ではあるが、あれらはちゃんと、顔と体に年齢が出る。
エルフなんかは若いまま長い時間を生きるようなのだが、その肉体はドライアドほど小さくはなく、人間たちが『大人』とみなすぐらいまで体が大きくなる。
なるほど、かつて里に来た男たちの中で、女連れの者たちがあまり子種を落としていかなかった理由がなんとなくわかった。
自分たちみたいなのと子を成すと変な人扱いされるのだ。
しかし、そんなことわかっても、さすがに子供の一人も産まないと、まずい。
けっきょく、ドライアド内での評価は産んだ子の数で評価されるのだ。
いやな社会だ。
もう里に帰らなくてもいいかなあ、というのは最近思っている。
けれど、アレクサンダーがどんどん『開発』していくのを見ていると、ここらへんで自分が死んで樹化した場合、長い時を待たずに切り倒されそうな感じがして、それはイヤだった。
これはドライアドにしかわからない感覚かもしれないが、樹化したあと自分が切り倒されるかもしれない、というのはかなりのストレスだ。
そのストレスを軽減するために、死ぬなら故郷で死にたいが、故郷の社会は子供の一人も産んでいない自分を受け入れるかわからない――故郷にいるうちは『このまま子供を産まずに押し切ってやろう』とも思っていたが、離れて時間が経つと不安になってくるものなのだった。
「んむう……ウーは穏やかにだらだらしながら死んでいきたいだけだというに」
王宮内の中庭で草をいじりながら嘆いていると、とたんに影が差した。
見上げれば、そこにはシロがいた。
「んむう⁉︎」
ウーは思わず飛びのいて、でんぐり返しをして、シロと距離をとる。
シロはいつものように笑っていた。
「おや、唐突にどうされました? 服が汚れますよ」
「おま、お前っ! 足音を消して背後から忍び寄るな! びっくりするじゃろがい!」
「これは失礼。おどろくかと思いましてね」
「わざとやっとる⁉︎」
この顔がよくて体が強くて柔和な男には悪癖が二つある。
一つは会話の最中に意味のわからないタイミングで冗談を言い、自分で笑うこと。
もう一つは、こうやって、意味のわからないいたずらを仕掛けてくることだ。
「わ、わしになんの用事じゃ⁉︎」
「いえいえ。用事はなにも。ヒマそうにしているのが見えたもので、雑談でもしようかなあと思ったぐらいで」
「お前と話すと、途中から自分の意思で話してない感じになるからイヤじゃ」
シロと会話するとたびたび起こる謎の現象があるのだった。
なにかに操られて自動的に発言させられるというのか、会話の中で選択肢を奪われて他の発言の余地がなくなるというのか……
これが本当に不思議であり不気味なので、ウーはシロとの会話を避ける傾向にあった。
「これは嫌われましたね。傷つくなあ。いや、そうでもないかな? あっはっは」
「そういうとこが嫌いなんじゃ!」
「……まあ、そうですね。僕も不器用なまねをしてしまいました。実のところ、用事があって、声をかけたのです。用事というか、お願いかな」
シロの顔から、不意に笑みが消えた。
ウーはシロから自分に『お願い』など想像がつかなかった。
この男はたいていのことを如才なくこなしてしまうのだ。自分の力など必要とするわけがない。
ただ、その顔に無視できない真剣さを感じ取ったのと――
あとは、人からお願いをされるのは気分がいいので、ウーはとりあえず聞くだけ聞いてみることにした。
「……言うてみいよ」
「あなたに、アレクサンダーのそばにいてほしい」
「…………寝取れということか?」
「あっはっは。うーん、なるほど。そうなるのかあ……」
「他にないじゃろ。……参謀役としても力不足感があり、護衛役として論外なら、あとはもう、わしの老獪な女の魅力しか……体の大きさも合ってるし」
「たしかに、あなたとアレクサンダーが並んで歩けば、なんとも微笑ましいでしょう。けれど僕が言いたいのはそうではなくってね。……うーん、勘違いを生まないように言うのは難しいものだなあ」
「お前がそんなに困っていると、わし、なぜか馬鹿にされとる気分じゃ」
「……あなたの、その、気楽さが、今の……いえ、これからのアレクサンダーには必要だと、僕は思っているのですよ」
「やっぱり馬鹿にされとるな?」
「いえいえ。……ああ、本当に難しいものですね。どうにも僕は、人を弄ぶような言葉ばかり放つ男だと思われているらしい」
「普段の言動がなあ」
「順を追って話しましょう。聞いてくれますか?」
と、シロが述べるので、『まあ聞くだけなら。ヒマだし……』の精神で、とりあえず話を聞いてみることにした。
シロの話は、シロが『はいいろ』という組織の長に任じられたあたりから始まる。
それはもう、彼らの時間においては結構前のことなのだけれど、そのへんから暗躍を始めたシロは、色々なことが、少しずつ自分の想像と違った方向に推移している感触を覚えているのだという。
「僕はね、アレクサンダーを困らせる要因を取り除けば、彼がまた、旅をしていた時のような気楽さを取り戻すものと考えていました。……気楽さ、でもないかな。彼が……また、彼の目が、未来を向くものと、そう思っていたのですよ」
「……」
「ところが、僕がいくら骨を折って働いて、ほとんどの問題を取り除いても、彼はいつまでも、過去のことばかりに目を向けてしまう。……今ではもう、ほとんどの問題は解決したと言っていいけれど、それでも彼は、きらきらとした目で未来をみることがない。こうなるとね、もう、僕にはどうしようもないんですよ」
「わしはだんだん、よくわからんから退屈になってきたぞ」
「あっはっは。……あなたのね、そういうところを、僕はすごく素敵だと思っている」
ひょっとして告白をされているのだろうか、とウーは思った。
しかし、違うようだ。
シロは、ウーのほうを向いているが、ウーの姿を見ていない。
彼が見ているのは、ずっと、アレクサンダーだけだ。
「……ふと、過去の解決しようもない問題を思い出して、悶えて、苦しくなった時に、隣で『わからん。違うことを考えろ』と言ってくれる人に、アレクサンダーの隣にいてあげてほしいんです」
「そんなん誰でも言えるじゃろ?」
「いやあ、それがなかなか、難しい。僕は一緒になって悩んでしまう。イーリィさんは……悩みさえ『それでいい』と受け入れてしまう。彼女の視点はね、もはや、人というよりは、もう少し上位のものなんですよね」
「ほーん」
「あ、わかってませんね? いやあ、いいなあ。この会話。わかってないことを隠さない。わかっていると勘違いもしない。わかっていない、興味がない、と全身で示す。その純朴さが、きっと彼を救うと、僕は思っています」
「まあ、お前らに嘘をついても仕方ないじゃろ。わしは、お前らに比べて頭がよくない。そこがなんか役立ちそうという話じゃろ? 馬鹿にしてるんじゃろ?」
「馬鹿にはしていませんが、飾らずに言うと、馬鹿だとは思っていますね」
「飾れ!」
「あっはっは。まあ、そういうわけでしてね。あなたには、しばらく、アレクサンダーについていてあげてほしいのですよ。少し前までは、会議場などに同行して場をなごませてくれていたけれど、最近はそういうことをしてくれていないようなのでね」
「ふーん。お前の言いたいことはわかった」
「わかっていただけましたか」
「でも、嫌じゃ」
「……どうして?」
「いや、嫌じゃろ。普通に。というか、なあ、お前、わしは別に、アレクサンダーに尽くしたいとか、そういうことは全然ないぞ。なんとなく同行しただけだし、あいつが悩むなら『勝手にしろ』って感じじゃ」
シロは目を丸くしていた。
珍しい。この男がこんな、内心を顔に表すだなんて。
「そもそも、悩むというのは愚かな行為じゃ。悩まないことこそ、素晴らしい。長い人生をそんなものに費やすのはあまりにももったいない」
「……ああ、ドライアドの価値観はそうでしたっけ」
「だいたいなあ、お前、アレクサンダーの力になるのがあたりまえみたいな感じで来たけど、わしは気持ちよくないことはせんぞ。常に悩んでる男のそばに居続けるとか絶対やじゃ。重苦しい」
「……重苦しい、ですか」
「それをさせたいなら、わしになんかよこせ。そうしたら考えてやらんでもない」
「僕はあなたの欲しいものを『子供』以外に知らないのですが」
「寄越せるのか、お前が?」
「うーん、そうですね。じゃあ、差し上げましょう」
「は?」
「それであなたがアレクサンダーのために動いてくれるなら、僕からあなたに、子供を進呈します」
シロはいつもの笑顔を浮かべてのべた。
ここでウーは、望んだものがあまりにも簡単に転がり込んできて――
――いや。
素直に、こわくて、一歩引いた。
「……正気か?」
「その質問にはお答えしかねますね」
「そこまでするのか? アレクサンダーのためになるかもしれない、というだけの理由で?」
「……うん、正直に言いましょうか。僕はね、実のところ、アレクサンダーに尽くしたいわけではない」
「では、なぜ……わしの魅力にまいって、わしを抱くタイミングを狙っていた?」
「ここでうなずけば話がすぐ進みそうなのですが……まあ、あなたも素敵な女性ではあると思いますけれどね。違います。……僕は、誰かを救いたいんですよ。人生で一度ぐらい、誰かを助けたと満足して、死にたい」
「は? こわ」
「ヘンリエッタを覚えていますか?」
忘れるわけがなかった。
あの、わけのわからない女を忘れようたってそうはいかない。
あいつは今でもウーの夢にたまにあらわれ、意味不明なことをして、ウーの夢を悪夢に変えてしまうぐらいなのだ。
行動原理から、思考方式から、目的から、なにもかも、わからない女だった。
そうだ、この白い連中にはそういうところがある――わけがわからないものにこだわって、わけのわからない熱意で行動をする。
「あれは、まあ、忘れんけども」
「どう思いました?」
「ただただ、こわい」
「あっはっは。……まあ、そうなんでしょうね。でもねえ、僕は、彼女のことが、ちょっとわかる。僕ら白い種族はね、どうにも、生まれた意味を探して、その意味のために死にたい衝動を抱えて生きている。だから、彼女はあそこでああして死ぬことで、『生まれた意味』を達成したんだ」
「わからん」
「でしょうね。……まあ、そういった理解できないものが、彼女だけでなく、僕のことも、動かしているのです。このあたりは価値観の違いとして済ますしかないのかもしれませんけれどね」
「そのためなら、わしに体を差し出すこともかまわないと?」
「そうかもしれません」
「なら、断る。願い下げじゃ。わしはそんなもんに巻き込まれたくない」
「……そうですか」
「だいたいなあ、その提案はあまりにも――」
「なんでしょう?」
「いや、その、あまりにも、なんじゃ……あまりにも、わしを見ておらんというか……」
言いながら首をひねる。
『子種がほしい』『提供します』……このやりとりは非常にドライアド的で、特にごねる理由もないものだった。
また、シロの男としての性能はよく知っているし、彼の成したことも横で見てきた。
何一つ不満がない、ドライアドなら喜んで迎え入れるべき男だ。
けれど――
ウーの口をついて出てきた言葉は、そういったドライアド的価値観では、ありえないものだった。
「わしを見ろ」
口にした瞬間――
ウーは、今まで自分を悩ませてきた正体不明のものの輪郭が、急にはっきりしてくるのを感じていた。
わしを見ろ。
そうだ。
ドライアドはたくさんの強い男とまじわり、たくさんの子供を残すことで英傑となる。
それは憧れるべき生き様だ。
でも、ウーは、正しく言えば、英傑になりたいわけではない。
チヤホヤされたいし、死後にまで自分の名を残したいだけなのだ。
ドライアドの語る英傑像に囚われずにチヤホヤされるなら、それがいいとさえ思う。
ただ、ドライアドの里においては『ドライアド的英傑』になるのがチヤホヤの近道だったので、そういうものだと自分を偽装してきただけだ。
そして――
自分が男をこわがり、それと交わらないように生きてきた理由が、ようやく、はっきりした。
だから、知らず乱れかけていた呼吸を整えてから、ゆっくりと言葉をつむいだ。
「わしらの里に来る男は、子種だけ残して、彼らの時間に帰っていくもんじゃ。ドライアドは残された子を自分らだけで育てる」
「そう聞き及んでいます」
「わしらは、わしらを抱いた男がどんなもんか覚え、語り、仲間や子に聞かせる。けれどな、男にとって、わしらは、なんじゃ? ただの『森の民の誰か』でしかないのではないか?」
「……」
「わしらの英傑は、わしらの中で語られるもんなんよ。わしらが英傑と思っとるフーばあちゃんが、男たちのあいだでどう語られてるのか、わしは、知らん。そんでな……わしは、昔っから、たぶん、気付いとった、『フーという名前を男たちは語り継がない』と」
「……結論を察してしまいました」
「言ってみろ」
「僕はとんでもなく失礼なことをしてしまったようで。お詫びします。僕は、アレクサンダーを助ける者ほしさに、子を欲しがるドライアドに体を差し出そうとした。それは『あなた』にではなかった」
そうだ、それは、『ドライアド』であって、『ウー・フー』ではない。
ようするに――
「わしは、わしを見てほしかった。……行きずりの『ドライアドの一人』とみなされるのが、イヤだったんよ」
そこまで言って、自分で納得した。
フーばあちゃんのような大英傑になる! と息巻いていたけれど、そこに熱意がわくことはなかった。
だから、自分には最初からそういうものがないのかなと思っていたけれど……
なりたく、なかったのだ。
ウーが残るべきは、ウーの英雄譚の中だ。
ウーがなにをしたかの話をする人々を想像するのが、一番気持ちがいい。
『伝説のドライアド』ではなく、ウー・フーの話をしてほしい。
だから、その難易度に絶望した。
「……わし、英傑になれんかもしれん。だって、なあ。わし、なんもないもんな。嘘ばっかりで、愛されるべき『自分』を、ぜんぜん、はぐくんでこなかった。……なんにもしないで、いたずらに歳を重ねて……」
ウーは、自分が泣いていることに気付いた。
今まで過ごした時間の長さが、胸を押しつぶしそうになる。
もっと自分を磨いていればよかった。もっと経験を積んでいればよかった。
なにもしないまま、ここまで生きてしまった。
愛されるために必要なものをなに一つ持たないで、ここまで歳を重ねてしまった。
もう、今さら、どうにもならない。
きっと、時を巻き戻せたところで、自分では、どうにもできない。
どうしようもないと思っていた自分は、想像していたより、もう二段階か三段階、どうしようもなかった。
「……誰かに、愛されたかったなあ。母ちゃんとか、姉ちゃんとかじゃなくって、わしを娘だの妹だのという理由で愛してくれる人からじゃなくって……わしの力で、誰かに愛されたかったなあ……」
「ウー、それは、いけない」
不意にシロの顔が見たこともないほど真剣になっているのに気づく。
彼は片手を突き出し、怒ったように眉根を寄せて、
「今のあなたなら、僕が救えると思えてしまう」
「……」
「こんなにも誰かを助けたい衝動を抱えた僕の前で、あまり、そういう隙をさらさない方がいい。さもなくば、僕の、あなたからすればわけのわからない行動原理に巻き込まれますよ」
「ん、む……?」
「そしてね、もう、手遅れだ。僕の頭は、今、勝手に、これまでの旅で見てきた『あなた』を探してしまっている。ドライアドではない、あなたを。僕らと旅したあなたの、愛すべき点を洗い出してしまっている」
「……あるのか、わしに?」
「ありますとも。他のドライアドにはなくて、あなたにだけある、魅力が」
「それは、なんじゃ?」
「極度にダメなところ」
絶句した。
笑いそうになった。
いや、それは……それは大いに自覚するところでは、あるけれど。
でも、このタイミングで、そこ?
そこを推してくる?
「すみません、ウー。しかしね、僕が思うあなたの美点は、まさにそこなんです。思わず救いたくなるような、そういう、迂闊で、調子がよくて、すぐ人の背に隠れて、その背の後ろで強いことを言うような、そういう部分が、どうしようもなく、愛おしい。もう、僕はそういうふうに、思ってしまえる」
「……」
「さすがに、怒りますか?」
シロは珍しく不安そうに首をかしげた。
ウーは――
シロの左右で色の違う瞳とか、長い、真っ白い髪とか、はりのある筋肉とか、丈夫そうで大きな骨格とか、手足の長さとか、そういうのを見て……
「顔がいいから許す」
そう言うしかなかった。
いや、だって、もう、本当に――
――顔がいいのは、ずるいんだもの。
なにを言っても、しょうがないなって思ってしまうぐらい、本当の、本当に――ずるいんだ。