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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十四章 建国記の終幕
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151話 朽ちた玉座にて

 穏やかな人生を生きようと思った。


 だから、穏やかな人生について考え続けた。


 ……ふと、想像する。

 もしも自分に『冒険心』がなく、手にしている力だけで、住んでいる場所だけで、一生を終えようと思ったなら、どうなっていたか?


 あの宗教の支配する集落で、次の代行者に選ばれて。

 イーリィと『ケッコン』して、すぐにでも子を成して。

 神の教えを後世に伝えて、ぐるぐる、ぐるぐると、そのルーチンを守って生きていく。


 その退屈な暮らしの中で微笑む自分が、想像できなかった。


 穏やかな人生に満足できる人とできない人がいて、自分が後者だというのは生まれつき理解していた。

 だからずいぶん『変わったこと』をやろうとした気がする。

 ……そうやっておかしなことをしているうちに、たぶん、ありふれた理由で死んだのが自分の前世だったのだろう。


 百人いれば、七十人はいる、変人に憧れる凡人。


 サイコパス診断で『あなたはサイコパスです!』と言われるのを喜ぶ『普通の人』。


 退屈なルーチンの中で朽ちていくことに満足できるなら、きっと、そのほうが幸せだったのだろう。

 でも、どうしようもなく『活躍』に憧れて、ただ死んでいくだけの人生なんか過ごしたくなくって、けれど、心の方が、どうしようもなく普通なのだった。


 ……子が、生まれた。


 どうやらこの体にも生殖機能はあったらしい。

 生まれた子がどういう(・・・・)存在(・・)か――だなんて悩まない日はなかった。

 でも、今のところ、危惧するようなことは起きていない。だからたぶん、生まれた娘は普通の、この世界の生き物なのだろうなと、そう思うこともできた。


 ……そのあたりから、アレクサンダーは自分の行く末を決めた。


 永遠に老いない少年王。


 そんなものになる気はなかった。


 アレクサンダーの容姿が変わらないことを「お前はいつまでも、ガキみたいだなあ」だなんて笑い話で済ませられる期間はとっくに過ぎていて、今では人々が『不死身の少年王』に不気味さを感じているようだった。


 もはや『神の加護』でどうにかできる段階を過ぎている――神はそこまで万能でもないようだった。

 あるいは、神の仕掛け人たる自分たちがどうしたって神を信じていないから、そこに『真』が宿らなくて、そこが民衆に感じ取られているのかもしれない。


 アレクサンダーは王位をイーリィに譲り、人前に姿を表さないことにした。


 そして、いくらかの、肖像画を残した。


 それは『年齢相応の自分』の肖像画だった。

 いつまでも十二歳のままではなく、二十歳なら二十歳なりの、三十歳なら三十歳なりの、そういう自分を、想像で描かせたのだ。


 ……年老いていくイーリィと並べて、描かせたのだ。


 三十年ほどが過ぎただろうか。


 国家は安泰だった。

 宗教は根付き、女王イーリィは民に愛されている。


 問題がまったくないとは言わないけれど、大きな問題はだんだんと減っていって、王族直属となった『はいいろ』たちの活動もかなり減っていった。


 だからだろう、シロ――『はいいろ』が、こう、提案した。


「我が偉大なるアレクサンダーよ。あなたの冒されている症状について、調べてまいります」


 ……そう言う彼は、もう、ずいぶん、老いていた。


 すでに五十歳を超えている彼は、ある時から左目の視力を失っていて、眼帯を身につけるようになっていた。

 体もあのころの――旅をしていたころのハリはなくなり、太かった腕や脚も、ずいぶんと細くなったように感じる。


 彼ら『真白なる種族』の寿命は、短いらしい。


 五十歳まで生きる者は多くないのだとか。


 その中で彼はいまだに生きて活動できているのだから、それは、すさまじいことなのだろう。


 けれど、その申し出は――ようするに、『引退宣言』だった。


「……長いこと、迷惑をかけたな」


 人目を避けてある場所(・・・・)に引きこもるようになったアレクサンダーは、そこに置かれた玉座……イーリィが女王になる前まで彼がおさまっていたその椅子に腰掛け、目の前にひざまずく老人を見ていた。


 片膝と片手を床についてふかく(こうべ)を垂れる『はいいろ』。

 その髪はもともと白かったけれど、そこからは艶がなくなっているように感じられた。


 けれど、顔をあげた『はいいろ』は、年齢を重ねただけの魅力がそこに備わっていた。

 往年のような表情の読めない微笑をそこにたたえて、


「いえいえ。アレクサンダー、私は、こうなったあなたを殺して差し上げるつもりでいました。ところが、それができそうもない。……迷惑をかけたなら、こちらの方ですよ。私は、あなたと旅をした時に交わした約束を守れていないのだから」


「故郷に戻って、ダリウスの後を継ぐ道もあっただろうに」


 それはもちろん冗談ではあったけれど、少しばかりの本気も含まれていた。


 大公ダリウスは、もう、五年ほど前に亡くなっていた。


 激務だっただろうに、彼はずいぶん長く生き、その人生のほとんどを現役のまま過ごした。

 今では彼の息子――血の繋がった実子があとを継ぎ、そろそろ、そのまた後継に大公の位がゆずられようとしているところであった。


「あれほど後継に悩んでいたダリウスが、私の弟に『血縁者だから』という程度の理由で家督をゆずることができたのは、あなたのお陰ですよ、アレクサンダー」


「……俺はなんにもしちゃいねーよ」


「あっはっは。……国を創っておいて『なにもしていない』とは。謙遜としても嫌味が過ぎる。まあ、あなたが謙遜ではなく、本心で言っていることは、私にはわかっていますけれどね。そんなあなたに――私の救いたいものは、みんな、救われてしまった」


「……」


「だからね、もう、私には、あなたぐらいしか、救うべきものがない。どうでしょう、この老骨の人生にも、一度ぐらい、『誰かを救えた』という満足を与えてはくださいませんか?」


「俺にはわかんねーな。……ただ、生きて、ただ、死ぬ。それができるだけで、充分なような気もするんだが」


「それは価値観の違いというやつでしょう。……私はね、何かを殺す力を持って、何かの助けになりたい心を持って、この世に生を受けたことに、意味を感じているんですよ。殺すことで救える人がいる。それはきっとあなただと、そう思っているんです」


「……」


「と、言うとあなたは嫌がるでしょう? なにせあなたは偉大なるアレクサンダー大王だ。この世で起こったことのすべてが、『自分が望んだからそうなった』と思っていらっしゃる」


 それは、なんともわかりやすい皮肉だった。


 たしかに、アレクサンダーの心を悩ませているものは、そういうことなのだった。


 望みが叶う力がある。

 望んだだけで、かかわる人の人生を変えてしまった。

 自分が望んだから、どうしようもなく変わってしまったものがある。


 それは、『自分が望んだからそうなった』という傲慢な思い込みだ。


 でも、その傲慢な思い込みを明確に否定する方法が、もはやアレクサンダーにはわからない。


 自分が心の底で何を望んでいるのか、明確に言葉にできる者がどれほどいるだろう?


 どんなに望んでいなくても、『でも、実は』と説明をつけることができてしまう。

 そもそも、アレクサンダーは、そういうこじつけが得意だ。こじつけでいろんなものを騙して、国さえ作ったぐらいなのだから。


「……俺の命に、お前が余生を費やすほどの価値はないかもしれないんだぜ」


 最後のつもりで、そう、忠告した。


『はいいろ』は、その言葉の裏に隠れる、真の意味をきちんと読み取ってしまう。


()()()()()()()()()()()()()


「……」


「私が、私の意思で、私の余生を過ごすのですよ。だから、何一つ、あなたの責任ではない」


「では」と――今生の別れになるかもしれないにしては、あまりにも簡素に、『はいいろ』は立ち上がって、部屋(・・)を出ていく。


 残されたのは、アレクサンダーと――


 月光。


 最近は常にアレクサンダーのそばにいる、アレクサンダーと同様に、歳をとらない彼女。


「月光」


 アレクサンダーは呼びかける。


 銀の体毛を持つ獣人の少女は、十歳そこらの顔立ちにアレクサンダーゆずりの不遜な笑みを浮かべて、大きなピンと立った三角耳をぴくりと動かした。


 アレクサンダーの言葉の続きを待つ。


 けれど……


「いや。なんでもない」


 アレクサンダーは、玉座に深く背をあずけ、それきり、黙った。


 目を閉じている。


 けれど、眠っているわけではないだろう。


 彼は、眠りにつかない。……つくことが、できないのだった。

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