150話 エルフたちのその後
「……聞いているか、アレクサンダー?」
ふと、まどろんでいたような気がした。
けれどアレクサンダーは即座に首を振ってその考えを否定した。
自分が眠れないことなどとっくにわかっている。これから眠れる日が来るという希望はもはや持っていない。
だから今の覚醒は、たんに、別なことを考えていて、そちらの意識が割かれていたせいだろうと結論づけた。
だって庭園から見る空はあまりにも青く、雲ひとつない。
風はやや冷たくなってきているけれど、王宮内の、王族とそのごく近しい関係の者しか入れない特別な場所であるここには、いくつもの美しい草花が咲いている。
雇用を生み出さねばならなかったとはいえ、やけに出来のいい庭園にしてしまったものだとアレクサンダーは笑った。
庭園の真ん中ににぽつんと置かれた、四本の柱に屋根を支えられた白い談話室。
風がそのまま入り込むその場所で、お茶会をしている。
もっとも、アレクサンダーは食事に興味がなかった。
必要がない。……それに、味も最近はよくわからなくなってきている。
この肉体は旅の中でどんどん刺激に鈍くなっていって、今ではもう、腕を切断されたところで、多少の痛みさえ感じないだろう。
アレクサンダーはテーブルの対面にいる者に笑いかけ、
「あー、悪い、サロモン。少しぼんやりしていたみてーだ」
そして、失敗に気付いた。
ほとんど反射的に笑いを深めて、言い直す。
「悪い、ジルベール。本当にぼんやりしてた」
「いや」
ジルベールは弟と比べればいくらか柔和な印象の青い瞳を細めて笑った。
そして肩口で切りそろえた金髪を風に揺らしながら、茶をすすって、
「……しかし、ここの茶は甘いな」
「嫌いだったか――って、このやりとり、テーブルについた時点でやったな」
「そうだ。……まあ、そういうこともあろう。アレクサンダー大王はお疲れのようだ。私などに時間を割いていただくことを、申し訳なく思っているところだよ」
「お前だってエルフの偉い人じゃねーかよ」
「いやいや。私は新参枝族の長にすぎない。エルフの歴史というのはな、本当に、途方もないほど長いのだ。そして……その長い歴史の中で、幾度か人間やドワーフなどと交わることもあったが、それでも、エルフのみで過ごすことを選んだのが、私のかつて所属していた枝族だ」
「……」
「私も、その道を選ぶよ」
ジルベールは肩をすくめた。
アレクサンダーは――予感していたから、力なく微笑むだけだった。
「ジルベール、お前も離れていくのか」
「個人的には、弟が世話になった礼をしたいところだが、そうも言っていられない。……この都はな、人間が強すぎる。先だってドワーフたちが出て行った……人間風に言えば『逃げ出した』ことで、増長した感もある。まあ、それでも街に残ったドワーフも、もちろんいるがね。だが、ダヴィッドさんの離脱は痛かった」
「……そうだな」
「サロモンも……あの馬鹿者め。拗ねているよ。ああなるとダメだな。もともと、私がアレの癇癪をどうにかできるなら、あなたとアレは旅をしていない。幸いというか、なんというか、私には連絡をよこすが……あなたとは、会わないつもりのようだ」
「まあ、そうだな」
「真白なる種族の方々は、自ら影に潜み始めた。ドワーフは南の職人区画に残る者もいるが、多くがダヴィッドさんについて行った。そしてエルフも……まあ、ここらで誰かが、どこか離れた場所に連れ出すべきだろう」
「その役目を、お前が?」
「うん。これを機に、エルフのもっとも大きい枝族になってやろうかと思っている」
その瞳にあるのは、かつてのジルベールからは想像もつかない、楽しげな、野望の光だった。
アレクサンダーは肩をすくめて、
「王国で貴族として遇してもいいんだがな」
「それはよした方がいいだろう。貴族社会は人間ばかりだ。……先の『ダリウスの乱』の時点ではもっと色々な種族があなたの側に立つかと思っていたのだがな」
「いやあ、俺が人間だからな。もちろん協力してくれた種族もいたが、どうやら、貴族社会で人間族から締め出されたっぽい。『数が多い』ってのはやっぱつえーわ」
「……その異種族排斥の流れ、わかっていて放置したのかな?」
「……たぶんさあ、俺のあとの世代で、それは起こったんだよ。しかも、今より『貴族』ってモンが固まったあとでな。そんな時代で『締め出し』が起こったら、もっと血生臭い事態になる。今が一番、ダメージが少ない」
「おい、それがわかって、私に『貴族として遇してもいい』と言ったのか」
ジルベールが半眼になった。
アレクサンダーは気弱に笑う。
「エルフは寿命が長いじゃん。で、ジルベールならまあ、俺が特別な権力を与えちまえば、貴族社会でもうまくやるかなって」
「私のあとの世代のことを考えろ」
「何百年後の話だ。さすがにそこまでは面倒みきれねーよ」
「……まあ、ともかく、そういうわけだ。私は、いくらかのエルフたちを引き連れて、王都を去ろうと考えている。幸いにも、というか、なんというか……サロモンも一緒だ」
「そうか。でもな、悪いが、もう、お前らにやれる土地がねーんだよ」
「アレクサンダーの故郷よりさらに北東を開拓したい。そこなら、誰のものでもなかろう」
「……ああ、なるほど。でもなあ、そいつはひょっとすると、西方開拓よりきついかもしれねーぜ」
「サロモンにはいい息抜きになる」
「ま、お前がそう言うなら」
「ついては、あなたから、我らに東方開拓をたくした印を受け取りたい。なるべく後世に残りやすそうで、普段使いをしなさそうな道具がいいのだが」
「つってもなあ……ああ、そういや」
アレクサンダーはポケットを探る。
ジルベールが眉根を寄せた。
「おい、待て、なぜ王の服にポケットがある? なにかあれば、人に持たせるなどあるだろう」
「便利なんだよ。……ああ、あったあった」
アレクサンダーがテーブルに乗せたのは、黄金のハンドベルだった。
ジルベールがそれをながめて、
「これは?」
「魔物除けらしい。これを鳴らすと、しばらく、持ち主より弱い魔物は寄ってこないっつー話なんだが……ちょっと俺にもよくわかんねーな、これは」
「そうなのか?」
「ああ。普通のベルかもしれん。ただ、めちゃくちゃ重い。いかめしくていい感じだろ?」
「では、これにしよう」
「ノリが軽いなあ。そんなキャラだっけ?」
「色々あったからな」
ジルベールは笑う。
アレクサンダーも、笑っていた。……ここ最近、ずっと、笑顔以外の表情を浮かべてはいないけれど。
ジルベールはふと思いついた、というような顔になって、
「……ふむ、では、そうだな、私は貴族にはならんが、王より許可を賜ったのだから、貴族ふうに、苗字の一つでも名乗ろうか。ちょうど賜ったわけだし、『ベル』ということで」
「……『ジルベール・ベル』?」
「なにか文句が?」
「いや、お前がいいならいいんだけどさ。……じゃあ、ま、あとで正式に送り出すことにするわ。ついでに『ベル』の名前も与えたって大々的にやっちまおう」
「そうだな。それが、街に残る同族のためにもなろう」
「…………お前は、政治家だよな」
「……ダヴィッドさんのことは、『あなたたちとともに旅をした』という一点のみにおいても、充分に尊敬しているが」
「どういう意味だ」
「いや。……まあ、私は彼女とは仲良くなれないタイプだろうな、と思ったまでだ。エルフとドワーフの考え方の差――と、主語を大きくしてしまうのもいかがなものかと思うが、そういうようなものを感じるよ」
「でもサロモンからは連絡が来てるんだろ? ダヴィッドにあんたが感じてる『仲良くなれなさ』を煮詰めたモンをサロモンは持ってると思うんだがな」
そこで、ジルベールはちょっと黙った。
それから、
「……なあ、アレクサンダー。サロモンのことだが、」
「会わねーぞ」
「……」
「あいつが望まないのに会ったところで、話なんかできるはずもねーだろ」
「しかし、あなたは、弟にとって、唯一の友人だった。――唯一無二の、親友だった。それは、私から見れば……いや、私から見てさえ、事実だと思える」
「……ああ、うん。そうかもな。友人、と言われれば、まあ、俺にとっても、真っ先に浮かぶのは、あいつなんだろうよ」
「ならば……」
「だからこそ、俺はあいつに、なにかを望みたくないんだよ」
「……」
「もしも俺たちの関係をお前が大事に思ってくれてるなら、どうか、俺の頭に『あいつにしてほしいこと』をよぎらせないでくれ」
アレクサンダーの語気は強くなかったけれど、そこにはどのような説得でもまげない意思の力みたいなものがあった。
ジルベールは力なく肩を揺らして、
「私には最後まで、あなたたちのことは理解できなかった。……けれど、まあ、そういう価値観もあるだろう」
――楽しかったよ。
サロモンに似た顔で、彼は最後にそう述べて、席を立った。
去っていく彼をアレクサンダーは見送った。
無表情同然の微笑みで、ただ、なにも言わずに、見送ったのだった。




