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アレクサンダー建国記  作者: 稲荷竜
十四章 建国記の終幕
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149話 寝室にて

 背が低いのが悩みだった。


 アレクサンダーにだってコンプレックスぐらいはある。というか、本人的にはコンプレックスまみれだ。


 魔力がない。

 背が低い。


 顔はまあまあいい方だけれど、それは幼さ補正というやつだろう。


『男』というよりは『子供』で。

 真っ黒い瞳はいつだって生意気そうに遠くを見ていて。

 ふわふわの黒い髪はどんなにまとめようとしたって無理で。


 最近は気取って大人っぽい服装なんかも着てみることがあるけれど、『衣装に着られるっていうのはこういうことだ』という見本が一つ出来上がるだけだった。


 まあ、しかし――十五歳当時の彼はこう思っていた――しかし、これからだ。

 成長が遅いやつもいるだろう。このへんの土地には栄養源になる食料も足りてない。


 いつかこの背は伸びて、この顔にはヒゲが生えて、そして腕や足もステータス相応にたくましくなり――

 イーリィを見下ろす日も、来るだろう。


 そういうふうに思うことにしていたのだった。


 彼はもちろん、自分がずっとこのままだという予想もしていた。

 その原因は自分の出自にあるだろうなー、なんて、思っていた。


『アレクサンダー』と言われればみんな彼を想像するけれど、彼はアレクサンダーではない。

 死んだ少年の中に突然現れた魂だ。異世界からの転生者なのだ。


 だからまあ、そのあたりがなんか作用して、このままなのかなーというのも、思わないでもなかった。

 っていうか、もっとも有力な説かなという思いもあった。


 旅をした。


 過酷な環境は人に成長を促す。


 もともと発育のよかったイーリィはどんどん大人びた体つきになっていった。

 カグヤは子供だけに成長がわかりやすい。うっかり気づけば背が伸びていて、いつ追い越されるかとヒヤヒヤさせられた。


 サロモンなんかはすでに体は大人だった。

 旅の中で大きくなっているのかもしれないが、アレクサンダーの視点からでは観測できない。


 ダヴィッドは種族的によくわからない。

 そもそも、年齢も詳しくは知らない。ただ、もともと小さくて横に広い種族だから、あるいは横に大きくなっているのかもしれなかった。


 シロなんかはもう完全に大人で、近くで話していると首が痛くなるぐらい背が高い。体つきもがっしりしている。ハリウッドのマッチョ系俳優かと思うぐらいだ。顔もいいし。


 ヘンリエッタも大きかった。

 ただ、イーリィがかなり発育がいい方なので、慣れていたというのか、さほどショックはないというのか、頑なに弟扱いしてくるのもあって、『まあ、そうだよなあ』と思っただけだ。


 ウーは話してて(首が)楽だった。


 旅をした。


 色々なものを乗り越えたと思う。

 それでも、体は大きくならなかったし、筋肉質にもならなかった。


 旅を、終えた。


 栄養のあるものを食べられる生活になった。――栄養なんか必要でもなさそうだけれど。


 睡眠時間は相変わらずだ。

 ……あるいは、ここを解決できれば背も伸びたのかもしれないけれど、どうにもこの肉体は、目を閉じて横になったところで、まったく眠気を覚えてくれなかった。


 この体質は役立った。

 旅ぐらしでは夜の警戒を一人で引き受けることができたし、国王になってからは事務仕事も会議も不眠不休で行える。

 眠気による集中力の低下だってない。

 一日のすべての時間にスケジュールが入っている生活は、きっとこの体質でなければ一週間と耐えきれなかっただろう。


 忙しさは『余計なことを考える時間』を奪ってくれた。


 望んでその中に身をおいていた。


 旅の最中にあれこれ頭を悩ませていた問題が一つずつ片付いていくのは気持ちがよかった。

 責任を果たしているのだという実感に満ちた毎日。人々の生活はだんだんよくなっていると思う。

 最近では、自分のことを心底嫌っている人や、自分のことを全然知らないのに批判してくる声なんかも、うまいこと割り切れるようになってきた。


 そうして国家はまわり、時間ができた。


 空白の時間に、思い出すことがある。


 不可解な死を遂げた、二人の女性。


 ヘンリエッタとカグヤのことは、どうしたって頭によぎってしまう。

 彼女らの死の理由は、彼女らの頭の中にしかなかったのだ。

 最適でもなければ劇的でもない。有用でもなければ重要でもない。


 ただ、そこで死ぬのが最初から決まっていたから、そのように死んだかのような――


 ――そうじゃない。


 月光の語ったことが本当なら、この城で死ぬべきは、自分だったはずだ。


 それを、カグヤが庇ったのだ。


 ならば――


 成長しない、この自分は。


 一度死んで蘇った、アレクサンダーならぬこの魂は。


 旅の間も、王国樹立後も、いっさい老いることのない、この体は――


 死という眠りに就く機会を、逸したのではないか?


「永遠に若いまま、王国を治めるってのも、最近じゃあ、いいんじゃねーかと思い始めてるよ」


 この口は強がって嘘をつく。

 ……強がるように心の中で唱えた空虚な嘘を黙っておくことができない。


 寝室で、窓の外を見ている。


 とうに夜中となった時間だ。

 ここから見える王族用の中庭は暗く、そこにどれほどのものが咲き誇っていようとも見通せない。


 室内灯には魔石が用いられていた。

 魔石を加工したランプは量産がなされており、それは街灯として街の夜を彩り始めていた。

 光量は火を灯すよりはだいぶ明るいと言えるだろうか。

 電灯に比べればさすがにやや暗いけれど、人々は少なくとも都市の中において闇に怯える暮らしから解放されている。


 窓にはガラスなどはまっていない。

 ガラスはまだ発見できなかった。その原料としてふさわしいものを探し当てるよりも、氷の魔石で常に窓枠に氷を張っておく方が早く実現可能な気配があった。


 すべてを魔石と魔法で済ます、科学文明とは別な成長ルートに乗っているであろう、王国。


 ……まるで、旅立ちの日に夢見た『超魔法都市』のようだな、と思った。


「数百年先でさえ健在の、伝説の少年王! いいじゃん。ロマンがある。なんていうか、世界が広がる予感がするよ」


 窓の外を見ている。

 そこには暗闇だけがある。


 暗闇に目をこらす趣味はなかった。そこにはなにもない。

 なにかがあったって、見えないものに興味はない。


 けれど、嘘をつきながら、寝室の中にいる相手に、顔を向けたくなかった。


兄さん(・・・)


 ……けれど、そいつは、アレクサンダーよりよっぽど巧みで。


 懐かしすぎる呼び方をされて、アレクサンダーは、つい、びっくりして、部屋の方を向いてしまった。


 イーリィが、笑う。


 桃色の髪を長く伸ばした彼女が、桃色の瞳を細めて笑う。


 もともと発育のよかった彼女は、大人になって妖艶な色香までその身にまとっていた。

 並んで歩けば、そろそろ、『姉と弟』ではなくって、『母と息子』に間違われそうなぐらいに――


 彼女は、美しく、歳を重ねていた。


 自分と違って、きちんと、『死』へ向かっていた。


「最近は、心にもないことを言う時、私の方を見なくなりましたね」


 すっかりお見通しだった。


 アレクサンダーも人の内心を見る技術をいくらか持っていたけれど、イーリィはその技術を教えてもいないのに、よくもまあここまで、というぐらいに言い当てる。


 アレクサンダーはばつが悪くて、もう窓の外を見ることもできなくて、体をイーリィに向けて、すねたように下を向いた。


 そんな様子を、笑われてしまう。


「子供みたいな顔をしないでくださいよ」


「うるせーな」


 アレクサンダーの応対に、イーリィは微笑んだ。

 その笑みがあまりにも大人で、アレクサンダーはますますかたくなになってしまう。


 その彼の前に、イーリィはひざまずいた。


「ねぇ、アレクサンダー。あなたが死にたいと言うなら、そのために尽力してくれる人はたくさんいますよ。なぜ、その人たちを頼らないんですか?」


「今さらどの面下げて頼めっつーんだよ。だいたい、()()()、どこにいるのかもわかんねーし」


「……真っ先に想像する相手がサロモンさんというあたりが、本当に」


 嫉妬しそうですよ、とイーリィは笑った。


 ……こののち、イーリィは、アレクサンダーには内緒で、アレクサンダー殺害依頼の手紙を信頼できるものにあてたりして、それが後世に発見され、この夫妻の不仲説がささやかれたりもするが、それは余談だろう。


「あなたがこのまま、王で居続けるというなら、止めません。だってあなた、止めると意固地になってしまうでしょう?」


「あのね、俺にもプライドがあってね。そういうめちゃくちゃ見抜かれてて見逃されてるのがわかると、わりと恥ずかしいの。わかる?」


「だって、きちんと内心をわかってると言わないと、あなた、はぐらかして終わろうとするから」


「……」


「私は、死にたいあなたを遺して死ぬのは、不安ですよ。……あなたと一緒に未来を見ることができないのは、寂しいです」


「……いや、まだわかんねーだろ。案外、五十年も生きたらコロッと死ぬかもしれんぜ。不老であって不死ではない可能性だって残ってるんだ」


「でも、あなたは信じてないでしょう?」


「……ほんとお前、成長したよな。やりにくくなった」


「ええ。そして、老いていくんですよ」


 アレクサンダーは黙り込んだ。


 イーリィは、アレクサンダーの手をとって立ち上がる。

 アレクサンダーは自然と、イーリィの顔を見上げてしまう。


 目にうつるのは、微笑みだった。


 歳を増すほどに美しく、優しくなる微笑み。


 ……不意に、花の香りが鼻腔をくすぐった気がした。


 それは献上品の香水のものだろう。

 けれど、その香りは、アレクサンダーにある光景をフラッシュバックさせた。


 ――花香る座敷牢。


 感情の表現方法を知らなかった、人形のような少女。


 まだ自分より小さかったあの少女が、ほんの数年で自分の背を追い抜いていった。

 感情表現を覚えて、よく怒るようになった。

 引きこもりだったくせにどんどん常識を覚えていって、旅が始まるころにはもう、どっちが年上だかわからないほど、イーリィはアレクサンダーの常識のなさを怒ったり、注意したり……


 そうして旅が始まって、それから、旅が終わって。


 今、大人になった彼女が、そこにいる。


 これから老いて死ぬだろう彼女が、そこに、いる。


 アレクサンダーは、一筋、涙をこぼしていた。


 まったく意識できない間に流れた涙だった。

 出したあと戸惑って、それから「おかしいな」なんて言って、格好悪いなと思いながら、袖口でごしごしぬぐった。


 そうしたらイーリィが「もう」と笑って、アレクサンダーに乱暴に目をこするのをやめさせた。


「目が赤くなりますよ」


「俺はならねーんだよ」


「……最近のあなたは、強がってばかり。ねえ、私がいるうちぐらいしか、そうやって強がってない顔を見せる相手が、いないんですよ。私が死んだら――」


「一緒に、死にたいよ」


「……」


「強がりとか、格好つけとか、そういうモン取っ払って、格好悪い本音を言えばな。……俺はやっぱり、お前がいねーとだめなんだわ。永遠の命なんざいらねーんだ。ただ、俺は……」


 冒険譚を。


 人に誇れる、冒険をした。


 仲間たちと、旅をした。


 だから、この冒険譚は――


 ここらで、エンドマークをつけられるべきで。

 いつまでもいつまでも続く物語なんかいらない。みんながエンディングを迎える中、一人で永遠の冒険を続けるのなんかゴメンだ。


『王様と、王妃様は、幸せに暮らして、それから、死にました』


 その一文を最後に記したい。


 それが、アレクサンダーの願いだった。


「……俺の願いは叶うんだ。望んだことが起こるんだ」


「だったら、あなたは、死ぬことができる」


「だから、俺は、本音では、死にたくないのかもしれない」


「……どうしてそうなるんですか」


「どこまで俺の願いなのか、もう、俺にもわからない」


「……」


「みんなが寝静まってる時間、なんにもねー暗闇を見ながら、俺がなにを考えてるかわかるか? ……ああ、まあ、昔はさ。世界に対する妄想をしてた。でも、最近じゃあ、俺は……」


 死に損ねたということばかり、頭によぎる。


 ……こんなこと、口に出したくなかった。

 だから、あわてて口をつぐんだ。


 だってそれは、カグヤの命をないがしろにしている。

 彼女の夢や希望を、あまりにも軽んじている。


 意味のわからない、唐突な、自殺のような――

 あるいは、運命にそう定められたかのような、死。


 ……もう、自分が何を望んでいるのかさえわからない彼は、こぼした。


「俺の感情は誰のものだ? 俺の願いは誰のものだ?」


 イーリィの切り返しはおどろくほど早い。


「あなたの感情も、あなたの願いも、それが誰のものかなんて、わかりません。あなたの感情であなたの願いだなんて、気休めも言えません。だってあなた、そんなこと言われてもなんの慰めにもならないでしょう?」


「……マジお前、よくおわかりで」


「だいたい、あなたは、わけのわからないことで悩みすぎなんですよね。そんな悩みなんかどこかに捨て去って――ということができないし、悩みに時間を使うことに迷いがない」


「ぐうの音も出ない」


「ひょっとして、そのわけのわからない悩みの結果、私があなたについてきたことまで、あなたの、あなたのものではないかもしれない願いの結果だなんて、思っていませんか?」


 ……否定できない。


 この旅路で間違いなくもっとも都合がよかったのが、イーリィの存在だ。

 彼女なしではどうにもならない局面が多すぎた。

 だからこそ、そこには、自分の、あるいは自分のものではない願いがあったのではないかと妄想するのに充分だった。


 でも、


「私は、私の願いで、あなたの旅に同行したんです」


「……」


「私に旅立ちを決意させる時に、吐きそうなほど追い詰めておいて、選び取らせておいて、それが何者かの願いだったなんて、そんな失礼なことありませんよ」


「そこまで追い詰められてたの?」


「人生がかかっていましたから」


「……俺はさあ」


 アレクサンダーはなにかを言いかけて、笑う。

 久しぶりに、心から、笑って、


「俺は、お前に、ついてきてほしくなかったんだよ」


「でしょうね」


「ああ、そうだ。……ついてきてほしくなかった。間違いなく、おいていこうとしていた。お前は……少なくともお前だけは、お前の意思で、ついてきた」


 ……でも、それもまた――


 何かを思いかけて、アレクサンダーは、せいいっぱいの努力で溢れそうな思考を押し留めた。


 今だけは。

 彼女が生きているあいだだけは――

『彼女だけは、自分の意思でここにいる』という考えに、すがりたかったから。


 イーリィが首をかしげて、


「私を連れてきたこと、後悔してますか?」


「感謝してるに決まってんだろ」


「感謝された覚えがないんですけど」


「態度で……」


「はっきりとした形にしてください」


「ありがとう」


「足りません」


「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」


 ……あとから思えば、そこまでの流れまでふくめて、本当になにもかもイーリィの手のひらの上だったんじゃないかという気はさえする。


 どうすればいいのか――イーリィは押し黙って、アレクサンダーを上から下まで見て……


 極めて真剣な顔で、こう述べた。


「精通はしてます?」

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